第18話 『男装の麗人』と大判焼き
「神前!……来い!貴様が一番クバルカ中佐の評価が高いんだ。だから貴様が先頭を切れ!命令だ!」
階段を上がり、機動部隊の詰め所の前まで来たところで、カウラの命令が飛んだ。
階段を上がった途端、機動部隊の詰め所の空気はすでに荒れていた。
また始まった。誠はそう思った。
「神前!来い!……命令だ!」
カウラは責任を感じたように、誠の背を押した。
「オメー等!馬鹿だろ?ここは幼稚園でも遊園地でもねーんだってのがわかんねーのか?追いかけっこが好きなら東都警察の警邏隊に行け!すぐ転属願いの書類を作れ!作り方教えてやっから!アタシ等の仕事は政治的問題がこじれる前に武力でその状況を打開する『武装警察』組織なんだ!いくら映画作りが楽しくってもそんなの仕事じゃねー!市役所からの依頼?そんなの知るか!市役所は黙って婚姻届の受理でもしてればいいんだ!アタシ等に面倒ごとを押し付けるために存在するわけじゃねえ!」
ランは先頭を切って部屋に入った誠をにらみつけるとそのちっちゃい右手を振りかざして怒りを全身で表現していた。
『こういう時はクバルカ中佐が小さいってことはうれしいことなんだよな……どう見ても子供が駄々をこねているようにしか見えないし。これが普通に中佐の戸籍上の年齢通りの軍の入隊資格の160cm越えの女性上司が怒鳴りつけて来るんならパワハラだけど、ちっちゃい子が我儘を言っていると思えば何とか耐えられる』
最近はパワハラ発言や暴言や毒舌ばかりが口から吐き出されることが多いランをそう言う目で見ることで何とか自分の精神の安定を維持するスキルを身につけていた。
「なんじゃ?ワレ等もその隊長の面倒な趣味に付き合わされとるんか?あの人がいくら泣こうがそんなの端末に転送して一瞬で多数決の結果が出て終わりやないのんか?つまらん仕事増やして何が楽しいんか理解でけへんわ……まあ、それが好きだっちゅ話やったらわからんでもないねんけど」
その様子を眺めているだけの、明石清海中佐が大判焼きを頬張っていた。彼は気楽そうにニヤニヤと笑っていた。
「クバルカ中佐。お姉様達に学習能力が無いのはわかってることじゃないですか?それに映画というものに甲武の人間ならばそれなりに血が躍るところがあります。テレビもラジオも無い甲武では映画は最新の情報が得られる新聞と並ぶニュースソースです。そして娯楽としても人が出るだけにそれなりの木戸銭を取る芝居よりは上、寄席は二つ目あたりが出る辺りで前座の面々が客に金を要求してきますから。寄席は安いが、芝居小屋よりも客層が荒い。だからこそ、映画は『中流でも安心して払える娯楽』なんです。西園寺御所の食客達の芸人希望の人間もそう言う層か下級士族出身者が多かったですから。そんな人間と多く接してきたお姉さまが映画にこだわるのは当然のことだと僕は思いますが」
この豊川八幡宮前のちょっと知られた大判焼きの店『松や』の袋を抱えながらかなめの妹である日野かえで少佐が言った。部外者である明石を前にかえではいつもの変態性を隠して凛々しい男装の麗人を演じていた。
かえでの言葉を理解するのに誠には一息つく必要があるような気がしていた。誠の知っている日野かえでは、放っておけば性的なたとえ話に突っ走る女だった。
だが今、明石の前にいる彼女は、どこからどう見ても海軍のエリート士官だった。
誠はそのかえでの普通過ぎる言葉を聞いて一瞬、誰のことか分からなかった。……かえでが、まともなことを言っている。その事実だけで、誠には十分衝撃だった。そう言いながらこれも司法局実働部隊のある。誠の前では性的要求をしてくるが、それ以外ではあくまで甲武海軍きってのエリート軍人なのだという事実を思い出した。
かえでの部下の渡辺リン大尉はあまりのランの剣幕に口をつぐんでかえでの袖を引いていた。しかし、誠から見ても理論派だとすぐにわかるかえでは引く要素が見えない。
