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失業した軍師、産廃ジョブで世界の余白を攻略する 〜古代変形機装は、使い手の頭がおかしいほど強くなる〜  作者: 三元豚


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記録は村の盾になる


 未処理項目という言葉は嫌いだ。


 響きがもう嫌だ。未処理。まだ終わっていない。処理されていない。お前がやれ。そういう圧が二文字目あたりから滲み出ている。できれば人生から削除したい単語である。


 だが、削除したい単語ほど増える。


 《未処理項目:リーフェ村品質記録整備支援》


 昨日、暫定管理記録にそう表示された時点で、俺の今日の予定は死んだ。安らかに眠ってほしい。俺も眠りたい。


 リーフェ村産の灰鉄鉱と根麻布は、ただの低評価素材ではなかった。


 灰鉄鉱は、振動や魔力の揺れを抱え込まず、横へ逃がす補助材として使える可能性がある。


 根麻布は、流れを通さず、表面で避ける覆布として使える可能性がある。


 特注防具での実地確認。


 低温共鳴確認。


 炉会議での暫定保護流通規則。


 素材札、採取記録、乾燥記録、搬入記録の必須化。


 ここまでは進んだ。


 問題は、村側がそれを運用できるかだ。


 紙の上で決まった仕組みは、現場で動かなければ意味がない。どれだけ立派な規則を作っても、村人が何を書けばいいのか分からず、商人に丸め込まれ、記録が面倒だからと飛ばされれば終わりである。


 戦闘で言えば、完璧な作戦表を作っておきながら、前衛が開幕で逆方向へ走るようなものだ。


 いや、実際にあった。


 思い出したくない。


 俺たちは朝からリーフェ村へ向かった。


 俺は黒鉄の重装騎士姿。


 ルナは顔まで隠せる灰色の外套。


 きなこもちは、なぜか妙に機嫌がいい。


「村に行くの、ちょっと楽しみ」


「遊びに行くんじゃない」


「分かってるよ。品質記録でしょ」


「なら、その手に持っている焼き菓子は何だ」


「差し入れ」


「いつ買った」


「さっき」


「仕事が早いな」


「職人は段取りが命だから」


「差し入れの段取りだけは完璧だな」


 グラン親方は同行していない。


 第三炉側で炉会議向けの追加資料を整理する必要があるからだ。代わりに、第三炉の若い記録係が一人ついてきている。名前はエド。細身で眼鏡をかけた青年で、記録板を胸に抱えている。


 見るからに事務方だ。


 こういう人材は大事である。剣を振る人間より、記録を残す人間の方が村を長く守ることもある。本人に言ったら困った顔をしそうなので言わないが。


 リーフェ村へ近づくと、空気が変わった。


 グレイム領の工房区とは違う。炉の煙ではなく、土と草と乾いた根麻の匂い。村の外れには灰鉄鉱を運ぶための小さな荷台が並び、家々の軒先には根麻布が広げられている。


 少し前まで、この村の素材は買い叩かれていた。


 使い道がない。


 質が低い。


 主材にならない。


 そういう評価を貼られていた。


 だが、今は違う。


 違う、と言い切るにはまだ早い。けれど、少なくとも、違うかもしれないところまでは来た。


 その「かもしれない」を守るために、今日は記録を作りに来ている。


 地味だ。


 本当に地味だ。


 だが、地味なものほど、後で効く。


ーーーーー


 村の集会所には、リリィとロアン村長、それから採掘を担当する男たち、根麻布を扱う女たち、荷運びの若者たちが集まっていた。


 人数は多くない。


 だが、全員の顔に緊張があった。


 無理もない。


 昨日まで低く見られていた素材に、急に新しい価値があると言われたのだ。喜ぶより先に、不安になる方が自然だ。


 リリィが俺たちを見つけると、すぐに立ち上がった。


「アイズドさん、ルナさん、きなこもちさん。来てくださってありがとうございます」


「今日は説明と手順確認だ」


 俺は集会所の中央へ進む。


「難しい話にするつもりはない。村で続けられる形にする」


 そう言うと、何人かが少しだけ安心した顔をした。


 大事なのはそこだ。


 理想的な記録制度を作っても、村で回らなければ意味がない。採掘のたびに長文の報告書を書けと言われたら、三日で破綻する。根麻を乾燥させるたびに専門用語を書かせても、たぶん誰も続かない。


