第33話 さわやかな朝にふさわしい『好青年』?
焼き魚と味噌汁の匂いがまだ食堂に残っていた。夜の馬鹿騒ぎの余韻を引きずったままの寮生たちは、誰もが半分眠そうな顔で箸を動かしていた。だからこそ、その場違いなほど朗々とした声は余計に響いた。
「おはようございます!お姉さま!そして僕の『許婚』である神前曹長!実にお出かけ日和のいい天気じゃないですか!」
一見さわやかな『男装の麗人』にして実はド変態の日野かえでの声が食堂に響いた。
その声を聞いた瞬間、かなめの肩がぴくりと跳ねた。
次の瞬間、隣の整備班員からにらみ一つで奪い取った味噌汁を盛大に噴き出した。
入り口にはサングラスにフライトジャケット、ビンテージモノのジーンズを着込んだかえでと、同じような格好の渡辺リンが立っていた。
かえでは自分が来たことで男子寮の面々の視線が自分に集まるのが誠以外の男に生存権を認めていない彼女のプライドに関わることのようで寮生たちの視線が『また面倒なのが来た』と言う視線であることにも気づかずに、そのまま真っすぐにかなめと誠とアメリアの座るテーブルのそばまでやってきた。いかにもすべて飲み込んでいるという表情でかえではかなめを見つめながら得意満面に話し始めた。
「先ほどからの会話を聞いていると、今日は隊で手持ち無沙汰な僕の日常を満たしてくださる、と?今日は非番のはずじゃないですか?」
誠は味噌汁を飲みながらいつからこの人は話を聞いていたのか不思議に思いながらとりあえず標的がかなめに向っているようなので黙って状況を静観していた。
「こんな冬の身の引き締まる朝からそこをわざわざこちらにお出でいただけるなんて……僕はそれだけ愛されていると考えて良いんですね?これ以上の幸せはありません!」
そう言って前歯を少女漫画のイケメンのように光らせて見せるかえでに向けて、かなめは自分の目の前のテーブルの前にぶちまけられた味噌汁と汚れたダメージジーンズを黙って指さして見せた。
そしてかなめは時折誠にも視線を向けてきた。
かなめの視線は露骨に『助けろ』と言っていた。
だが、ここで下手に動けば、かえでの矛先が自分に向くだけである。誠はそれを、この数ヶ月で嫌というほど学んでいた。
「ああ!お姉さま!突然味噌汁を吹き出されるなんて……大丈夫ですか?ここの料理は僕の屋敷の食材と比べて格段に落ちます。なんなら、お姉様と神前曹長は僕の屋敷にお移りになられてはよろしいのでは?そこであればこの東和でも最高の食材と僕が見込んだシェフによる料理が待っています……ああ、そうじゃないんですか?」
いくらナルシストで自分に酔いがちなかえででもあからさまにどんよりとした視線で自分を見つめて来るかなめを見ればかなめが今不機嫌で出来ればかえでとは話をしたくない状態であることは理解できた。
そうなると矛先は当然誠だった。自慢の遺伝子操作で金色に染めたサラサラの前髪を掻き揚げてかえでは誠に笑いかけて顔を寄せてくる。
「今日僕がここに来たのは、ひたすらにお姉さまに会いたかったこともあるんですが……それ以上に神前曹長。今日でも良いんだよ、二人が一つになる日は……その日が一日も早く来ることを僕は願ってやまないのだから!君は甲武の常識からしたら奥手すぎる。だから僕が一から教えてあげてもいい……いつでも僕は君を待っているからね……いっそのことホテルなんかではなく、車に乗ってそのまま行為に及ぶというのはいかがだろうか?」
誠は『今度はそういう展開か』と、かなめと同じようなどんよりした顔でかえでを見上げた。
危険な発言に反応している周囲の男子寮の面々の視線を気にしながら、誠はなんとかこの時間が過ぎるのを待ち続けていた。
ただし、かえでの誠への無神経な求愛は続いた。
「君としては複雑かも知れないが……僕は男性経験豊富だ。ただあんな男達は見るのも不愉快な連中でしか無くて、君と比べるに値する男に出会ったことが無い。ああ、それならば最上級の初めてを君に与える義務があるということなのかもしれないね。僕としたことがうっかりしていた」
