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失業した軍師、産廃ジョブで世界の余白を攻略する 〜古代変形機装は、使い手の頭がおかしいほど強くなる〜  作者: 三元豚


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書庫は炉より静かに燃える

 古代書庫は、閉じたあとも頭の中に残った。


 炉の火は目に見える。赤く燃え、熱を放ち、近づけば肌が焼ける。だから危ないと分かる。熱いものは熱い。触れば火傷する。実に分かりやすい。分かりやすい危険というのは、それだけで少し親切ですらある。


 だが、書庫は違う。


 あそこには火がない。


 ないはずなのに、情報が燃えている。


 古い紙、金属板、素材見本、炉心材の断片。何百年、何千年眠っていたのかも分からない記録が、こちらが一行読むだけで、今の世界の見え方を変えてくる。


 昨日、俺たちは地下第七保管庫の奥で《古代書庫》を見つけた。


 そして、旧規格魔力安定板の原型記録、灰鉄原鉱、古代根系素材、世界樹周辺分類、フェネキア族地下記録という、見るからに厄介な単語を拾った。


 拾った、という言い方は正確ではないかもしれない。


 落ちていたものを拾ったというより、扉を開けたら上から降ってきた。しかも重い。情報にも質量があるのだとしたら、昨日の書庫は軽く落石事故だった。


 俺はログアウト後も、その単語群を何度か思い出した。


 灰鉄原鉱。


 古代根系素材。


 世界樹周辺分類。


 フェネキア族地下記録。


 どれも、今すぐ手を出すべきものではない。


 だが、無視していいものでもない。


 そういうものが一番面倒だ。放置すれば腐る。触れば燃える。触らないように見張るだけでも手間がかかる。情報管理というやつは、戦闘より地味な顔をして精神を削ってくる。


 翌朝、第三炉に集まった俺たちは、再び領主館倉庫へ向かうことになった。


 同行者は前回と同じ四人。


 俺。


 ルナ。


 モチモチきなこもち。


 そして第三炉のグラン親方。


 人数を増やす気はなかった。古代書庫の存在そのものは、暫定管理ログ上では記録されている。ただし、内部の閲覧内容まではまだ公開していない。公開範囲を決める前に人を増やせば、それだけ情報が漏れる。


 情報は水に似ている。


 流れ始めると止めづらい。


 そして、このゲームにおいて情報は金になる。金になるものには、人が群がる。人が群がれば、だいたいろくでもないことが起きる。経験上、かなり高確率だ。


「アイズドさん」


 隣を歩くルナが、灰色のフードの奥から声をかけてきた。


 彼女は昨日完成した《根麻影踏の旅装》をまとっている。深いフードの影が顔と髪を隠し、足元の裾は歩くたびに自然に開閉していた。昨日より、もう少し着慣れているように見える。


「今日は、どこまで見るんですか?」


「素材分類台帳と、旧規格魔力安定板の関連記録までだ」


「世界樹とか、フェネキア族の記録は?」


「触らない」


「触らないんですか」


「ああ。少なくとも、今日は触らない」


 俺が答えると、前を歩くきなこもちが振り返った。


 彼女の目は、朝からずっと輝いている。炉を見る時とも、素材を見る時とも違う。未知のものを前にした職人の目だ。危ない。非常に危ない。


「見るだけならいいんじゃない?」


「駄目だ」


「開くだけ」


「駄目だ」


「目次だけ」


「その目次からクエストが生える可能性がある」


「生えたら抜けばいいじゃん」


「雑草みたいに言うな」


 グラン親方が低く咳払いをした。


「きなこもち。黒鉄殿の言う通りだ。あの書庫は、通常の素材庫ではない。記録の一部だけでも、グレイム領の素材評価や工房制度に影響を与える可能性がある」


「親方まで堅いなあ」


「炉は堅い土台の上で使うものだ」


「書庫は?」


「もっと堅い土台がいる」


 きなこもちが少しだけ唇を尖らせる。


 だが、反論はしなかった。


 彼女も分かっているのだ。


 古代書庫は宝箱ではない。開ければ便利素材と攻略情報が飛び出す都合のいい箱ではない。あそこにあるものは、使い方を間違えれば素材市場も、職人の評価も、供給村の立場も変えてしまう。


