第43話 厄払いの一杯
カウラを寝かせて部屋を出ると長身の誠をかなめが見上げてきた。かなめの顔には一仕事終えたような充実感と一抹の寂しさを感じさせるような乾いた笑みが浮かんでいるように誠には見えた。
そのまま自室に帰ろうと階段に向かう誠の利き手の左手をかなめは握った。
「まあ、いいや。部屋に来い。実は飲み足りなくてな……付き合えよ。酔っ払いに当てられた厄払いだ。そう言うのは結構大事なんだぜ」
誠が問い返す間もなく、かなめはそのまま歩き出した。誠も穏やかな寝顔のカウラを見て安心した気分になりかなめの後に続いた。カウラの部屋の隣。さらに奥の今は隊で映画の細かい設定の打ち合わせを中の良いサラと嫌がるパーラとしているアメリアの部屋はしんと静まり返っていた。かなめも鍵を取り出すとそのまま自分の部屋に入った。
こちらも質素な部屋だった。机といくつかの情報端末と野球のスコアーをつけているノートに筆文字で何やら誠の読めないものが書かれていた。あえて違いをあげるとすれば、この部屋に普通に転がる酒瓶はカウラの部屋には無かった。
そして埃一つないカウラの部屋とは違い、踏み入れた時からかなめの部屋には埃が舞っていた。そして漂うのは何よりキツイ本来は自室での喫煙の証拠であるタバコの煙に混じるアルコールの香り。
部屋の窓は夏に掃除をしてから一度もあけられたことが無いとでもいうように空気はこもっていて、エアコンの暖房は留守だったというのにつけっぱなしで空気は乾ききっていた。
「ああ、喉が渇いたな。実はスコッチの良いのが手に入ったんだぜ。アイラのシングルモルトの12年ものだ。なあに、カウラみたいにそのままの目なんて言わねえよ。そこに製氷機があるだろ?厨房の冷蔵庫まで取りに行くのが面倒くせえから買ったんだ。アタシにしては良い買い物だろ?」
そう言ってかなめは笑った。そのまま彼女は机の脇に手を伸ばし、何本も並んだ酒の入った瓶から高級そうな瓶を取り出した。そしてなぜか机の引き出しを開け、そこからこの寮の厨房からちょろまかしただろう湯飲みを二つ取り出した。
誠は真新しい小型の家庭向け製氷機を開けた。静かに唸る製氷機から氷のかけらを取り出すとかなめの差し出した湯呑に氷を入れた。
「まあ、夜はまだまだあるからな……餓鬼じゃねえんだからこんな時間に寝るわけにもいかねえだろ?」
そう言ってかなめはタレ目で誠を見つめた。彼女の肩に届かない長さで切りそろえられた黒髪をなびかせながらウィスキーをそれぞれ湯飲みに注ぎ、誠に差し出した。
「良い夜に乾杯!まあ、変な奴の世話をしたのは厄介ごとだが、お互いそんな上司を持った者同士だ。でも、これまでのアタシの上司の中では一番マシな上司だ。あのちっちゃいのも含めてな」
そう言ってかなめは笑顔で酒をあおった。誠は彼女のそう言う飲み方が好きだった。湯呑を傾けると氷が湯呑のふちにぶつかって軽い音を立てる。そのグラスには無い陶器で酒を飲むという感覚が誠には少し新鮮だった。
「お前も配属になってもう半年か。どうだ?女関係の話はやめろよ……それはクバルカの姐御から止められてるんだからな」
珍しくかなめが仕事の話を振ってくるのに違和感を感じながら誠は頭をひねった。
「そうですね、とりあえず仕事にも慣れてきましたし……と言うかうちってこんなに遊んでばかりで良いんですかね?仕事と偽って野球の試合に出たり、農作業を理由に県警の交通課の応援を断ったり……仕事をしたような記憶があまりないんですけど。確かに出動とかいろいろ事件とかありますけど、それ以外の時間はほぼ遊んでただけのような気がするんですけど……今もこうして市からの依頼を理由にどう考えてもアメリアさんの遊びに付き合っている状況ですし。『近藤事件』とか大変な事件を担当した割にしていたことの記憶のほとんどが遊んでいたことだけのような僕の記憶って間違っているんですかね?そんなんで本当にいいんですか?」
誠の皮肉ににやりと笑いながらかなめは二口目のウィスキーを口に運んだ。
「まあ、それは隊の運営を担当する叔父貴の心配するところなんじゃねえの?それでどうしても費用対効果が合わないとなればうちは解体される。でも、『近藤事件』、『バルキスタン三日戦争』、『同盟厚生局違法法術研究事件』。どれもうちじゃ無きゃ解決できなかった。その為にアタシ等はいつでも備えている。それに東都警察は法術師相手には無能ってことで世間でも完全に烙印を押されてるんだ。連中だって『法術関係の事件と言えば司法局実働部隊』っていう認識でいるんだ。そんな事を考えればアタシ等はまあこれまでよりは仕事はしてるんだぜ。オメエが来る前は本当に県警の交通取り締まりの応援くらいしかすることが無かったんだから。」
そう言って笑うかなめが革ジャンを脱ぎ捨てた。その下にはいつものように黒いぴっちりと体に張り付くようなタンクトップを着ていた。張りのある背中のラインに下着の線は見えなかった。
「やっぱりウィスキーは飲むと体が火照るな……暑くないか?神前?」
そう言ってかなめは上着を脱ぐと静かに誠ににじり寄った。そして上目がちに誠を見ながらボブヘアの髪を掻き揚げて見せた。
そしていつもは想像も出来ないような妖艶な笑みをかなめは浮かべた。誠はおどおどと視線を落として、いつものように飲みつぶれるわけには行かないと思って静かに湯のみの中のウィスキーを舐めた。