 必要なのは、簡単で、続けられて、商人に見せた時に断る理由になる記録だ。


 俺は記録板を開いた。


 《リーフェ村素材記録 簡易運用案》


 《一:採取場所》


 《二:採取日》


 《三:採取担当》


 《四:乾燥または選別担当》


 《五:荷番号》


 《六:搬入先》


 《七:用途区分》


 集会所がざわめく。


「これだけでいいのか?」


 採掘担当の男が聞いた。


「最初はこれだけでいい」


 俺は答えた。


「細かい品質数値は第三炉側で測る。村では、どこで、いつ、誰が、どの荷に入れたかを残す」


「それで偽物が防げるのか?」


「全部は防げない。だが、偽物を混ぜにくくなる」


 灰鉄鉱を例に説明する。


 採取場所ごとに荷番号をつける。


 荷番号には採取日と採取担当を紐づける。


 第三炉へ搬入された時点で、その番号と重量を記録する。


 後で市場に出る場合も、その素材札がつく。


 もし偽物が出れば、どの荷番号を名乗っているのかを見る。存在しない番号なら偽物。存在する番号なら、その荷の流通経路を辿る。


 完璧ではない。


 だが、何もないよりは遥かにましだ。


「根麻布はどうするんですか?」


 布を扱う年配の女性が聞いた。


「根麻布は、乾燥記録をつける」


 俺は次の記録板を出す。


 《根麻布 乾燥記録》


 《一:刈り取り日》


 《二:乾燥開始日》


 《三:乾燥担当》


 《四:湿り戻りの有無》


 《五:織り担当》


 《六:布番号》


「根麻布は、乾燥の仕方で品質が変わる。特に、耐湿覆布や可動部保護に使うなら、湿り戻りがあるかどうかは重要だ。だから、難しい数値はいらない。湿ったか、戻ったか、誰が見たか。それを残す」


