悲鳴を上げる中間管理職
「――それで、その時のヘイト値のキャップを利用して……」
「なるほど! そこでタンクじゃなくて、あえてヒーラーにタゲを移すんですね! 天才です!」
休日の穏やかなカフェのテラス席で、俺と美咲さんによる熱狂的な『戦術交換会』は、留まるところを知らずに白熱していた。
プロ時代、誰にも理解されなかった俺の『見えざる土台』。それを完璧に理解し、目を輝かせて称賛してくれる熱心なファンを前にして、俺の承認欲求メーターはすでに限界を突破し、完全にカンスト状態に陥っていた。
「はっはっは、まあな! 基礎を極めればシステムなんてのはただの数字の羅列だ! 重要なのは、その数字をどうパズルみたいに組み上げて、盤面を支配するかだからな」
「素晴らしいです……! ああ、今日ノートを持ってきて本当に良かったです。ジン様から直接戦術指南をいただけるなんて、夢みたい……っ!」
美咲さんは、俺の語る言葉を一言一句漏らさぬよう、手帳に猛烈な勢いでメモを書き込んでいる。
「あの、ジン様……いえ、神代さん!」
帰り際、席を立とうとしたタイミングで、美咲さんが少し頬を赤らめながらスマートフォンの画面を両手で差し出してきた。
「もし、もしよろしければ……EHOのフレンドIDを、交換していただけませんか!?」
「え?」
俺は少し驚いて目を丸くした。
「ず、図々しいお願いだとは分かっています! でも、私、ジン様からもっともっと戦術を学びたくて……! 今度、一緒に私もプレイしてもいいですか!?」
美咲さんは上目遣いで、祈るようにスマートフォンを突き出してくる。
普段の俺なら、素性も知れない野良プレイヤーと連絡先を交換するなど絶対にあり得ない。一人で気ままにゲームを極め、面倒な人間関係やしがらみを徹底的に排除するのが、引退後の俺のプレイスタイルだからだ。
だが、今の俺は完全に『天狗』になっていた。
「ああ。もちろん構わないよ。いつでも声をかけてくれ」
俺は爽やかな大人の笑みを浮かべ、スマートフォンの画面を開いて二つ返事で了承した。
「戦術のテンポについてこれるなら、いつでも歓迎するぜ」
「ほ、本当ですか!? やったぁぁぁぁっ!! ありがとうございます、一生の宝物にします!!」
ピロリン、とフレンド登録完了の電子音が鳴ると、美咲さんはスマートフォンを胸に抱きしめ、その場でピョンピョンと飛び跳ねて歓喜した。
「…………」
そんな俺たちの様子を、テーブルの向こう側から、ルナが見事なまでのジト目で見つめていた。
「……アイズドさん。いつもは『馴れ合いはゴメンだ』とか『特定班が怖いから目立つな』って偉そうに言ってるくせに。美咲ちゃんには随分とデレデレなんですね」
「デ、デレデレってわけじゃねぇよ! 同じ戦陣軍師使いとしての、後進への純粋な技術指導というかだな……!」
「ふーん。まあ、いいですけど。私には難しい戦術なんて、一ミリも分かりませんし」
ルナはぷいっとそっぽを向いてしまった。最強のアタッカーは、自分を完全に蚊帳の外に置いて盛り上がる俺たちに、これ以上ないほど拗ねてしまっている。
「ほら、美咲ちゃん。もう帰るよ」
「あ、うん! ジン様、今日は本当にありがとうございました! またゲームの中で!」
「ああ、気をつけて帰れよ。ルナも、また後でな」
ルナと美咲さんは、大学から帰る路線が同じ方向らしい。
不機嫌そうにずんずんと歩いていくルナの背中と、「ジン様、最高……」と夢見心地でホクホク顔の美咲さんを見送り、俺は一人、マンションへの帰路についた。
***
自室のタワーマンションに戻り、一人きりの静かな部屋で一息ついた途端。
急激に、俺の『軍師の冷静な思考回路』が正常な温度へと冷却され始めた。
「……俺、何やってんだ?」