そう言ってかえではかなめに駆け寄るとポケットから出したハンカチで噴出した味噌汁で濡れたかなめのシャツを拭いた。彼女はテーブルの上を拭こうとふきんを持ってきた誠に明らかに欲情したような視線を送ってきた。
「おい、オメエは今日は普通に隊に詰めてるだけの準待機任務のはずだろ?それがなんで、こんな寮にまでテメエが出て来るんだ?教えてくれ、なんでだ?昼間っから盛ってるのか?神前と野外プレイがしてえのか?何度も言ってるように相手が平民の男なら貴族に生まれたオメエが何をしようと罪に問われねえ甲武とは違ってここは東和だ。オメエの変態プレイの結果、オメエが逮捕されてその結果ランの姐御が県警に謝りに行くのは毎度のことにするなって言ってんだ。ランの姐御は変態のオメエを部下として受け入れてしまった以上仕方がねえ。だが神前を巻き込むんな!どっちにしろ邪魔だ。消えろ!」
かなめは明らかに不機嫌そうに自分を慕う妹を邪険に扱っていた。
「それはお姉さまは今日非番と聞いていて、一緒にお出かけしたいと……連絡さえつけば非番でも隊舎からの外出は許されておりますので。そしてそこで野外で僕の望む最高に恥辱的な攻めに会うことを想像すると……人にはとても言えないような恥ずかしい目に遭わせていただければ。はい、お姉さまの趣味に合わせてちなみに下着もそれにふさわしい屈辱的なものを僕は現在着用しております……いつでもどこでもプレイに入る心と体の準備はできています。安心してください!」
そう言ってかえでは頬を染めた。食堂の隊員達すべての生暖かい視線にかなめは次第に視線を落していった。誠はどこにかなめがかえでに安心する要素があるのかかえでの言葉を反芻しながら考え込んでいた。
「オメエの思考回路と言動がすでにアタシを安心させてねえ!アタシ等にはオメエと遊んでる暇はねえんだ!それにオメエが屈辱的な下着を着るのはオメエの趣味であってアタシには何の関係もねえ!アタシはオメエのご主人様だ!その時点でオメエは常にアタシに屈辱的な扱いを受ける運命なんだ!まだ調教が完全じゃねえみたいだけど、今はそんなオメエの喜ぶようなことをしてやるほどアタシは暇な訳じゃねえんだ!」
かなめはあくまで自分に従う奴隷に対する態度のようにかえでにそう言い切った。
「それに今日はだな……ちょっと隊に外せない用事があって出かけなきゃいけねえんだ。残念だったな!オメエも準待機なら隊に顔を出すのが当然だろ?だったらアタシが何をするか見てればいいじゃねえか。オメエが何を望もうがご主人様であるアタシはアタシの都合で動くんだ。客の都合で動く『女王様』なんていうのは金を貰ってるSMクラブの女王様だけだ。アタシは今オメエから金をもらってねえ!それに貰うつもりもねえ!だからアタシはアタシの自由に動く!分かったか!」
不安そうな誠を見ながらかなめがいかにも『女王様』的にかえでにふんぞり返って優越感に浸っているような口調でそう言った。そのうろたえた調子に笑みを浮かべたかえでが輝くような笑顔を浮かべてかなめに歩み寄ってきた。
「もしかして自主訓練とかなさるんですか?法術の使えないお姉さまには、『甲武海軍の二大法術師』と言われた僕も必ず役に立ちます!僕も入れてください!法術特捜の補助任務を任務の一つに与えられている第一小隊であれば当然法術師に対する対応が必要なはず!そう言う時こそ法術師である僕を使役するまたとない機会です!僕が色欲だけの女でないことを実力で示すことがこれで出来るでしょう!『斬大納言』の実力、とくとご覧いただいてください!」
言い負かすつもりが逆にかえでにいい自分を売り込むチャンスを与えてしまったことで、かえでの目が光り輝くのに比例してかなめの視線はどんよりと曇っていった。
