抜け道を探す者たち
規則を作ると、必ず抜け道を探すやつが出る。ゲームでも現実でも、それはあまり変わらない。仕様があれば穴を探し、市場があれば先回りし、ルールがあれば境界線の上で踊ろうとする。人間という生き物は、実に器用で、実に面倒くさい。
昨日、第三炉には札なしの灰鉄鉱が持ち込まれた。商人は「リーフェ村の若者から直接買った」と言ったが、素材札はなく、第三炉の簡易検査でも正式荷RH-01とは反応が違っていた。その場では正式なリーフェ村産として認めず、炉会議監査へ回した。普通なら、これで一件落着と考えたいところだが、普通はだいたい甘い。
札なし素材を持ち込んだ者がいる。つまり、リーフェ村産素材の価値に目をつけた者がいる。そして、素材札制度が始まったばかりの今なら、どこかに穴があると思われている。なら、次に狙われるのはどこか。村か、第三炉か、商人の倉庫か。答えは、その間だ。
リーフェ村から第三炉へ向かう荷。つまり、輸送中の正式荷。そこを狙えば、素材札つきの荷に偽物を混ぜられる。あるいは、正式な荷を一部抜き取り、別の石を入れる。もっと悪ければ、札そのものをすり替える。荷が第三炉へ着いた時、札と記録が合っていれば一見正しく見えるが、中身が違えば、リーフェ村素材の信用は壊れる。
最悪なのは、偽物が混じった状態で第三炉が受け取り、職人が失敗することだ。灰鉄鉱はやっぱり駄目だった。根麻布はやっぱり使えない。リーフェ村の記録は信用できない。そう言われたら、素材札制度は始まったばかりで折れる。だから狙われるなら今だ。そして俺は、そういう嫌な予測だけはよく当たる。
白騎士団時代からそうだった。味方がどこでミスをするか、敵がどこで仕掛けるか、スポンサーがどの数字に文句を言うか。だいたい当たる。嬉しくない才能である。
朝、俺たちはリーフェ村へ向かう途中の旧道にいた。正式荷RH-02。灰鉄鉱の第二便。採取場所は村北西浅脈、採取担当はダリオと村の若者二人、選別担当はリリィ、搬入先は第三炉試作用途枠、用途区分は外殻補助材候補。荷車には素材札がついており、その荷車を運ぶのは村の若者二人だった。
俺とルナは、少し距離を置いて同行している。俺は黒鉄の重装騎士姿。ルナは灰衣の旅剣士姿。ただし、正面から護衛として並ぶことはしていない。あからさまに護衛がついていれば、相手は仕掛けてこないかもしれない。仕掛けてこないなら、それはそれで安全だが、抜け道を探す連中の手口が分からないまま残る。
今日は、少しだけ釣る。かなり嫌な言い方だが、そういうことだ。
荷車の前後には村の若者。俺たちは道から外れた岩陰を歩く。黒鉄外装は目立つので、外套を上から羽織っている。完全には隠れないが、遠目にはただの重装護衛に見えるはずだ。ルナはさらに見えにくい。灰衣の外套は、こういう時本当に便利で、地味で軽く、気配が薄い。白銀を完全に消すわけではないが、普段は見せない。
「来ますか」
ルナが小さく聞いた。
「来るなら、この先だ」
俺は旧道の曲がり角を見た。右手は低い崖、左手は古い灌木、道幅は荷車一台分より少し広い程度。前方には、崩れた小さな石橋がある。通れないほどではない。だが、荷車なら速度を落とす。仕掛けるにはちょうどいい。
「どうして分かるんですか」
「荷を止める理由が作りやすい。石橋が崩れているから、修理中だ、点検中だ、危ないから一度降ろせ、と言いやすい。そこで荷札を見るふりをして、札を替えるか、荷を一部すり替える」
「戦闘ではなく、手品みたいですね」
「手品の方が厄介な時もある」
剣を抜く相手なら分かりやすい。だが、荷札をすり替える相手は分かりにくい。相手が善意のふりをするなら、なおさらだ。
きなこもちは今日は同行していない。第三炉で黒鉄外装の左腰と灰衣の裾の再調整を進めている。戦闘後に見せる必要はあるが、こういう待ち伏せに職人を連れてくるのは危ない。その代わり、彼女は簡易検査用の小さな器具を渡してくれた。灰鉄の反応を見るための携帯枠で、もし荷の中身がすり替えられたら、その場で簡易確認できる。
