価値が上がると、敵も増える
価値がある、という言葉は危ない。
聞こえはいい。褒め言葉だ。今まで見向きもされなかったものに光が当たり、低く扱われていた素材に正しい値がつく。リーフェ村にとっても、第三炉にとっても、それは間違いなく前進だ。
だが、価値があると分かった瞬間、それは守るべきものになる。
そして、守るべきものには、だいたい敵が増える。
敵、と言っても剣を抜いて襲ってくるやつばかりではない。むしろ、もっと面倒な形をしている。
買い占め。
偽物。
価格操作。
契約の抜け穴。
村への過剰な採取要求。
善意の顔をした囲い込み。
親切な顔をした借金。
商売の世界に出てくる敵は、魔物よりもよほどタチが悪い。魔物は赤い敵性反応を出してくれるが、商人は笑顔で契約書を出してくる。しかも契約書の方がだいたい痛い。HPではなく生活が削れる。
前日に確認した灰鉄鉱と根麻布の低温共鳴。
灰鉄鉱は、根下炉記録の波形に対し、魔力を抱え込まず横へ逃がす反応を見せた。
根麻布は、同じ波形に対し、表面で流れを避けるような反応を見せた。
火入れなし。理外創成なし。世界樹系素材なし。竜種関連記録なし。
安全範囲の確認としては、悪くない結果だった。
ただし、これをそのまま市場へ出せば、リーフェ村は一瞬で狙われる。
低評価素材の村から、古い炉系統に関わる可能性を持つ特殊素材の供給村へ。
その変化は、村にとって祝福であると同時に災厄にもなる。
だから、今日の炉会議でやるべきことは一つだった。
価値を上げる。
ただし、爆発させない。
第三炉の会議室で、俺は記録板を見下ろしていた。横にはルナ、きなこもち、グラン親方。机の上には、灰鉄鉱と根麻布の用途確認記録、公開査定の結果、特注防具での実地確認、低温共鳴確認の要約が並んでいる。
ただし、深層部分はすべて削ってある。
根下炉という名は出さない。
樹脈魔力も出さない。
世界樹、フェネキア族、封印、名を禁じられた竜種関連の記録も出さない。
炉会議へ出すのは、あくまで素材の追加用途だけだ。
灰鉄鉱は、振動を逃がす補助材として有望。
根麻布は、流れを避ける覆布として有望。
それ以上は、現段階では保留。
「黒鉄さん、顔が商人嫌いの顔してる」
きなこもちが言った。
「好きになる理由がない」
「職人も商人がいないと困るよ」
「分かっている。だから嫌いなんじゃなく、警戒している」
「もっと嫌な言い方になった」
「事実だ」
きなこもちは苦笑した。
ルナは記録板を見ながら、少し考え込んでいる。
「価値が上がるのに、すぐ喜べないんですね」
「喜ぶのは後でいい」
「後で?」
「ああ。まず守る仕組みを作る。その後で、村が無事に値段を上げられたら喜べばいい」
「順番が大事なんですね」
「だいたいの失敗は、順番を間違えるところから始まる」
これは戦闘でも同じだ。
火力を出す前にヘイトを固定する。
ボスを殴る前に退路を見る。
蘇生する前に次の範囲攻撃を確認する。
勝ち筋は、派手な一手よりも、その前の地味な順番で決まる。
市場もたぶん同じだ。
値段を上げる前に、記録を整える。
需要を広げる前に、供給量を測る。
商人を入れる前に、村が断れる仕組みを作る。
そうでなければ、リーフェ村は素材の価値で救われる前に、素材の価値で潰される。
グラン親方が、低く言った。
「本日の炉会議は荒れるでしょう」
「だろうな」
「素材商会側は、追加用途の独占契約を求める可能性があります」
「出させない」
「価格の即時改定も求めるでしょう。上げるためではなく、現行契約分を旧価格で押さえるために」
「それも止める」
「黒鉄殿、かなり嫌われますな」
