フェネキアの伝承
『白狐の羅針盤』が放つ眩い光の奔流が収まると、俺の視界には、世界樹の巨大な根から淡いエメラルドグリーンの光が降り注ぐ、美しき『空を抱く地下都市』の中央広場が広がっていた。
「……全く、なんで俺はこんな単純なことに気づかなかったんだ」
俺は石畳の上に降り立つなり、自分の額をピシャリと叩いて盛大にため息をついた。
何が「現代の生産知識じゃ不可能だ」だ。何が「どこかに古代の知識を持つ職人気質のNPCはいないか」だ。
自分たちで数千年にわたる結界を維持し、失われたロストテクノロジーの数々を今なお実用レベルで継承し続けているフェネキア族。これ以上ないほどの『古代の知識の宝庫』であり、最高の技術者集団が、俺のインベントリにあるアイテム一つでいつでも会いに来れる場所にいたではないか。
「アイズド殿? いかがなさいましたか、そのような慌ただしいご様子で」
広場の片隅で、キャメロットの避難民たちの事務処理を相変わらず鬼のような形相でこなしていたアグラヴェインが、不思議そうにこちらに声をかけてきた。
「 アグラヴェイン! 悪い、ちょっと取り込み中なんだ。とりあえず工房エリアに行かせてくれ!」
「工房、ですか? ええ、もちろん構いませんが……」
セレンが目を丸くしているのを尻目に、俺は早歩きで地下都市の奥――フェネキア族の職人たちが集まるエリアへと向かった。
地下都市の工房エリアは、グレイム領のむさ苦しい熱気に満ちた鍛冶場とは全く異なる、神秘的な空間だった。
石造りの窯の代わりに、世界樹の根から抽出された純度の高い魔力が青白い炎となって燃え、そこかしこで水晶や未知の鉱石が加工されている。金属を打つ音よりも、魔力を練り上げるような澄んだ共鳴音が響き渡る、文字通りの『魔法工房』だ。
「すまない、ちょっと聞きたいことがあるんだが!」
俺は手当たり次第に、作業をしているフェネキア族の職人たちに声をかけて回った。
「あんたたちの中で、『忘却された世界樹の琥珀』と『深淵を覗く者の涙』っていうアイテムについて、何か知ってる奴はいないか!?」
だが、俺の問いかけに対する若い職人たちの反応は、グレイム領のきなこもちと大差なかった。
「世界樹の琥珀……? さあ、聞いたことがないな」
「深淵を覗く者の涙? どこかの魔物の素材かい?」
(……マジか。古代の知識を持つフェネキア族の職人でも知らないのか?)
俺の心に、嫌な焦りが生まれ始める。
もし彼らでも知らないのだとしたら、いよいよ手掛かりはゼロに戻ってしまう。俺は半ば祈るような気持ちで、工房のさらに奥深く、一際大きな魔力炉の前で作業をしている年老いたフェネキア族の職人に声をかけた。
「……じいさん。あんたなら、もしかして知らないか? 『忘却された世界樹の琥珀』と『深淵を覗く者の涙』ってアイテムについて」
すると、老職人は水晶を削っていた手をピタリと止め、ゆっくりと振り返った。
彼の狐耳は白髪交じりになり、深く刻まれた顔の皺が、彼がこの地下都市で生きてきた途方もない歳月の長さを物語っていた。
「……ほう。随分とまた、懐かしい名前を口にする人間がいたものじゃな」
「!」
俺の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
「知ってるのか、じいさん!」
「知っておるとも。わしがまだ幼い子供じゃった頃……先代の長老たちが、よくその名になぞらえた古い伝承を語ってくれたものじゃ」
老職人は道具を置き、俺の前に向き直って、懐かしむように目を細めた。
「『忘却された世界樹の琥珀』。それは、自然界に存在するような石ころではない。数千年の昔、我らの祖先が誇った最高の魔術的製法によってのみ精製される、極限の魔力結晶のことじゃ」
「やっぱり……! ドロップアイテムじゃなくて、クラフトで作る『加工品』だったんだな!」
俺の推論は、見事に的中していた。
だが、問題はここからだ。きなこもちの腕をもってしても、通常の鍛冶炉と現代のシステムでは、素材同士が反発して灰になってしまった。
「じいさん、その琥珀の作り方を教えてくれないか! どんな素材が必要なんだ!?」
「素材だけを集めても、お主たち人間には到底作れんよ。あれを精製するためには、我らフェネキア族が代々守り抜いてきた神聖なる設備……『世界樹の炉』の力が必要不可欠じゃからな」
「世界樹の炉……!」
