見えざるアイテムの法則
オレンジ色に染まった夕陽が、白亜の城下町を美しく照らし出していた。
グレイム領の領主の館、その最上階に位置する広大なバルコニー。
俺は、課金アイテムの『貴族のベルベットガウン』を優雅に羽織り、右手に持ったクリスタルのグラスを静かに揺らしていた。中に入っているのは、この領地で採れた最高級の果実で作られた赤ワイン(ゲーム内アイテムの高級果実酒)だ。
眼下に広がる街並みからは、夕暮れ時になってもなお、鍛冶の槌音や商人たちの活気ある声が絶え間なく聞こえてくる。
「……フッ。見ろよ、あの夕日に輝く石畳を。そして煙突から立ち上る、豊かな生産の息吹を」
俺は、グラスの赤ワインを夕陽に透かしながら、誰に言うでもなく陶酔しきった声で独白を始めた。
「俺の愛した街が、今日もまた美しく息づいている……。俺が流した汗と涙が、彼らの笑顔を創り出しているのだな。ああ、領主というのも悪くない。この重責、俺の広い背中には少しばかり心地よい重さだぜ……」
脳内で荘厳なクラシック音楽を再生しながら、俺はナルシスト全開のポーズで黄昏の風に吹かれていた。
「……あの、アイズドさん。さっきから一人で何をブツブツ言ってるんですか?」
背後から、氷点下のごとく冷ややかな、そして容赦のないツッコミが飛んできた。
振り返ると、腕を組んでジト目を向けているルナの姿があった。
「ゲホッ!? い、いや、ルナ、これはだな……その、領主としての風格というか、ロールプレイの一環として、少しばかり情景に浸っていただけで……」
「全然似合ってないですよ。それに、汗と涙って言ってますけど、アイズドさんがやったのって、最初の日にポチッと国庫に全財産を入れただけですよね?」
「ぐっ……」
ルナの純度100パーセントの正論パンチが、俺の鳩尾に深々と突き刺さる。
「だいたい、その無駄に派手なガウン、どこから出してきたんですか。……せっかくモルガンさんから貰った防具があるのに。ちゃんと着ないと、モルガンさん怒りますよ?」
ルナは呆れたようにため息をつきつつも、どこか気遣うような優しい声色で忠告してきた。
その言葉に、俺は少しだけ目を見張り、やがて小さく息を吐いた。
「……そうだな」
俺は素直に同意し、無駄に派手なガウンのスキン設定を解除した。
インベントリから取り出し、目の前のテーブルに静かに置いたのは、妖妃モルガンが最期に遺してくれた漆黒の『成長型防具』。
まるで流体金属のように形を変えるその外套は、単なる強力なシステム上のアイテムというだけではない。彼女が己の命と引き換えにしてまで、俺たちという開拓者に託した「明日への希望」の重みが詰まった、何よりも大切な遺産だった。
俺がその漆黒の防具を静かに見つめ、丁寧に指先で撫でていると、ルナも隣に歩み寄り、愛おしそうに自身の纏う『魔法剣士の装束』の裾を握りしめた。
「本当に、気高くて優しい人でしたね。モルガンさん……」
「ああ。彼女がこの防具に込めた執念と覚悟、無駄にするわけにはいかねぇからな」
俺が静かにそう答えると、ルナはサファイアブルーの瞳を細め、嬉しそうに、そして誇らしげに頷いた。
軽口を叩き合いながらも、二人の間には、共に死線を越え、気高き魔女の想いを受け継いだ者同士にしか分からない、静かで確かな信頼の空気が流れていた。
もう一度、城から見えるグレイム領を見つめた。
ルナの言う通り、俺がやったことと言えば莫大な資金をシステムに叩き込んだだけだ。
だが、その結果として、このグレイム領はかつての『生産職のメッカ』と呼ばれていた全盛期を遥かに超える、前代未聞の発展を遂げていた。
税率をシステム上の限界である「ほぼゼロ」に設定し、すべての生産設備を最高レベルに修繕したという噂は、ドワーフの『モチモチきなこもち』の口コミを通じて、瞬く間にEHO全土の生産職プレイヤーの間に知れ渡った。