「いや、そう言うわけじゃねえし……アタシの今月の予算で義務付けられている射撃訓練の消化弾数は拳銃もライフルもどちらもオーバーしてるって高梨部長に怒られたばかりだから戦闘訓練はちょっと……」
かえでに迫られるかなめが助けを求めるように誠を見つめた。かえでの目には誠をはるかに上回る実力を持つかえでとの法術師同士の白兵戦闘訓練を誠が立候補して、その見学と称してかなめとカウラが見ているだけならばとりあえずかえでの要望を応えることとかえでがアメリアの暴走を加速させる事態だけは避けられる。そんなあからさまな打算が見えるかなめの視線を受けても下手に動いて『許婚』と称するかえでの矛先がかなめではなく誠に向くだけのような気がしてあえてそれには答えず黙って座り込んでいた。そんな二人のアイコンタクトを察してかえでが睨みつけるような視線を誠に向ける。誠はただ冷や汗が額を伝うのを感じながら箸を握り締めた。
「ああ、法術白兵戦闘訓練は別の機会にお願いすることにして……日野少佐、ちょっと僕達はアメリアさんの手伝いがあって。映画の題材が『魔法少女モノ』に決まったんでそれの設定とかのお手伝いが出来るんじゃないかなあなんて思ってるんです……とにかく隊、行きましょう。アメリアさん、放置するとヤバいんで。あの人を自由にすると本当に何をするか分かりませんから」
誠はそう言うとすぐにかえでから明らかな落胆を感じた。誠はひやひやしながらかなめのそばに立って恍惚の表情で『許婚』である誠を見つめて来るかえでを見上げていた。
「ああ、神前曹長。クラウゼ中佐の手伝いですか……それじゃあ僕達も手伝います!お姉さまと『許婚』である君が手伝うんだ。僕も一緒の時を過ごしたい……愛するお姉さまと『許婚』である神前曹長と過ごす一時。僕のような美貌の持主を隣に侍らせる幸福を二人に与えることができるという事実に僕は感動を覚えているよ!」
かえではあっさりと答えてさらにかなめの手をしっかりと握り締めた。かなめは誠がまったく頼りにならなかったことに呆然としながらじりじりと顔を近づけてくるかえでに耐えていた。
「おい!そんなくっつくな!息がかかるだろ」
かなめは基本『女王様』で虐めるのは好きだが、自分の望まない他者からの接触を避ける傾向があることは誠も知っていた。
「僕は感じていたいんです!お姉さまの吐息や鼓動や……」
百合的展開に食堂の男性隊員の視線が泳ぎながらちらちらとかなめとかえでを見ているのがわかった。それを見ながら誠は自分に刺さる嫉妬を帯びた男子寮の面々子寮生の視線の痛さに頭を掻いた。
「西園寺、貴様の負けだ。貴様も日野の変態行為を防ぎたいんだろ?だったら隊に行って日野とアメリアの接触を最低限にするように動くしかない。それに職場なら日野少佐も貴様が監視して変態露出行為に走ったりはしないだろう。島田と言うクバルカ中佐がいくら県警に謝りに行っても犯行を繰り返す常習窃盗犯が居る以上、うちからこれ以上の犯罪者を出すわけにはいかない」
突然、これまでの変態言語と言い訳言語のやり取りが繰り返される空間を展開していた誠達の隣に、いつの間にかカウラが着替えを済ませてもう完全に出勤するつもりと言うような感じで立っていた。その場の空気が、ふっと冷えた。
変態と詭弁で構成された会話に、ようやく現実が追いついてきたようだった。その一言にかえでの顔が笑みに占められた。そろって自分に視線を向けるのを感じて誠の鼓動が高まった。
エメラルドグリーンの髪を質素な緑色のバンドで巻いたカウラのポニーテールが揺れている。
「なに?手伝いに来てくれるの?」
それまでずっと、かなめに引っ張られた右耳を押さえながら、アメリアはかなめが調子に乗って自分の食べようとしたおかずやご飯を取り上げる様子を黙認していた。
そんなアメリアまでも、今はじっと見つめ合うかなめとかえでを眺めていた。
