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失業した軍師、産廃ジョブで世界の余白を攻略する 〜古代変形機装は、使い手の頭がおかしいほど強くなる〜  作者: 三元豚


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八十の壁


 レベル上限八十。


 それは、EHOを少しでも真面目に遊んだことのあるプレイヤーなら、誰でも知っている常識だった。初心者向け攻略サイトにも書いてあるし、職業別ビルド表にも当然のように載っている。レベル八十に到達してからが本番、装備厳選、スキル回し、レイド参加、金策、対人、イベントランキング。つまり、この世界の住人たちは、八十という数字を天井ではなく、生活の床みたいに扱っている。


 だが、《深淵潜行》の受注条件はレベル九十だった。


 何度見ても、灰色の表示は変わらない。


 《深淵潜行》


 《受注条件:レベル90以上》


 《現在条件:未達》


 《受注不可》


 親切なようで、これほど不親切な表示もない。行き先は示す。条件も示す。だが、その条件を満たす方法は示さない。鍵穴だけ見せて、鍵は世界のどこかに落としました、探してね、というやつだ。現実でそれをやったら普通にクレーム案件だが、ゲームではなぜか「探索要素」と呼ばれる。便利な言葉である。


 もちろん、誰も疑問に思わなかったわけではない。


 白騎士団にいた頃、俺たちはレベル上限解放の手掛かりを散々探した。隠しダンジョン、未確認ボス、古代遺跡、称号条件、職業派生、カンスト後の余剰経験値ログ、旧作由来と噂された未整理領域。試せるものは、ほとんど試した。いや、正確には試させた。調査班を出し、検証班を組み、ログを集め、失敗条件まで表にした。あの頃の俺は、人を使って世界の壁を叩くのが仕事だったからだ。


 結果は全部、駄目だった。


 経験値は入らない。レベルは動かない。新しいゲージも出ない。八十一という数字は、どこにも表示されない。だから上位勢の大半は、ある時点でこう結論づけた。


 未実装。


 運営がまだ開放していないだけ。次の大型アップデート待ち。そう考えるのが一番合理的で、一番つまらなくて、一番楽だった。待っていればいい。運営が用意した時に、最速で走ればいい。白騎士団の軍師ジンも、たぶんそう判断した。少なくとも、当時の俺はそういう顔をしていたはずだ。


 だが、三年だ。


 発売から三年経って、上限解放アップデートは来ていない。それでも、レベル九十を要求するクエストは存在する。


 未実装ではない。


 たぶん、最初からある。


 ただ、誰も見つけていないだけだ。


「上限解放アップデートが三年も来ないなら、それは待てって意味じゃない。探せって意味なんだろうな」


 第三炉の記録室で、俺は視界の灰色表示を閉じながら言った。


 正面の作業台では、きなこもちが黒鉄外装の外見偽装を最終調整していた。灰鉄の留め具を外し、代わりに擦れた革と古びた金属板を重ねていく。性能はほぼ変えず、見た目だけを「いかにも旅の途中で修理を重ねました」という貧乏くさい方向へ寄せている。言い方を選ばなければ、地味化である。


 きなこもちは工具をくるりと回した。


「運営の意思が『探せ』だとしても、だいぶ性格悪いよね。三年隠すって、もはや隠し味じゃなくて行方不明だよ」


「性格が悪いのは運営なのか、この世界なのか、最近分からなくなってきた」


「両方じゃない?」


「救いのない二択を即答するな」


 ルナは隣で灰衣旅装の布を確認していた。こちらも偽装済みだ。外から見ると、白銀の髪はほとんど目立たない。灰色の布が何層にも重なり、旅剣士というより、北方へ向かう巡礼者のようにも見える。ただし、内側には白銀を休め、必要な時だけ通すための細い魔術線が仕込まれていた。


