白銀を呼ぶ根
第三炉へ戻ってから、俺はしばらく何も言わなかった。
正確には、言葉を選んでいた。残響淀みとの接触で、白騎士団のレイド管理UIを見せられ、軍師ジンの名前を呼ばれ、ルナを駒のように動かしかけた。そこから戻れたのは、俺だけの力ではない。灰衣の旅剣士が、自分は白騎士団の駒ではないと叫んでくれたからだ。
言うべきことはある。
だが、言葉にするには少し重い。こういう時、昔の俺なら記録に逃げた。戦闘ログ、敵挙動、被弾箇所、判断ミス、再発防止。全部を項目に分ければ、自分の心の湿った部分を見ずに済む。便利だ。かなり便利だが、そればかりやっていると、いつか人間ではなく表計算ソフトになる。俺はもう十分に片足を突っ込んでいるので、これ以上は危険である。
記録室では、グラン親方が外縁連絡路の誘導炉材を整理し、きなこもちが黒鉄外装と灰衣旅装の反応痕を見ていた。俺の黒鉄外装には、残響淀みが絡んだ薄い染みが残っている。ルナの灰衣には、白銀の通り道に沿って黒い細かな痕が増えていた。
淀みは、こちらを覚え始めている。
嫌な話だ。敵に学習されるのは、攻略対象としては面白いが、当事者としては心底面倒くさい。まして、それがHPや防御値ではなく、過去や恐怖や癖を覚えるタイプならなおさらだ。
きなこもちが灰衣の内側を指先でなぞる。
「ルナちゃん、こっちの痕、かなり細いね。白銀を出した線だけ追われてる。広がってないのは良いけど、逆に言うと、向こうは白銀の通り道そのものを見始めてる」
「白銀を出さなければ、見られませんか」
「出さなければ反応は減る。でも、完全に閉じると灰衣の意味が半分死ぬ。剣も重くなると思う」
ルナは静かに頷いた。
「消すのではなく、通す」
「そう。細く、必要なところだけ」
その返事を聞いても、彼女の表情は晴れなかった。
当たり前だ。外縁で出会う根や淀みは、白銀に寄ってくる。力を使えば見られ、隠せば自分の剣が鈍る。選べと言われているのは、出すか出さないかではなく、怖いまま使うか、怖いから手放すかだ。かなり性格の悪い二択である。
グラン親方が外縁連絡路の写しを机に広げた。
「残響淀みと遭遇した地点から先へ進むと、外縁炉印へ向かう本線に戻ります。ただし、その手前に白銀反応の強い根域がある可能性が高いです」
「白銀反応の強い根域?」
「誘導炉材の一部が白銀の流れを検知するように作られていたのか、あるいは淀みによってそう変質したのかは分かりません。ですが、ルナ殿の白銀に反応して、根が道を示す可能性と、逆に根が集まる可能性がある」
「つまり、灯りにも餌にもなる」
「はい」
最悪な要約が成立した。
ルナは灰衣の外套をそっと握る。白銀の髪は、今はフードに隠れていない。第三炉の炉光を受けて淡く揺れている。
「私が進むと、危険が増えるかもしれないんですね」
「違う」
俺はすぐに言った。
少し早すぎたせいで、ルナがこちらを見る。
「白銀に反応する危険がある、だ。お前が危険を増やすわけじゃない」
「でも、私がいなければ反応しないものもあります」
「俺の機装に反応するものもある。黒鉄外装にも淀みの染みは残っている。俺がいなければ出ない危険もある」
「それは、そうですが」
「なら同じだ」
言い切ってから、少し乱暴だったかと思った。だが、ここは曖昧にしたくない。
「白銀は悪いものじゃない。反応されるからって、お前が悪いわけでもない。ただ、どう使うかは考える必要がある」
ルナはしばらく黙り、それから小さく頷いた。
「分かりました。怖いまま、使います」
「いい答えだ」
「アイズドさんも、怖いまま進むんですよね」