「あーあ。何やってんの。ランちゃん、明石中佐、かえでちゃん、リンちゃん、そしてアン君。ここにはどんなテーマに決まってもメインキャラを張れるキャラの立った美形……ああ、明石中佐はマッチョ系個性派俳優ということで……が揃ってるのよ?そこではそれなりの次を見通した配慮のある態度が必要になるのは当たり前じゃないの。そんな事も分からないなんてかなめちゃんは本当に困ったものね」
のんびりと歩いてきたアメリアがこの惨状を見てつぶやいた。
「モノが壊れてないだけましじゃないですか?お姉様方の起こすことでいちいち目くじら立ててたら身が持ちませんよ。まあ僕は身が持たないほど責めてもらいたいけどね……当然僕の提案したベルばらでは僕の演じるアンドレが敵に捕まってからの拷問を受けるシーンが見ものだと僕は思っているんだが……どうだろうか?」
他人事のようにそう言ったかえでにランがつかつかと歩み寄った。誠はどう見ても小柄というよりも幼く見えるランの怒った姿に萌えていた。
「おー、言うじゃねーか!だいたいだな、オメーがこいつを甘やかしているからこんなことになるんだろ?違うか?おい。オメーの性的私生活にとやかく言うと面倒だから止めとくが、オメーは西園寺に甘すぎる。好きな相手にこそ厳しく接するべきだ!違うか?西園寺はこれまで我儘勝手に生きてきた。爺さんのテロに巻き込まれてサイボーグにならざるを得なかったということでご両親が西園寺を甘やかしたというのは理由としては分かる。ただ、ここは西園寺御所でも貴族や宰相の威光がどうにかなる甲武じゃねーんだ。その辺を考えてモノを言え!」
椅子に座っているかえではそれほど身長は高くは無いが、それでも110センチ強と言う小柄なランである。どうしてもその姿は見上げるような格好になった。その拍子にかえでが抱えていた大判焼きが床に落ちた。
「あ!僕の大判焼きが!大事な食糧なのに!クバルカ中佐!なんてことをするんですか!」
突然の叫び声に一同は『男の娘』に目をやった。かえでが抱えていた袋……アンのぶんも入ったそれが、床に落ちた。司法局の十代の隊員の二人目、アン・ナン・パク軍曹だった。少年兵あがりのアンにとって、食べ物は冗談の対象ではなかった。そのことを誠は、今の声色だけで理解した。
「お……お……オメー……!一々大判焼きを落っことしたくらいでガタガタ騒ぎやがって!後で買ってやる!そんな細けーことで大声出すんじゃねー!餓鬼じゃあるまいし!」
アンのオーバーアクションは完全にランの怒りのスイッチを押していた。
「アン……オメーは何か?オメーは上司の面子より大判焼きの方が大事だって言うのか?民兵はどうだか知らねーがうち等は軍事警察なんだ。一々大判焼きで大騒ぎされたら身が持たねーんだよ!分かったか!大体、オメエは……」
ランは下を向いて怒りを抑えてこんこんとアンへの説教を開始した。ランの説教は数時間に及ぶことすら珍しくない。その姿を見て後ずさる誠の袖を引くものがいた。
「今のうちに隣の管理部に配ってきちゃいましょうよ。たぶんランちゃんの説教モードが始まるわよ」
こう言う馬鹿騒ぎに慣れているアメリアの手には嵯峨の作ったアンケート用紙が握られていた。
「じゃあ後できますね……失礼しまーす」
誠はそう言ってかえでとアンへの説教を始めたランを見限ってその場を離れることにした。
「おう、その方がええやろ。こっちはクバルカ先任の気が済むまで説教させとくさかいに。あの人は見た目はああじゃが心は大人やさかい、言うだけ言ったら気が済むんとちゃうか?そしたら戻ってこいや」
二人に手を振る明石を置いて、誠とアメリアは廊下に出てすばやく隣の管理部の扉を開けた。
カオスに犯された機動部隊の詰め所から、秩序の支配する管理部の部屋へと移って誠は大きくため息をついた。
ランが起こすカオスを予見したアメリアの機転で機動部隊の詰め所を脱出した誠達は管理部にたどり着いた。
そこは年末調整や経費精算で火の車だった。
パートのおばちゃん達がものすごい勢いで働いていて、部屋の空気まで慌ただしい。
そもそもこの部屋があの騒々しい機動部隊の詰め所の隣の部屋であり同じ隊舎に存在すること自体が信じられなかった。
怒鳴り声の代わりに、紙のめくれる音とキーボードの音が支配していた。
