天狗になる元・軍師
「ゲホッ、ゴホォッ……! お、お前……っ、なんで俺が元プロだって……!」
カフェのテラス席。気管に入った冷たいアイスティーに涙目でむせ返りながら、俺は向かいに座るルナに向かって必死に声を絞り出した。
白騎士団を追放されたという過去は、ルナには一切話していない。そもそも、俺の以前のアバター名は『ジン』であり、今の『アイズド』という名前からは絶対に結びつかないはずなのだ。
にもかかわらず、この世間知らずの天然アタッカーは、さも当然のように俺の正体を言い当ててみせた。
「ふふーん。驚きましたか、アイズドさん」
ルナはアイスティーのグラスを両手で持ちながら、どこか得意げに胸を張った。
「いつの日か忘れちゃったんですけど、寝る前に白騎士団のホームページを見てみたんです。アイズドさんが『ボスの行動パターンとタイムラインの解析に忙殺されていて、ストーリーを飛ばしていた』って言っていたのが、ずっと気になっていて」
「……っ」
俺は息を呑んだ。確かに、フェーズ1のワールドクエストについてそんな愚痴をこぼした。
「ホームページの選手一覧には、アイズドさんの姿はありませんでした。でも、端っこの『お知らせ』のページに、前衛アナリストの『ジン』っていう選手が退団したっていうニュースが載っていたんです」
ルナは、まるで名探偵がトリックを暴くかのように、サファイアブルーの瞳をキラキラと輝かせた。
「その退団した日付が……私が路地裏で、レベル1のアイズドさんに助けられた日と、一日だけずれていたんです。解析に忙殺されていた軍師様。それが、元白騎士団のアイズドさんの本当の正体ですよね?」
「――――」
俺は、完全に言葉を失っていた。
ネットリテラシー皆無で、カフェのど真ん中でゲームのハンドルネームを叫ぶような危なっかしい小娘が。たった一行のニュースの退団日と、俺の何気ない会話の端々から情報を繋ぎ合わせ、見事に真実に辿り着いたというのか。
ゲーム内で見せるあの異常な『生物学的な反射神経(直感)』は、どうやら現実世界の推察力にも遺憾無く発揮されるらしい。
(……脱帽だ。とんでもねぇ観察眼してやがる)
俺が呆れ半分、感心半分でため息をつこうとした、その時だった。
「あ、あのっ……!!」
突然。
ルナの隣に座っていた美咲さんが、ガタッ!と勢いよく椅子を鳴らして立ち上がった。
「ん? どうした、美咲さ――」
「ほ、ほほほほ本物の……白騎士団の、軍師『ジン』様、ですか……!?」
美咲さんの顔は、耳の先まで茹でダコのように真っ赤に染まっていた。
先ほどまで「ルナを騙そうとする悪いおじさん」を見るような、あの警戒度マックスの冷ややかな視線はどこへやら。彼女の瞳は今、まるで神様かアイドルの推しを目の前にしたような、尋常ではない熱量を帯びて俺を凝視している。
「えっ? あ、ああ、まあ……今はもう引退したただのおっさんだが」
俺が戸惑いながら頷いた瞬間。
「ずっと、ずっと大ファンでしたぁぁぁぁぁッ!!」
バッ!! と。
美咲さんはカフェのテラス席にもかかわらず、腰が綺麗に九十度に折れ曲がるほどの、凄まじく深いお辞儀を繰り出したのだ。
「ええっ!?」
ルナが目を丸くして隣の友人を見上げる。
俺も思わずのけぞった。
「わ、私、ジンさんの大ファンなんです! 白騎士団の配信は全部アーカイブで見てました! みんなはレオン君の派手な抜刀術ばかり褒めてましたけど、私は違います! ジンさんが裏でミリ単位のヘイト管理をして、ボスのタイムラインを完全に支配しているからこそ成り立つ『見えざる土台』の美しさに、ずっと心酔していたんです!」
「お、おう……?」
「ジンさんに憧れて、私、EHOでのジョブも同じ『戦陣軍師』を選んだんです! どうか、どうかサインをくださいッ!!」
美咲さんは真っ赤な顔のままバッと顔を上げると、バッグから手帳とペンを素早く取り出し、拝むようなポーズで俺の前に差し出してきた。
俺は、しばらくの間、口をパクパクと金魚のように開閉させることしかできなかった。
(……ファン?)
(俺の、ファンだと……!?)