 年配の女性は少し考えた後、頷いた。


「それなら、できるかもしれないね」


「できる形にしないと意味がない」


「細かすぎると、誰も書かなくなるからねえ」


「その通りだ」


 分かっている人だ。


 こういう現場感覚は強い。


 ルナが隣で小さく言った。


「アイズドさん、説明が分かりやすいです」


「珍しいみたいに言うな」


「珍しいというか、いつもより優しいです」


「村向けだからな」


「私にも今度そうしてください」


「善処する」


「信用できない返事です」


 どこかで聞いた返しだ。


 きなこもちが楽しそうに笑っている。


ーーーーー


 次に、素材札の実物を見せた。


 第三炉の記録係エドが、木片と薄い金属板を組み合わせた札を机に並べる。


 灰鉄鉱用は灰色の線。


 根麻布用は淡い緑の線。


 それぞれに荷番号を刻める小さな枠があり、裏側には第三炉の確認印を押す場所がある。


 高価なものではない。


 むしろ、安く作れるようにしてある。


 高価な札にすると、それ自体が盗まれる。こういう地味な悪知恵は、元プロゲーマーというより、素材相場を見すぎた人間の経験である。嫌な経験値だ。


「この札がないものは、リーフェ村産として正式には扱わない」


 俺は言った。


「第三炉、炉会議、正式な買い付け組合は、この札と記録を確認する。札なしで高く買うと言う商人が来ても、村としては断っていい」


 若い荷運びが手を上げる。


「でも、札なしで高く買うって言われたら、売った方が得なんじゃ?」


 正直でいい。


 こういう疑問は、先に出しておくべきだ。


「短期的には得だ」


 俺は答えた。


「だが、札なしで出た素材が偽物と混ざれば、リーフェ村産全体の信用が落ちる。信用が落ちれば、次から正式価格で買われなくなる」


「一回の得で、後が下がるってことか」


「そうだ」


「でも、うち、余裕ない家もあるから……」


 集会所が少し静かになる。


 良い問いだった。


 規則は、余裕のある人間ほど守りやすい。


 今日食う金に困っている人間に、長期的信用のために目の前の高値を断れと言うのは簡単ではない。


 俺はロアン村長を見る。


「最低保護価格の支払いを、早められるか」


 ロアン村長は少し考えた。


「第三炉への搬入分については、前払いに近い形にできますか?」


 エドが記録板を確認する。


「試作用途枠の一部なら、第三炉預かり金から仮払い可能です。ただし、荷番号と搬入予定が必要です」


「それでいい」


 俺は若い荷運びに向き直る。


「札つきの正式荷については、搬入前に一部仮払いを出す。これで、急な現金が必要な時に、札なしで売る必要を減らす」


 若者は目を丸くした。


「そんなこと、できるのか?」


「できるようにする」


「でも、仮払いを受けて、素材を出せなかったら?」


「その時は村内で調整する。採取不能や天候不良は記録する。嘘をつけば信用を失う。だが、正当な理由なら罰にはしない」


 リリィが小さく息を吐いた。


「それなら、みんなも安心できると思います」


 ロアン村長も頷く。


「前払いの仕組みは必要です。急な出費で素材を安く手放す者が出れば、規則だけでは止められません」


 そこだ。


 人を規則で縛るだけでは守れない。


 抜け道を塞ぐだけではなく、抜け道へ行かなくても済む理由を作る必要がある。


 戦闘と同じだ。


 味方がミスをする場所に、ただ「ミスするな」と言っても意味がない。ミスしても死なない形にする。ミスしにくい導線を作る。正しい動きが自然に選べる状況にする。


 村の素材流通も、たぶん同じだった。


ーーーーー


 昼過ぎから、実際に記録の練習をした。


 灰鉄鉱の小片を荷に見立て、採取場所、採取日、採取担当、荷番号を書き込む。


 根麻布は、乾燥日と湿り戻りの有無を記録する。


 最初はぎこちなかった。


 採掘担当の男たちは字を書くのに慣れていない者も多い。根麻布を扱う女性たちは品質の違いを感覚で分かっているが、それを言葉にするのに戸惑っていた。


 きなこもちは、そこで妙に役に立った。


「湿り戻りって書くと難しいけど、触った時に重いか軽いかでいいよ。あと、折った時に戻る感じ。ほら、この布は戻るのが遅い。こっちは早い。これ、別に数値じゃなくて、早い、普通、遅いでいい」