「すでに好かれている気がしない」
暫定管理者などという肩書きは、好かれるためのものではない。止血係だ。出血を止める時、人はだいたい痛がる。こちらも好きで押さえているわけではない。
きなこもちがにやりと笑った。
「黒鉄さん、今日も地味に戦うんだね」
「戦闘じゃない」
「いや、会議って結構戦闘だよ。武器が金槌じゃなくて記録板なだけ」
「それは嫌な戦闘だな」
「黒鉄さん向き」
「もっと嫌だ」
俺は記録板を閉じた。
炉会議の時間だ。
ーーーーー
炉会議の広間は、いつもより明らかに空気が張っていた。
主要工房の代表、第三炉の職人、素材商会の記録係、供給村の連絡役、監査役。さらに、今回は臨時でいくつかの素材買い付け組合も参加している。
呼んだ覚えはない。
だが、情報の匂いを嗅いだ連中は早い。
灰鉄鉱と根麻布に追加用途があるらしい。
リーフェ村の素材評価が変わるらしい。
第三炉と黒鉄の重装騎士が何か掴んだらしい。
その程度の噂でも、商人は十分に動く。ある意味、魔物より反応が速い。素材相場に生息する魔物だと思えば、少し納得できる。
グラン親方が、会議の中央に立った。
「本日の議題は、リーフェ村産灰鉄鉱および根麻布の追加評価項目についてです。第三炉での加工結果、特注防具での実地確認、ならびに低温検査台での補助反応確認により、現行台帳では拾い切れていない用途があると判断しました」
記録板に、要約だけが表示される。
《灰鉄鉱:追加評価候補》
《振動逃がし補助材》
《外殻補助》
《緩衝具》
《可動部補強》
《根麻布:追加評価候補》
《流れ避け覆布》
《耐湿覆布》
《外套》
《可動部保護》
ざわめきが広がる。
前回の炉会議で用途追加の話は出ていた。だが、今回は低温共鳴確認の結果が加わっている。旧規格資料との照合だけでなく、現物が反応した。つまり、説得力が増した。
素材商会の男が、すぐに手を上げた。
「確認ですが、その低温反応というのは、第三炉内でのみ確認されたものですか?」
「現時点ではそうです」
グラン親方が答える。
「外部工房での再現性は?」
「検証手順を整えた上で、段階的に確認します」
「では、まだ市場価値として確定したわけではない」
「確定ではありません。追加評価候補です」
商会の男は、そこで小さく笑った。
「であれば、現行契約の範囲でリーフェ村産素材を買い増すことに問題はないはずですな。評価が確定する前に、我々商会がリスクを取って買い支える。村にとっても悪い話ではないでしょう」
来た。
予想通りすぎて、逆に安心する。
評価が確定する前に旧価格で買い増す。
言い方を変えれば、値上がり前の買い占めだ。
村を支える、という言葉で包んでいるが、中身はかなり分かりやすい。
俺は口を開いた。
「駄目だ」
会議室の視線がこちらへ向く。
商会の男が眉を上げた。
「黒鉄殿。駄目、とは?」
「現行価格での大規模買い増しは認めない」
「それは市場への介入では?」
「暫定保全措置だ」
俺は記録板を表示した。
《リーフェ村素材 暫定流通保全案》
《一:現行生活供給分の保護》
《二:追加用途検証分の少量配分》
《三:大規模買い付けの一時制限》
《四:素材札、採取記録、乾燥記録の必須化》
《五:偽素材流通防止のため、第三炉および炉会議監査を通す》
「評価が確定する前だからこそ、買い増しを止める。今、大量に旧価格で押さえれば、村は新しい評価を受ける前に素材を失う」
「しかし、村には即金が入ります」
「短期的にはな」
俺は言った。
「だが、採取量を超える買い付けが入れば、村は無理に掘る。根麻も無理に刈る。品質が落ちる。記録が乱れる。偽物が混じる。結局、評価が壊れる」
