第40話 大人の秘めたる思い
焼鳥の煙とタレの匂いが漂う店内は、いつものように賑やかだった。
けれど誠には、今夜は妙に一つ一つの会話だけが耳についた。
「はい、神前。それ着て踊れ。アタシにあんなビキニアーマーまがいの格好をさせた罰だ。当然だろ?」
かなめはざまあ見ろと言うような笑みを浮かべながら今度は愛飲のラム酒『レモンハート』をグラスに注いだ。カウラも自業自得だというような視線を誠に送ってきた。
ただ見ていただけだというのに、アメリアは今日は妙に機嫌がよく、自分のおごりだと言って『特殊な部隊』のたまり場である『月島屋』に誠たちを連れてきた。
そこではいつものようにかなめが焼鳥とラムという奇妙な組み合わせを頼み、車を運転するカウラは烏龍茶を、誠はビールを飲んでいつものように騒いでいた。
「西園寺さん、ちょっと僕は……」
誠はまだ酔っぱらっていなかったので冷静に断った。
「私もあの女怪人?別に演じるのは恥ずかしいとは思わないけど……子供も見るんでしょ?あのデザインは無いと思うのよねえ……誠君。もう少し何とかならなかったの?」
立ち上がった誠の背後からの声に振り返ると、そこには小夏の母、家村春子が立っていた。
いつもの紫の色留袖姿で、場の騒がしさとは無縁の落ち着いた顔をしている。今回の作品で恐怖薔薇女と言った怪物役に勝手に決められた春子がため息をついた。
「あれは……その。アメリアさんが……」
誠は春子はあの衣装を快諾していると聞いていたのでどう言い訳して良いか分からずに戸惑っていた。
「良いわよ、言ってみただけ。小夏も暴れないで着替えてきなさい。それは一点物なんでしょ?汚れたら替えが効かないんだから」
そう二人の腕白者に声をかけて春子は厨房に消えた。
「だから言ったんだよ。暴れるなって」
かなめはそう言ってグラスをあおった。
「そんなこと一言も言ってないよねー!」
誠に問いかけてくる小夏にうなずいた誠の背中にかなめとカウラの視線を感じた。
「いいから着替えて来い」
「了解!」
小夏はいつものようにかなめには反発するくせに、カウラの言葉には素直に従った。明らかに気分を害したというようにかなめは灰皿を隣のテーブルから取ってくると定番の葉巻であるコイーバロブストに火をつけた。
「少しは周りを気にしたらどうだ?」
タバコの煙に眉をひそめるカウラの表情を見てかなめは機嫌を直した。誠もかなめといれば受動喫煙になることを知っているが口が出せないでいた。
「でも、春子さんもよく引き受けたものだな、あのような役。私だったら絶対に断るがな」
カウラの独り言を聞いたかなめがカウラの頭を引っ張った。抗議しようとしたカウラににんまりと笑ったかなめは口を開いた。
「叔父貴の奥さん役ってのが良いんじゃねえの?あのおっさんのどこが良いのかはしらねえけどさ。まあ、春子さんにとって正義派を気取っていた弁護士として輝いて見えてたのはもう昔の話さ。今は誰から見ても『駄目人間』だろ?でも忘れられねえのかねえ……それとも叔父貴は女慣れしてるからアレが上手いのかも」
カウラと誠はかなめの言葉に顔を見合わせた。周りでは焼き台の音や客の笑い声が続いていたが、その卓だけは妙に妙な話題へ潜り込んでいった。
「それは無いんじゃないかな?確か二人の付き合いは『東都戦争』のころからって聞いてるけど、見ていて何も感じないが。確かに隊長に女将が悪い男から自分を救ってくれた隊長に恩を感じているのは事実かも知れないが、それはそれ、これはこれだ。それに二人とも遼州人だ。遼州人は愛を知らない人種だ。そんな甘い思いで動いているとは考えられない」
カウラは嵯峨と現時点においてほとんど嵯峨との接点の無い春子の事を思って自然とそう言っていた。
「鈍いねえ小隊長殿は。叔父貴は一度女将さんを地獄から救ってるんだぜ。恩を感じねえのは人としてどうかってところだろ?それにああ見えて叔父貴は不死人だから若い。若いツバメの一人くらい欲しいのが、熟女ってもんなんじゃねえかな?しかも、叔父貴は実は9歳で童貞を捨ててるくらい女性経験豊富なんだぜ。当然女の喜ばせ方も知り尽くしてる。しかも最初は客として本番アリの違法風俗店の嬢だった女将さんと会ってるんだ。そこで何もなかったなんて考えられねえだろうが。そん時の叔父貴の味が忘れられねえとかあるんじゃねえの?」
首をひねる純情なカウラをかなめは下品な笑みを浮かべながら笑い飛ばした。
「一度、男に懲りた人間が再び人を好きになることはあるのだろうか?私には理解できない。それに遼州人はそもそも人を好きになることが少ない。隊長も春子さんも遼州人だ。そんな二人が結ばれたがっているとは私には到底思えない。しかも隊長の女に見境の無いことは誰もが知るところだ。前の男のようになるのは目に見えてる。ただ隊長を客として立てているだけだろう。客と女将の関係。それ以上のものでは無いと思うぞ」
