軍師の嘆き
醜悪な5メートル級の肉塊から、赤黒い鱗と一対の翼を持つ『竜人』へと変貌を遂げたアーサー王。
極限まで圧縮されたその肉体から放たれるのは、先ほどまでの大味な威圧感とは全く異なる、研ぎ澄まされた氷の刃のような濃密な殺気だった。
「……素晴らしい」
アーサーは、自らの赤黒い鱗に覆われた両手を顔の前に掲げ、ゆっくりと力強く握りしめた。
縦に割れた黄金の瞳孔が、歓喜に打ち震えている。
「なんという力だ。これが……あのお方の真の力の一部。もはや己の肉体とは思えぬほどに、力が、魔力が、際限なく溢れ出してくる……。これならば、すべてを意のままにできる!」
狂王の陶酔しきった声が、静まり返った玉座の間に不気味に響き渡る。
あまりにも禍々しく、そして美しさすら感じる悪魔的な変貌を前に、俺も、ルナも、モードレッドたちも、一瞬だけ息を呑んで硬直してしまった。
「ええい、図体が小さくなったからと言って臆する私ではないわッ!」
その凍りついた空気を打ち破ったのは、漆黒の巨漢・ガウェインだった。
彼は大剣を両手で握り締めると、兜の奥から闘志に満ちた怒号を上げ、地を割るような踏み込みで一直線にアーサーへと突進した。
「貴様の相手は私だ、狂王! その細腕で、我が一撃を受け止めてみよッ!」
《ウォークライ(挑発)》のスキルエフェクトと共に、ガウェインがヘイトを強制的に奪いに行く。タンクとして百点満点の、理にかなった動きだ。
だが、その背中を見た瞬間、俺の背筋を氷塊を押し当てられたような『極めて嫌な予感』が駆け抜けた。
(……待て、ガウェイン! 踏み込みが深すぎる!)
相手はもう、鈍重な肉塊ではないのだ。
俺の軍師としての本能が、最大級の警鐘を鳴らす。
「アグラヴェイン、回復の準備を! 敵のカウンターが来るぞッ!」
俺は叫ぶと同時に、《戦陣軍師》の魔導書を乱暴に展開し、考えうる限りの最大防御をガウェインに叩き込んだ。
「《鼓舞展開》! さらに妖精の《魔力シールド》を重ねろ! 二重防壁だッ!」
俺の魔力と妖精の光が重なり合い、突進するガウェインの漆黒の甲冑の周囲に、亀甲状の分厚い二重のバリアが展開される。物理攻撃も魔法攻撃も大幅に減衰させる、軍師の誇る鉄壁の守りだ。
そこに、ガウェインの身の丈を超える大剣の重撃が、アーサーの頭上から完璧なタイミングで振り下ろされた。
ズガァァァァァァンッ!!
だが。
大理石の床が砕け散る轟音の中で、ガウェインの大剣は、ただの『残像』を真っ二つに両断しただけであった。
「……なにっ!?」
ガウェインが驚愕の声を上げる。
アーサー王は、大剣が触れるコンマ一秒の瞬間に、文字通りの『最小限の動き(紙一重のステップ)』で半身をずらし、その致死の重撃をいとも容易く回避していたのだ。
そして、大剣を振り抜いて完全に無防備となったガウェインの胴体に向け、アーサーの右手に形成された極度に圧縮された魔力の爪が、音もなく突き出された。
「遅い。遅すぎるぞ、ガウェイン」
パリンッ……ガシャァァァァンッ!!!!
俺が展開したはずの二重の鉄壁バリアが、まるで薄氷をハンマーで叩き割ったかのように、一瞬にして、何の手応えもなく粉砕された。
「が、はァッ!?」
魔力の爪が、ガウェインの分厚い漆黒の甲冑を紙切れのように貫通し、深々と突き刺さる。
直後、爆発的な衝撃波が弾け、巨大なガウェインの身体がボールのように宙を舞い、数十メートル後方の白亜の壁に激突してめり込んだ。
「ガウェインッ!!」
モードレッドが悲鳴を上げる。
「無茶をしないでくださいと言っているでしょう、あの単細胞は……ッ! 《大治癒》!!」
後方で待機していたアグラヴェインが舌打ちをしながら、即座に特大の回復魔法を放ち、壁にめり込んだガウェインの傷を癒す。
だが、俺の視線は、ガウェインの頭上に表示されたHPバーに釘付けになっていた。
(おいおいおい……冗談キツいぜ、クソAI)
俺は魔導書を持つ手をワナワナと震わせながら、内心で盛大に毒づいた。
ガウェインのHPバーは、俺の二重バリアの上からの一撃で、実に『総HPの3分の1』をごっそりと削り取られていたのだ。
アタッカーならいざ知らず、防御力とHPに特化した最高位の『タンク』のHPが、だ。しかも、バフを剥がされたわけではない。純粋な『ダメージの貫通』によってである。
(レベル補正の無敵権能は解除されて、全員のレベルが80相当にフラット化されたはずだろうが! タンクの二重バリアごとHPを三分の一削るただのカウンターって、一体どんなダメージ計算式してやがるんだ!?)