「できれば怖くないまま進みたい」
「それは無理そうです」
「だろうな」
きなこもちが横で笑いかけ、すぐに真面目な顔へ戻った。
「じゃあ、灰衣は白銀が強く出そうになった時、少しだけ重くなるようにしておく。止めるためじゃなくて、気づくため。黒鉄さんは、白銀に根が集まった時の割り込みを想定して、胸部と左肩の逃がしをもう一回確認する」
「射装は?」
「使ってもいいけど一発。できれば根元か炉材を撃つ。白銀に集まった根を散らすなら、敵本体より支点を狙った方がいい」
「了解」
少しずつ、準備が形になっていく。
そして、準備が整うほど、行かない理由が減っていく。
まったく、条件達成というやつは本当に性格が悪い。
ーーーーー
翌朝、俺たちは外縁連絡路へ向かった。
入口の根印は、静かに光っている。前と同じ文言が浮かぶかと思ったが、今回は少し違った。
《関連補助記録:根圏外縁・予備確認》
《外縁炉印の所在を確認せよ》
《白銀を消すな》
《白銀を晒すな》
《深層へは進むな》
短い。
そして、相変わらず逃げ場がない。
ルナがその文を見つめる。
「消すな。晒すな」
「セレンらしいな」
「難しいです」
「難しいから書いてあるんだろうな」
簡単なら条件にしない。そういうことだろう。親切なのか不親切なのか分からない。いや、たぶん両方だ。
俺は念のため、視界の端に表示を開いた。
《深淵潜行》
《受注条件:レベル90以上》
《現在条件:未達》
《受注不可》
変わらない。
灰色のまま。
そこに、別枠の補助記録が続く。
《関連補助記録》
《根圏外縁・予備確認》
《確認項目:外縁炉印》
《状態:未確認》
《制限:深層進入不可》
《注意:これは《深淵潜行》の進行ではありません》
分かっている。
いや、分かっているつもりでも、表示される意味はある。外縁炉印が近づいているからといって、本命クエストが進んでいるわけではない。今やっているのは、ロックされた扉の周囲に漏れ出した異常の確認だ。
俺たちは根の膜を越えた。
外縁連絡路の疑似光は、前よりわずかに濁っていた。だが、簡易反応札の揺れは警告域ではない。淀みの浅瀬へ続く暗い道を通り、半没した炉材のそばを避けて進む。浅瀬は静かだったが、油断はしない。静かな水場ほど足を取る。水ではないが。
前に残響淀みと戦った地点へ近づくと、空気が変わった。
青いUIは出ない。声も聞こえない。だが、根の奥から細い震えが伝わってくる。根鳴りとは少し違う。何かを探すような、薄い音。
ルナが足を止めた。
「呼ばれています」
「声か?」
「いえ、声ではありません。白銀の方へ、根が向いている感じです」
「強いか」
「まだ、弱いです。でも、この先にあります」
ルナは灰衣の内側へ手を添える。白銀を出すか迷っているのが分かった。
俺は周囲を確認する。誘導炉材は増えている。古い石畳の間に、銀ではなく淡い灰緑の線が走っている。根下炉系統の残滓だ。そこへ、黒い淀みが薄く染み込んでいる。
「白銀は細く。道を見るだけだ。戦闘用に広げるな」
「はい」
ルナがゆっくり剣を抜いた。
白銀が、灰衣の内側から細く通る。刃先だけが淡く光り、周囲の根が一斉に震えた。
強い反応ではない。
だが、確かに見られた。
地面の細い根が、刃先の光へ向かってわずかに伸びる。襲うというより、寄る。暗い水底で、魚が光へ近づくような動きだった。
気持ち悪い。
ルナも同じように感じたのか、刃を握る手に力が入った。
「消すな」
俺は言った。
「でも、寄ってきます」
「寄らせすぎなければいい。こっちは確認するために来た。今の反応も記録だ」