洗面所に向かい、蛇口をひねって冷たい水を顔にバシャッと浴びる。
鏡に映る自分のおっさん顔を見つめ、前髪から滴る水滴を拭いながら、俺は深々と、絶望的なまでの自己嫌悪に陥っていた。
「ファンだからって、プライベートのフレンドIDをホイホイ教えるとか……やりすぎたな。完全に調子に乗ってたわ」
俺は頭を抱え、洗面台に突っ伏した。
プロゲーマー時代、ファンとの過度な交流や個人的な繋がりが、どれほど面倒なトラブルや情報漏洩を引き起こすか、嫌というほど見てきたはずだ。俺たちは今、ワールドクエストの進行権を握り、世界中の企業勢やPKから狙われている身なのだ。
美咲さんが悪い人間だとは思わないが、もし彼女がSNSで「ジン様とフレンドになった!」などと呟きでもしたら、あっという間に特定班が押し寄せてくる危険だってある。
「……クソッ。冷静になったら、急に猛烈な恥ずかしさが込み上げてきやがった。穴があったら入りたい……」
承認欲求の魔力とは恐ろしいものだ。
俺は自身の失態を誤魔化すように、そそくさとゲーミングチェアに腰を下ろし、VRヘッドセットを被った。
現実での恥ずかしさは、ゲームへの没入で上書きするに限る。
視界が暗転し、幾千の光の粒子が世界を再構築していく。
視界が晴れ、美しい世界樹の根が広がる『空を抱く地下都市』のセーフゾーンに、俺のアバターが実体化した。
ここには、キャメロットから避難してきた住民たちと、彼らを率いる円卓の騎士たちが待っているはずだ。
ログインを完了し、肺いっぱいに地下都市の澄み切った空気を吸い込んだ、まさにその瞬間だった。
「――アイズド殿ォォォォォォォォッ!!!」
鼓膜を劈くような、悲痛極まりない絶叫が広場に響き渡った。
ビクッとして声のした方角を振り向くと。
そこには、鉄灰色の甲冑に身を包んだアグラヴェインの姿があった。
だが、彼の周囲には、黄金の狐耳と尻尾を持ったフェネキア族の民たちが、数十人規模で群がり、彼を完全に包囲していたのだ。
「アグラヴェイン様! 我らが用意したこちらの客室の割り振りですが、いかがいたしましょう!」
「アグラヴェイン様! キャメロットの避難民の方々の怪我の治療が概ね終わりました! 次の毛布と支援物資の配給先はどこへ!」
「アグラヴェイン様! 今夜の歓迎の宴の食材リストですが、こちらでよろしいでしょうか! 至急ご確認ください!」
狐人族による圧倒的な『おもてなし』の波と、それに伴う避難民の受け入れに関する膨大な事務処理。
そのすべての中央に立たされ、無数の羊皮紙とシステムウィンドウに埋もれているアグラヴェインの顔は、狂王アーサーと死闘を繰り広げていた時よりも遥かに絶望的な、過労死寸前の土気色になっていた。
情報の波に溺れかけていた彼は、ログインした俺の姿を捉えた瞬間、その目に「助けてくれ」というすがりつくような光を灯して、魂の底から叫んだのだ。
(……やれやれ。あっちの中間管理職も、別のベクトルで限界を迎えてるらしいな)
俺は現実世界での恥ずかしさを綺麗さっぱり忘れ、思わず苦笑した。
プロチームの裏方を回していた俺にとって、物資の割り振りや人員配置の最適化、リソース管理などは、息をするのと同じくらい手慣れたものだ。むしろ、得意分野と言ってもいい。
「アグラヴェインの旦那! 部屋の割り振りは傷の重い順に優先しろ! 食材リストと毛布の在庫管理は俺がやる、権限をよこせ!」
俺は小さくため息をつきながらも、フェネキア族の波に飲み込まれそうになっている鉄灰色の騎士の元へと、助け舟を出すために歩き出した。
レベルキャップ上限解放という未知の試練を前に、まずはこの『事務処理』という現実的なレイドボスを片付けなければならないらしい。