つまみも無く、かといって酔いつぶれるわけにはいかないと誠は氷で薄まっていくウィスキーを静かに舐めていた。
製氷機の小さな駆動音だけが、やけに大きく聞こえた。
ただ沈黙と時間だけが過ぎた。誠の目は泳ぎ、かなめの目は誠のそんな目を見つめ続けている。
「あのさあ……」
かなめが沈黙に負けて声をかけた。それでも誠は手は湯飲みを握りしめるばかりで動かない。正確に言えば動くことが出来ないでいた。
ここでどんな話題を振れば良いのか。誠には思いもつかなかった。
誠の左手に持った溶けた氷で薄まった色だけのウィスキーの入った白い湯のみがカタカタと揺れていた。
「オメエさあ……」
再びかなめが声をかけた。誠はそのまま濡れた視線のかなめに目を向けた。その視線を受けると誠はどこから来るのか分からない義務感からつい目を逸らしていた。
「まあ、いいや。忘れろ」
そう言うとかなめは自分の空の湯飲みにウィスキーを注いだ。誠はかなめが明らかに女性として誘っているのに気づいてはいたが、『モテない宇宙人』である遼州人にはそんな時には人生が破滅するような金を要求させると思っていたので喉が鳴るのをこらえた。何を言えば正解なのか分からなかった。
「神前。オメエ、遼州人だもんな。どうせ女なんて居たことねえだろ?そうか、アメリアが以前そんな話をしていたな、神前は正真正銘の童貞だって。この国じゃ結婚できるのは相手が見合い話を持ってきたくなるような大企業のボンボンか高級官僚の優秀な子女ぐらいのもんだからな。私立高校の教師の倅にそんな話が来るわけがねえよな。それ以前によくオメエのお袋はオメエの父ちゃんと結婚したな。私立高校の教員の給料なんてたかが知れてるぞ……ああ、剣道は強いんだよな、あのおっさん。それでか」
突然のかなめの言葉に誠は声の主を見つめた。かなめはにっこりと笑い、そのままにじり寄ってきた。
「そんな……そんなわけ無いじゃないですか!一応、高校では野球部のエースを……って、嘘なんて言っても無駄なんですよね。僕は監視されてたんですよね、産まれた時から。そんな嘘ついても意味無いですよね。そうですよ。彼女なんてできたこと無いですし、正真正銘の童貞です。父さんの同僚でも結婚してるのは父さんだけです。校長先生以外は全員独身ですよ。別にこの国じゃあ珍しいことじゃないですよ。だから不死人という隊長やクバルカ中佐や島田先輩みたいな永遠に生きる人がいる遼州人の国のこの国の人口が一向に増えないんですから。別にこの国では珍しいことじゃないですよ。かなめさんの国みたいにたくさん生まれてたくさん死ぬ国じゃないんで」
誠は以前アメリアに誠の法術師としての覚醒を待つあらゆる勢力から常時監視されていることを教えられたことを思い出した。嘘をつくだけむなしいので自虐的にそう言うしか誠には出来なかった。
「オメエ……人や国のせいにすんじゃねえよ。そんなだからオメエはランの姐御から『漢』じゃねえっていわれるんだよ。それよりオメエを見てると結局言い寄ってくる女のサインを見逃して逃げられるようなタイプにしか見えねえけどな。遼州人は男も女もみんなそうなんだ。実際、あれだけ言い寄ってる『許婚』のかえでにもただひたすら戸惑うばかりで肝心なところまで踏み込めねえ。まったくとんでもねえ意気地なしだ。それを遼州人だからって言うことにして逃げるなよ!そういうところが純血の遼州人の悪いところだ!」
そう言ってかなめは再び湯飲みを傾けた。静かな秋の夜だった。
誠とかなめの目が出会った。ためらうように視線をはずそうとする誠をかなめは挑発的な視線で誘った。
明らかにいつもの雰囲気とは違うかなめの笑顔に誠は心臓が自然に高鳴るのを感じていた。
「なんならアタシが教えてやろうか?かえでなんかじゃなくって。アタシが女って奴を」
かなめはそう言うといつも履いているダメージジーンズのベルトを静かに緩めた。
「なあに、アタシは千人近い男に抱かれた女だ。男の喜ばせ方は良く知ってる。かえでなんかより気持ちよくなれるぜ……男に抱かれて金を貰ってた女のテクニックを知りたくはねえか?」
かなめの顔から急に笑顔が消え、真顔で誠を見つめてきた。
その目はただ純粋に誠を男として見つめている。
「知りてえんだろ?違うか?」
これまでのふざけた調子から静かなそれでいて心地よい響きのかなめらしい落ち着いた声が誠に耳に響いた。
「え?」
突然のかなめの言葉に誠は息をのんだ。思わずかなめと目が合う誠だが思わず顔を逸らそうとする誠の顔をかなめは両腕でがっちりと固定してそのまま誠にのしかかってきた。
サイボーグの身体と言うにはあまりに柔らかく体温を感じさせるかなめの胸のあたりの肉を誠はその鍛え上げられた胸筋で受け止めていた。
しなだれかかってくるかなめに誠はただ体を固くして黙り込んでいた。
本当にこれでいいのだろうか?
ゆっくりと顔を近づけて来るかなめの濡れた目を見ながら誠はそんなことを考えていた。
相手がかなめだからと言うわけではないが、なぜか不安が誠の脳裏をよぎった。
この流れからは逃げられないのだろう。
逃げたらかなめを傷つけることになる。それだけはしたくない。
誠はそんな思いで顔を近づけて来るかなめの目を真正面から見つめていた。