きなこもちいわく、「これで変な石を混ぜたら、音で分かるよ」とのことだ。便利だが、発言が怖い。素材の音を聞く女である。
荷車が石橋の手前に差しかかった。そこで、予想通り人影が出た。
四人。うち二人は作業服風、一人は荷運び、一人は軽装の護衛。明らかな盗賊ではない。むしろ、街道管理の作業員に見える。よくできている。だからこそ、怪しい。
ーーーーー
「止まってくれ!」
作業服の男が手を上げた。荷車を引いていた村の若者が、驚いて足を止める。
「この先の橋、昨日の雨で少し沈んでる。荷車は危ない。一度、荷を軽くして渡した方がいい」
自然な言い分だ。実際、石橋は少し崩れている。村の若者たちは顔を見合わせた。
「でも、第三炉への正式荷なんだ。勝手に降ろすのは……」
「だから手伝うって言ってるんだよ。落ちたら困るだろ?」
作業服の男は、気さくに笑った。敵意はない。少なくとも、表面上は。もう一人の男が、荷車の側面に下がる素材札を見る。
「リーフェ村の荷か。最近噂のやつだな」
その目が、札に長く留まった。やはり狙いは札か。
俺は岩陰で左腕を軽く握る。まだ出ない。ここで出れば、相手は言い逃れできる。橋を心配して声をかけただけ。親切に荷を降ろそうとしただけ。そう言われれば、こちらが過敏に見える。
だから、もう少し見る。
作業服の男が続けた。
「正式荷なら、なおさら落とせない。俺たち、グレイム領の運搬組合から来てる。荷札の確認もできるぞ」
村の若者が少し揺れた。運搬組合。それらしい言葉だ。だが、正式な第三炉搬入記録には、今日のこのルートに運搬組合の補助は入っていない。それは事前に確認済みだ。
「運搬組合から来ているなら、認可札を見せてください」
村の若者の一人が言った。昨日リリィから聞かされたのだろう。ちゃんと聞いている。偉い。
作業服の男は一瞬だけ笑顔を固めた。
「認可札? ああ、こっちに……」
彼は懐へ手を入れる。同時に、別の男が荷車の後方へ回った。荷運び役が荷に手をかけ、軽装の護衛は村の若者たちの視界を遮る位置へ立つ。
動いた。
俺は岩陰から出た。
「そこまでだ」
黒鉄外装の足音が、旧道に重く響いた。四人の男たちが振り返る。村の若者たちもこちらを見る。
「黒鉄さん!」
若者の声に、作業服の男の表情が変わった。やはり知っている。噂は届いているらしい。
「黒鉄の重装騎士か」
「運搬組合の認可札を出せ」
俺は言った。
男は笑みを作り直す。
「いや、これは誤解だ。俺たちは橋が危ないから――」
「認可札を出せ」
二度目。男の目が細くなる。軽装の護衛が、さりげなく腰の短剣へ手を伸ばした。
その瞬間、灰色の影が動いた。ルナだ。灰衣の外套が低く流れ、短剣に触れかけた男の手首へ剣の鞘が当たる。抜いていない。斬ってもいない。ただ、手首の動きを止めた。男の短剣が鞘の中で止まる。
「抜かない方がいいです」
ルナの声は静かだった。白銀は出ていない。だが、男は動けなくなった。良い。目立たない制圧。灰衣の調整が生きている。
作業服の男が、ゆっくり両手を上げた。
「落ち着け。俺たちは本当に――」
その横で、荷運び役が動いた。荷車の後方。彼の手には、素材札に似た木片がある。偽札だ。
俺は左腕へ意識を落とす。
《盾装》。
黒鉄外装の下で機装が展開する。盾が腕に生まれる。外から見れば、重装騎士が盾を構えたようにしか見えない。そのまま一歩踏み込み、荷運び役と荷車の間へ盾を入れる。偽札を持つ手が、盾に弾かれた。
木片が地面へ落ちる。そこには、RH-02に似た番号が刻まれていた。RH-02。だが、灰色の線がわずかに違う。第三炉の控え札と一致しない。
「親切な作業員は、偽札まで持ち歩くのか」
俺が言うと、作業服の男は沈黙した。村の若者たちが青ざめる。
「すり替えるつもりだったんですか」
「違う」
男は即答した。
「予備札だ。正式荷が落ちた時に――」
「正式荷の予備札は、第三炉と村の控え以外に存在しない。お前たちが持っている時点で偽造だ」
軽装の護衛が、今度こそ短剣を抜いた。ルナの鞘を弾き、後ろへ跳ぶ。
戦闘開始。