商会の男は笑みを消した。
「我々が偽物を扱うと?」
「誰が扱うかの話ではない。価値が急に上がる素材には、必ず偽物が出る」
これはゲームでも現実でも同じだ。
相場が跳ねる。
需要が増える。
供給が追いつかない。
すると、似た色の石や粗悪な布に名前を貼る奴が出る。あるいは、品質の低いものを混ぜて売る。素材札がなければ見分けがつかない。
だから、先に記録を作る。
「リーフェ村素材は、採取記録と素材札を必須にする。第三炉で検証に使う分、炉会議が認める試作用の少量分、村の通常取引分。それ以外の大口買い付けは一時停止だ」
「黒鉄殿に、そこまでの権限が?」
「恒久的な市場統制の権限はない」
そこは明確にする。
「だが、ノイズの不正契約の後始末として、供給村への過剰干渉を止める暫定権限はある。大規模買い付けの一時制限は、その範囲だ」
監査役が記録を確認し、頷いた。
「暫定管理権限の範囲内です。期間と理由を記録し、炉会議の承認を得るなら有効と判断します」
商会の男の顔が少し歪んだ。
俺は続ける。
「市場を止めたいわけじゃない。むしろ逆だ。正しく市場に出すために、今止める」
「矛盾しているように聞こえますが」
「突進してくる猪を止めるのと同じだ。止めないと、こっちも相手も崖に落ちる」
会議室が少し静かになる。
たとえが急に戦闘寄りになったせいかもしれない。
ルナが横で小さく笑った気配がした。
笑うな。
俺は真面目に話している。
ーーーーー
次に揉めたのは、価格だった。
工房代表の一人が言った。
「灰鉄鉱と根麻布の追加用途を認めるなら、価格表もすぐ改定すべきでは?」
「すぐにはしない」
俺は答えた。
「なぜです。村に正当な値をつけるなら、早い方がいい」
「早すぎる値上げは村を壊す」
言うと、いくつかの視線が鋭くなった。
リーフェ村を助けると言いながら値上げを止めるのか。
そう見えるのだろう。
分かる。
だが、そこを雑に進めると失敗する。
「価格は三段階で上げる」
俺は記録板を切り替えた。
《暫定価格改定案》
《第一段階:現行契約保護価格》
《第二段階:試作用途価格》
《第三段階:追加評価確定後の正式価格》
「第一段階では、村の生活供給分を保護する。現行の買い叩き価格は使わない。最低保護価格を設定する。第二段階では、炉会議の承認を受けた試作用途に限り、追加評価を反映した価格で少量取引する。第三段階で、再現性と品質基準が固まった後、正式に価格表へ入れる」
「時間がかかる」
「かかる」
「その間に、他の供給地が似た素材を出したら?」
「出せばいい」
俺は即答した。
「似た素材があるなら検証すればいい。リーフェ村だけを特別扱いするつもりはない。ただし、記録なしの素材を同じ値で扱うことは認めない」
素材の価値は、名前だけでは守れない。
どこで採れたか。
どう扱われたか。
何に使えるか。
それを記録して初めて、価格になる。
価格は数字だが、その下には理由がいる。
理由のない値上げは投機になる。
投機は熱を生む。
熱は素材を歪める。
俺はもう、そういう流れを嫌というほど見てきた。
ゲーム内の素材相場でも、現実のスポンサー案件でも。
急に価値がついたものへ群がる人間の速さは、だいたい魔物の突進より速い。
きなこもちが手を上げた。
「職人側からもいい?」
グラン親方が促す。
きなこもちは椅子の上で姿勢を正した。
「リーフェ村の素材は、雑に使うとたぶん良さが出ない。灰鉄鉱は剣材じゃない。根麻布も魔力布じゃない。今まで低評価だったのは、合わない用途で見られてたから。だから、用途を間違えたまま高値で売ると、買った職人が失敗して、また低評価に戻る」