 リーフェ村の灰鉄鉱と根麻布ですら、公開査定であれだけ騒ぎになった。


 もし古代分類の記録を雑に公開すれば、今度は「古代素材の末端だ」と騒ぐ者が出るだろう。買い占め、値上げ、偽物、過剰採掘、素材の奪い合い。見えすぎる未来は、だいたい嫌な形をしている。


 だから、見る。


 だが、見せる範囲は決める。


 今の俺にできるのは、またそういう地味な線引きだった。


ーーーーーー


 領主館倉庫の奥、旧規格保管棚のさらに先。


 地下第七保管庫の扉は、昨日と同じようにそこにあった。


 石壁に埋め込まれた金属枠。


 古い封印線。


 掠れた分類札。


 昨日一度開いたせいか、扉の表面には薄くログが残っている。


 《地下第七保管庫》


 《古代書庫 限定閲覧権限確認済み》


 《次回閲覧範囲:素材分類台帳/旧規格魔力安定板原型記録/炉心材系統図》


 《深層分類:制限中》


 制限中。


 良い響きだ。


 閉じているものは閉じていてくれ。世の中、開かない方がいい扉も多い。特に、このゲームの扉は開けるたびに面倒事が増える傾向がある。


「深層分類、制限中だって」


 きなこもちが少し嬉しそうに言う。


「嬉しそうに読むな」


「だって、制限中ってことは、そのうち開くってことでしょ」


「そういう読み方をするな」


「職人は閉じた箱を見ると開けたくなるんだよ」


「その性質は治した方がいい」


「無理」


 即答だった。


 ルナが小さく笑う。


「きなこもちさん、宝箱を見る冒険者みたいです」


「職人にとって、未確認素材は宝箱だからね」


「開けたら爆発するかもしれないぞ」


 俺が言うと、きなこもちはこちらを見上げて言った。


「爆発しないように開けるのが職人」


「爆発する可能性は否定しないんだな」


「素材はたまに爆発する」


 怖いことを平然と言うな。


 俺は暫定管理権限を扉へ通した。


 今回は、昨日より反応が早かった。


 金属枠に淡い光が走り、封印線が順番にほどける。石壁の奥で歯車のようなものが回る音がして、扉が内側へ開いた。


 冷たい空気。


 古い紙。


 金属。


 土の匂い。


 そして、昨日より少し濃い、乾いた根のような匂い。


 ルナがわずかに顔を上げた。


「昨日より、奥の匂いがします」


「匂いで分かるのか」


「なんとなくです」


 なんとなく、か。


 ルナのなんとなくは、時々馬鹿にできない。死角からの攻撃を避ける時も、相手の起こりを読む時も、彼女はだいたい「なんとなく」で正解に触る。


 俺はその言葉を、頭の端に置いた。


 階段を下りる。


 魔力灯が一つずつ灯る。


 緑を含んだ淡い光が、石壁を照らす。工房区の赤い火とは違う。熱はないのに、妙に身体の内側へ入ってくる光だった。


 階段の先で、古代書庫が広がる。


 昨日見た時と同じ光景。


 石と金属の書棚。


 金属板の記録媒体。


 紙の束。


 巻物。


 素材見本の小瓶。


 炉心材の断片。


 乾いた根のような標本。


 棚は整然と並んでいるが、現代の倉庫のような番号管理とは違う。分類の仕方そのものが古い。素材の属性、用途、由来、加工法が混ざっている。今の素材台帳なら別々の項目に分けるところが、一つの流れとして記録されている。