面倒だ。剣を抜く前に終わってほしかったが、そううまくはいかないらしい。
ーーーーー
相手は四人。作業服二人、荷運び一人、軽装護衛一人。正面戦闘力は高くない。だが、全員が逃げる方向を見ている。目的は勝つことではなく、逃げること。あるいは、偽札や混入用の石を持ち去ることだ。
なら、殺す必要はない。逃がさないことが大事だ。
「灰衣、右」
「はい」
ルナが右へ走る。軽装護衛が彼女を止めようとするが、灰衣の外套が揺れ、剣筋が見えない。白銀はまだ出ない。ルナは抜刀せず、鞘で相手の肘を打つ。短剣がずれる。次に膝。護衛の姿勢が崩れる。
それでも男は踏ん張り、懐から小さな煙玉を取り出した。小細工が多い。
ルナはそこで初めて白銀を少しだけ通した。外套の内側から、細い光が走る。斬撃ではない。煙玉を持つ手元だけを照らし、相手の視線を奪う。その一瞬で、鞘が手首を打った。煙玉が落ち、ルナが足でそれを踏む。破裂しない。
見事だ。
一方、荷運び役は荷車の後ろから逃げようとしていた。手には袋。おそらく混入用の偽灰鉄か、すり替えた本物の一部。俺は盾装のまま進路を塞ぐ。
相手は小柄で、こちらの横を抜けようとする。ここで剣装へ変えると、左腕の変形が見える。人目は少ないが、村の若者がいる。正体を隠すため、剣装は短く。いや、ここは使わない。
盾装のまま、盾の縁を地面に落とす。相手の足元へ斜めに差し込む。荷運び役の足が引っかかり、前へ倒れ込んだ。袋が投げ出される。俺は盾で袋を押さえた。中身が鳴る。軽い。リーフェ村の灰鉄鉱とは音が違う。混入用だろう。
作業服の一人が、橋の方へ走る。こいつが本命か。懐から何かを取り出した。小さな刃。違う。札切り用の薄刃だ。荷車の正式札の紐を切るための道具。
俺は射装を使うか迷った。距離はある。盾装では届かない。剣装でも遅い。射装なら止められる。だが、射装は露見リスクが高い。村の若者たちが見ている。ただし、ここで逃がせば正式札が狙われる。優先順位は明確だ。
左腕を橋の方へ向ける。
《射装》。
変形。黒鉄外装の腕部覆いが開き、細身の射出機構が組み上がる。一発だけ。狙うのは男の身体ではない。足元の石だ。撃つ。弾が石を砕き、破片が男の前へ飛ぶ。男は反射的に足を止める。
その瞬間、ルナが横から入った。灰衣が低く流れる。白銀は細く。剣の峰が男の肩を打ち、男は地面に転がった。
俺は即座に射装を解除し、盾装へ戻す。長く見せない。腕から何か撃った。それ以上の情報を残さない。村の若者の一人が目を丸くしていたが、今は仕方ない。
作業服のリーダー格は、まだ動かない。いや、動けない。俺とルナで左右を塞いでいる。荷車の前には村の若者、後ろには倒れた荷運び役。逃げ道はない。
「降参するか」
俺は言った。
男は苦い顔をした。
「俺たちは雇われただけだ」
「だろうな」
「荷を全部奪うつもりはなかった。少し混ぜるだけだ」
「それが一番悪い」
俺は盾を下ろさずに言った。
「全部奪えば盗難だ。分かりやすい。だが少し混ぜれば、素材の信用が壊れる」
男は黙った。
「誰に雇われた」
「言えるわけがない」
「なら、記録ごと炉会議監査へ出す」
「待て」
「待たない」
俺は村の若者へ視線を向ける。
「荷車の正式札を確認しろ。紐、刻印、控え番号。全部だ」
「は、はい!」
若者たちは慌てて荷札を確認する。紐は無事。刻印も無事。番号はRH-02。第三炉控えと一致。荷はまだ開かれていない。
間に合った。
ルナが、倒れた護衛と作業員たちを一か所に集める。剣は抜いているが、刃を向けすぎない。白銀の光も抑えている。灰衣の旅剣士としての制圧。派手さはないが、十分すぎる。
ーーーーー
荷運び役の袋を開くと、中には灰色の鉱石片が入っていた。見た目は灰鉄鉱に似ている。だが、音が違う。携帯枠で簡易確認すると、反応はRH-02と一致しなかった。昨日の札なし灰鉄鉱と近い。つまり、同系統だ。同じ流通元かもしれない。
俺は記録板を開く。
《輸送中すり替え未遂》
《対象荷:RH-02》
《正式札:無事》
《偽札:一枚押収》
《混入用灰鉄系鉱石:袋一つ押収》
《札切り用薄刃:一つ押収》