俺は額に浮かんだ冷や汗を拭い、呆れ果てて天を仰ぎたくなった。
図体が小さくなって回避力と機動力が跳ね上がった上に、一撃の火力まで肉塊の時より桁違いに上がっている。
防御を捨てた超攻撃型、というわけでもないだろう。あの鱗の硬さは、おそらく魔法防御力も物理防御力もハネ上がっているはずだ。
物理法則もゲームバランスもクソもあったもんじゃない。
(これだから神話級のボスってやつは嫌いなんだ。少しは『ゲームバランス』ってものを考えやがれ……!)
俺の心の中の嘆きを他所に、アーサー王は右手の爪についたガウェインの血を払い、縦に割れた瞳孔でこちらを悠然と見据えた。
その顔に浮かぶ、不気味なまでの余裕の笑み。
「さあ、どうした。自慢の連携とやらは終わりか? ……ならば、第二ラウンドと行こうか」
絶望の象徴のようなその台詞が、玉座の間に冷たく響き渡る。
俺はギリッと奥歯を噛み締め、絶望的に跳ね上がったボスのステータスを前に、必死に次なる一手を捻り出そうと脳味噌をフル回転させ始めた。
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「散開しろッ! ブレスが来るぞ!!」
俺の喉が裂けるような指示と同時に、竜人へと変貌したアーサー王の顎が大きく開かれた。
縦に割れた瞳孔が赤く発光し、その喉の奥で圧縮された魔力が、超高熱の『炎の津波』となって玉座の間をなぎ払う。
「くぉぉぉぉぉッッ!」
前線に復帰したガウェインが、大剣を盾のように構えて炎の直撃を受け止める。俺もその後方から《戦陣軍師》の魔導書を開き、ガウェインと前衛のアタッカー二人に厚い魔法障壁を上書きした。
バリンッ、とガラスが砕けるような音を立ててバリアが蒸発し、凄まじい熱波が俺の頬を撫でる。
第2ラウンド。
竜人化したアーサー王の攻撃は、まさに『厄介』そのものだった。
鈍重な肉塊だった第1ラウンドとは打って変わり、今のアーサーは高い機動力と回避力を持っている上に、竜特有の火炎ブレスや、広範囲の古代魔法までノーモーションで詠唱してくる。
さらに、圧縮されたその肉体から放たれる物理攻撃は、掠っただけで俺たち後衛は即死、前衛のガウェインでさえ致命傷になりかねないほどの異常な威力を秘めていた。
「ハァッ!!」
炎の波が収まった一瞬の隙を突き、ルナが神速のステップでアーサーの懐へと潜り込む。白銀の片手剣が《穿空の絶華》の刺突となって放たれるが、アーサーはそれを最小限の動きで躱し、硬質な赤黒い鱗でルナの刃を滑らせた。
「硬い……! さっきまでと全然違います!」
ルナが舌打ちをし、アーサーの鋭い爪によるカウンターを間一髪で後方へ跳んで躱す。
モードレッドの真紅の雷光も連続して直撃しているはずなのだが、アーサーの頭上に浮かぶHPバーは、先ほどとは比べ物にならないほど減りが遅くなっていた。防御力と魔法耐性が、竜の鱗によって跳ね上がっているのだ。
だが、それでも俺たちがこの絶望的な第2ラウンドに食らいついていけるのには、明確な理由があった。
『――小賢しいわね、アーサー。あなたのその癖、昔からちっとも変わっていないわ』
最後方。玉座の残骸の前から、冷たく、そして優雅な声が響いた。
妖妃モルガンである。
「姉上ェェェェェッ!!」
アーサーが激昂し、ルナとモードレッドを羽虫のように払い除け、一直線にモルガンへと向かって突進した。
竜人の驚異的な脚力が、大理石の床を爆砕しながら一瞬で数十メートルの距離を詰める。アーサーの魔剣が、モルガンの華奢な首を刎ねようと横薙ぎに振り抜かれた。
だが、モルガンはその場から一歩も動かなかった。
ズガァァァァァァァァァンッ!!!!