 きなこもちが、書庫の入口で立ち止まった。


 珍しく、すぐには動かなかった。


「……すごいね」


 短い声だった。


 軽口ではない。


「火がないのに、熱い」


 グラン親方が静かに頷く。


「知識の炉、ということか」


「親方、たまに詩人みたいなこと言うよね」


「お前に言われるとは思わなかった」


 俺も、少しだけ書庫を見渡した。


 書庫は炉より静かに燃える。


 そんな言葉が浮かんだ。


 声には出さない。


 出したら、きなこもちに拾われる。面倒だ。


ーーーーーー


 閲覧端末のような石台に近づくと、ログが浮かんだ。


 《古代書庫 限定閲覧》


 《閲覧者:黒鉄の重装騎士》


 《同行者:灰衣の旅剣士/モチモチきなこもち/第三炉グラン》


 《個人名、職業、装備詳細:非公開》


 《閲覧可能項目》


 《一:素材分類台帳 基礎層》


 《二:旧規格魔力安定板原型記録》


 《三:炉心材系統図》


 《四:理外創成 断片記録》


 《深層分類:閲覧制限中》


 四つ目。


 理外創成。


 それを見た瞬間、きなこもちの目がまた輝いた。


「理外創成」


「触るな」


「まだ見ただけ」


「目が触ってる」


「目は触れないよ」


「お前の目は触りそうだ」


 グラン親方が石台の前に立つ。


「黒鉄殿。まずは予定通り、素材分類台帳からでよろしいか」


「ああ」


 俺は操作ログを確認する。


 石台は、現代のメニューとは少し違う。だが、暫定管理権限が翻訳のような働きをしているらしい。読める項目と読めない項目があり、読める範囲だけが現代語に変換されている。


 《素材分類台帳 基礎層》を開く。


 空中に、古い図が浮かんだ。


 中央に大きな樹形図。


 上には、いくつかの根源素材名。


 そこから枝分かれするように、鉱石、繊維、木材、炉心材、魔力伝導材が繋がっている。


 現代の素材分類とは違う。


 鉄は鉄、布は布、木材は木材、という分け方ではない。


 どこで採れたか。


 何に近いか。


 どんな魔力を含むか。


 どの加工法で起きるか。


 そういう関係性で素材が繋がれている。


「これは……」


 グラン親方が息を呑む。


「素材を、用途ではなく血筋で見ている」


「血筋?」


 ルナが首を傾げる。


「人間の家系図のようなものです。今の台帳は、剣に向く、鎧に向く、布に向く、薬に向く、と用途で分けることが多い。ですが、この台帳は、素材がどこから派生したかを見ている」