「はい」
「怖いなら、言え」
「怖いです」
「よし」
「よし、なんですか」
「言えたからな」
ルナは少しだけ息を吐いた。白銀は消えない。細い線のまま、灰衣の内側から剣先へ通っている。
すると、前方の根が一本、横へ動いた。
道が開く。
石畳の先に、細い通路が現れた。これまで見えていた道とは違う。根の隙間に隠されていた脇道だ。疑似光はほとんどないが、足元の炉材がわずかに光っている。
「白銀で開いたのか」
「たぶん、見えただけです」
「なるほど。鍵ではなく、灯りか」
白銀を使えば道が見える。だが、根も寄ってくる。
本当に灯りであり、餌でもある。
俺は記録板に短く残した。
《白銀微量露出により、根域の隠し通路を確認》
《根の誘引反応あり》
《白銀を閉じると通路光が弱まる可能性》
ここからが問題だ。
進むか、戻るか。
簡易反応札は強めに震えているが、まだ警告ではない。ルナの白銀も制御できている。俺の黒鉄外装にも異常な染みは出ていない。
「進む。ただし、通路の終点を見るだけだ。戦闘が重くなったら戻る」
「はい」
「外縁炉印に近づいたとしても、今日は触らない」
「確認だけ、ですね」
「ああ。深淵潜行は未受注のままだ」
俺はそう言って、灰色の表示を閉じた。
俺たちは、白銀に呼ばれる根の道へ入った。
ーーーーー
通路の中は狭かった。
左右の根が壁のように迫り、上から垂れた細い根が灰衣のフードを撫でる。ルナは一度身を固くしたが、白銀を消さなかった。剣先の光は細いまま、足元の炉材だけを照らしている。
俺は彼女の前ではなく、半歩斜め後ろを歩いた。
普段なら黒鉄が前だ。だが、ここは白銀が道を見せている。ルナを完全に後ろへ下げれば道が消えるかもしれない。だから、俺は横から盾を出せる位置を取る。黒鉄が先導するのではなく、灰衣が光を通し、黒鉄がその光に寄るものを流す形だ。
面倒だが、悪くない。
ルナが小さく言う。
「いつもと逆ですね」
「お前が道を見ているからな」
「怖いです」
「俺も怖い」
「本当に?」
「本当に」
怖い。かなり怖い。見えない根が白銀に寄り、淀みが過去や癖をなぞってくる場所で、前衛と後衛の形を少し変えながら進んでいるのだ。怖くない方がおかしい。
ただ、怖いからこそ慎重になれる。
通路の奥で、根が揺れた。
敵性反応。
数は三。いや、四。
地面から現れたのは、人型ではない。細い根の束が、白銀の光に向かって寄り集まり、花の蕾のような形を作っている。中心には黒緑の核。だが、周囲には白く濁った光がまとわりついている。
視界に名前が表示された。
白呼び根。
「分かりやすい名前だな」
「嫌です」
「同感だ」
白呼び根は、こちらへ突っ込んでこなかった。代わりに、細い根を伸ばし、ルナの剣先の白銀へ絡もうとする。攻撃というより、引っ張る動きだ。
ルナが白銀を閉じかける。
俺は言った。
「消すな。細く保て」
「はい」
ルナは剣先を下げ、白銀の線をさらに細くした。根の動きが鈍る。だが、完全には止まらない。
俺は盾装へ変形する。
《盾装》。
黒鉄の盾を斜めに出し、ルナへ伸びる根を受ける。受け止めない。盾面を滑らせ、根の力を横へ逃がす。灰鉄留め具が低く鳴り、根が外側へ流れた。
白呼び根の一体が、こちらの盾に反応して黒く染まる。今度は黒鉄外装へ絡もうとする。白銀だけではない。黒鉄の染みも見ている。
「こっちにも来るか」
剣装へ変える。絡む根の根元だけを切る。長く見せない。すぐ盾装へ戻す。
ルナは一体の白呼び根へ近づこうとしたが、白銀に反応して左右の根が寄ってくる。彼女は足を止めた。