アーサーの魔剣が届くよりも早く、彼が『踏み込んだその着地点』の足元から、極大の漆黒の魔力柱が火山の噴火のごとく突き上げたのだ。
「ガ、ガァァァァァァッ!?」
予期せぬ死角からの超火力魔法の直撃を受け、アーサーの巨体が大きく天へと打ち上げられる。
「な、なんだと……!?」
俺は魔導書を持ったまま、呆然とその光景を見つめた。
モルガンの魔法は、アーサーを直接狙ったものではない。アーサーが回避行動を取り、あるいは突進してくる『未来の座標』を完全に先読みし、あらかじめその場所に致死の魔法を「置き撃ち」していたのだ。
アーサーが空中で体勢を立て直し、怒り狂って別の方向へ着地しようとすれば、今度はその着地点で不可視の氷の槍が串刺しにする。
それはまるで、アーサー自身が自らモルガンの魔法に向かって飛び込んでいるかのようにすら見えた。
「未来が見えてんのかよ……」
俺は背筋に冷たいものを感じながら、思わず呻いた。
相手のモーションから思考を読み取り、数フレーム先の終着点に必ず即死級の魔法を置いておく。ゲームのAIだからできるという次元ではない。これは、何百年もの間、弟であるアーサーの剣筋や癖を骨の髄まで熟知している『姉』だからこそできる、異常なまでの当て感(予測射撃)だった。
「アイズドさん! モルガン様、凄すぎます!」
「ああ。正直言って、戦慄(ドン引き)してるぜ。絶対に敵に回しちゃいけねぇタイプだ。この戦いが終わったら、全力でゴマすりでもしておくべきだな……」
俺は額の汗を拭いながら、誰に言うともなく呟いた。
どんなにアーサーの鱗が硬かろうと、モルガンの放つ神話級の魔術が確実に直撃すれば、HPバーは着実に削れていく。ルナとモードレッドがヘイトを散らし、ガウェインが致命傷を防ぎ、モルガンが確実に仕留める。
このままのペースで時間をかければ、間違いなく倒せる。
狂王アーサーのHPは、ついに残り二割を切り、レッドゾーンへと突入しようとしていた。
いける。勝てる。
パーティの誰もが、その希望の光を視界に捉え始めていた。
だが。
俺の心の奥底、プロゲーマーとして何万時間も理不尽なシステムと向き合ってきた『軍師』としての本能が、警鐘を鳴らし始めていた。
(……何かが、おかしい)
俺は魔導書を開いたまま、胃の腑に冷たい鉛の塊を飲み込んだような、重く不気味な悪寒を感じていた。
背筋を、見えない無数の虫が這い上がってくるような、肉体的で直感的な恐怖。
順調すぎるのだ。
確かに俺たちの連携は完璧だ。モルガンの予測射撃も神がかっている。
だが、相手はあのクソAI『アルファ』が用意した、世界を揺るがす『七つの竜種』の一角をその身に宿した神話級のボスだ。
それが、ただステータスをフラット化され、竜人になっただけで、こんなにも素直にHPを削りきらせてくれるものだろうか?
(アーサー王は、竜の力を取り込んで暴走している。だが、あいつはまだ『竜そのもの』じゃない。あくまでアーサー王というNPCの肉体をベースにした『器』にすぎない)
俺の思考が、最悪のシナリオを組み上げていく。
アーサー王の自我は、竜の引力によってすでに崩壊している。だが、彼の高潔で強靭だった精神と肉体が、辛うじて『竜の力が完全にこの世界に顕現すること』を押し留める、最後の封印になっていたとしたら?
「……おい、嘘だろ」
俺は、ガウェインの攻撃を受けてよろめくアーサー王の姿を凝視した。
赤黒い竜の鱗に覆われた彼の身体。その鱗の隙間から、先ほどからずっと、マグマのような異常な魔力が蒸気のように漏れ出し続けている。
それは、ダメージを受けて弱っているというよりも……。
アーサー王という『器』が、内に秘めた莫大な竜の力に耐えきれず、今にも内側から弾け飛びそうになっているように見えた。
(もし、このままアーサー王のHPをゼロにして、あいつを倒してしまったら……)
俺の額から、嫌な汗がツーッと流れ落ちる。
アーサー王の敗北。それは、平和の訪れではない。
アーサーという強靭な檻(器)が壊れた瞬間、その中に圧縮されていた『七つの竜種』――原初の引力を放つ本物の厄災が、完全な形でこの世界に解き放たれてしまうのではないか?
「このまま平穏に終わるはずがない……ッ」
メタ的な疑念が、確信へと変わっていく。
今のこの順調な削り合いは、ただの嵐の前の静けさに過ぎない。
クソAI『アルファ』は、俺たちプレイヤーに「苦労してボスを倒した」というカタルシスを与えた直後に、その達成感ごと絶望のどん底へ叩き落とす気なのだ。
『ガァ、アァァァァァァァッ!!』
アーサー王が、血を吐くような咆哮を上げる。
ルナの白銀の剣とモードレッドの真紅の雷光が交差し、ついにアーサーのHPバーが残り一割を切った。
「トドメだ! これで終わりにしてやる、アーサー!!」
モードレッドが、トドメを刺そうと大きく剣を振りかぶる。
「待てッ! 殺すな、モードレッドォォォッ!!」
俺の喉から、理性をかなぐり捨てた絶叫が迸った。
だが、俺の声が届くよりも早く、玉座の間の空間そのものが、ドクン、と大きく脈打った。
アーサー王の動きが、不自然にピタリと止まる。
そして、彼の赤黒い鱗に覆われた身体から、バキィッ! という、ガラスの器が砕け散るような決定的な破砕音が鳴り響いた。
背筋を這っていた不気味な違和感が、現実の絶望となってこの場に顕現しようとしていた。
俺は魔導書を強く握り締め、来るべき最悪の事態――真なる厄災の誕生に向け、血の気が引くほどの恐怖の中で、強制的に軍師の思考回路をトップギアへと引き上げた。




