崩壊の聖王
『警告:儀式の崩壊を確認。ボスエネミー【狂王アーサー】の無敵権能(レベル補正)が解除されました』
『ステータスがフラット化されます。これより、全参加者のレベルが80相当へと同期されます』
視界の中央に表示された金色のシステムメッセージが、この理不尽な死闘がようやく『真っ当なゲーム(レイドバトル)』へと引き戻されたことを告げていた。
レベル99という絶対的な暴力は消え去った。
前線に立つ漆黒の巨漢・ガウェインが、大剣を構えて強固な壁となる『タンク』。
その側面から真紅の雷光を纏って斬り込むモードレッドが、遊撃を担う『近距離DPS』。
そして最後方から、先ほどまでドームの維持に使っていた莫大な魔力を攻撃へと転用し始めたモルガンが、『遠距離DPS』として砲台の役割を果たす。
(……なら、俺のやるべき役割は、必然的に一つに絞られるな)
これまでは、レベル99という理不尽を凌ぐため、三十のクラスを高速で切り替える極限のオーバーロード状態で戦線を維持するしかなかった。だが、ステータスが適正値にフラット化された今、俺の貧弱な布の服でも、支援特化の立ち回りに集中すれば十分に凌げる計算が立つ。
俺は深く息を吸い込み、限界を超えて明滅していた右腕の【古代変形機装】のシステムを操作した。
複雑な変形機構のロックを掛け、一つのジョブへと完全に固定する。
それは、俺がプロゲーマー『ジン』として、かつて白騎士団の最後方で数え切れないほどの死線を潜り抜けてきた、最も手に馴染んだ愛用のジョブ。
「――《機装変形:戦陣軍師》」
右腕の機装が光の粒子へと分解され、分厚い一冊の『魔導書』となって俺の左手へと収まった。
同時に、魔導書から溢れ出した淡いエメラルドグリーンの光が凝束し、俺の肩の高さにフワフワと浮遊する小さな『自動回復の妖精』が顕現する。
バリア(鼓舞)によるダメージの相殺と、妖精による継続回復。陣形を俯瞰し、パーティの生存率を極限まで高める軍師のためのバリアヒーラー。
「……またよろしくな、相棒」
俺は手元の魔導書の表紙を軽く撫で、懐かしい感覚に口角を吊り上げた。
だが、俺たちが完璧な陣形を整えようとした、その矢先だった。
「ガァ……ァァァ……アァァァァァァッ!!」
玉座の残骸の前で、うずくまっていたアーサー王の身体に、凄まじい異変が起こり始めたのだ。
地下の祭壇を破壊されたことで魔力の供給が絶たれ、彼の体内に取り込まれていた『竜の力』が完全に制御を失い、王の肉体そのものを苗床にして暴走を始めたのである。
バキバキッ、メキィッ!
と、人間の骨格が内側から無理やりへし折られ、再構築されるような不快極まりない音が玉座の間に響き渡る。
「ち、父上……!?」
モードレッドが、そのあまりにも悍ましい光景に息を呑んで後ずさった。
かつて高潔な聖王と謳われた男の肉体が、異常な速度で膨張していく。
神々しかった黄金と白銀の甲冑が、内側から膨れ上がる赤黒い肉の圧力に耐えきれずに弾け飛ぶ。美しいブロンドの髪も、端正で威厳のあった顔立ちも、どす黒く脈打つ肉塊の波に飲み込まれて跡形もなく消え去った。
現れたのは、体長5メートルを優に超える、醜悪な肉塊の異形であった。
所々に硬質な竜の鱗が張り付き、背中からは骨の飛び出した奇形な翼が蠢いている。腕の代わりに人間の怨念が凝縮されたような無数の触手がうねり、そこから腐った肉と硫黄が混ざったような、強烈な異臭が放たれていた。
「うわぁ……」
俺は思わず顔をしかめ、ドン引きした声を出してしまった。
もはや王としての威厳も、人間としての理性も欠片すら残っていない。ただ破壊と暴食の本能だけで動く、グロテスクなバケモノの姿がそこにあった。
だが、その醜悪な異形を前にして、妖妃モルガンの瞳には、微塵の嫌悪も恐怖も浮かんでいなかった。
彼女は、かつての弟の成れの果てを静かに見つめ、その頬に一筋の美しい涙をこぼした。
「……ああ、可哀想に。どれほど苦しかったことでしょう。……でも、もう大丈夫。もう、狂気に苦しまなくていいのよ」
モルガンは、まるでゆりかごの赤子をあやすような、聖母のような深い慈愛に満ちた表情を浮かべていた。
しかし、その慈悲の言葉とは裏腹に、彼女の背後に展開された数十の巨大な魔法陣からは、一切の容赦も躊躇いもない、極大の漆黒の魔力レーザーが乱れ撃たれたのだ。
ズドォォォォォォンッ!!!