彼女の声には、珍しく軽さがなかった。
「職人が失敗した時、素材のせいにするのは簡単なんだよ。灰鉄はやっぱり駄目だった。根麻はやっぱり使えない。そう言われたら、今度こそ本当に終わる。だから、使い方を決めてから値段を上げてほしい」
会議室が静かになった。
理外創成の成功者であり、危険な職人であり、同時に素材を怖がれる職人。
そのきなこもちが言うと、妙な説得力があった。
グラン親方が続ける。
「第三炉も同意見です。追加評価を正式価格へ反映するには、用途別の加工手順と品質基準が必要です。価格だけが先に走れば、素材の信用が壊れる」
監査役が記録を取る。
商会側は不満げだが、反論は弱まった。
俺は記録板へ最終案を表示した。
《リーフェ村素材 暫定保護流通規則》
《一:現行買い叩き契約の停止》
《二:最低保護価格の設定》
《三:大口買い付けの一時制限》
《四:試作用途枠の設置》
《五:素材札、採取記録、乾燥記録、搬入記録の必須化》
《六:偽素材流通時の炉会議監査》
《七:正式価格改定は再現性確認後》
「これを炉会議承認にかける」
俺は言った。
「反対意見は記録する。だが、暫定保全として今日から動かす」
素材商会の男が、最後に言った。
「黒鉄殿。あなたは市場を信用していないのですな」
「信用している」
俺は答えた。
「だから、壊れないようにする。信用できないのは、市場ではなく、価値が上がった瞬間に自分だけ先に皿を取ろうとする連中だ」
男は黙った。
会議室の空気が、一段重くなる。
言いすぎたかもしれない。
だが、必要なところではあった。
価値が上がると、敵も増える。
それを見ないふりはできない。
ーーーーー
炉会議の後、リリィとロアン村長を呼んだ。
場所は第三炉の記録室。
前にも使った小さな部屋だ。机の上には、今日決まった暫定保護流通規則と、リーフェ村向けの簡略版記録が置かれている。
リリィは緊張した顔で座っていた。
「素材の値段、上がるんですか?」
第一声がそれだった。
正直でいい。
「段階的に上がる」
俺は答えた。
「ただし、すぐ大きく上げるわけじゃない。まず最低保護価格を設定する。買い叩きは止める。次に、試作用途分だけ少量で追加価格をつける。正式な価格改定は、品質基準と加工手順が固まってからだ」
リリィは、ほっとしたような、少し不安そうな顔をした。
「すぐ高くなるわけじゃないんですね」
「すぐ高くなると、村が危ない」
「はい……それは、少し分かります」
ロアン村長が静かに頷いた。
「買い付けの申し入れが、すでに来ています」
「早いな」
「ええ。昨日の段階で、灰鉄鉱をまとめて買いたいという商人が二件。根麻布の今年分を押さえたいという申し出が一件」
「断ったか」
「保留しました」
「正しい」
俺は記録板を見せた。
「今後、大口買い付けは炉会議の監査を通す。村で勝手に受けなくていい。断る理由が必要なら、この規則を出せ」
リリィが記録板を見つめる。
「断っても、いいんですか?」
「いい」
俺は言った。
「素材の価値が上がったからといって、村が全部応じる必要はない。採れる量には限界がある。作れる布にも限界がある。無理をすれば、来年以降の品質が落ちる」
「でも、高く買うって言われたら、村のみんなは迷うと思います」
「迷っていい」
リリィが顔を上げた。
「迷うのは悪いことじゃない。だが、迷った時に一人で決めるな。採取記録、乾燥記録、在庫、村の生活分、炉会議の試作用途枠。それを見て決める」
「記録を見て、ですか」
「ああ。勢いで売らない。怖くて全部断らない。記録を見て、売れる分だけ売る」