《関係者:四名拘束》
《手口:橋の危険を理由に荷を降ろさせ、正式札または中身をすり替える予定》
記録する。とにかく記録する。これが後で盾になる。
村の若者たちは、まだ顔色が悪い。
「俺たち、止まってました」
一人が言った。
「橋が危ないって言われて、荷を降ろそうとしてました」
「止まるのは悪くない。危険を確認するのは必要だ。問題は、その場で相手に札や荷を触らせることだ」
「これからは?」
「認可札を確認する。事前に聞いていない運搬補助は受けない。荷を降ろすなら、村側と第三炉側の記録係へ確認を取る。相手が急がせても、急がない」
「急がない」
「ああ。急がせる相手は、だいたい怪しい」
これは本当にそうだ。今すぐ決めろ。今だけ安い。今逃すと損だ。今ここで荷を降ろさないと危ない。急かす言葉は、考える時間を奪う。戦闘でも、商売でも、詐欺でも、だいたい同じだ。
若者は真剣な顔で頷いた。
「村で共有します」
「そうしろ」
ルナが拘束した四人を見ながら言った。
「この人たちは、どうしますか」
「グレイム領の監査役へ引き渡す。炉会議にも記録を送る」
「雇い主を言わなかったら?」
「荷と偽札の出所を追う」
雇い主をすぐに吐くとは思えない。だが、物証がある。偽札、混入用鉱石、札切り用薄刃、昨日の札なし灰鉄鉱との反応類似。線はある。線があれば、追える。剣で斬るより面倒だが、たぶんそちらが本筋だ。
拘束されたリーダー格が、吐き捨てるように言った。
「たかが石に、ずいぶん必死だな」
俺はその男を見た。
「たかが石じゃない」
「灰色の安い鉱石だろ」
「その安い石を、安く見せておきたい連中がいる。高く見せて奪いたい連中もいる。どちらも面倒だ」
「何を言ってる」
「分からないなら、それでいい」
男は顔を歪めた。俺は続ける。
「この石には、村の名前と、採った人間と、選んだ人間と、運んでいる人間の記録がついている。たかが石で済ませるには、少し重い」
男は黙った。村の若者たちも黙っていた。ルナが、少しだけこちらを見た気がした。
やめろ。自分で言っておいて何だが、こういう台詞は後から恥ずかしくなる。
俺は記録板へ視線を戻した。
「荷を進める。第三炉まで、予定通り搬入するぞ」
「はい!」
若者たちの返事は、さっきより少し強かった。
ーーーーー
第三炉へ着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
RH-02の荷は無事に搬入され、素材札、荷番号、重量、採取記録、選別記録、すべて確認された。第三炉の受領印が押されると、かちり、と小さな音が鳴る。その音に、村の若者たちは目に見えて安心した。
グラン親方は、押収した偽札と混入用鉱石を確認した後、顔を険しくした。
「昨日の札なし持ち込みと、かなり近いですな」
「やはりか」
「はい。別産地の灰鉄系鉱石でしょう。リーフェ村の北西浅脈とは反応が違う。しかし、見た目は似せやすい」
きなこもちも携帯枠で確認しながら唸った。
「これ、混ぜられてたら面倒だったね。少量ならぱっと見で分からない。使ってから『あれ、反応弱い?』ってなる」
「その時には、リーフェ村素材の信用が傷つく」
「うん。かなり悪質」
珍しく、きなこもちの声に怒りが混じっていた。職人として、素材を混ぜる手口が許せないのだろう。
リリィも村から急ぎ第三炉へ来ていた。彼女は押収された偽札を見て、顔を白くした。
「これ、うちの札に似せてあります」
「ああ」
「でも、線が違います。灰色の線、少し太いです」
「よく気づいたな」
「作った時、何度も見ましたから」
リリィは偽札を見つめたまま、手を握った。
「村の名前を、勝手に使おうとしたんですね」
「そうだ」
「……悔しいです」
その言葉は静かだった。だが、強かった。怒鳴るより、ずっと重い。
リリィは顔を上げる。
「でも、止められたんですよね」
「ああ」
「記録があったから」
「そうだ」
「素材札があったから」
「ああ」
彼女は深く息を吐いた。
「なら、もっとちゃんと続けます。村のみんなにも、今日のことを話します」