「近づくと集まります」
「なら、動かすな」
「え?」
「お前が近づくんじゃない。向こうを炉材へ寄せる」
足元には古い炉材の線がある。淀みの浅瀬で見たように、炉印系統に触れると淀みの反応は乱れる可能性がある。
「剣先を右へ。白銀は細く」
「はい」
ルナが剣先を右へ動かす。白呼び根の根が、それにつられて右へ傾いた。白銀を追っている。なら、誘導できる。
「そのまま、炉材の上へ」
ルナは剣先だけを動かした。身体は動かさない。白銀の線が、釣り糸のように白呼び根を引く。根の束が足元の炉材へ触れた瞬間、灰緑の光が走った。
白呼び根の核が一瞬だけ露出する。
「今だ」
ルナが踏み込む。
白銀を広げない。剣先に通した細い光を、そのまま核へ突き入れる。白呼び根が砕けた。
一体目。
残り三体が一斉に反応する。白銀へ寄る。黒鉄へも寄る。通路が狭いため、逃げ場が少ない。
俺は盾装を広げ、ルナの左を塞ぐ。右は炉材線。後ろは戻り道。前の二体は誘導できる。奥の一体は、根を地面へ沈めて何かを探っている。嫌な動きだ。
白呼び根の一本が、ルナの足元へ根を伸ばす。直接白銀ではなく、彼女の影へ向かっている。
「足元!」
ルナは跳ばない。跳べば通路上部の根に触れる。代わりに、灰衣の裾を払うように動かし、白銀を一瞬だけ足元へ通す。根が光へ寄る。その隙に、彼女は半歩だけ位置を変えた。根は空を掴む。
上手い。
白銀を囮にして、自分を逃がした。
「できるじゃないか」
「怖いですけど」
「怖いままやれ」
「はい」
俺は射装へ変えるか迷った。奥の一体が地面へ潜りかけている。逃げるのか、増援を呼ぶのか、通路を閉じるのか。どれも嫌だ。射装なら止められる。ただし、また学習される可能性がある。
一発だけ。
俺は左腕を低く構えた。
《射装》。
狙うのは奥の白呼び根の核ではない。そいつが潜ろうとしている地面の炉材線。撃つ。弾が炉材の線を打ち、灰緑の光が跳ねた。奥の白呼び根が硬直し、地面から半分だけ浮く。
すぐ盾装へ戻す。
「灰衣、奥」
「はい」
ルナが剣先を奥へ向ける。白銀が細く伸び、硬直した白呼び根の核を指す。彼女自身は動かない。白銀の線だけが通る。距離はぎりぎり。届くか。
届いた。
白呼び根の核に白銀が触れ、黒緑の光が割れる。
二体目。
残る二体が暴れた。通路の壁の根が大きく揺れ、上から細い根が降ってくる。白銀へ、黒鉄へ、両方へ絡もうとする。
俺は盾装で上を受ける。重い。根は打撃ではない。絡んで引く。胸部の逃がしが働くが、長くは持たない。
「ルナ、白銀を閉じるな。だが、俺から離せ」
「はい」
彼女は剣先を外側へ向けた。白銀の線が通路の右端へ流れる。根の一部がそちらへ向かい、俺への圧が少し弱まる。
黒鉄と灰衣で、根の力を分ける。
それならいける。
俺は盾を前へ押し、二体の根を炉材線の上へ押し込んだ。ルナが白銀を細く二度通す。一撃目で一体の核を割り、二撃目で残る一体の根を止める。最後は俺が剣装へ短く変え、核の周囲の根を切り開く。ルナの白銀がそこへ刺さった。
白呼び根が全て崩れた。
通路に、静けさが戻る。
ーーーーー
戦闘後、ルナは剣を収めなかった。
白銀はまだ細く通っている。だが、彼女の手は少し震えていた。
「収めるか?」
「……収めたいです」
「収めていい」
「でも、道が消えます」
「一度消してみろ。それも記録だ」
ルナは頷き、白銀を閉じた。
通路は完全には消えなかった。だが、足元の炉材線の光はかなり弱くなる。つまり、白銀がなくても道は存在するが、白銀があった方が見える。鍵ではなく灯り、という判断でほぼ合っていそうだ。