 年配の女性たちが頷く。


「それなら分かるね」


「この布は遅い」


「こっちは早いけど、端が少し硬い」


「そうそう。それを書いておくと、職人が使う時に助かる」


 きなこもちが楽しそうに説明している。


 危険物ではあるが、職人としては本当に優秀だ。


 素材の感覚を、現場の言葉へ翻訳できる。


 これは俺にはできない。


 俺は記録の形は作れるが、布を触った時の戻り方や、灰鉄鉱の鈍い音の違いを村人へ自然に説明することはできない。


 グラン親方がいない分、きなこもちの職人感覚が村側との橋になっていた。


 灰鉄鉱の方では、ルナが意外な役割を果たした。


 採掘担当の一人が、灰鉄鉱の小片を二つ見せる。


「これは、どっちも同じ場所で採ったんだが、重さが違う気がする」


 ルナはそれを受け取らず、机に置かれたままじっと見た。


「こっちは、少し音が鈍いです」


「音?」


「指で軽く叩いた時の響きです。たぶん、こっちの方が中に細かい割れがあると思います」


 採掘担当の男が試しに叩く。


 かつん。


 こつん。


 確かに違う。


 きなこもちが目を細めた。


「灰鉄鉱は、割れ方で使い道変わりそうだね。外殻用なら細かい割れが少ない方がいい。緩衝具なら、逆に少し逃げのある方が使えるかも」


「難しいな」


 男が唸る。


「最初は、音が高い、普通、低い、でいい」


 俺は言った。


「細かい判断は第三炉でする。村では、違いがあったことを残せばいい」


「それなら書ける」


「そうだ。それでいい」


 完璧な記録はいらない。


 続く記録が必要だ。


 高い、普通、低い。


 早い、普通、遅い。


 湿った、湿っていない。


 端が硬い。


 音が鈍い。


 その程度でいい。


 その程度が積み重なれば、第三炉側で品質基準にできる。


 現場の言葉を、職人の言葉へ。


 職人の言葉を、市場の価格へ。


 その変換が、村を守る。


 地味だ。


 本当に、地味だ。


 だが、こういう地味な工程を飛ばすと、価値はただの噂になる。


 噂は高く売れることもある。


 だが、長くは続かない。


ーーーーー


 夕方前、最初の正式な素材札が作られた。


 灰鉄鉱の小荷。


 荷番号は、RH-01。


 採取場所、村北西の浅脈。


 採取担当、ダリオ。


 採取日、今日。


 選別担当、リリィ。


 搬入予定、第三炉試作用途枠。


 用途区分、外殻補助材候補。


 札に刻まれた文字は不格好だった。


 線も少し曲がっている。


 だが、それを見たリリィは、なぜか泣きそうな顔をした。


「これが、うちの素材の名前になるんですね」


「名前というより、証明だ」


 俺は言った。


「この荷は、どこから来て、誰が見て、何に使う予定なのか。それを示す札だ」


「今までは、ただの灰鉄鉱でした」


「これからも灰鉄鉱だ」


「でも、違います」


 リリィは首を振った。


「今までは、まとめて安く買われるだけでした。どこで採ったものかも、誰が選んだものかも、誰も気にしませんでした。でも、これは違います」


 彼女は素材札をそっと撫でる。


「ちゃんと見てもらえる気がします」


 その言葉は、思ったより重かった。


 素材の価値とは、価格だけではない。


 ちゃんと見てもらえること。


 雑にまとめられず、どこから来たものかを残してもらえること。


 それも価値なのだろう。


 きなこもちが、少しだけ真面目な顔で言った。


「いい素材札だね」


「はい」


「これなら、職人も怖がれる」


 リリィが首を傾げる。


「怖がれる?」


「誰が採って、誰が選んで、どこから来たか分かる素材って、雑に扱えないんだよ。失敗した時、素材のせいにしづらいから」


 それは、理外創成の時にも出てきた話だった。


 素材提供者の同意。


 火を預かる者。


 形を受け取る者。


 素材の後ろに人が見えると、職人は怖がれる。


 怖がれる職人は、信用できる。


 リリィは、ゆっくり頷いた。


「じゃあ、怖がってください」


「うん。怖がる」


 きなこもちは、珍しく茶化さずに答えた。


 良い場面だった。


 俺は何も言わなかった。


 こういう時は、黙っている方がいい。


 下手に口を挟むと、だいたい面倒くさい理屈になる。自覚はある。


ーーーーー


 正式運用一号の素材札ができたところで、問題が起きた。


 村の入り口に、商人が来た。


 三人。


 身なりは整っている。荷車もある。護衛も二人連れている。


 露骨な悪党ではない。


 むしろ、丁寧な商人に見える。


 だが、こういう時の丁寧さほど信用ならないものはない。魔物は吠える。商人は笑う。どちらも攻撃の前動作だ。


 ロアン村長が対応に出ようとしたため、俺たちも集会所の外へ出た。


 商人の代表らしき男が、柔らかく頭を下げる。


「ロアン村長。急な訪問をお許しください。リーフェ村産の灰鉄鉱と根麻布について、ぜひ正式な取引をお願いしたく参りました」


「現在、大口取引は炉会議監査を通すことになっています」


 ロアン村長は落ち着いて答えた。


「もちろん存じております。ですが、我々は村を支援したいのです。新しい手続きには時間がかかるでしょう。そこで、今年分の根麻布を先に押さえ、代金の一部を前払いする用意があります」


