絶対安全圏
「セレン。一つだけ確認させてくれ」
空を抱く地下都市の最奥、世界樹の根元に位置する荘厳な神殿。その静謐な空間で、俺はフェネキア族の族長セレンに向き直り、単刀直入に切り出した。
「この地下深くに眠っているという厄災……あんたたちが恐れている『あのお方』ってのは、七つの竜種の一角で間違いないんだな?」
その問いに、セレンの黄金色の狐耳がピクリと震えた。彼女は静かに目を伏せ、重々しく首を縦に振った。
「……ご明察の通りです。ですが、どうか許してください、アイズド殿。私たちは、その言葉を口にすることすら、古の呪縛によって固く禁じられているのです」
「NPCに掛けられたシステム的な発言制限か。気にするな、大元の正体が確定しただけで十分だ」
俺は一つ頷くと、本題に入った。
「俺たちもレベル上げの試練に向かわなきゃならない。すまないが、俺たちが戻るまでの間、あいつら――キャメロットの生き残りの住人たちと円卓の騎士を見ていてくれないか」
「ええ、もちろんです。彼らもまた、過酷な運命に翻弄された者たち。我らフェネキアが責任を持って保護いたしましょう」
「悪いな。食費やら何やらで金が必要なら、俺のポケットマネーから出す。なんならあいつらを労働力としてこき使ってくれても構わないぞ」
俺はシステムメニューを開き、狂王アーサー討伐で得た莫大な報酬を譲渡しようとした。
だが、セレンの表情がスッと引き締まり、黄金の瞳が鋭い光を帯びた。
「――お控えください、アイズド殿」
凛とした、だが確かな怒りを孕んだ一喝。
「あなたは、数千年にわたる澱みの脅威からこの都市を救ってくださった大恩人です。その恩人が命懸けで助け出した者たちを匿うのに、対価を要求するなど……我らフェネキアの誇りに対する侮辱と心得てください」
ピシャリと撥ね付けられた俺は、彼女の気高く、義理堅い心意気に思わず苦笑を漏らした。
「……そうか。野暮な提案だったな。謝るよ、セレン。あいつらのこと、よろしく頼む」
俺が素直に引き下がると、セレンもまた柔らかな微笑みを取り戻した。
「最後にもう一つだけ。……俺たち以外に、ここへ辿り着いた『開拓者』はいるか?」
俺の問いに、セレンは即答した。
「おりません。あの大結界を抜け、この神殿の地を踏んだのは、後にも先にもあなた方だけです」
その言葉を聞いて、俺は肺の底から深く、安堵の息を吐き出した。
無理もない。この『空を抱く地下都市』への到達条件は、プロゲーマーの視点から見ても、正気の沙汰とは思えないほど極悪な難易度を誇っているのだから。
まず、広大な西の砂漠エリアのどこかをランダムで彷徨う『外の世界にいたフェネキア族の行商人』と偶然遭遇すること。
次に、彼からクエストを受注するためのフラグとして、インベントリにレアリティ灰の産廃アイテムである『黒い金属箱』を所持し続けていること。
そして極めつけは、経験値も報酬も一切手に入らない、効率厨なら絶対にやらないであろうゴミクエスト『消えたキャラバンの足跡』を最後までやり遂げること。
この三つの奇跡的な要素が一つでも欠ければ、この地下都市への入り口は永遠に砂の蜃気楼に隠されたままだ。
効率とマニュアルによる最適化を至上命題とするトップギルドや企業勢の連中が、インベントリの空きを圧迫するゴミアイテムを捨てずに持ち歩き、無報酬の護衛クエストをこなすなど絶対にあり得ない。
さらに今、この都市の入り口は強固な大結界によって完全に封鎖されている。
外と内を自由に行き来できるのは、セレンから俺に託された唯一の固有アイテム『白狐の羅針盤』という鍵だけだ。
つまり、ここは世界中の数千万人のプレイヤーがどれだけ血眼になってマップをひっくり返そうとも、第三者の追随を絶対に許さない、完全なる『絶対安全圏』なのだ。
(……よかった。これで背中の憂いは完全に消えた)
軍師として常に最悪を想定し、張り詰めていた俺の心に、ようやく本当の意味での安堵が広がっていった。
ルナも、キャメロットの住人たちも、もう誰も傷つくことはない。
あとは俺たちが、神話の試練を乗り越えてレベル90の高みに至るだけだ。
「世話になった。……また来る」
俺はセレンに軽く手を挙げ、静かに神殿に背を向けた。
高い天井を覆う世界樹の根の隙間から、淡いエメラルドグリーンの光の粒子が、雪のように優しく降り注いでいる。
神殿の外へ続く大階段を下りると、砂耳族の子供たちとキャメロットの住人たちが、種族の垣根を越えて笑い合いながら、温かいスープを分け合っている光景が目に入った。
その穏やかで美しい情景を深く目に焼き付けながら、俺は一切の迷いなく、己の限界を打ち破るための『試練』へと向けて、力強い一歩を踏み出したのだった。