「ああ、神前君か。隣は相変わらずみたいだな。クバルカ中佐の説教癖は東和陸軍の教導部隊長の時からの物だからね。まあ教導部隊なんて言う、上には上が居る事を知らない猪侍気取りのパイロットの天狗の鼻をへし折る仕事をしていれば自然とそうなっていくんだろうね」
そう言って笑うのは管理部部長高梨渉参事だった。
「すみません……中佐は『熱血幼女系魔法少女』なんで……いつも怒鳴り声で迷惑ですよね?」
誠のそんなランへのフォローなのか面白がっているのかよくわからない言葉に高梨は静かな笑顔を返して肩をすくめると目の前の書類に次々とサインをしていく。そんな手際よく書類を処理していく高梨の前には、明らかに敵意を持って誠を見つめる菰田邦弘主計曹長が立っていた。
誠はこの菰田と言う先輩が苦手だった。第二小隊隊長カウラ・ベルガー大尉には、菰田達信者曰くすばらしい萌え属性があった。
胸が無い。ペッタン娘。洗濯板。前後の区別が無い。
かなめはほぼ一日にこの四つの言葉をカウラに浴びせかけるのを日常としていた。だが、そんなカウラに萌える貧乳属性の男性部隊員を纏め上げた宗教を拓いた開祖がいた。
それが菰田邦弘主計曹長である。彼と彼の宗教『ヒンヌー教』の信者達は、誠から見れば冗談ではなく『いつか本当に捕まる』種類の連中だった。夏服の明らかにふくらみの不足したワイシャツ姿などの写真を交流すると言うほとんど犯罪と言える行動さえ厭わない勇者の集う集団で、誠から見て明らかに危ない存在だった。
しかも、現在カウラは誠の護衛と言う名目で誠の住む下士官寮に暮らしている。誠がその高い法術能力ゆえに誘拐されかかる事件が二回もあったことに彼女が責任を感じたことが原因だが、菰田はその男子寮の副寮長を勤める立場にあった。誠の日常は常にこの変態先輩の監視下に置かれていた。
「なんだ、神前か。またくだらないことを始めやがって。いくら隊長の命令とは言えそんな市からの要請なんて適当に対応しておけばいいんだよ。役所同士のやり取りなんてそんなもんだ。うちだって経理関係で同盟機構の経済管理局や他の同盟機構の役所や他の役所に対してはそうして対応してる。そのくらいの機転は利かないのか?まったく神前は役に立たない奴だな」
誠を嘲笑するような調子で言葉を切り出そうとした菰田の頬にアメリアの平手打ちが飛んだ。
誠の護衛は一人ではなく、アメリアとかなめも同じく下士官寮の住人となっていた。菰田達の求道という名の変態行為への制裁はいつものことなので高梨も誠も、管理部の女性隊員も別に気にすることも無くそれぞれの仕事に専念していた。そのような変態的なフェチズムをカミングアウトしている菰田達が女性隊員から忌み嫌われているのは当然と言えた。
いくらアメリアは女性の司法局の隊員ではもっとも萌えに造詣の深いオタクとはいえ、目の前にそんな自分を『萌え』の対象と認めない変態がいることを看過するわけも無かった。しかも菰田は誠に敵意を持っている。戦闘用の人造兵士の本能がそんな敵に容赦するべきでないと告げているようにアメリアの攻撃は情けを知らないものと化していった。
「あんた、いい加減誠ちゃん虐めるのやめなさいよ!そんなに誠ちゃんがカウラちゃんと一緒にいるのが気に食わないの?それと前から言ってるけどカウラはあんたの事生理的に受け付けないんですって!残念だったわね!私も生理的にあんたを受け付けない!そんなしつこくてネチネチした性格の持主なんて好きになる女が出て来るなら一度お目にかかって見たいものだわね……と、言うわけで……」
そう言うとアメリアは口を菰田の耳に近づけて何かを囁いた。その瞬間だけ、菰田の顔つきが信者のそれに変わった。菰田はその声に驚いたような表情をすると今度はアメリアに何か手で合図をした。それにアメリアが首を振ると今度は菰田は何か頼みごとがあるような感じで手を合わせて拝み始めた。二人の間にどんな密約が結ばれたのか定かではないがそれまで敵意をむき出しにしていた菰田がにやりと笑って恍惚の表情に変わるのを誠はただいぶかしげに見つめていた。
そして誠と同じように二人のやり取りに呆れているこの部屋の主が口を開いた。