今やこの街は、『生産職の楽園』とまで呼ばれている。
俺自身も、ただふんぞり返っているわけではなかった。毎日、布の服姿で城下町へと降りていき、汗水を垂らして働くドワーフやエルフの職人たちの工房に出向いては、「調子はどうだ?」「素材は足りてるか?」と声をかけて回っているのだ。
スタミナ回復用の高級ポーションや、彼らの好む差し入れの料理をインベントリに詰め込み、気前よく配って歩く俺の姿は、生産職プレイヤーたちから圧倒的な支持を集めていた。
『おおっ、領主様! 今日も差し入れあざっす! あんたが用意してくれた最高の炉のおかげで、会心の一振りが打てたぜ!』
『領主様、新しい錬金釜の使い心地、最高ですわ! 効率が前の三倍です!』
NPCの住人たちだけでなく、プレイヤーたちからも『気さくで慈悲深い神領主』として慕われる日々。
ルナは「結局、アイズドさんもお人好しなんですね」と笑っていたが、俺からすればこれは全て、レベル90への上限解放アイテムを探り出すための『先行投資』に過ぎない。強固な情報網と生産ラインを確保するためには、彼らのモチベーションを最高潮に保つ必要があるからだ。
「……さて。茶番はこのくらいにして、真面目な話をするぞ」
俺はバルコニーから室内の豪奢なソファへと移動し、ルナにも向かいの席に座るよう促した。
「上限解放のキーアイテムについてだ」
その言葉を聞いた瞬間、ルナの表情がスッと真剣なものへと切り替わった。
「マーリンが提示した、三つのアイテムですね」
「ああ。一つ目の『星天の脈石』。こいつは、戦闘職のガチ勢や攻略班にとっては全くステータス補正のない『無価値なゴミ素材』だった。だからこそ、誰もその重要性に気づかず、マーケットにすら出回っていなかった」
俺は空中に、マーリンが残していったアイテムリストのホログラムを展開した。
・『星天の脈石』
・『忘却された世界樹の琥珀』
・『深淵を覗く者の涙』
「この『星天の脈石』の入手プロセスから、一つの推測が成り立つ。……残りの二つのキーアイテムも、俺たち戦闘職の常識から外れたところにあるんじゃないかってな」
「戦闘職の常識から外れたところ……?」
「そうだ。例えば、『忘却された世界樹の琥珀』。戦闘職からすれば、世界樹のダンジョンでレアモンスターを狩るのがセオリーだ。だが、もしこれが『木こり(採集職)』のプレイヤーが、ハズレの樹液として捨てているようなアイテムだったらどうだ?」
「あ……! 確かに、戦闘職の人たちは木を切ったりしませんから、絶対に見つからないですね!」
ルナがポンッと手を打ち、目を輝かせる。
「もう一つの『深淵を覗く者の涙』も同じだ。ボスからのドロップではなく、例えば『釣り師』が深海エリアで釣り上げた、食べられないゴミ魚の腹の中に入っているアイテムだとしたら?」
俺はソファの背もたれに寄りかかり、腕を組んだ。
「生産職や採集職にとっての『ゴミ』が、俺たちにとっての『神話級アイテム』だった。なら、他のアイテムも『別の誰かにとってのゴミ』として、すでにこの世界に存在している可能性が高い。……いや、クソAI『アルファ』の性格を考えれば、間違いなくそういう意地悪な隠し方をしているはずだ」
すべてを「戦闘」と「効率」で解決しようとするトッププレイヤーたちの盲点を、完璧に突いた仕様。
だからこそ、神話の時代から誰一人として、このレベル90への扉を開くことができなかったのだ。
「すごい……! アイズドさん、そこまで考えていたんですね!」
ルナが身を乗り出し、尊敬の眼差しで俺を見つめてくる。
「私なんて、『どこかの強いボスを倒せばいいのかな』くらいにしか思ってませんでした。やっぱり、アイズドさんの洞察力は本物です。さすが、私の軍師様です!」
「ふっ、まあな。ゲームの仕様とプレイヤーの心理を逆手に取るのが、俺の仕事だからな」