漆黒の閃光が異形の肉塊を深く抉り、焼け焦げた肉片が周囲に飛び散る。
弟の魂を救済するために、誰よりも苛烈に、最も残酷な引導を渡す。愛と殺意が完全に同居した魔女の攻撃に、俺は背筋に冷たいものを感じざるを得なかった。
『ギィィィィャァァァァァァァッ!!!』
手痛い一撃を浴びた異形が、鼓膜を劈くような咆哮を上げ、無差別に巨大な触手を振り回し始めた。
理性を失ったボスの攻撃は、パターンが読みにくい。そして、最も厄介なのは、強烈なダメージを与えたモルガンに向けて、ボスのターゲットが急激に向き始めたことだ。
「ガウェイン! 奴のアグロ(敵対心)がモルガンに向かってる! ヘイトを稼いでタゲ(ターゲット)を右へ固定しろ!」
俺は魔導書を開き、咄嗟にゲーム的な戦術用語で指示を飛ばした。
ガウェインは一瞬だけ「は?」という顔をしたが、すぐに俺の意図を察した。
「アグロ……? ヘイト……? 異国の言葉か何かは知らんが、要は私に攻撃を集中させろということだな! 承知したッ!」
歴戦の騎士である彼の順応性は凄まじかった。
ガウェインは漆黒の大剣を盾のように構え、異形とモルガンの射線の間に割り込むと、大地を揺るがすほどの《ウォークライ(挑発)》を放った。
「貴様の相手はこの私だ、バケモノ!!」
システムのヘイト計算が正常に作動し、異形の無数の触手がガウェインへと殺到する。
「《鼓舞展開》! 物理耐性アップ!」
俺はすかさず魔導書から防御バフを乗せたバリアをガウェインに張り、直撃のダメージを最小限に抑え込む。
「モードレッド、奴の死角に回れ! 今だ!」
「応ッ!!」
真紅の雷光が側面に回り込み、異形の装甲の薄い部分を的確に斬り裂いていく。
俺の指揮とバリア、ガウェインの強固な守り、そして二人のアタッカーによる苛烈な攻撃。
レベルがフラット化されたことで、俺たちの戦術が初めて完璧に噛み合い、理不尽だった戦況が完全に拮抗し始めていた。
そして、その激戦の最中だった。
「うわぁ……アーサー王様、なんだかすごく気持ち悪いバケモノになっちゃいましたね」
背後の崩れた大扉の奥から、聞き慣れた、場違いなほどに透き通った声が響いた。
振り返ると、そこには白銀の片手剣を構え、少しだけ息を切らせたルナが立っていた。彼女の装備には地下での激戦を物語る汚れや焦げ跡がついているが、そのサファイアブルーの瞳は、迷いを振り切った力強い光に満ちている。
悲劇の王の成れの果てを見て、「気持ち悪い」と一蹴するそのドライな感性。さすがは俺の最強のアタッカーだ。
「ルナ! よく戻ってきた!」
俺が声をかけると、ルナの背後から、鉄灰色の甲冑に身を包んだアグラヴェインも姿を現した。
彼は息を整えながら、俺に向かって深く頭を下げた。
「あなたの推測通りでした、アイズド殿。地下に隠されていた儀式の祭壇は、ルナ殿の剣が見事に粉砕してくれました。……この機転、心より感謝いたします」
「気にするな。苦労人同士の助け合いってやつだ」
俺は魔導書を片手に、ニヤリと笑った。
ルナが走り込み、モードレッドと並んで前衛の立ち位置に陣取る。アグラヴェインも魔導書を展開し、俺と共に後衛の支援ラインへと加わった。
タンク一名、アタッカー三名、ヒーラー二名。
欠けていたピースがすべて揃い、俺たちのパーティがここに完全合流を果たしたのだ。
「さあ、全員揃ったな。ここからが本当のレイドバトルの開幕だ!」
俺は魔導書のページを力強く捲り、パーティ全体へ向けて攻撃力アップの号令を放った。
5メートル級の醜悪な異形へと成り果てた元聖王を前に、五人の戦士と一人の狂人が、一切の怯みもなく武器を構える。
燃え盛るキャメロットの最奥で、総力戦の火蓋が、今、切って落とされた。




