脳筋騎士の提案と、留守番の真紅
視界を真っ白に染め上げていた転移の光が収まると、冷たく吹き荒れていた極光の氷原の猛吹雪は、静かで温かな空気へと変わっていた。
巨大な世界樹の根が天井を覆い、淡いエメラルドグリーンの光が雪のように降り注ぐ場所。
俺たちは間一髪で、数百人のハイエナ(プレイヤー)たちの包囲網を抜け出し、フェネキア族の絶対安全圏――『空を抱く地下都市』へと帰還を果たしたのだ。
「……っ、はぁぁぁ……! 助かった……」
俺は石畳の上にへたり込み、冷や汗で張り付いた前髪を乱暴に掻き上げた。
「心臓が止まるかと思いました……。あんなにたくさんの人たちに、一斉に殺気を向けられるなんて」
ルナも膝に手をつき、荒い呼吸を繰り返している。
俺たち四人のアバターの特徴と組み合わせは、あの底辺配信者の動画によって全世界に完全に割れてしまった。
今後、外を不用意に歩けば一瞬で特定され、レベル上限だけじゃなく、ワールドクエストの進行権と莫大な利益を狙う企業勢やPKプレイヤーたちから執拗な追跡を受けることになるだろう。
(……とはいえ、まずは無事に逃げ切れた。これ以上の安全圏はない)
俺が今後の絶望的な逃亡生活を想像し、胃を痛めながら頭を抱えていると。
「おい、アイズド。なぜ逃げたのだ?」
頭上から、ひどく不満そうな、そして全く状況を理解していない声が降ってきた。
見上げると、真紅の甲冑を纏ったモードレッドが、腰に手を当てて不貞腐れたように俺を見下ろしている。
「あのような烏合の衆、我らが正面から蹴散らしてやればよかったではないか。上限解放前の腕試しに、ちょうど良い相手だっただろうに」
「うむ。モードレッドの言う通りだ」
隣では、漆黒の巨漢ガウェインが、大剣の柄をポンポンと叩きながら深く頷いている。
「数が多いとはいえ、所詮は狂王アーサーの足元にも及ばぬ雑兵ども。私が前に出て盾となり、モードレッドが薙ぎ払えば、ものの数分で全員の首を物理的に撥ね飛ばしてやれたものを」
「…………」
俺は、あまりにも堂々とした彼らの発言に、数秒間ポカンと口を開けてしまった。
そして、床から勢いよく立ち上がると、二人の顔面に向かって盛大にツッコミの怒号を炸裂させた。
「バカかお前らはァァァッ!! 脳みそまで筋肉でできてんのか!!」
「なっ、なんだと!?」
「いいか、よく聞け! 確かに俺たちはレベルキャップを解放はまだしてないの‼『外にいる連中とレベルが同じになっただけで、 お前らみたいにレベル90を越えてるならともかく、今の俺たちのレベル差じゃ『ダメージ完全無効化』の絶対法則は発動しねぇんだよ!」
俺は魔導書でガウェインの分厚い胸当てをバンバンと叩いた。
「現状の戦力差で、何百人もの魔法やスキルを四人だけで受けきれるわけがない! 数の暴力で押し潰されて、ただ無様に負けるだけだ!」
「むっ……しかし、我々の力をもってすれば……」
「それにだ。お前ら、ルナをあんな無意味な殺し合いのど真ん中に巻き込むつもりか?」
俺は言葉を切り、少し離れた場所で息を整えているルナの方を顎でしゃくった。
「あいつは純粋に剣を振るうアタッカーだ。利権や情報に飢えた亡者どものドロドロした泥仕合に引きずり込むのは、あんたらの言う『騎士道精神』ってやつに反するんじゃないのか?」
その言葉が急所に突き刺さったのか、モードレッドとガウェインはハッとして顔を見合わせ、やがて気まずそうに視線を逸らした。
「……確かに。うら若き乙女を、欲にまみれた無益な戦場に立たせるのは、騎士の誇りに悖る行為だな」
「アイズドの言う通りだ。すまなかった、私が浅慮であった」
あっさりと引き下がり、反省し始めた二人を見て、俺は小さく息を吐いた。チョロいというか、根が真面目な騎士で助かる。
「アイズドさん。私たち、これからどうしますか? ずっとここに隠れているわけにはいかないですよね?」
ルナが歩み寄ってきて、真っ直ぐに俺を見つめた。
その瞳には不安よりも、「アイズドさんがそう言うなら間違いない」という、揺るぎない信頼の光が宿っていた。
「ああ。もちろん、ここに一生引きこもるつもりはない」
