現実(リアル)の顔面偏差値
「ゲホッ、ゴホッ……! ぉ、お前……なんで、ここに……ッ!」
「ああっ、ごめんなさい! 驚かせるつもりはなかったんですけど、つい嬉しくて!」
カフェのテラス席。盛大に吹き出したアイスティーで気管を詰まらせ、涙目でむせ返る俺の背中を、ルナが申し訳なさそうにさすっている。
周囲の客たちが「なんだなんだ」と奇異の目を向けてくる中、カフェの入り口に取り残されていたルナの友人が、慌てた小走りでこちらのテーブルへとやってきた。
「ちょっとルナ! いきなり大声出して走り出すなんて、どうしたのよ……って、え? お知り合い?」
「うん! いつもゲームでお世話になってる、アイズドさんだよ!」
ルナの友人は、怪訝な表情で俺の顔を覗き込んだ。
ショートボブの髪を耳に掛け、清潔感のあるブラウスと細身のパンツスタイルを上品に着こなしている。ルナの浮世離れした美しさとは対照的に、いかにも活発で社交的、大学でもサークルのまとめ役などをそつなくこなしていそうな『社会に出たら間違いなく仕事ができるタイプ』の女子大生だった。
俺は咳をどうにか飲み込み、グラスを置いて立ち上がると、努めて大人の余裕を持った態度で頭を下げた。
「……お騒がせして申し訳ありません。初めまして、美咲さん。神代冬司と申します。ゲームの中ではアイズドと名乗っておりまして、いつもルナにはお世話になっています」
「あ、いえ……こちらこそ。ルナの大学の友人の、美咲です」
俺が礼儀正しく敬語で挨拶をすると、美咲さんは少し警戒を解いたように会釈を返した。
「立ち話もなんですから、どうぞお座りください。追加で飲み物でも頼みましょう」
俺の誘いに、美咲さんは「失礼します」と短く答え、ルナを促して向かいの席に腰を下ろした。
追加のコーヒーとケーキが運ばれてきて、初対面特有の少しばかりの緊張感がテーブルを包む。
俺は、目の前でニコニコしているプラチナブロンドの少女に向かって、ずっと気になっていた最大の疑問をぶつけた。
「……なあ、ルナ」
「はいっ?」
「俺は、お前に現実の顔も、年齢も、住んでる場所も一切教えていないはずだ。なのになんで、俺を見た瞬間に『アイズド』だって分かったんだ?」
VRMMOにおいて、アバターの容姿はプレイヤーの自由にカスタマイズできるのが基本だ。俺のような三十過ぎのおっさんが、街中でいきなり見知らぬ女子大生からゲームのハンドルネームで呼ばれるなど、本来ならあり得ない事態である。
俺の問いに対し、ルナはきょとんとした顔で小首を傾げた。
「え? だって、今日はきちんとしたジャケットとか着て格好いいですけど……その鋭い三白眼とか、呆れた時に片方の眉だけ上がる仕草とか、ゲームの中のアイズドさんそっくりそのままじゃないですか。ちょっと無精髭が残ってるところも同じですし」
「…………は?」
無邪気なルナの言葉に、俺は脳天をハンマーで殴られたような衝撃を受け、完全にフリーズした。
(そっくりそのまま……?)
俺は必死に記憶の糸を遡った。
白騎士団を追放され、軍師『ジン』のアカウントを消去して、新たなアバター『アイズド』を作成したあの日のこと。
利益至上主義のプロシーンに対する嫌悪感と、早く一人で自由なゲーム(遊び)を始めたいという焦燥感に駆られていた俺は……。
『アバターのキャラメイク? あー、面倒くせぇ。デフォルトの顔面スキャンそのままでいいや。どうせソロで遊ぶだけだし、誰に見られるわけでもねえ』
……そう言って、現実の顔面データを一切弄らず、初期設定のままゲームの世界へとダイブしたのだ。
(う、嘘だろ……。俺、現実の顔面のまま、あのクソ恥ずかしい中二病全開の『古代変形機装』とか叫んでたのか……!?)