「脅しすぎるなよ」
「はい。でも、ちゃんと怖がってもらいます」
ちゃんと怖がる。良い言葉だ。怖がることは悪くない。怖がらずに雑に扱う方が危ない。
グラン親方は、監査役への報告書をまとめ始めた。押収品の種類、偽札の刻印差異、混入用鉱石の反応記録、札なし持ち込み事案との類似性。ひとつずつ記録に落としていく手つきは、炉材を扱う時と同じくらい慎重だった。
《RH-02輸送中すり替え未遂》
《昨日の札なし灰鉄鉱持ち込み事案との関連調査》
《偽札の刻印差異》
《混入用鉱石の反応記録》
《運搬補助偽装》
《石橋地点での停止誘導》
これだけあれば、炉会議監査は動く。雇い主まではすぐに分からないかもしれない。だが、線は引けた。点ではなく、線になった。記録とは、そういうものだ。
ーーーーー
夕方、第三炉の作業場で、俺は黒鉄外装の左腕を確認していた。今日の戦闘で、盾装は問題なし。剣装はほぼ使わなかった。射装は一度だけ使った。足元を撃って、相手を止めるため。
村の若者に見られた可能性はある。だが、長くは見せていない。重装騎士の腕部投射具として、ぎりぎり通せる範囲だろう。たぶん。たぶんが多い。
ルナは灰衣の外套を脱ぎ、きなこもちに裾を見てもらっていた。
「今日の制圧、かなり良かったよ」
きなこもちが言った。
「抜かずに止めて、必要な時だけ白銀を通してた。外套もちゃんとついてきてた」
「よかったです」
「ただ、右へ踏み込んだ時に一か所だけ布が張った。そこ直すね」
「お願いします」
ルナは素直に頷く。
彼女の灰衣は、今日かなり機能した。白銀を見せすぎず、相手を制圧した。斬り殺すのではなく、止めた。これは大きい。根圏外縁部で淀みに触れることを考えると、敵を倒すだけではなく、制御する戦いが必要になるかもしれない。
いや、まだ考えすぎか。だが、セレンの言葉が頭に残っている。淀みは、脆きものを辿る。物理で殴れば終わる相手ばかりではない。
今日の相手は人間だった。その意味でも、良い練習だったのかもしれない。
視界の端に、暫定管理記録が更新される。
《RH-02輸送中すり替え未遂を阻止》
《正式荷搬入:完了》
《偽札:押収》
《混入用灰鉄系鉱石:押収》
《炉会議監査へ回付》
《リーフェ村素材札制度:実運用防衛成功》
《黒鉄外装:盾装運用良好》
《灰衣旅装:非致死制圧運用良好》
非致死制圧運用。なんか急にそれっぽい言葉が出た。ゲームの記録は時々、妙に冷静にこちらの行動を分類してくる。怖い。
さらに一行。
《未処理項目:偽札作成元の追跡》
やっぱり増える。
終わらない。偽札を止めたら、次は作成元。混入を止めたら、次は流通元。荷を守ったら、次はルート全体。このゲーム、未処理項目に繁殖能力がある。
「顔が嫌そうです」
ルナが言った。
「未処理が増えた」
「やっぱり」
「偽札作成元の追跡だそうだ」
「大事ですね」
「大事だな」
「でも、全部アイズドさんがやるんですか?」
その問いに、俺は少し黙った。
全部やる。そう言いかけて、止める。
それは違う。
グレイム領に長居しすぎている。黒鉄と灰衣の噂も広がっている。俺たちは、すべてを抱えてはいけない。やるべきなのは、追跡の仕組みを炉会議監査へ渡すことだ。俺が全部追うのではない。記録で追えるようにして、引き継ぐ。
「全部はやらない」
俺は言った。
ルナが少し驚いた顔をする。
「そうなんですか?」
「意外そうにするな」
「いえ、少し」
「偽札作成元の追跡は炉会議監査の仕事だ。俺たちは情報を整理して渡す。必要なら協力するが、抱え込まない」
「アイズドさんが、自分から抱え込まないって言いました」
「珍獣を見るな」
「成長ですね」
「やめろ」
きなこもちが横から笑う。
「黒鉄さん、偉い」
「お前まで言うな」
「でも大事だよ。全部黒鉄さんが抱えたら、黒鉄さんが炉に入る」
「嫌な表現をするな」
「燃え尽きるって意味」
「分かっている」
分かっているから嫌なのだ。
白騎士団の頃、俺はたぶん抱えすぎていた。ヘイト管理、火力配分、回復指示、若手の癖、配信映え、スポンサー、マニュアル、相場。全部自分で見ていた。見えるから。見えたから。そして、見えない仕事として切られた。