 きなこもちが、ルナの袖口を整えながら言う。


「目立たない装備って、弱そうに見せることじゃないんだよ。見た人が勝手に興味をなくす形にすること。黒鉄さんは存在感がやかましいから、そこが難しい」


「俺の装備に対して、やかましいって形容はどうなんだ」


「褒めてる」


「嘘をつけ」


「半分だけ」


「半分も嘘なら十分問題だ」


 グラン親方は、作業台の端で出発用の記録板を確認していた。今回の目的は、表向きには通常フィールドでの連携確認と北方旧街道の調査。裏の目的は、レベル上限八十の先に関わる痕跡探し。だが、それを大きく書くわけにはいかない。


 黒鉄と灰衣の噂は、すでに外側へ流れ始めている。


 グレイム領の黒鉄。白銀を隠した灰衣。低評価素材ルートを変えた二人。そういう言葉は、軽い噂の顔をして勝手に歩く。そして、歩いた先で勝手に太る。俺たちが追いついた頃には、たぶん知らない肉がついている。噂とは、だいたいそういう不健康な生き物だ。


 だから、今回は名を増やさない。


 目立たず、戦い、戻る。


 たったそれだけのことが、今の俺たちにはやけに難しい。


ーーーーー


 第三炉を出る頃には、昼前になっていた。


 見送りに来たきなこもちは、最後まで俺の外装を見ていた。職人としての目だ。心配しているというより、自分が調整した装備が現場でどう動くかを見たいのだろう。気持ちは分かるが、そんな目で見られるとこちらが不具合品みたいな気分になる。


「黒鉄さん、強く弾かないでね。留め具、横に逃がす調整にしてるから」


「分かっている」


「ルナちゃんも、白銀を出す時は布の流れに合わせて。無理に抜くと引っかかるから」


「はい。休めてから通します」


「そう、それ。休めてから通す。いい言葉だよね。今度、装備シリーズ名にしようかな」


「やめておけ。売れなさそうだ」


「売る気はないよ。身内用」


「余計に怖い」


 グラン親方は小さく笑い、それから真面目な顔になった。


「北方旧街道は、近年ほとんど利用されていません。魔物自体は高位ではありませんが、霧が出やすく、道が変わったように見える場所があります。無理に奥へ進まず、異常を感じたら戻ってください」


「戻るのは得意になりつつある」


「それは、よいことです」


 親方はそう言って、封じた小さな記録札を渡してきた。


「第三炉の帰還札です。何かを持ち帰る時も、何も持ち帰れなかった時も、戻ったことを記録できます」


「何も持ち帰れなかった時も?」


「はい。何も得なかった、という記録も大切です」


 相変わらず、この炉は地味なことを本気で言う。


 だが、今はその意味が少し分かる。


 白騎士団時代の俺は、成果が出なかった調査を失敗として処理した。効率が悪い。期待値が低い。次へ回す。そうやって切り捨てた場所のどこかに、今さら必要なものが残っているかもしれない。


 何も得なかった記録も、記録。


 そう考えると、昔の俺が捨てたものの多さに少し頭が痛くなる。


 ルナが俺を見る。


「大丈夫ですか」


「顔に出ていたか」


「少し」


「最近、俺の顔は公開情報なのか?」


「近くにいれば、見えます」


「仕様なら仕方ないな」


 俺は帰還札を収納し、北へ向かって歩き出した。


ーーーーー


 北方旧街道は、第三炉周辺の熱気から離れるにつれて、少しずつ色を失っていった。


 赤い炉煙は背後に薄れ、代わりに白っぽい霧が地面を這うようになる。石畳は古く、ところどころ割れている。道端には背の低い針葉樹が並び、その枝に白骨鴉が止まっていた。こちらを見下ろす黒い目が、妙に人間臭い。


 通常マップでは、ここは低〜中難度の旧街道扱いだ。経験値効率は悪い。素材も微妙。移動距離だけが長い。攻略サイトなら、たぶん星二つ。コメント欄には「雰囲気はいいけど行く意味なし」と書かれているタイプの場所である。