 きなこもちが、樹形図に顔を近づける。


「だから、剣に向かない鉱石でも、別の枝では重要になるんだ。灰鉄鉱が低評価だったの、やっぱり分類が雑だったんだね」


「まだ断定するな」


 俺は言った。


「これは古代分類だ。現代素材と完全に一致するとは限らない」


「分かってる。でも、近い」


 きなこもちの声は抑えられていた。


 興奮しているが、浮かれてはいない。


 素材を灰にする怖さを知っている職人の声だった。


 台帳の一部が拡大される。


 《灰鉄原鉱》


 その文字が浮かんだ。


 枝の下に、いくつかの派生素材名が連なっている。欠けている部分も多い。読めない文字もある。だが、その末端近くに、現代語へ変換された単語が出た。


 《灰鉄鉱》


 リーフェ村産のものと、完全に同じとは限らない。


 だが、名前は同じだ。


 きなこもちが小さく息を吸った。


 グラン親方も黙り込む。


 ルナが俺を見る。


「リーフェ村の鉱石、ですか?」


「可能性はある」


「可能性」


「ここで確定と言うと、あとで痛い目を見る」


 俺は台帳の詳細を確認する。


 《灰鉄原鉱》


 《特性:衝撃を抱えず、逃がす》


 《剣芯への適性:低》


 《外殻、緩衝、根部補強への適性:高》


 《過熱時、魔力を受け流す傾向あり》


 リーフェ村の灰鉄鉱で見えた性質に近い。


 剣には向かない。


 だが外殻や緩衝に向く。


 まさに《灰鉄幻装外殻》で使った性質だ。


 俺は黙ってログを複写した。


 ただし、公開設定にはしない。


 《限定複写:灰鉄原鉱分類断片》


 《公開状態:保留》


 きなこもちがこちらを見る。


「公開しないの?」


「今すぐはしない」


「リーフェ村の素材価値を証明するには強いよ」


「強すぎる」


 俺は言った。


「古代分類の末端かもしれない、なんて情報をそのまま出せば、買い占めが起きる。偽物も出る。リーフェ村に人が押しかける。鉱山が荒れる可能性もある」


 ルナの顔が、フードの奥で少し強張った。


「リーフェ村が、また危なくなるんですか」


「使い方を間違えればな」


 情報は武器だ。


 それも、かなり扱いの難しい武器だ。


 リーフェ村を守るための証拠が、リーフェ村を危険に晒すこともある。


 そういうものは、慎重に出す必要がある。


「分類の一部だけは炉会議へ出す」


 俺は言った。


「灰鉄鉱が外殻、緩衝に向くという記録。そこまでだ。古代原鉱の名前や世界樹関連の枝は伏せる」


 きなこもちが少し考えて、頷いた。


「その方がいいかもね。素材価値は上げたいけど、村が燃えるのは違う」


「燃やす前提の表現をやめろ」


「情報も燃えるから」


 それは否定しづらかった。


ーーーーーー


 次に、根麻布に関わる分類を探した。


 正確には、根麻布そのものの名前はすぐには出ない。古代分類では、布としてではなく「古代根系繊維」の末端に近い素材として扱われているらしい。


 樹形図の別の枝に、《古代根系繊維》という項目があった。


 そこから下へ、いくつかの繊維素材が枝分かれしている。読めないもの、黒く欠けているもの、変換不能のものが多い。その末端の一つに、近い記述がある。


 《根麻系織布》


 完全一致ではない。


 だが、近い。


 詳細を開く。


 《根麻系織布》


 《特性:湿りを拒み、形を記憶する》


 《魔力伝導:低》


 《外套、覆布、可動部保護への適性:高》


 《魔力を通すより、魔力を避ける用途に向く》


 ミラがいたら喜びそうな記述だ。


 ルナの《根麻影踏の旅装》にも合っている。


 魔力を通して強化するのではなく、外からの干渉を避け、形を戻す。耐湿性と可動部保護。昨日の設計と、かなり近い。


「根麻布も、低品質じゃなかったんですね」


 ルナが言った。


「低品質ではなく、使い方が失われていた可能性がある」


 グラン親方が答える。


「魔力伝導が低いという一点だけで見れば、魔法布としては劣る。だが、魔力を通さないこと自体が価値になる用途もある」


 きなこもちが、少し嬉しそうに笑った。


「やっぱり素材は悪くない。見てる側が雑だっただけ」


「雑というより、分類の仕方が違ったんだろう」


 俺は言った。


「現代の職人や領主館が悪意だけで見落としたわけではない。もちろんノイズは悪意多めだったが、制度の側にも見えない穴がある」


「そこ、ちゃんと分けるんだ」


「分けないと、全部をノイズのせいにして終わる」


 それは楽だ。


 悪いやつがいた。


 倒した。


 全部解決。


 そう考えられたら、どれだけ楽か。


 だが、現実はそうではない。ノイズを止めても、素材分類のズレは残る。評価基準の偏りも残る。職人側の慣習も残る。商人の都合も、供給村の弱さも残る。


 悪役一人では世界は腐らない。


 悪役一人では世界は直らない。


 これが面倒で、これがたぶん本当だ。


