創造のパラダイムシフト
カンッ、カンッ、とリズミカルに響いていた心地よい金属音が、ふっと止んだ。
それからほどなくして、応接室の奥に通じる重厚な木扉が勢いよく開かれた。
「お待たせしてすまねぇ、領主様! いやぁ、久々に骨のある仕事だったぜ! 最高の『会心の逸品』が打ち上がった!」
現れたのは、顔を真っ黒な煤と汗で汚し、しかしどこか晴れ晴れとした達成感を満面に浮かべたドワーフの生産職プレイヤー――モチモチきなこもちだった。
彼は首に巻いたタオルで豪快に汗を拭いながら、ドスンドスンと重い足音を立ててテーブルへと近づいてくる。
「そんなに待ってないから安心しろ。あんたの顔を見れば、いい仕事ができたってことは嫌でも伝わってくるからな。お疲れさん」
俺はソファから腰を浮かし、彼を労うように短く声をかけた。
ルナも「お疲れ様です、きなこもちさん!」と笑顔で労いの言葉をかける。
「へへっ、ありがとよ。で、俺に聞きたいことってなんだ? 領主様直々のお出ましだ、武器の修理か、それとも特注品のオーダーか?」
きなこもちはドカッと向かいのソファに腰を下ろし、興味津々といった様子で身を乗り出してきた。
「いや、武器のオーダーじゃない。俺たちは今、ある特定のアイテムを探していてな。生産職のメッカであるこの街の職人たちを束ねるあんたなら、何か知ってるんじゃないかと思って聞きに来たんだ」
俺はそう言うと、空中にシステムウィンドウを展開し、マーリンから提示されたレベル90上限解放のためのキーアイテムのリストを、きなこもちの目の前に表示させた。
・『星天の脈石』
・『忘却された世界樹の琥珀』
・『深淵を覗く者の涙』
「この一番上にある『星天の脈石』が、ただの無価値なゴミ素材だってことは、さっきあんたに聞いて判明した。だが、残りの二つだ。この『琥珀』と『涙』について、何か見たことや聞いたことはないか?」
俺が問いかけると、きなこもちは太い腕を組み、ふさふさの髭を指でしごきながら、ホログラムの文字をじっと睨みつけた。
数秒間の沈黙。そして、彼は大きく息を吐き出して首を横に振った。
「……悪いな、領主様。脈石は確かに知っているが、他の二つについては全く心当たりがねぇ。このゲームを始めて一年以上経つが、名前すら聞いたことがないな」
「……一年以上やってるあんたでも、聞いたことがないってのか?」
「ああ。わしらも生産職の端くれ故、どの素材にも触れ回ってきたから言えることだが、こんな素材は見たことは無いぜ。市場に出回ってないのはもちろん、攻略サイトのデータベースにも載ってないはずだ」
EHOにおけるトップクラスの生産職プレイヤーからの、確信に満ちた否定。
その言葉は、俺の胸の中に冷たい鉛のような重しを落とした。
「そうか……」
俺は短く息を吐き、視線を落とした。
戦闘職の連中が知らないだけで、生産職のネットワークなら何かしらの情報が入るかと思っていたが、さすがに神話の時代から隠された試練のアイテムだ。一筋縄では行かないらしい。
そもそも、市場に出回っていないどころか、生産職のトップ層すら知らないとなれば、この世界のフィールド上のどこを探しても存在しない可能性すらある。
「……すまない、仕事明けに無駄な時間を取らせたな。また別の手を探してみるよ」
俺はウィンドウを閉じ、ルナに目配せをして席を立とうとした。
「えっ? もうお帰りになるんですか?」
俺たちが工房を出ようとしたその時だ。
ちょうど奥の厨房から、見習いの少年NPCがお茶のセットを載せたお盆を抱えてやってきた。
「ゆっくりしていってくださいよー。せっかく、親方が大事に仕舞ってた一番いい茶葉を淹れてきたのに……」
少年は、申し訳なさそうに肩を落とし、お盆の上のティーカップを見つめた。
そのしょんぼりとした姿に、ルナが慌てて「ごめんなさいね、急にお邪魔しちゃって」とフォローを入れる。
「気にすんな、坊主。きなこもちの旦那なら、俺たちが探してる未知の素材のありかを知ってるんじゃないかと思って、聞きに来ただけだったからな。見つからないなら、長居して邪魔するわけにもいかねぇだろ」
俺が苦笑しながら事の一部を語ると、少年はお盆をテーブルにコトリと置き、不思議そうに首を傾げた。
「ふーん……。でも、拾えないなら、作製できればいいのにー」
――ピキィィィィィンッ。
その、NPCの少年の何気ない、本当にただの純粋な一言が。
俺の脳髄に、雷が直撃したかのような強烈な閃きをもたらした。
「……え?」
俺は、ドアノブに掛けていた手を完全に止め、その場に硬直した。
ルナときなこもちが、急に動きを止めた俺を怪訝そうな顔で見ている。だが、俺の耳にはもう彼らの声は届いていなかった。
(拾えないなら、作製できればいい……?)