 だから、今の俺たちには向いている。


 人が少ない。目立たない。効率が悪い。


 昔なら、三秒で切った条件だ。


「北へ向かうのは、久しぶりですか」


 ルナが隣を歩きながら聞いた。


「ジンの頃なら、来たことはある。調査班のログも見た。だが、歩いた記憶はあまりないな」


「自分で歩かなかったんですか」


「歩く必要がなかった。調査結果だけ見て、使えるかどうか判断していた」


「今は?」


「今は、自分で歩いている。非効率で、足が疲れる」


「でも、嫌ではない?」


「……嫌ではないな」


 そう答えてから、少しだけ笑いそうになった。


 何でもない道だ。霧が出て、鳥がいて、割れた石畳が続いているだけ。だが、こういう場所を自分の足で歩くことを、俺はずいぶん長くしていなかった。歩く前に地図を見て、敵分布を確認し、期待値を出して、必要なら人を送る。それが昔の俺のやり方だった。


 今は、地図にない違和感を拾うために歩いている。


 効率が悪い。


 だが、悪くない。


 旧街道の曲がり角を抜けたところで、白骨鴉が一斉に羽ばたいた。


 敵性反応。


 三つ、いや五つ。


 霧の中から《霧狼》が現れる。灰色の毛並みに、骨のような白い筋が浮かんでいる。さらに上空から白骨鴉が降下してくる。霧狼が足を止め、白骨鴉が視界を塞ぎ、背後からもう一体が回り込む。北方旧街道ではよくある小規模連携らしい。


「来るぞ」


「はい」


 俺は盾装を出しかけて、止めた。


 今は偽装中だ。黒鉄外装を全開にする必要はない。旅盾として見える範囲で、左腕の内側だけを動かす。金属片が小さく鳴り、古びた盾の裏側で黒鉄が形を変えた。外から見れば、ただ盾を構えただけに見えるはずだ。


 霧狼が突っ込んでくる。


 真正面から受けない。斜めに受ける。流す。牙が盾面を擦り、左へ逸れる。背後へ回ろうとした個体の進路へぶつかり、二体が一瞬詰まる。


 白骨鴉が上から降る。


 ルナは白銀を出さない。鞘から半分だけ剣を抜き、足元の霧へ視線を落とす。鴉の影ではなく、霧が割れる線を見る。次の瞬間、彼女は半歩だけ横へ動き、鴉の爪を避けた。剣の柄尻で翼の付け根を叩き、地面へ落とす。


 上手い。


 白銀を使わない戦い方が、前より自然になっている。


「右、二体」


「見えています」


 短く返し、ルナは霧の中へ白銀を細く通した。ほんの一瞬。外から見れば、刃が白く反射した程度にしか見えない。だが、その光は霧狼の核を正確に捉えた。彼女は斬るというより、線を断つように剣を振る。霧狼が崩れ、灰色の粒になって散った。


 俺は残りを盾で受ける。


 強く弾かない。受け、流し、最後に細く拒む。霧狼の牙が盾の縁に食い込む直前、黒鉄の拒絶を細い線として通す。牙は砕けず、ただ滑る。狼の体勢が崩れ、ルナの剣がそこへ入る。


 最後の白骨鴉が逃げようとした。


 射装を出せば落とせる。だが、出さない。目立つし、必要もない。


 逃げるなら逃がす。


 そう判断した瞬間、白骨鴉は霧の奥へ消えた。


 戦闘終了。


 経験値は微々たるもの。素材も白骨の羽が数枚。効率で言えば、やはり低い。


 だが、悪くない。


 俺は盾を下ろした。


「今の白銀、ほとんど見えなかったな」


 ルナは少しだけ嬉しそうに頷いた。


「休めてから通しました。強く出さなくても、核だけなら切れます」


「いい。俺も、拒絶は抑えられた」


「はい。強く弾いていませんでした」


「監査報告ありがとう」


「どういたしまして」


 真面目な顔で返されると、こちらが困る。


 俺は戦闘ログを簡単に確認し、余計な記録を残さず閉じた。今回は検証ではない。普通の戦闘を、普通に終えて、普通に戻れるようにする。その練習だ。


 普通という言葉は、意外と重い。


ーーーーー


 旧街道をさらに北へ進むと、霧が濃くなった。


 白骨鴉の鳴き声も遠ざかり、代わりに水音が聞こえ始める。地図を開くと、そこには小さな湖が表示されていた。名前もない。ただの地形。素材採取ポイントもなく、クエストアイコンもない。攻略上の価値はほとんどない場所だ。