 俺は根麻系織布の記録も限定複写した。


 《限定複写:根麻系織布分類断片》


 《公開状態:保留》


 ルナが尋ねる。


「これも、一部だけ公開ですか?」


「ああ。根麻布が外套や可動部保護に向くという部分だけ。古代根系繊維や世界樹に近い枝は伏せる」


「どうして世界樹は伏せるんですか」


「まだ読めていないからだ」


 俺は短く答えた。


「読めていないものを、読めた気になって使うのが一番危ない」


 ルナは少し考えて、頷いた。


「分かりました」


「本当に分かったか?」


「半分くらいです」


「正直でよろしい」


 半分でいい。


 むしろ、全部分かったと言われる方が怖い。


 俺自身、まだ半分も分かっていない。


ーーーーーー


 素材分類台帳を閉じると、書庫の奥からかすかな音がした。


 紙が擦れるような音。


 風ではない。


 この空間には、風がほとんどない。あるのは、開いた記録に反応する古い魔力の流れだけだ。


 ルナが一歩、そちらへ視線を向けた。


「奥で、何か動きました」


「見に行かない」


 俺は即答した。


「まだ何も言ってません」


「言う前の顔をしていた」


「アイズドさん、最近それ多いです」


「お前が分かりやすい」


 きなこもちが、少し残念そうに奥を見た。


「素材見本っぽい棚があるんだけどなあ」


「見ない」


「少しだけ」


「見ない」


「今日の黒鉄さん、堅い」


「書庫で柔らかくなると大体死ぬ」


「探索者みたいなこと言うね」


「探索者だからな」


 言ってから、少しだけ引っかかった。


 探索者。


 そうだ。


 今の俺は、攻略軍師でも、白騎士団の作戦担当でもない。少なくとも、そういう肩書きはもう持っていない。


 俺は今、この世界を自分の足で歩いている。


 誰かの勝利を組み立てるためではなく、誰も見ていない場所を見に行くために。


 古代書庫は、危険だ。


 だが、危険だからこそ惹かれる。


 この感覚は、探求期を待っていた時のそれに近い。


 誰も正解を持っていない場所。


 誰の攻略記事もない場所。


 触れれば火傷するかもしれないが、触れなければ何も分からない場所。


 俺は小さく息を吐いた。


 今は触れない。


 触れるためには、準備がいる。


 そういう判断をできるようになっただけ、前よりはましだと思いたい。


 グラン親方が石台の前で言った。


「黒鉄殿。旧規格魔力安定板の原型記録を確認しましょう。防具と第三炉に直接関係する範囲です」


「ああ」


 俺は次の項目を開く。


 《旧規格魔力安定板原型記録》


 空中に、板状の図面が浮かぶ。


 現代の旧規格魔力安定板と似ているが、中央の素材構成が違う。そこには、先ほど見た素材名がいくつか並んでいた。


 《灰鉄原鉱粉》


 《根晶片》


 《樹脈銀》


 《炉心炭》


 一部は読める。


 一部は知らない。


 グラン親方は、図面を凝視していた。


「現代の旧規格板は、かなり代替素材で作られています。原型はもっと複雑だ」


「今の板は劣化品か?」


「劣化というより、再現品でしょう。失われた素材を、手に入るもので置き換えている」


 きなこもちが興味深そうに言う。


「じゃあ、現代板が遅れる理由って、代替素材のせい?」


「可能性はあります」


 グラン親方の目が鋭くなる。


「昨日の高温炉起動で、安定板が火力上昇に一拍遅れました。原型記録を見る限り、元の板は火力変化への追従がもっと早かった可能性がある」


 なるほど。


 つまり、昨日の炉の癖は、炉だけの問題ではない。


 使っている安定板そのものが、古代の原型から劣化、あるいは代替されているから遅れる。


 炉の不調だと思っていたものが、素材と技術の継承不全に繋がる。


 また線が増えた。


 俺は図面を限定複写する。


 《限定複写:旧規格魔力安定板原型記録》


 《公開状態:炉会議限定》


 これは炉会議には出していい。


 ただし、全部ではない。現代板の調整に必要な範囲だけだ。原型素材の詳細は伏せる。特に《樹脈銀》や《根晶片》のような未知素材は、今出すべきではない。


「黒鉄さん」


 きなこもちが言った。


「これ、理外創成で再現できると思う?」


 来た。


 当然、そこへ行く。


「今は考えない」


「考えるだけ」


「考えたら手が動くだろう」


「動くかも」


「だから駄目だ」


 きなこもちが口を尖らせる。


 だが、グラン親方が珍しく彼女側ではなく俺側についた。


「黒鉄殿に同意します。原型記録を見ただけで再現を試みるのは危険です。素材の代替関係を理解しなければ、失敗時の損失が大きい」


「分かってるよ、親方」


 きなこもちの声は、軽口より少し低かった。


「分かってる。でも、見えると手が伸びるんだよ」


 それは、たぶん本音だった。


 見えると手が伸びる。


 俺にも覚えがある。