ルナの純度100パーセントの称賛を浴びて、俺はニヤリと不敵に笑い、内心で盛大にドヤ顔を決めた。
「だが、俺の推測が合っているとしても、具体的にどのエリアの、どの生産職・採集職にアプローチすればいいのか、俺たちだけじゃ情報が足りない。……専門家の意見を聞きに行くぞ」
「はいっ!」
俺とルナは領主の館を出て、夕闇が迫り、さらに活気を増していく城下町へと向かった。
目指すは、このグレイム領の生産職たちの顔役となっているドワーフの男――『モチモチきなこもち』の鍛冶工房だ。彼ならば、他の採集職のネットワークにも顔が利くはずだ。
***
立ち並ぶ工房がひしめく職人街の一角。
きなこもちの工房の前に到着すると、中から凄まじい熱気と、カンッ、カンッ! という重厚な金属音が響いてきていた。
煙突からは火の粉が舞い上がり、外に立っているだけでも汗が滲んでくるほどの熱気だ。
「きなこもちの旦那、いるか?」
俺が工房の入り口から声をかけると、顔を真っ黒な煤だらけにした見習いNPCの少年が慌てて飛び出して来た。
「あっ、領主様! それに奥様も!」
「だから奥様って呼ぶのはやめろって言ってるだろ……。旦那にちょっと聞きたいことがあるんだが、手が空いてるか?」
俺が尋ねると、見習いの少年は困ったように眉を下げ、奥の炉の方をチラチラと振り返った。
「すみません、領主様。今、親方は『会心の逸品』を打っている最中でして……」
「会心の逸品?」
「はい! 先日、領主様が修繕してくださった最高級の炉を使って、今までで一番の大仕事に挑んでいるんです。『この剣が打ち上がるまで、何があっても絶対に取り次ぐな! 集中を切らしたらぶっ飛ばすぞ!』って、キツく言われてまして……」
俺とルナは顔を見合わせた。
EHOにおける生産職のシステムは非常に奥が深い。特に、高品質なアイテムを作り出すための『クラフトモード』に入っている時、プレイヤーはミニゲーム的なタイミング押しや魔力調整を極限の集中力で行っている。
その最中に外部から話しかけられたり、邪魔をされたりして集中が途切れれば、素材がパーになるだけでなく、出来上がるアイテムの品質がガタ落ちしてしまうのだ。
戦闘職にとっての『ボス戦の最中』と同じくらい、生産職のクラフトモードは神聖にして侵されざる儀式である。
「……なるほどな。それは確かに、邪魔をするわけにはいかねぇ」
俺は小さく頷き、見習いの少年に言った。
「分かった。じゃあ、旦那の仕事が終わるまで待たせてもらうよ」
「よ、よろしいのですか!? 領主様をお待たせするなんて、親方に後で怒られちゃいます!」
「気にするな。良い物を作る職人の邪魔をするような三流領主じゃないつもりだ。すぐに応接室へ案内してくれ」
「は、はいっ! ありがとうございます! こちらへどうぞ!」
見習いの少年に案内され、俺とルナは工房の奥にある、こぢんまりとした応接室へと通された。
質素だが清潔な木のテーブルとソファ。少年が淹れてくれた温かいお茶から、ふわりと良い香りが漂ってくる。
「ふふっ。アイズドさん、領主様なのに、鍛冶屋さんの都合で待たされちゃうんですね」
ルナがお茶の入ったマグカップを両手で包み込みながら、面白そうにクスクスと笑った。
「生産の街じゃあ、良い物を作る職人が一番偉いのさ。俺の権力なんて、あいつらのハンマーの前じゃあ紙切れ同然だよ」
俺もマグカップを手に取り、肩をすくめてみせた。
「まあ、急ぐ旅でもない。旦那の『会心の逸品』とやらが打ち上がるのを、ゆっくり待たせてもらおうぜ」
工房の奥から響き続ける、カンッ、カンッというリズミカルで心地よい金属音。
それは、この街が確実に復興し、前へと進んでいる何よりの証拠だった。
未知のアイテム探しという途方もない難題を前にしても、俺たちの心には焦りはなく、むしろこれから始まる新たな謎解きへの期待で、静かに熱く満たされていたのだった。