俺は周囲を見渡した。フェネキア族の子供たちが遠くで遊び、それを長老たちが穏やかな目で見守っている。
「フェネキア族が数千年の間、外敵から隠し通し、守り抜いてきたこの美しい土地。その秘密を、俺たちの都合でハイエナどもに嗅ぎつけられるわけにはいかない。万が一にも、ここが戦場になるようなリスクは絶対に排除する。……俺たちは、外へ出る」
俺の固い意志と決断を聞いて、ルナは静かに、だが力強く頷いた。
「……とはいえ。まずは、しっかり休むぞ」
俺はふっと肩の力を抜き、いつもの悪ぶった軍師の顔ではなく、ただの一人の男としての穏やかな笑みをルナに向けた。
「え?」
「キャメロットでの絶望的な死闘から、休む間もなく神話の試練まで駆け抜けたんだ。身体も脳みそも、とうに限界を超えてる。少しばかり、羽を伸ばす時間があってもバチは当たらねぇだろ」
俺の言葉に、ルナは少しだけ目を丸くした後、花がほころぶような柔らかく、美しい笑顔を見せた。
「はいっ……! そうですね。本当に、長くて、すごく濃い数日間でしたから」
自然と二人の距離が近づき、地下都市の穏やかな風が間を吹き抜ける。
ふとした瞬間にルナのサファイアブルーの瞳が熱を帯びたように俺を見つめていたが、彼女はすぐに照れ隠しのように視線を逸らした。世界中を敵に回す恐怖よりも、互いが隣にいて、無事に生還できたという確かな温もりが、今は何よりも心地よかった。
「それで、休んだ後はどうするのだ?」
空気を読まないモードレッドが、首を傾げて聞いてくる。
「決まってんだろ。今のままの姿じゃ一歩も歩けないなら、見た目を変えるしかない。……変装だ」
俺はニヤリと笑った。
「EHOには装備の見た目を変える『スキン機能』や『染色アイテム』が腐るほどある。俺たちのトレードマークになっている重鎧や白銀の髪を隠して、その辺にいる平凡なモブプレイヤーに偽装するんだ」
「なるほど! 変装ですね!」
モードレッドの蒼い瞳が、少年のようにキラキラと輝き始めた。
「スパイの潜入任務というやつだな! 面白い、ならば私もこの真紅の甲冑を脱ぎ捨て、市井の娘のような服でも着てみようか! ふふっ、母上の目を盗んで城下町へ遊びに行った頃を思い出すぞ!」
意気揚々と腰の剣を鳴らし、ノリノリで同行を志願してくるモードレッド。
だが、俺は彼女の前にスッと右手を突き出し、冷酷な宣告を下した。
「いやお前はだめだぞ、モードレッド。ガウェインと一緒にお留守番だ」
「…………は?」
モードレッドの笑顔が、ピシリと固まった。
「なんでだ!? 私も変装すればバレまい!」
「隠密行動のために変装するのは、俺とルナの二人だけだ」
俺は呆れたようにため息をついた。
「お前らのその異常なステータスと威圧感、服を変えたくらいで隠しきれるもんじゃねぇ。それに、NPCであるお前らには、プレイヤー特有の『システムメニュー』の操作や、街での自然な振る舞いができないだろ。万が一にもボロを出せば、一発で身バレする」
「そ、そんな……! 私は不自然な振る舞いなどせんぞ! ちゃんと一般人の真似だってできる!」
「ダメだ。お前は目立ちすぎる。大人しく地下都市で、アグラヴェインの事務仕事でも手伝ってろ」
ピシャリと突き放されたモードレッドは、まるで大好きな骨を取り上げられた大型犬のように、あからさまに肩を落とした。
「あ、あぁ……私の、潜入任務が……。一般の服を、着てみたかったのに……」
先ほどまでの覇気はどこへやら、彼女は膝から崩れ落ち、床に「の」の字を書き始めんばかりの勢いでいじけてしまった。
「いつか行きましょうね、モードレッドさん」
その見事なまでの落胆っぷりに、ルナが口元を押さえて小さく吹き出している。
「悪いな。だが、これが一番安全で確実なルートだ」
俺はルナの方を向き、悪びれずに言った。
迫り来る世界中の追手。
だが、最強の相棒と信頼できる仲間を手に入れた俺たちにとって、それはもはや絶望ではなく、次なる『痛快な遊戯』へのスパイスに過ぎなかった。
俺たちは束の間の安息と、次なる反撃のための準備を楽しむべく、地下都市の温かな光の中へと歩みを進めたのだった。