リリィはゆっくり頷いた。
ロアン村長が深く息を吐く。
「我々は、素材の価値が上がることばかり願っていました。ですが、上がった後のことまでは考えられていなかった」
「普通はそうだ」
俺は言った。
「低く見られている時は、上がることが救いに見える。だが、上がった後には別の面倒が来る」
「面倒、ですか」
「面倒だ」
リリィが少し笑った。
「アイズドさんは、何でも面倒って言いますね」
「だいたい面倒だからな」
「でも、面倒って言いながら、ちゃんと考えてくれます」
「やめろ。責任が増える」
「もう増えています」
ルナと同じことを言う。
やめてほしい。
信頼というものは、たいてい責任の別名だ。重い。非常に重い。
リリィは記録板を両手で受け取るように見た。
「村で、採取記録を作ります。根麻布の乾燥も、誰がいつやったか残します。灰鉄鉱も、どの場所で採ったか分かるようにします」
「無理のない範囲でいい」
「無理じゃないです。これで村を守れるなら」
強い。
本当に強い。
俺は少しだけ視線を逸らした。
こういう強さを見ると、雑に助けるわけにはいかないと思う。
救う、という言葉は便利だが、実際はそんな綺麗なものではない。
仕組みを作る。
記録を残す。
断る理由を渡す。
それくらいしかできない。
だが、それくらいが必要なのだろう。
ーーーーー
その日の夕方、第三炉の前に小さな掲示が出された。
《リーフェ村産素材 暫定流通保全について》
内容は簡潔だ。
灰鉄鉱と根麻布に追加用途の検証が進んでいること。
現行の買い叩き契約を停止すること。
大口買い付けには炉会議監査を必要とすること。
素材札と採取記録を必須化すること。
正式価格は段階的に改定すること。
深層記録には触れていない。
根下炉も、世界樹も、フェネキア族も、竜種関連も出していない。
それでも、掲示の前には人が集まった。
職人たち。
商人たち。
供給村の連絡役。
好奇心のあるプレイヤー。
中には、何やら配信用の小型ドローンを浮かべている奴もいた。やめろ。まだ切り抜くほど派手な話ではない。いや、切り抜かれても地味すぎるだろう。「素材札必須化、神対応」などという動画が伸びる世界なら、それはそれで終わっている。
きなこもちが掲示を見上げながら言った。
「地味だね」
「地味でいい」
「でも、これがないと村が守れないんだよね」
「そうだ」
「なんか、装備の内側みたい」
「内側?」
「外から見えないけど、ないと動きが崩れるやつ。留め具とか、縫い目とか、裏地とか」
なるほど。
悪くない表現だ。
市場の派手な価格変動や、素材の高騰は外側の装飾だ。
だが、記録や監査や断る理由は、裏地や留め具に近い。
外からは見えない。
だが、そこが雑だと、動いた時に破れる。
「いい例えだな」
俺が言うと、きなこもちが目を丸くした。
「黒鉄さんが素直に褒めた」
「珍獣を見る目をするな」
「今日、素材が鳴るより珍しいかも」
「それは言いすぎだ」
ルナが小さく笑う。
掲示の前では、商人らしき男が不満げに腕を組んでいた。職人たちは興味深そうに記録を読んでいる。供給村の連絡役の何人かは、安心したような顔をしていた。
すべてがうまくいくわけではない。
必ず抜け穴を探す者は出る。
偽物も出るかもしれない。
リーフェ村の中にも、急な利益に浮き足立つ者が出るだろう。
それでも、何もないよりはいい。
価値が上がる前に、守る線を引けた。
それだけで、今日の会議には意味があった。
ーーーーー
夜、俺は第三炉の屋上に出た。