「そうだ。世界樹の根の最深部から湧き出る、純度百パーセントの生命の炎。その絶対的な熱量と魔力環境下でなければ、素材同士の強烈な魔力反発を抑え込むことはできん」
老職人はそう言って、地下都市のさらに奥を指差した。
「だが、それだけではないぞ、人間の開拓者よ。世界樹の炉という環境が整ったとしても、琥珀を打ち上げるための技術が今の我らには不足しておる」
「フェネキア族の技術でも、足りないっていうのか?」
「うむ。あの魔力結晶を安定させるには、単なる魔術の知識だけではなく、金属や鉱石の性質を知り尽くした『ドワーフの極致たる鍛冶技術』が必要なのじゃ」
老職人はため息をつき、寂しそうに肩を落とした。
「かつて我らフェネキア族とドワーフ族が共に手を取り合っていた神話の時代ならば、造作もないことであった。だが、我らがこの地下都市に結界を張り、外界との交流を絶ってから数千年……我々の中に、ドワーフのハンマーを振るえる者は、もう誰も残っておらんのだ」
「…………ハッ」
俺は、老職人の言葉を聞き終わった瞬間。
口元を手で覆い、肩を小刻みに震わせて、込み上げてくる笑いを必死に噛み殺した。
「……ふっ、はははっ! はーっはっはっはっ!!」
「な、なんじゃお主。人が真面目な話をしておるというのに、急に笑い出して……」
「すまんすまん、じいさん。あまりにもパズルのピースが完璧に組み合いすぎたんでな」
俺は笑い涙を拭い、顔を上げた。
古代の魔術的アプローチを熟知したフェネキアの伝承。
魔力反発を完全に抑え込む、世界樹の炉という究極の設備。
そして――それらを一つに束ね、完成へと導くための『極致に達したドワーフの鍛冶技術』。
(揃ってるじゃねぇか。全部、俺の手の届く範囲にな!)
俺たちの拠点であるグレイム領には、生産職の五つの頂点を極めた、最高のドワーフ職人がいる。
彼に足りなかったのは『古代の魔術環境』であり、フェネキア族に足りなかったのは『ドワーフの鍛冶技術』。
システムが用意した「絶対にクリア不可能な壁」は、この二つの種族の力を融合させることでしか突破できない仕様だったのだ。
「……じいさん、もう一つのアイテムについても聞かせてくれ。『深淵を覗く者の涙』ってのは、どうなんだ? あれも、世界樹の炉で作る加工品なのか?」
俺が逸る気持ちを抑えて尋ねると、老職人はゆっくりと首を横に振った。
「いや違う。それはクラフトで生み出されるものではない」
「クラフトじゃない? じゃあ、やっぱりどこかのドロップアイテム……」
「我らの伝承によれば、それは極寒の地に封じられし『絶望』に触れ、それでもなお立ち向かう者の眼前にのみ現れるという、特殊な触媒じゃ。……残念ながら、具体的な在り処はわしにも分からん」
「――そうか!」
俺は思わず、強くガッツポーズを取った。
「ありがとう、じいさん! それが『クラフトじゃない』ってことが分かっただけでも、とんでもない大収穫だ!」
三つのキーアイテムのうち、少なくとも一つは「クラフト素材ではない」と確定した。これで、無駄な素材と資金を溶かして試行錯誤する手間が一つ省けたことになる。
俺は感極まり、老職人の手を両手で固く握りしめた。
「じいさんのおかげで、完全に道が拓けたぜ! あんた、最高のアドバイザーだ!」
「な、なんじゃ急に……! わしはただ、昔話をしただけじゃぞ!」
困惑する老職人を残し、俺は踵を返して工房エリアを飛び出した。
やるべきことは決まった。
グレイム領で頭を抱えている『きなこもち』を、このフェネキア族の地下都市へと連れてくる。
そして、彼とフェネキア族の職人たちを引き合わせ、前代未聞の『種族を超えた合同クラフト』を実行するのだ。
だが、そこで俺の足がピタリと止まる。
(……待てよ。この地下都市は、フェネキア族が数千年にわたって外敵から守り抜いてきた『不可侵の絶対安全圏』だ)
俺とルナがここへ出入りできているのは、澱みの魔蛇を討伐した恩人として、族長セレンから特別に『白狐の羅針盤』を託されているからに過ぎない。
いくら俺の信頼する仲間であり、腕の立つ職人とはいえ、外部のプレイヤーであるきなこもちを、無断でこの秘匿された里へ連れ込むことは、彼らの掟に対する重大な裏切り行為になる。
「……筋は、きっちり通さなきゃならねぇな」
俺は歩みを速め、セレンの元へと向かった。
神話の試練を打ち破るための最大の武器――『世界樹の炉』の使用許可と、一人のプレイヤーをこの神聖なる里へ招待することへの承認を得るために。