カウラはかなめの推測に断固として抵抗した。
「それを言うなら、あの恋愛体質のかえでだって半分は遼州人の血だぜ?それでもアタシや『許婚』である神前にはぞっこんだ。遼州人だからって恋をしねえわけじゃねえ。実際統計学的にも遼州人の結婚の0.001%は恋愛結婚だと言うぞ。ゼロじゃないんだ。それにうちにも『純情硬派』な島田がサラと付き合っていると言う身近な例がある。だから男を知らねえ女は話にならねえんだ。オメエも地球人の血を引いてるのに恋というものが全く分かってねえ」
かなめはそう言って恋に無頓着なまるで遼州人そのもののようなカウラの考え方を否定して見せた。
「すると貴様も遼州人と地球人のハーフだな……ああ、そうか。『東都戦争』の時に男が居たな。確かに、遼州人の遺伝子は劣性遺伝子で遼州人の要素は地球人と混血するとほぼ無くなると言う。つまり、貴様も遼州人とは違って恋をするということか?それで神前に突っかかっていくわけか?良く分かった。ただし神前には日野少佐と言う『許婚』が居る。そして日野少佐は貴様の妹で貴様を慕っている。それを裏切って神前を奪うような真似はしてくれるなよ。隊の士気に関わる」
挑発的なカウラの言葉にかなめは明らかに激しい怒りに囚われたと言う表情をした。
「お二人とも冷静に……女将さんが隊長をどう思っていても良いじゃないですか。二人とも子供もいる立派な大人です。僕達がどうこうできる話じゃありません」
誠はかなめとカウラの間に入ってそう仲裁した。二人の視線が誠に突き刺さった。
「なんですか……その目。二人とも僕は何かまずいことを言いました?それに僕は日野少佐を『許婚』として認めて無いって何度も行ってるじゃないですか!僕は迷っている一遼州人の青年に過ぎないんです!答えを出すのはまだまだ先です!」
かなめとカウラの反応に誠は怯えを感じた。だが、そんな時かなめの表情が不意に険しくなった。
「神前。オメエは典型的な遼州人だな。恋をまったくしない。恋心とか全然わからねえだろ?性欲だけは旺盛なくせに。正直に言えよ、時々かえではオメエにもセクハラをしているみたいだから。かえでと寝たいんだろ?ついでにリンと使用人を自由にしてえんだろ?『許婚』が嫌だってのはかえでが変態すぎて手に負えないのと、かえでが男には手を出さねえが女とみると見境なく手を出すところが有るからそれが気になってるんだろ?正直に言ってみろ。本音で行こうや」
かなめはそう言って誠に詰め寄った。
誠は一瞬、何を言われたのか分からないように目を瞬かせた。
それから、ようやく慌てたように首を振った。
「そんな……僕なんかがかえでさんを好きになって良い訳無いじゃないですか!あの人あんなに美人なんですよ!それに四大公家の貴族。つりあいませんよ!それの他に僕の事を好きになる人なんて居るわけが無いじゃないですか!だから恋をしようにもできないんです!西園寺さんも同僚として付き合ってくれてるんでしょ?それくらい僕だってわかりますよ!」
誠は典型的な遼州人の思考でそう答えた。
「しかし、日野少佐は貴様を『許婚』だと言って本気で貴様と結婚する気でいるぞ?この前の長期休暇で貴様の実家に行った時にも結婚を前提にお付き合いしたいと貴様の母親にあいさつまでしていた。嫌いな人間にあそこまで迫るなどと言うことはあの日野少佐の性格からして有り得ない。少なくとも日野少佐には貴様は愛されている。貴様が下手なこだわりを捨てる事さえすれば貴様は日野少佐と言う美女を手に入れることが出来る境遇にある」
カウラは冷静を装ってそう静かに言い切った。ただし、カウラのその目はどこかしら諦めを含んだように泳いでいた。
「え?僕がこだわりを捨てれば日野少佐が僕を好きになる?」
カウラに指摘されて誠は驚いた。遼州人である誠にとってかえでの誠への態度はかえでの変態行為の一環だとしか認識していなかった。それが愛だという発想は誠には無かった。
「またまた、カウラさん。冗談ばっかり。成り行きですよ成り行き。僕を好きになる人なんて現れるわけが有りません!断言します!」
そんな発想自体が、自分には分不相応だと誠は思っていた。
かえでのような相手を『好きになっていい』側の人間がいるとすれば、それは自分ではない。
誠は遼州人として自信を持ってそう答えた。
その時引き戸が静かに揺れるのがまだ酔っていない誠にも見えた。
かなめの顔からふっと笑いが消えた。
そのまま、店の入口の方へだけ視線が固定される。
「オメエ等、黙ってろ。非常事態だ」
そう言うとかなめは忍び足で外に暖簾のはためくガラスの引き戸へ向かった。
「かなめ、何やってるの?」
着替えてきた小夏に静かにするようにかなめは人差し指を立てた。そしてそのまま扉に手をかけた。