 言葉だけ聞けば親切だ。


 今年分。


 先に押さえる。


 前払い。


 危険な単語が三つ並んでいる。


 村の若者たちが少しざわめいた。


 前払い。


 この言葉は強い。


 俺は一歩前に出た。


「その話は受けられない」


 商人がこちらを見る。


「あなたは?」


「黒鉄の重装騎士。炉会議の暫定流通保全規則に関わっている」


「ああ、噂の」


 商人は笑みを深めた。


「ですが、これは村と我々の自由な取引では?」


「自由な取引に見える囲い込みだ」


 少し空気が冷えた。


 商人の笑みは崩れない。


「手厳しい。ですが、村に即金が入ることは事実です」


「その代わり、今年分の根麻布が村の手から消える」


「適正な対価を払います」


「適正かどうかを決める品質記録が、今日始まったばかりだ」


 俺は素材札を見せた。


「今後、リーフェ村産として正式に扱う素材には、採取記録、乾燥記録、素材札が必要になる。札なしで今年分を押さえるなら、それは正式素材として扱えない」


「では、札をつければよい」


「札は売買のための飾りじゃない。品質と流通を追うための記録だ。まだ存在しない荷に札はつかない」


 商人の目が、わずかに細くなった。


 俺は続ける。


「大口買い付けは炉会議監査を通せ。村への直接交渉は一時制限中だ」


「その制限が、いつまで続くのか」


「品質基準と供給量が固まるまで」


「ずいぶん曖昧ですな」


「だから記録する。曖昧に見えるものを、曖昧なまま売らないために」


 商人はしばらく俺を見た。


 そして、ロアン村長へ視線を戻す。


「村長。村としても、今すぐ資金があるに越したことはないでしょう。我々は敵ではありません」


 ここでロアン村長が揺れれば、規則は形だけになる。


 村の代表が断れるか。


 今日の記録は、そのために作った。


 ロアン村長は、一度だけリリィを見た。


 リリィは素材札を握っていた。


 そして、小さく頷いた。


 ロアン村長は商人に向き直る。


「申し出はありがたい。しかし、村としては炉会議の暫定規則に従います。根麻布の今年分をまとめて売ることはできません。正式な試作用途枠と通常取引分に分け、記録をつけて出します」