 だが、湖面の霧が妙だった。


 風がないのに、霧だけが湖の中央へ引かれている。水面は静かなのに、白い膜のような霧が、ゆっくりと呼吸しているように上下する。外縁の根とは違う。淀みの黒緑でもない。もっと古く、もっと乾いた、石の奥に残った記録のような気配だった。


 ルナが足を止める。


「白銀が、少しだけ引かれています」


「外縁の時と同じか?」


「違います。根ではありません。呼ばれているというより、見つけられた感じです」


「嫌な表現だな」


「はい」


 ルナが嫌だと言うなら、たぶんかなり嫌なやつだ。


 俺は左腕に意識を向けた。《古代変形機装》は大きくは反応していない。ただ、眠っていたものが薄く目を開けたような、かすかな震えがある。機械竜中枢デバイス。その説明文が頭の隅をかすめたが、今は掘らない。解釈保留という便利な盾を、ここでも使う。


 湖畔へ近づくにつれ、周囲の音が消えていった。


 鳥も鳴かない。虫の音もない。水音だけがある。霧の向こうに、何かが倒れているように見えた。


 人影。


 いや、人にしては大きい。


 俺は片手を上げ、ルナを止めた。


「敵かもしれない」


「はい」


 ゆっくり近づく。


 霧が薄れる。


 そこに倒れていたのは、大柄な男だった。


 鎧は砕け、マントは泥に濡れ、片腕には深い傷がある。背丈は、横たわっていても分かるほど大きい。ドワーフ系の骨格に似た厚みがあるのに、身長は明らかに通常のドワーフではない。立てば百九十はあるだろう。巨躯。だが、粗野ではない。壊れた鎧の下に、王の品格めいたものが残っている。


 そばには、折れた剣が落ちていた。


 それと、白亜の紋章が刻まれた小さな印。


 ルナが小さく息を呑む。


「生きています」


「だろうな」


「どうして分かるんですか」


「死体なら、こういう場所ではだいたいもっと分かりやすく演出される」


「演出……」


「ゲームの話だ。いや、最近はあまり信用できないが」


 俺は男のそばに膝をつき、周囲を確認した。


 罠の気配。敵性反応。魔法陣。霧の流れ。どれも完全には読めない。だが、放置すれば確実に何かが起きる。近づいても起きる。なら、起きる前提で触るしかない。


 最悪だ。


 俺は白亜の印を見た。


 その瞬間、視界に半透明の表示が開いた。


 《特殊条件を確認》


 《戻るための記録を確認》


 《白き灯を確認》


 《黒き拒絶を確認》


 《古代封印領域への接続反応を確認》


 少し間を置いて、最後の一行が浮かぶ。


 《特殊クエスト:白亜の王命》


 俺は、しばらくその文字を見つめた。


 そして、深く息を吐く。


「また面倒ごとかよ」


 ルナがこちらを見る。


「始まりましたね」


「北へ歩いてただけだぞ。普通の狩りをして、普通に戻る予定だったんだぞ。なんで湖畔に王様っぽい巨漢が落ちてて、古代封印領域への接続反応まで出るんだ。導線設計を一回会議にかけろ」


「助けないんですか」


「助ける。助けるが、文句くらいは先払いさせろ」


 その時、霧の奥で何かが動いた。


 白い骨のような犬が、霧の中から姿を現す。続いて、錆びた槍を持つ亡兵。さっきまで静かだった湖畔が、一瞬で戦場の形に変わる。


 表示が更新された。


 《白亜の王命》


 《対象を保護せよ》


 《対象:????》


 名前はまだ伏せられている。


 だが、クエストは始まった。


 俺は盾を構えた。


「ルナ、倒れてる男から離れるな。白銀は細く。ここで派手に光らせると、湖そのものが反応するかもしれない」


「はい」


 ルナが剣を抜く。


 霧が動く。


 敵が来る。


 俺は、倒れた巨漢と湖とクエスト表示をまとめて見て、もう一度だけ心の中で毒を吐いた。


 最高のクソゲーは、普通の狩りすら普通に終わらせる気がないらしい。


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