「アメリア、仕方ねえから手伝ってやんよ。アタシは心が広いからな。神前も結構やる気みたいだし。登場人物のモデルとデザイン絵師が揃うんだ。感謝して後でそれ相応の礼をしろよ!」
かなめは諦めがついたと言うようにそう言うと視線を誠に向けた。
「またキャラクターの衣装のデザインのやり直しとか微調整とかしますから!本人が居た方が僕もイメージがわきますし!」
かなめの言葉に誠は付け加えるようにそう言った。誠には時々脇の銃の入ったホルスターを叩いて威嚇して来るかなめの前ではそう言う以外の生存を確保する選択肢は他に無かった。
「そうだな、神前曹長のキャラにはまだエロスが足りない。僕とリンの衣装はもう少しエロティカルなデザインに変更してくれると嬉しいのだが……エロスは芸術だよ。甲武の無粋な法律は官憲の手でそれを禁じているがここは自由の国東和なんだ!確かに昨日の皆さんの言葉で世の中の秩序を維持するためにある程度の規制が必要だということは理解したが、僕達の肢体はそんな規制を超えた美しさを万人に知らしめる実力がある!その事実をクバルカ中佐にも理解してほしい!それと神前曹長も衣装など僕達の美しさを映えさせるより想像力を掻き立てるエロスを含んだものにしてもらいたいものだな。君なら出来るはずだ!頑張ってくれたまえ!」
かえではすっかりやる気になって、変な方向で誠に注文を付けてきた。
そんなかえでを満足げに見上げながらこれ以上他の寮生の注目を集めても自分には特にならないと察したアメリアは箸をおいて糸目を細めてかえでを見上げた。
「かえでちゃんとリンちゃんはここまで隊まで来てるあの高そうな車で来たの?それとカウラちゃんの車は四人しか乗れないから……」
明らかに高すぎるテンションのかえでをクールダウンするようにアメリアは冷静にそう言うと静かに立ち上がった。
「私の運転する車がありますから。かえで様の車なら後部座席が広く作られていますからアメリア様、かなめ様、誠様の三人なら十分乗れます。私の運転技術は最高ですから安全に皆さんを隊までお届けできますよ。後部座席が広く……その場で誠様がかなめ様の魅力に負けることもすべて想定の範囲です」
黙って状況を見守っていたリンの言葉にアメリアが満足げにうなずいた。
「まあ、リンちゃんはかえでちゃんを隊まで送り届けるのに集中してちょうだい。それじゃあかえでちゃんはリンちゃんの車で移動。私達はカウラの車で四人と。足の確保とスタッフの確保は完了。朝食は……こんな寮の貧相な食事なんて似合わないからかえでちゃん達はもう食べてきたんでしょ?」
そう言いながらアメリアは余裕の笑みを浮かべてその糸目ですべてに敗北したというようにうなだれているかなめに目をやった。すっかり主導権をアメリアに取られて、かなめはただポットに入った番茶を備え付けの茶碗に入れると静かに啜っていた。
「なんやかんやで休日、つぶれてしまいましたね……しかも最悪な展開で」
誠もどうせ今日はアメリアの暴走に一々ツッコミを入れまくる日になることを想像してため息交じりに落ち込んで言葉も無いかなめに向けてそう言った。
「まったく……何が悲しくて非番の日に隊に行かないといけねえんだよ……叔父貴が悪いのか?いや、そもそも豊川市役所が悪い。来季の草野球リーグじゃ痛い目に遭わせてやる!あそこが万年三位と言う状況がアタシには前から気に入らなかったんだ!江戸の敵を長崎で討つと言われようが知ったことか!今年の冬のキャンプは地獄の特訓だな……楽しみにしてろよ、神前!」
いつものようにアメリアに仕切られたことに不満を吐き出す場所を探すようにぶつぶつとつぶやきながらかなめがそのまま番茶を飲み干した。島田とサラはそんなかなめを同情の視線で見守っていた。
そしていつものように八つ当たり先がかなめが監督をしている野球部のサウスポーエースの自分であるといういつもの展開に誠はがっくりとうなだれるしかなかった。