ルナが息を吐いた。
「消しても、道はなくならないんですね」
「ああ。ただ、見えにくくなる」
「私がいなくても、道はある」
「だが、お前がいると見つけやすい」
ルナは黙っていた。
俺は続ける。
「どちらも事実だ」
「はい」
「白銀がなければ進めない、と思いすぎると重い。白銀なんてなくてもいい、と思いすぎると消したくなる。たぶん、その間だ」
「難しいです」
「だろうな」
「でも、少し楽です」
「なら良かった」
ルナはもう一度、ゆっくりと白銀を通した。今度は先ほどより自然だった。剣先に細い光が戻り、足元の炉材線がまた淡く光る。
通路の奥に、小さな石碑があった。
根に半分飲まれた古い碑だ。表面には黒い淀みが薄く張りついているが、白銀の光を近づけると、文字の一部だけが浮かび上がる。
俺は不用意に近づかない。ルナも距離を保つ。
文字は欠けていた。
《白き……は灯》
《されど……呼び水》
《名を……すな》
《名を……ぶな》
読める部分だけで、十分に嫌な内容だった。
「名を?」
ルナが小さく呟く。
「そこから先は読まない方がいい」
「はい」
俺は記録板を開くか迷った。
名を記すな。名を呼ぶな。
なら、固有名を書かない方がいい。石碑そのものも、詳細に写すのは危険かもしれない。だが、見つけたことは記録しなければならない。
俺は慎重に入力する。
《白銀反応通路の奥に古碑を確認》
《碑文欠損》
《白銀を灯り、および呼び水として扱う内容》
《固有名記載に関する警告あり》
《全文写し取りは保留》
これでいい。
いや、これ以上は危ない。
ルナが石碑を見たまま言う。
「白銀は、灯りで、呼び水」
「ああ」
「私の剣も、そうなんですね」
「剣は剣だ」
「でも、ここでは違う意味も持つ」
「そうだな」
ルナは剣先の白銀を見つめた。
「消したいとは、思いませんでした」
「そうか」
「怖かったです。でも、消したいより、細く持っていたいと思いました」
「良い変化だ」
「たぶん」
「俺の真似をするな」
「移りました」
少しだけ笑う。通路の奥で、根が静かに揺れた。
簡易反応札はまだ警告域ではない。だが、白銀反応は強い。石碑も見つけた。白呼び根との戦闘もした。これ以上進めば、外縁炉印へ近づくかもしれない。
だが、今日はルナへの干渉が強かった。
進まない方がいい。
「戻るぞ」
俺は言った。
ルナがこちらを見る。
「外縁炉印は?」
「まだ先だ。今日は白銀反応通路と古碑を確認した。十分だ」
「でも、近いかもしれません」
「近いから戻る」
「……はい」
ルナは素直に頷いた。
俺は少し安心した。彼女も進みたかったのだろう。自分の白銀で道が見えた以上、その先を確かめたいと思うのは自然だ。だが、そこで戻れるかどうかが大事だ。
俺は視界に表示を出す。
《深淵潜行》
《受注条件:レベル90以上》
《現在条件:未達》
《受注不可》
変わっていない。
続いて、別枠の補助記録が更新される。
《関連補助記録》
《根圏外縁・予備確認》
《白銀反応域を確認》
《白呼び根との接触を確認》
《古碑を確認》
《外縁炉印確認:保留》
《深層進入不可》
《注意:これは《深淵潜行》の進行ではありません》
よし。
いや、何がよしなのかは分からないが、少なくとも線は引かれている。
撤退も記録。
セレンの言葉が、少しずつ体に入ってきている。
ーーーーー
通路を戻る間、声は聞こえなかった。
白騎士団のUIも出ない。代わりに、足元の根が白銀の線へ何度か寄ってきた。そのたびにルナは白銀を消さず、細く保ち、必要な分だけ向きを変えた。俺は盾装で根を流し、剣装で絡みを切り、射装は使わなかった。