同じことを繰り返すわけにはいかない。
グレイム領には、第三炉がいる。グラン親方がいる。ロアン村長がいる。リリィがいる。炉会議監査がある。任せるべきところは、任せる。それも、たぶん次へ進む準備だ。
ーーーーー
夜、リリィが帰る前に、俺たちは第三炉の小さな記録室で最終確認をした。
そこにいたのは、リリィ、村の若者二人、グラン親方、俺、ルナ。机には、正式札と偽札が並んでいる。
違いは小さい。灰色の線の太さ、刻印の深さ、裏の第三炉控え印の有無、紐の結び方。知らなければ見落とす。だが、知っていれば分かる。
「村で、これを見せます」
リリィが言った。
「本物と偽物を並べて。違いを覚えてもらいます」
「覚えるだけではなく、迷ったら止めることも教えろ」
「はい」
「分からない時は、進めない。第三炉へ確認する。相手が急かしても止まる」
「急がない、ですね」
「ああ」
村の若者が、真剣な顔で頷いた。
「今日、分かりました。急かされると、本当に考えられなくなります」
「それが狙いだ」
「次は止まります」
「次がない方がいいが、あると思っておけ」
「はい」
リリィは正式札をそっと手に取った。
「この札、本当に盾なんですね」
「今日はそうだったな」
「剣みたいに敵を倒すわけじゃない。でも、止められる」
「それで十分だ」
彼女は頷いた。
「村の人たちにも、そう伝えます」
俺は記録板を閉じた。これで今日の仕事は終わり、と言いたい。だが、終わらない。未処理項目は残っている。それでも、今日の荷は守れた。それは確かだ。
リリィたちを送り出した後、ルナが静かに言った。
「今日は、剣を抜く前に終わるのが一番いいって言っていましたね」
「ああ」
「でも、少し抜きました」
「そうだな」
「少し撃ちました」
「言うな」
「でも、荷は守れました」
「それもそうだ」
完全に剣を抜かずに終わるのが理想だった。だが、現実はそう綺麗ではない。相手は短剣を抜いた。偽札を出した。煙玉まで持っていた。なら、止めるために力を使うしかない。
大事なのは、必要な分だけ使うことだ。俺は射装を一発だけ使った。ルナは白銀を細く通した。黒鉄と灰衣の偽装は、まだ保たれている。たぶん。
「アイズドさん」
「何だ」
「私、今日の戦い方は嫌いじゃありませんでした」
「非致死制圧か」
「はい。止めるための剣でした」
「向いているかもな」
「そうでしょうか」
「白銀を全部出さなくても、相手を止められる。灰衣との相性もいい」
ルナは少し考え、頷いた。
「練習します」
「無理はするな」
「しません。たぶん」
「俺の言い方が移っている」
「たぶん」
ルナは少し笑った。俺も、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
今日、素材札は二度目の仕事をした。今度は、輸送中のすり替えを止めた。記録は村の盾になる。その言葉は、少しずつ現実になっている。
だが、盾を狙う者はまだいる。偽札の作成元。混入用鉱石の流通元。札なし素材を持ち込んだ商人との繋がり。問題は残る。それでも、俺たちは一歩進んだ。リーフェ村は、自分たちの素材を守る方法を知り始めた。第三炉は、記録と検査でそれを支え始めた。黒鉄と灰衣は、正体を隠しながら守る戦い方を少し覚えた。
最高のクソゲーは、相変わらず面倒な抜け道を用意してくる。だが、抜け道を探す者がいるなら、こちらはそこに記録を置けばいい。
剣で塞げない穴は、札で塞ぐ。札で塞げない穴は、誰かが見ていることを残す。
地味だ。
だが、今日はその地味さが勝った。
「剣を抜く前に終わるのが一番いいんだがな」
俺が呟くと、ルナが隣で答える。
「でも、抜いた後に止められるのも大事です」
「そうだな」
火が揺れる。黒鉄外装の左腕が、低く鳴った。灰衣の外套が、夜風に少しだけ揺れた。グレイム領を離れる日は近づいている。だが、その前に守れた荷が一つある。
今日のところは、それで十分だった。