冷や汗がドッと噴き出した。
ルナにアバターをリアルと一緒にするなとか、「特定班の目を誤魔化すために目立たない装備にしろ」「歩く矛盾になるな」と、あれほど偉そうに説教していたことを思い出す。
にもかかわらず、肝心の俺自身が、現実の顔面を一切隠さずに世界中のハイエナからヘイトを買う『ワールドファースト』を獲得し、あまつさえ現実のカフェで相棒に一発で身バレしているのである。
……盛大なブーメラン。もはや滑稽すぎて、笑うしかなかった。
「……ははっ、ははははっ! そりゃあ、バレるわな。灯台下暗しってやつだ」
俺は顔を手で覆い、自嘲気味に肩を揺らして笑った。まさか自分のずぼらな初期設定が、こんな形で足元を掬うことになるとは。
そんな俺の様子を、向かいの席に座る美咲さんが、値踏みするようにジロジロと細めた目で眺めていた。
「……まさか。神代さんが、ルナが最近ずっと話していた『アイズドさん』なんですか?」
美咲さんの声は、明らかに警戒度を一段階引き上げていた。
「ええ、その通りです」
「保護者、ですか……」
美咲さんは探るような視線を俺に向けた後、スッとルナの方へ顔を向け、小声で、だがはっきりとした厳しいトーンで説教を始めた。
「……ちょっと、ルナ。何度も言ってるでしょ? 公共の場で、ゲームのハンドルネームを大声で叫ばないの。ネットとリアルの境界線を曖昧にしたら、身バレして痛い目を見るのはルナなんだよ? ましてや、最近ゲーム内で変なストーカーみたいな人たちに追われてるって、自分でも言ってたじゃない」
「う……ごめんなさい、美咲ちゃん。でも、アイズドさんがいたから、つい嬉しくて……」
「嬉しくてじゃないの。それに、相手はネットで知り合った年上の男性なんだよ? ルナは人を疑わなさすぎるの。もしこの人が、優しいフリをしてルナを騙そうとする悪い人だったらどうするの」
美咲さんは、ルナを庇うように少しだけ身体を前に出しながら、俺に聞こえることも辞さない強い口調で釘を刺した。
その言葉の端々から、ルナという『世間知らずで純粋すぎる美少女』を、現実世界の様々な悪意から必死に守ろうとしている、彼女の強烈な責任感と保護欲がひしひしと伝わってくる。
(……ああ。なるほどな)
美咲さんのその献身的な態度と、ルナの奔放さに振り回されて眉間にシワを寄せている姿を見た瞬間。
俺の胸の奥に、かつてないほどの深くて重い『シンパシー』が湧き上がってきた。
異常な才能を持ちながらも、致命的に常識が欠如している天然の天才。
そして、その天才が周囲から標的にされないよう、あるいは自滅しないよう、常に気を配り、リスクを計算し、小言を言いながら裏で尻拭いをして回る常識人。
それはまさに、プロチームでレオンたちの我儘に振り回されていたかつての俺であり。
狂王アーサーの暴走を止めるため、冷徹な仮面を被りながら城の事務仕事と兵站を一人で回し続けていた、あの鉄灰色の騎士アグラヴェインの姿そのものではないか。
(この子……根っからの『苦労人』気質だな。ルナみたいな規格外のバケモノを友人に持っちまったせいで、常に胃を痛める役回りを背負い込んでるんだ)
俺は、目の前の女子大生に哀愁すら感じていた。
いかにも仕事ができそうで、責任感の強い彼女のことだ。社会に出れば、きっと有能さゆえに理不尽な上司と奔放な部下の間に挟まれ、中間管理職として血反吐を吐くような苦労を背負い込むことになるだろう。
その危うすぎるまでの真面目さが、かつての自分と重なって見えて、なんだか無性に切なく、そして応援したくなってしまった。
「……美咲さんのご心配は、ごもっともです」
俺は、努めて穏やかな声で彼女に語りかけた。
「俺はただの、ゲームが好きな一介のおっさんですよ。ルナの圧倒的なプレイスキルに助けられているだけで、現実で彼女をどうこうしようという気は毛頭ありません。ゲーム内でのトラブルからは、俺が責任を持って彼女を護り抜きます。……ですから、現実での彼女の保護者は、美咲さんにお任せしてもいいでしょうか?」
俺が真っ直ぐに目を見てそう告げると、美咲さんは少しだけ面食らったように目を瞬かせ、やがて、小さく頭を下げた。
「……生意気なことを言って、すみませんでした。ルナは本当に世間知らずで、私が目を光らせていないとすぐに危ない方向に突っ走ってしまうので……。ゲームの中のルナを助けてくださっていること、友人の私からもお礼を言わせてください」
「美咲ちゃん……アイズドさん……」
ルナが、二人の保護者(?)に挟まれ、少し恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに微笑んでいる。
初対面の緊張感が解け、テーブルには穏やかな空気が流れ始めた。
美咲さんもコーヒーを口に運び、少し気を許したような笑顔を見せた。
「でも、本当にただのゲーム好きなんですか? ルナからよくお話は聞いてます。すごく頼りになって、どんな敵でも倒しちゃうって。とても素人には見えませんが……」
「いやいや、買い被りすぎですよ。ただ少し、裏方のデータ計算が得意なだけで――」
俺が謙遜して、新しく届いたアイスティーのグラスを口に運んだ、まさにその時だった。
「あ、美咲ちゃんには言ってなかったっけ?」
ルナが、ケーキを頬張りながら満面の笑みで爆弾を投下した。
「アイズドさんって、ただのゲーム好きのおじさんじゃないんだよ。実はあの『白騎士団』の、元トッププロなんだから!」
「――――ッブ!!?」
俺の気管に、本日二度目となる冷たいアイスティーが逆流した。
「ゲホッ、ゴホッ! ゴホォォォォォッ!!」
「えっ!? は、白騎士団って、あのeスポーツの……!?」
「ああっ、アイズドさんまたむせてる! 大丈夫ですか!?」
驚愕で目を見開く美咲さんと、慌てて俺の背中をさするルナ。
せっかく取り繕った大人の余裕も、必死に隠していた俺の黒歴史も、天然アタッカーの一撃によって木っ端微塵に粉砕された。
現実のカフェのテラス席で、俺の激しい咳き込みがいつまでも虚しく響き渡っていた。