 誰も解いていない盤面が見えた時。誰も知らないボスギミックが目の前にある時。誰も辿っていないルートが開いた時。危ないと分かっていても、頭のどこかが先へ行きたがる。


 職人にとっては、それが素材と炉なのだろう。


「手を伸ばすなとは言わない」


 俺は言った。


 きなこもちがこちらを見る。


「ただ、伸ばす前に、誰の素材を使うのか、失敗したら何が灰になるのか、そこを決めろ」


 彼女は少し黙った。


 それから、小さく頷いた。


「うん」


 珍しく、素直だった。


ーーーーーー


 炉心材系統図も確認した。


 廃炉心炭の系統は、古代の炉心材のかなり下流にあたるらしい。原型には、もっと熱を保持し、魔力の揺れを受け流す素材が使われていたようだが、ほとんどが変換不能だった。


 読める範囲だけでも、第三炉の調整には役立つ。


 廃炉心炭をどの部位に使うか。


 どの温度帯で反応が鈍るか。


 どの素材と組み合わせると割れやすいか。


 そうした断片が、いくつか手に入った。


 これも炉会議限定で共有する。


 公開範囲を細かく設定するたび、暫定管理ログが重くなる。


 《情報区分設定》


 《一般公開:素材用途断片》


 《炉会議限定:加工補助記録》


 《非公開保留:古代根系、世界樹周辺分類、未知素材名》


 《深層記録:未閲覧》


 情報に札をつけていく作業。


 これもまた、倉庫整理に似ている。


 違うのは、間違った棚に置くと爆発する可能性があることだ。やはり職人の倉庫とあまり変わらないかもしれない。嫌な共通点である。


 ひと通り確認したところで、俺は石台から手を離した。


「今日はここまでだ」


 きなこもちが即座に不満そうな声を出す。


「理外創成は?」


「次回」


「出た、次回」


「今日は素材分類と安定板と炉心材まで。理外創成は、別枠で読む。お前が絶対に暴走するからだ」


「信用ないね」


「あるから止めている」


 きなこもちが少し驚いたような顔をした。


「信用してるの?」


「素材を読む腕はな」


「人としては?」


「発火物」


「ひどい」


「職人としては、たぶん正しい」


 グラン親方が小さく笑った。


 きなこもちは少し不満そうだったが、それ以上は食い下がらなかった。


 ルナが書庫の奥を振り返る。


「まだ、奥がありますね」


「ああ」


「今日は行かないんですね」


「行かない」


「分かりました」


 彼女は素直に頷いた。


 だが、その視線は少しだけ奥に残っていた。


 広すぎる感じがする。


 さっき、ルナはそう言った。


 この書庫は、まだほんの入口しか見せていない。


 深層分類。


 世界樹周辺分類。


 フェネキア族地下記録。


 それらは、今も書庫の奥で静かに眠っている。


 眠っているだけならいい。


 問題は、この世界では眠っているものほど、だいたい起こされる運命にあることだ。


 俺たちは限定複写を持ち、階段へ向かった。


 背後で、書庫の魔力灯が一つずつ落ちていく。


 最後に石台の上へ、一行だけログが残った。


 《次回閲覧候補》


 《理外創成 断片記録》


 《閲覧には、素材提供者の同意記録、または職人実績ログが必要です》


 きなこもちが足を止めた。


 俺も止まった。


 素材提供者の同意記録。


 職人実績ログ。


 理外創成は、ただ読める記録ではないらしい。


 読むためにも、誰が何を作り、誰の素材を預かり、どう同意を得たかが関わってくる。


 つまり、きなこもちが公開査定でやったこと。


 リーフェ村の素材を預かり、灰になる危険を説明し、村側の同意を得て、理外創成を成功させたこと。


 あれが、閲覧条件に関わっている可能性がある。


 きなこもちの顔から、軽口が消えた。


「……あたしのログ、いるんだ」


「可能性はある」


「そっか」


 彼女は短く言った。


 その声には、興奮と恐怖が混じっていた。


 火の前に立つ職人の声だった。


 俺はそのログを見ながら、静かに息を吐いた。


 書庫は炉より静かに燃える。


 そして、今日その火は、きなこもちの方へ少しだけ伸びた。


 俺たちは地上へ戻った。


 グレイム領の工房区では、いつも通り炉の煙が上がっている。


 だが、俺の中ではもう、あの地下書庫の静かな熱が消えなかった。


 次は、理外創成。


 死に機能と呼ばれていたものの、奥にある記録。


 そこへ触れれば、きなこもちの職人としての道も、リーフェ村の素材価値も、グレイム領の工房の意味も、また変わるかもしれない。


 面倒だ。


 危ない。


 だからこそ、準備がいる。


 俺は限定複写ログを閉じ、第三炉へ向かって歩き出した。


 最高のクソゲーは、今度は火のない書庫で俺たちを焼くつもりらしい。

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