淀みの浅瀬を越え、外縁連絡路の入口近くまで戻ると、根印が光った。
《関連補助記録を更新》
《白銀反応域を確認》
《白呼び根との接触を確認》
《古碑の全文写し取りを避けた判断を、良しとする》
やはり見ている。
怖い。いや、助かる。いや、怖い。どちらでもある。
続いて、もう一文。
《白銀を消さなかったことを、良しとする》
ルナが、小さく息を止めた。
さらに、
《白銀を晒し続けなかったことを、良しとする》
セレンの文言は、静かに消えた。
ルナはしばらく根印を見つめていた。
「両方、良しなんですね」
「ああ」
「消さなかったことも、晒し続けなかったことも」
「そういうことらしい」
「……少し、分かった気がします」
彼女は灰衣の胸元に手を当てた。
「白銀を隠すのは、悪いことではないんですね」
「ああ」
「でも、消すのは違う」
「そうだ」
「必要な時に、必要なだけ通す」
「今日やったことだな」
ルナは頷いた。
「忘れないようにします」
「記録するか?」
「はい。自分で」
彼女は自分の記録板を開き、短く何かを書いた。内容は見ない。見る必要はない。
俺も自分の記録板へ入力する。
《白銀反応域》
《白銀は灯りとして通路を可視化》
《同時に根系存在の誘引対象となる》
《灰衣運用:白銀を細く保持。消さず、晒さず》
《白呼び根:白銀へ誘引。炉材線へ誘導可能》
《古碑:固有名記載警告。全文写し取り保留》
《外縁炉印へは進まず撤退》
最後の一文を入れる。
進まず撤退。
それが今日の成果だ。
ーーーーー
第三炉へ戻ると、きなこもちが待ち構えていた。
「どうだった?」
「白銀に反応する通路を見つけた」
「えっ」
「白銀は灯りになった。だが、根も寄った」
「うわ、やっぱり」
「白呼び根という敵が出た。白銀へ寄るが、炉材線へ誘導できる。古碑も見つけたが、固有名記載に関する警告があったから全文写し取りはしていない」
「情報量」
「言うと思った」
「多いよ!」
きなこもちは目を輝かせながら記録板を開きかけ、途中で止まった。
「全文写し取りしなかったんだよね?」
「ああ」
「じゃあ、あたしも聞かない」
少し驚いた。
「成長したな」
「でしょ」
「珍獣を見る目になりそうだ」
「見るな」
ルナが小さく笑った。
グラン親方は、古碑の要約を読んで眉をひそめた。
「名を記すな、名を呼ぶな。やはり、竜種関連の警告と近い響きがありますな」
「固有名は出ていない」
「出さぬ方がよろしいでしょう。記録も、今の要約で止めるべきです」
「同感です」
七つの竜種。
その言葉が頭の奥に浮かんだが、口には出さなかった。名前を呼ぶな。名を記すな。なら、今はまだ触れない方がいい。俺が白騎士団時代に断片的に知った竜種関連情報も、ここでは迂闊に出すべきではない。
知っていることと、言っていいことは違う。
これも記録の公開区分だ。
ルナは灰衣旅装を脱ぎ、白銀の通り道を確認してもらっていた。白呼び根に引かれた痕が、細い黒線として残っている。きなこもちがそれを見て、少しだけ表情を引き締める。
「白銀の線が引っ張られてる。でも、広がってない。ルナちゃん、よく保ったね」
「怖かったです」
「うん。怖いと思う」
「でも、消したいとは思いませんでした」
きなこもちの手が止まる。
「そっか」
「はい。細く持っていたいと思いました」
「じゃあ、灰衣はその方向で直す。白銀を抑え込むんじゃなくて、細く持ち続けられるように」
「お願いします」
グラン親方が静かに頷いた。
「黒鉄殿、外縁炉印は次ですな」