グレイム領の工房区は、昼より少し静かになっている。だが、完全には眠らない。どこかの炉ではまだ火が残り、どこかの作業場では槌が小さく鳴っている。
ルナが隣に来た。
今日はフードを少しだけ上げている。白銀の髪は夜風に揺れたが、屋上には俺たち以外いない。少しくらいならいいだろう。
「今日は、戦闘みたいな会議でしたね」
「嫌な会議だ」
「でも、アイズドさん、戦ってました」
「剣は抜いていない」
「記録板で」
「きなこもちと同じことを言うな」
ルナは少し笑った。
それから、街の方を見る。
「リリィちゃん、少し安心していました」
「少しはな」
「でも、まだ怖そうでした」
「当然だ。素材の価値が上がるのは、嬉しいだけじゃない」
「価値があるって、怖いんですね」
「ああ」
価値がなければ見捨てられる。
価値があれば狙われる。
どちらも面倒だ。
人も、素材も、情報も。
価値という言葉は、いつも誰かの視線を連れてくる。
「アイズドさんは、価値があるものを隠すのが上手いですね」
「褒めているのか?」
「たぶん」
「たぶんか」
「でも、今日は隠すだけじゃなくて、出していました」
「必要な分だけな」
「それが難しいです」
「俺もそう思う」
全部出せば楽だ。
全部隠しても楽だ。
本当に面倒なのは、出すものと出さないものを分けることだ。
今日もそれだった。
灰鉄鉱と根麻布の追加用途は出す。
根下炉と世界樹の深層は出さない。
価格は上げる。
ただし段階的に。
商人は入れる。
ただし監査付きで。
村には伝える。
ただし背負わせすぎない。
中途半端に見える。
だが、たぶん今はその中途半端さが必要だった。
「黒鉄」
ルナが、街用の呼び方で俺を呼んだ。
「何だ、灰衣」
「リーフェ村、守れるといいですね」
「守る仕組みは作った」
「はい」
「でも、仕組みだけで全部守れるわけじゃない」
「それでも、ないよりいいです」
「そうだな」
俺は街を見下ろした。
工房区の煙。
第三炉の火。
リーフェ村から届いた灰鉄鉱と根麻布。
古代書庫に眠る根下炉記録。
それらが、少しずつ繋がっていく。
価値が上がる。
敵も増える。
なら、こちらも手を増やすしかない。
剣ではなく、記録で。
盾ではなく、規則で。
射撃ではなく、公開範囲で。
地味だ。
相変わらず、俺のやることは地味だ。
だが、地味な留め具がなければ装備は壊れる。
そう思えば、少しは悪くない。
視界の端で、暫定管理記録が更新された。
《リーフェ村素材 暫定流通保全規則を登録》
《炉会議承認:仮承認》
《監査役確認:完了》
《素材札運用:開始》
《大口買い付け制限:発効》
《未処理項目:リーフェ村品質記録整備支援》
未処理項目が増えた。
やはり増えた。
俺は無言で記録を閉じた。
「アイズドさん?」
「何でもない」
「何でもない時の顔じゃないです」
「未処理が増えた」
「やっぱり」
ルナが笑った。
俺はため息を吐く。
最高のクソゲーは、素材の価値が上がるだけでは終わらせてくれない。
価値が上がれば、守る仕事が増える。
守る仕事が増えれば、また記録が増える。
まったく、終わりがない。
だが、今日のところはそれでいい。
リーフェ村の素材は、少なくとも買い叩かれるだけの石と布ではなくなった。
灰鉄は、根の音を覚えている。
根麻は、流れを避ける形を覚えている。
そして、その価値を守るための最初の線は引けた。
俺は夜の炉を見下ろしながら、小さく呟いた。
「次は、品質記録か」
ルナが隣で言う。
「休めませんね」
「言うな」
それでも、足取りは昨日より少しだけ軽かった。
たぶん、面倒の先に守れるものが見えたからだ。
認めたくはないが。
そういう面倒は、嫌いではない。