「本当に、それでよろしいのですか」


「はい」


 ロアン村長の声は静かだった。


「我々は、ようやく自分たちの素材を見直す機会を得ました。急いで売り切るより、長く続けられる形にしたい」


 商人はしばらく沈黙した。


 やがて、丁寧に頭を下げる。


「承知しました。では、炉会議を通して改めて」


「ああ。正式な手順で来い」


 俺が言うと、商人は一瞬だけこちらを見た。


 笑っている。


 だが、目は笑っていなかった。


 面倒は終わっていない。


 むしろ、ここから増えるだろう。


 商人たちは荷車を返し、村を去っていった。


 村人たちの間に、安堵の息が広がる。


 リリィは素材札を胸に抱えていた。


「断れました」


「ああ」


 俺は言った。


「それが今日、一番大事な成果だ」


ーーーーー


 日が落ちる頃、俺たちはリーフェ村を出た。


 最初の灰鉄鉱の荷には、正式な素材札がついた。


 根麻布にも、乾燥記録の雛形ができた。


 村人たちは、まだ慣れていない。


 記録はたぶん何度も間違える。


 荷番号を書き忘れる者も出る。


 湿り戻りの評価で揉めることもあるだろう。


 商人はまた来る。


 もっと条件のいい顔をして来る。


 あるいは、村の中の誰かを個別に狙うかもしれない。


 問題は山ほどある。


 だが、今日、村は一度断った。


 それは大きい。


 断る理由を持った。


 記録を盾にできた。


 ルナが隣で言った。


「リリィちゃん、強かったですね」


「ああ」


「村長さんも」


「ああ」


「アイズドさん、少し嬉しそうです」


「気のせいだ」


「そうですか?」


「そうだ」


 きなこもちが後ろから笑う。


「黒鉄さん、嬉しい時ほど無表情だよね」


「分析するな」


「リリィちゃんたち、自分たちで守れたもんね」


「まだ最初の一回だ」


「でも、一回目って大事じゃん」


 それはそうだ。


 最初の一回は大事だ。


 戦闘でも、最初に攻撃を避けられるかどうかで、その後の呼吸が変わる。


 村も同じなのかもしれない。


 最初に断れた。


 最初に記録を使えた。


 最初に素材札を持てた。


 それだけで、次から少しだけ戦いやすくなる。


 俺は振り返り、夕暮れのリーフェ村を見た。


 軒先に干された根麻布が、赤い光を受けて揺れている。


 灰鉄鉱の荷台には、小さな札が下がっていた。


 不格好な文字。


 曲がった線。


 それでも、確かに記録だった。


 あれは値札ではない。


 盾だ。


 村が、自分たちの素材を守るための盾。


ーーーーー


 第三炉へ戻ると、グラン親方が待っていた。


 俺たちが報告すると、彼は深く頷いた。


「最初の素材札ができましたか」


「ああ。灰鉄鉱の小荷だ。第三炉試作用途枠に入れる」


「承知しました。到着次第、こちらで受け取り記録をつけます」


「商人が来た」


「早いですな」


「早すぎる」


「断れましたか」


「ああ。村長が断った」


 グラン親方の表情が、少しだけ緩んだ。


「それは大きい」


「だろうな」


「村が自分で断れたなら、この規則は紙では終わりません」


 そう。


 それが全てだった。


 俺が商人を追い返しただけなら、次に俺がいない時に崩れる。


 だが、ロアン村長が断った。


 リリィが頷いた。


 村人たちが見ていた。


 記録は、彼らのものになり始めている。


 暫定管理記録が更新される。


 《リーフェ村品質記録整備支援》


 《簡易記録様式:導入》


 《素材札運用:初回発行》


 《大口買い付け直接交渉:一件拒否》


 《村側判断記録:確認》


 《未処理項目:継続監査》


 また未処理が残った。


 当然だ。


 全部終わるわけがない。


 だが、今回は少し違った。


 未処理項目が、ただの重荷ではなく、続けるべき仕事に見えた。


 嫌だ。


 かなり嫌だ。


 だが、まあ、分からなくもない。


 グラン親方が俺を見る。


「黒鉄殿。これで、グレイム領の素材流通は一応の形を得ました」


「一応、だな」


「はい。一応です」


 一応。


 大事な言葉だ。


 完璧ではない。


 終わっていない。


 だが、形にはなった。


 リーフェ村の素材は、低評価素材として買い叩かれるだけではなくなった。


 第三炉は、古い炉系統の一端を取り戻し始めた。


 炉会議は、少なくとも保護流通規則を仮承認した。


 古代書庫は、まだ奥を閉じている。


 世界樹へ続く線は見えたが、今は触れない。


 ここで一区切りだ。


 俺はそう思った。


 思った瞬間、視界の端に通知が浮かんだ。


 《グレイム領素材流通保全》


 《進行度:第一段階完了》


 《第三炉協力記録を更新》


 《リーフェ村信頼記録を更新》


 《古代書庫公開区分記録を更新》


 《次段階候補:装備再調整/レベル上昇支援/フェネキア族上位者への報告》


 やめろ。


 最後が不穏だ。


 フェネキア族上位者への報告。


 つまり、セレンだろう。


 今すぐ行く気はない。


 レベル九十推奨の話に、レベル四十台後半の俺たちが軽い気持ちで首を突っ込んでいいわけがない。いいわけがないのだが、候補に出た時点で、いずれ向かうことになるのだろう。