「ああ。ただし、今日の記録を整理してからです」
「急がぬことです」
「分かっています」
急がない。
外縁炉印は近い。だが、近いからこそ焦らない。白銀の反応域を越えた先にあるなら、次はさらに強い誘引か、淀みの干渉が来るだろう。
それに、何度も確認しておく必要がある。
深淵潜行は、まだ受注できない。
外縁炉印の確認は、本命クエストの進行ではない。
今日は、ルナが白銀を消さずに戻れた。
それで十分だ。
ーーーーー
夜、第三炉の屋上で、ルナは自分の剣を膝の上に置いていた。
白銀は出ていない。だが、剣そのものが静かに光を抱えているように見える。彼女はそれを見つめたまま、ぽつりと言った。
「白銀が、怖いままでもいいんですね」
「ああ」
「怖いから、持ち方を考える」
「そうだな」
「隠すのは、悪くない」
「悪くない」
「消さない」
「ああ」
ルナはゆっくり頷いた。
「今日、根に呼ばれた時、少しだけ思いました。閉じれば楽になるって」
「そうか」
「でも、閉じたら道も見えなくなる気がしました」
「実際、見えにくくなった」
「はい」
彼女は剣の柄を握る。
「私は、白銀を持っていたいです。見せびらかしたいわけではありません。でも、持っていたい」
「なら、それでいい」
「簡単に言いますね」
「難しく言っても変わらない」
「それも、そうですね」
ルナは少し笑った。
その笑いは、昨日より軽かった。恐怖が消えたわけではない。むしろ、恐怖の形がはっきりしただけだろう。それでも、人は見えないものより、見えた怖さの方が扱える。
俺は黒鉄外装の内側にある小さな素材札に触れた。リーフェ村の最初の控え札。あの村の記録は、俺たちが離れても続いている。白銀も同じかもしれない。見せるためではなく、続けるために持つ。
「アイズドさん」
「何だ」
「次は、外縁炉印ですね」
「ああ」
「行けますか」
「行けるとは思う」
「勝てますか」
「勝つために行くんじゃない」
ルナは少し目を丸くし、それから頷いた。
「調査して、戻る」
「確認して、戻る、だな」
「はい。確認して、戻る」
「そうだ」
「撤退も記録」
「ああ」
彼女は剣を収めた。
灰衣の外套が夜風に揺れる。白銀の髪はフードの外に出ていて、炉の赤い光を受けて淡く光っていた。以前なら、彼女はすぐ隠したかもしれない。今はそのままだった。
隠すことと、消すことは違う。
晒すことと、通すことも違う。
その違いを、今日は少しだけ掴めた。
外縁炉印はまだ先にある。淀みはまだ浅いところで、こちらの形をなぞっている。白騎士団の残響も、七つの竜種らしき警告も、何ひとつ終わっていない。
だが、白銀は消えなかった。
灰衣は戻ってきた。
黒鉄も、それを守りきった。
なら、今日は十分だ。
最高のクソゲーは、相変わらず性格が悪い。けれど、こういう小さな前進まで用意しているあたり、なおさら質が悪い。
俺は夜の工房区を見下ろしながら、次の記録項目を追加した。
《関連補助記録:根圏外縁・予備確認》
《次確認項目:外縁炉印》
《注意:白銀反応域再通過》
《白銀を消さない》
《白銀を晒し続けない》
《黒鉄は灰衣の光に寄る根を流す》
《深淵潜行:未受注》
最後の一文を見て、少しだけ笑う。
黒鉄が受けて、灰衣が通す。
ただ、それだけではない。
灰衣が道を照らし、黒鉄がその道を守ることもある。
形は、少しずつ変わっていく。
それでいい。変わらない形など、たぶん淀みに一番絡まれやすい。
明日は外縁炉印へ向かう。
奥へは行かない。
確認して、戻る。
それを忘れなければ、まだ進める。