急に開いた引き戸の外の暖簾の下で一瞬、男女の影が映った。男女は出てきたかなめの姿を見るとすぐさま背を向けて立ち去ろうとした。
「待て!飲みに来たんだろ?アタシ等が居ると不味い事でもあるのか?やましい事でもあるのか?」
かなめはそう言ってそのまま踵を返して走り去ろうとした二人を飛び出して追っていった。
「まったく何がしたいんだ、あいつは」
そう言いながら明らかにかえでの話をしていて動揺しているのがうかがえるカウラは自分の空の烏龍茶のコップにラム酒を注いだ。明らかに間違えている彼女の行動を注意しようとする誠だが、入り口付近で騒ぐ声にそちらに気を取られていた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
神前ひよこが謝っている姿が誠たちの目に飛び込んできた。
「良いじゃないですか!僕達がどこで食事しようが!ここは島田先輩が支配している寮じゃ無いんですよ!僕達が何をしようが自由じゃないですか!」
技術部整備班の最年少である西高志兵長が口を尖らせて襟をつかんでいるかなめに抗議していた。
「寮じゃ無ければ何をしても良いってわけじゃねえんだぞ。色気付きやがって!何か?19で酒飲んでいいのか?ここは甲武じゃないぞ、東和だぞ!お酒は20になってからだぞ!いくらひよこが20歳で酒が飲めると言っても19のオメエがひよこを酒の席に連れ出したのがまずアウトだ」
かなめの声にそれまで反抗的だった西はしゅんとなった。身なりを整えたひよこは一瞬だけ勇気を出してかなめをにらみつけようとするが、威圧感では隊でも屈指のかなめの眼光に押されておずおずと視線を落とした。
「そんな……僕達はまじめにお付き合いをしようとしているだけです!西園寺さんのようなガサツな人には分からないかもしれませんがそう言う話なんです!」
西は必死になってにらみつけて来る暴力の権化であるかなめに向き合った。
「西、良い度胸じゃねえか。オメエはひよこのファンが先輩にいっぱいいるのは知ってるだろ?それを一番年下のオメエが横から取り上げようと言う腹か。それとオメエの魂胆は見えてるんだ。まったく気が利く奴は信用が置けねえな」
そう言うとかなめは残忍そうな笑みを浮かべた。
「西。オメエは甲武出身の元地球人だ。モテることに慣れてる。モテない女を口説くことにも抵抗がねえ。その点、ひよこは遼州人だ。モテる事には慣れてねえ。そもそも恋愛というものとは無縁な存在だ。それがモテる自覚のある地球人が口説けばどうなるか……そんなの日を見るより明らかだろ?なんでも地球じゃ東和に秘密ツアーで遼州人のイケメンや美女と街で歩いて声をかければすぐにお持ち帰りできるって言うのが売りのツアーが有るらしいんだわ。オメエのもそれだろ?正直に言ってみろや。下心丸出しだぜ……な?」
遼州人と地球人のハーフであり、どちらの気持ちも分かるかなめの言葉だけにやけに説得力があると誠は思った。
「僕をそんな不純な地球のツアーの観光客と一緒にしないでください!僕達は技術部の法術担当として神前曹長の支援任務でこの数か月苦楽を共にしてきたんですよ!そんなことのねぎらいを兼ねて今回、僕がひよこさんをお食事にお招きしたんです!悪いですか!どこに不純な動機があるって言うんです?言ってみてくださいよ!」
西はそう言って、強気にかなめを睨み返した。
「おう、言うじゃねえか。ひよこ、言っとくが西は所詮は甲武の平民だ。甲武の平民には名字もねえ。ただの使い捨ての駒だ。西、オメエの名乗ってる苗字はおそらくその村の西側に住んでるからって意味なんだろ?」
上流貴族であるかなめは西の素性をズバリと当ててみせた。
「そうですよ。僕には本来苗字なんて有りません!家が村で一番西にあるから西って名乗ってるだけです。でも、西園寺さんのお父さんは平民も名字を名乗って良いって言う制度を作ろうとしているじゃないですか!それをなんですか!平民平民と見下すような態度で……お父さんは立派なのに娘は貴族主義者と言ってることが同じですよ!」
西はかなめの父西園寺義基の理想を盾にそう抵抗した。
「親父は親父、アタシはアタシ。平民は平民、貴族は貴族。どこまで行っても交わらねえんだよ。神前の名字はひよこは落ちぶれたとはいえ遼帝家の出と言うことを表してる。アタシのお袋は遼帝家の家臣の王弟家の出だ。王弟家ってことは遼帝家の家臣だ。そこには超えられねえ身分の壁って奴が有る。つまり、西はアタシを風下に立ちてえわけだ……偉くなったもんだな、西よ」
明らかに八つ当たりに近い調子でかなめは西を責め立てた。
かなめの言葉は、西を責めているようでいて、どこか別の相手に向けられているようにも聞こえた。
そんな意味ありげな瞳を向けるかなめの後頭部を小夏が蹴飛ばした。