俺の頭の中で、論理思考が凄まじい速度で暴走を始めていた。
そうだ。
なぜ俺は、こんな簡単な『認識の罠』にハマっていたんだ?
俺たちゲーマーは、「素材」という単語を聞くと、無意識のうちに強烈なバイアス――固定観念に縛られてしまう。
RPGにおいて「素材」とは、フィールドの採集ポイントでピッケルを振るって拾うか、モンスターを倒した際のドロップアイテムとして手に入れる『純粋な原材料』であると思い込んでいるのだ。
リストに書かれたアイテム名を見た瞬間、俺の脳は自動的に「このアイテムを落とすモンスターはどこだ?」「どのダンジョンの宝箱に入っているんだ?」と、既存のシステムの上に存在する『探索』の方向へとばかり思考を向けてしまっていた。
だが、そのアイテム名自体が、実は「何かと何かを掛け合わせて作る『加工品』」だとしたらどうだ?
『忘却された世界樹の琥珀』。
『深淵を覗く者の涙』。
これらが、自然界にポンと落ちている純粋な原材料ではなく、複数の既存の素材を高度な技術で掛け合わせ、特定の環境下で精製して初めて完成する『加工済みの素材』だったとしたら?
(……だからか。だから、誰も見たことがなかったんだ!)
俺は内心で、クソAI『アルファ』の悪辣極まりないゲームデザインに戦慄し、同時に歓喜の震えを覚えていた。
きなこもちのようなトップ生産職でさえ知らないのは当然だ。
なぜなら、彼らプレイヤーは「すでに存在している素材を探す」ことはしても、「未知の素材を全くゼロの状態から『作製(レシピ開発)』する」という発想には至っていなかったからだ。
戦闘職の連中が攻略サイトのデータとマニュアルに頼り切っているように、生産職のプレイヤーたちもまた、システムから与えられた既存のレシピの枠組みに囚われていたのだ。
AとBを組み合わせればCができる。それはシステムが教えてくれる。
だが、システムに載っていないXとYを、意図的に混ぜ合わせようとするバカはいない。失敗すれば貴重な素材をロストするだけだからだ。
これこそが、アルファが仕掛けた認識の落とし穴。
プレイヤーたちが「リストにあるものは、世界のどこかに完成品として存在しているはずだ」と思い込んでいる限り、彼らは永遠に見つからないドロップアイテムを求めてフィールドを彷徨い続け、膨大なリソースと時間を浪費するハメになる。
神話の時代から誰一人として見つけられなかった理由。それは「誰も探せなかった」のではなく、「誰も創ろうとしなかった」からだ。
(……無いなら、創ればいい。与えられたものを探すんじゃなく、既存の『素材』を組み合わせて、神話のアイテムそのものをこの世界に『作製』すればいいんだ!)
軍師としての思考プロセスが完全にクリアになり、俺は小さく、だが確かな震えを伴う息を吐き出した。
隣に立つルナが、俺の表情の変化に気づき、サファイアブルーの瞳を丸くして見上げてきた。
「アイズドさん……? もしかして、何か分かったんですか?」
「ああ。謎はすべて解けたぜ、ルナ。……俺たちは、とんでもない思い違いをしていたらしい」
俺はドアノブから手を離し、ゆっくりと踵を返した。
そして、向かいのソファで不思議そうに首を捻っているドワーフの職人に向かって、口の端を吊り上げ、不敵な――最高に悪い笑みを浮かべてみせた。
「おい、きなこもちの旦那」
「ん? なんだい、領主様。まだ何か聞き忘れかい?」
「少し、あんたの腕と知識を借りたい。……世界で誰も見たことがない、システムにすら載っていない神話のアイテムを、あんたのハンマーで『一から作製』してみる気はないか?」
「……は?」
きなこもちの目が、点になった。
「一から作製する? レシピもない未知のアイテムを、俺が創るってのか!?」
「そうだ。既存の枠組みを疑い、素材そのものを俺たちの手で生み出す。……これが唯一にして最強の『最適解』だ」
俺の狂気的な提案に、きなこもちは数秒間ポカンとしていたが、やがてその厳つい顔がパァァッと明るくなり、職人魂の熱い炎が瞳の奥に灯るのが分かった。
「……ハッ! ハーッハッハッハッ! マジかよ、領主様! あんた、本当に頭のネジが数本飛んでるんじゃねぇか!?」
きなこもちは膝をバンバンと叩いて大爆笑した。
「だが、面白ぇ! 攻略サイトのレシピをなぞるだけの退屈な鍛冶には、もう飽き飽きしてたところだ! その前代未聞のクラフト、全力で付き合ってやるぜ!」
「ありがとうよ。最高の仕事場と資金は、俺がいくらでも用意してやる」
俺とドワーフの職人は、ガシッと力強く固い握手を交わした。
既存のシステムに縛られず、論理的思考と逆転の発想で理不尽な壁を突破する。これこそが、俺たち開拓者の真骨頂だ。
レベルキャップ上限解放という神話の試練は、ここグレイム領の熱気に満ちた鍛冶工房から、いよいよ本格的な『創造』のフェーズへと突入しようとしていた。