プロゲーマー時代。俺は裏方のアナリストとして、ひたすら地味な作業をこなしていた。配信に映っても「計算ばかりしている地味なおっさん」「テンポが悪い」とアンチに叩かれ、挙句の果てには「バズらないから」という理由でチームを追放されたのだ。
俺のプレイスタイルの真価を理解し、あまつさえ「サインをください」と目を輝かせてくれる熱狂的なファンなど、これまでの人生でただの一人も存在しなかった。
それが今。
こんな綺麗でしっかり者の女子大生が、俺の『見えざる土台』を絶賛し、顔を真っ赤にしてサインを求めている。
「……コホン」
俺は、わざとらしく一つ咳払いをした。
緩みそうになる頬の筋肉を必死に引き締め、努めて『クールで渋い歴戦のプロゲーマー』の表情を作る。
「……まあ、なんというか。俺の『本質』を理解しているとは、あんた、随分と見る目があるプレイヤーだな」
俺は美咲さんから手帳とペンを受け取ると、サラサラと『Zin』とサインを書き入れ、大人の余裕たっぷりに微笑んでそれを返した。
「ありがとうございますッ!! 家宝にします、額縁に飾ります!!」
美咲さんは手帳を胸に抱きしめ、感動のあまり泣きそうな顔をしている。
(……やべぇええええええええええええ、超気持ちいい)
俺の心の中の承認欲求が、これまでにないほどの勢いで満たされていく。完全に天狗だ。鼻が伸びすぎてカフェのテントを突き破りそうだった。
「それで、ジンさん……あっ、今はアイズドさんですね! あの、ずっとお聞きしたかったことがあるんです! 機工都市層の第4フェーズ、ボスの全範囲攻撃の直前に、アイズドさんが《鼓舞展開》をコンマ5秒だけ『遅らせて』発動していたのには、どういう意図があったんですか!?」
「おお、そこによく気づいたな! あれはボスの詠唱完了のシステム上のスナップショット判定と、味方の硬直解除のフレームを逆算して、あえてバリアの判定を後ろにズラしたんだよ。そうすれば、直後の追撃もノーダメージで凌げるからな」
「やっぱり! 凄いです、あの遅延バリアの美しさと言ったら……! じゃあ、回復妖精の配置座標の計算式は――」
俺と美咲さんの間に、凄まじい熱量の化学反応が起きた。
俺が嬉々として専門的な戦術論を語ると、美咲さんは同じ『戦陣軍師』使いとして、俺の高度な戦術意図を完璧に理解し、目を輝かせてさらに深い質問を投げ返してくる。
GCDの食い込み、フレームアドバンテージ、ヘイトのヘリ減衰、スナップショットの仕様の穴。
カフェのテラス席は、いつの間にかマニアック極まりない『限界戦術交換会』の会場へと変貌していた。
「――それで、その時のヘイト値のキャップを利用して……」
「なるほど! そこでタンクじゃなくて、あえてヒーラーにタゲを移すんですね! 天才です!」
「はっはっは、まあな! 基礎を極めればシステムなんてのはただの数字の羅列だ!」
俺は有頂天になり、身振り手振りを交えて熱弁を振るう。美咲さんも身を乗り出し、相槌を打ちながらメモを取る勢いだ。
そんな、最高に盛り上がっている俺たちの横で。
「ズズズズズズズズズッ」
ストローでグラスの底の氷を吸い上げる、ひどく無作法で、不機嫌な音が響いた。
「…………」
ふと視線を向けると。
そこには、両手で空になったアイスティーのグラスを抱え、頬をぷくーっとリスのように膨らませているルナの姿があった。
彼女のサファイアブルーの瞳は、見事なまでのジト目になって、楽しそうに談笑する俺と美咲さんを交互に睨みつけている。
「……なんだルナ、お前も戦術論に興味があるのか?」
俺が上機嫌で尋ねると、ルナはストローから口を離し、不貞腐れたようにそっぽを向いた。
「……全然、何言ってるか一ミリも分かりません」
彼女は唇を尖らせて、テーブルにペタンと突っ伏した。
「私、暇です」
天才的な反射神経で強敵を屠る最強のアタッカーも、専門用語が飛び交うマニアックな戦術談義の中では、ただの『蚊帳の外の初心者』に過ぎない。
完全に話を置いてけぼりにされ、拗ねてしまった白銀の少女の抗議の声が、平和な休日のカフェにむすっと響き渡っていた。