 最高のクソゲーは、本当に逃がす気がない。


「アイズドさん?」


 ルナが横から覗き込む。


「何か出ました?」


「一応、一区切りらしい」


「よかったです」


「あと、次の面倒も出た」


「やっぱり」


 ルナはもう驚かなかった。


 慣れるな。


 俺も慣れたくない。


ーーーーー


 夜、第三炉の火の前で、俺は左腕の《古代変形機装》を見下ろしていた。


 黒銀の装甲片は静かに閉じている。


 この武器は変形する。


 剣になり、盾になり、射装になり、いつか他の形も開くだろう。


 最初は、それだけの話だった。


 扱いづらい産廃ジョブ。


 三十本の時計。


 狂人だけが笑える性能。


 五十万円分の玩具。


 だが、いつの間にか、俺の周りには別の時計が増えていた。


 第三炉の火。


 リーフェ村の採取記録。


 根麻布の乾燥日。


 炉会議の承認。


 素材商人の動き。


 古代書庫の公開区分。


 世界樹へ続く未開封の線。


 戦場の時計だけを見ていた頃より、遥かに面倒だ。


 だが、不思議と、退屈ではなかった。


 ルナが隣に立つ。


 フードの奥から、静かに炉を見ている。


「一区切りですね」


「一応な」


「第七十話っぽいですね」


「メタいことを言うな」


「きなこもちさんが言っていました」


「あいつめ」


 ルナは少し笑った。


 それから、真面目な声で言う。


「グレイム領に来た時、顔を隠して、職業も隠して、目立たないようにするつもりでした」


「ああ」


「でも、結局、すごく目立っています」


「言うな」


「黒鉄の重装騎士と、灰衣の旅剣士」


「仮の姿だったはずなんだがな」


「でも、この姿だったからできたこともあります」


「そうかもしれないな」


 重装騎士の見た目装備。


 顔を隠す灰色の外套。


 バレないための偽装だった。


 それが、いつの間にかグレイム領での信用の名前になっている。


 黒鉄。


 灰衣。


 正体を隠すための名が、誰かにとっての目印になる。


 何とも皮肉な話だ。


 だが、悪くない。


「次は、どうしますか」


 ルナが聞いた。


「装備の再調整だ」


 俺は即答した。


「フェネキア族への報告は?」


「その前にレベルと装備だ。セレンから出されたクエストは、レベル九十以上推奨。今の俺たちが行くには早い」


「はい」


「グレイム領でやるべきことも、まだ少し残っている。品質記録の継続監査、第三炉での装備調整、炉会議の正式承認。全部終わらせる必要はないが、放置して逃げるのは駄目だ」


「逃げる気だったんですか?」


「少し」


「正直ですね」


「正直に言っておくと責任が軽くなる気がする」


「軽くなっていません」


「知っている」


 炉の火が揺れる。


 灰鉄鉱は根の音を覚えていた。


 根麻布は流れを避ける形を覚えていた。


 リーフェ村は、自分たちの素材を守る記録を持ち始めた。


 第三炉は、古い火を取り戻し始めた。


 そして俺たちは、地下から世界樹へ伸びる線を見た。


 今はまだ届かない。


 だが、届かない場所が見えた。


 それだけで、次へ進む理由になる。


 俺は記録板を閉じた。


「今日は、休む」


 ルナがこちらを見る。


「本当に?」


「たぶん」


「また弱いです」


「努力目標だ」


「いつものですね」


 いつものになってしまった。


 よくない。


 だが、今日くらいは少し休んでも許されるだろう。


 村は、最初の素材札を作った。


 商人を一度断った。


 記録は、村の盾になった。


 それだけで、この面倒な一日は十分だった。


 最高のクソゲーは、また次の面倒を表示している。


 だが、今夜だけは見なかったことにする。


 俺は炉の熱を背に受けながら、静かに息を吐いた。


 黒鉄と灰衣のグレイム領での仕事は、ひとまず一区切りを迎えた。


 終わりではない。


 だが、一区切り。


 それくらいの曖昧な勝利で、今は十分だった。

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