瓦解する忠義の果て
一方、その頃。
極光の氷原を突き進むアイズドたちが、もぬけの殻となった『星幽の廃観測所』で絶望的な真実に気づく、ほんの少し前のことである。
白亜の都キャメロットの最奥、冷たいクリスタルの扉に閉ざされた玉座の間。
妖妃モルガンは、誰もいない静謐な部屋のバルコニーに立ち、結界のドーム越しに見える極光の空を静かに見つめていた。
彼女の背後には、城門の守護を離れた漆黒の巨漢――ガウェイン卿が、重々しい足取りで控えている。
「……モードレッドも、アグラヴェインも、無事だと良いのですが」
モルガンが、冷たい風に銀糸の髪を揺らしながら、祈るように両手を胸の前で組んだ。
「あの子たちは少々血の気が多すぎます。あの得体の知れない旅の者たち……アイズドと言いましたか。彼らの冷静な判断力が、あの子たちのストッパーとなってくれることを願うしかありません」
「ご案じなされるな、モルガン様」
ガウェインは兜を脇に抱え、歴戦の戦士らしい無骨な素顔を露わにしながら、主君を慰めるように低く穏やかな声を出した。
「モードレッドの剣の腕は、今や私にも引けを取りません。それに、アグラヴェインがいれば、致命的な罠に足を踏み入れる前に必ず引き返してきましょう。……それに、あの外部の者たち。生意気な口を叩く小僧でしたが、その底には確かな『軍師』としての冷徹な計算が息づいていました。彼らならば、必ずや真実の淵に辿り着くはずです」
「……ええ。そうですね、ガウェイン。彼らに、私たちの……キャメロットの未来を託しましょう」
モルガンは小さく微笑み、バルコニーから眼下の街を見下ろした。
結界に護られた白亜の街並み。行き交う多種族の民たちの笑い声や、人工太陽の魔力球が放つ柔らかな光が、凍てつく世界の中で唯一の暖かな希望としてそこに存在している。
この小さな箱庭の平穏こそが、モルガンが『悪逆の魔女』という汚名を被り、ガウェインがかつての同胞と袂を分かってまで護り抜きたかった、何よりも尊い宝であった。
だが。
その奇跡のような平穏は、彼らの与り知らぬ足元から、すでに致命的な崩壊を始めていたのだ。
ズゴォォォォォォォォォンッ!!!!!
突如として、大気を引き裂くような、鼓膜を物理的に破るほどの凄まじい轟音が城の真下――キャメロットの城門付近から鳴り響いた。
「な、なんだッ!?」
ガウェインが瞬時に兜を被り、背の大剣に手を掛ける。
モルガンは手すりから身を乗り出し、轟音の発生源である眼下の街を見下ろした。
そして、彼女の憂いを帯びた双眸が、信じられないものを見たかのように限界まで見開かれた。
「あ、あぁ……。そんな……」
モルガンの口から、絶望に満ちた掠れ声が漏れる。
ガウェインもまた、眼下に広がる光景に言葉を失い、漆黒の甲冑をガタガタと震わせた。
地獄だった。
つい数秒前まで、暖かな光に包まれ、人々の笑い声が響いていた美しい白亜の都。
その街の各所から、血のように赤黒い、悍ましい魔力の柱が間欠泉のごとく噴き上がっていた。
大路を歩いていた民衆の足元に、巨大な魔法陣が浮かび上がる。逃げる間もなく、悲鳴を上げる間すらなく、彼らの肉体から生命力と魂が『魔力リソース』として強制的に抽出され、空へと吸い上げられていく。
魂を抜かれた民たちの肉体は、直後に巻き起こった業火に包まれ、一瞬にして黒焦げの炭の塊と化して崩れ落ちた。
パァァァァァンッ!!
空を覆っていた絶対防壁が、そして街を照らしていた人工太陽の魔力水晶が、耐えきれずに粉々に砕け散る。
空から降り注ぐ巨大なガラス片のような氷塊と水晶の破片が、燃え盛る家々を無残に押し潰していく。
どこまでも優しく、暖かかったキャメロットは、一瞬にして焦げた肉の臭いと黒煙が立ち込める、凄惨な死の街へと変貌してしまった。
「私の、結界が……。ああ、みんな……私の、愛しい子たちが……ッ!」
モルガンはバルコニーに膝から崩れ落ち、両手で顔を覆って慟哭した。
ガウェインは手すりを握りしめ、その分厚い石材が粉々に砕けるほどの力でギリィッと握り潰した。
「誰だ……!! 誰が、このような非道をッ!!!」
漆黒の騎士の、血を吐くような怒号が虚空に響き渡る。
「――嘆くことはない。あれは、大いなる飛躍のための、尊き礎となったのだから」
不意に、背後の玉座の間の暗がりから、ひどく静かな、だが鼓膜にへばりつくような歪んだ声が響いた。
ガウェインが弾かれたように振り返り、大剣を抜き放つ。モルガンも涙に濡れた顔を上げ、声のした方角を睨み据えた。
空間が蜃気楼のように歪み、そこから一人の男が姿を現した。
かつては太陽のように輝かしい白銀と黄金の甲冑に身を包み、誰よりも泥に塗れて軍の先頭を走っていた、気高き獅子。
キャメロットを統べる絶対の君主、アーサー王。
だが、そこに立っている存在は、もはや彼らの知る『王』ではなかった。
黄金の甲冑は、血のようなどす黒い魔力に汚染され、脈打つような赤黒い血管の意匠が表面を這い回っている。
そして何より異様だったのは、その『顔』だ。
アーサーの双眸は、どこか遠く――この世界の理を超えた彼方を見つめているかのように焦点が合っておらず、瞳孔は爬虫類のように縦に細く割れていた。口元には、己の民を焼き尽くした惨状を前にしているとは到底思えない、陶酔しきったような恍惚の笑みが張り付いている。
「ア……アーサー……!!」
ガウェインの喉の奥から、獣のような、あるいは血を吐くような怒号が絞り出された。
彼は漆黒の闘気を爆発させ、床の大理石を粉砕するほどの踏み込みで、アーサーへと猛然と躍りかかった。
「なぜだァァァッ!! なぜこんな事をした!! 彼らは貴方を慕い、貴方の帰還をいつまでも信じて待っていた民だぞ!!」
ズドォォォォォォォォォンッ!!!
ガウェインの怒りそのものである、身の丈を超える漆黒の大剣の重撃。
だが、アーサーは焦点の合わない瞳のまま、ゆっくりと腰の剣――かつて聖剣と呼ばれ、今は禍々しい魔剣へと変質したそれを抜き放ち、たった片手で、いとも容易くその重撃を受け止めたのだ。
ギィィィィィィィンッ!!
二つの圧倒的な力が衝突し、衝撃波が玉座の間のタペストリーやシャンデリアを粉々に吹き飛ばす。
「なぜ、だと?」
アーサーは首を傾げ、まるで理解の悪い子供を諭すような、酷く穏やかな口調で答えた。
「分からないのか、我が忠勇なるガウェインよ。『あのお方』の御姿の、なんと美しく、なんと絶対的であることか。あの至高の力の前では、国も、民も、我々のちっぽけな命すらも、ただの些末な塵に過ぎないのだ」
「き、貴様ァァァッ!!」
「この街の者たちは幸福だ。塵として消えるのではなく、あのお方が目覚めるための魔力(贄)として、その一部に溶け込むことができたのだから。……さあ、ガウェイン。姉上。お前たちも、あのお方のための尊き礎となるがいい」
アーサーの瞳の奥で、縦に割れた瞳孔が歓喜に収縮する。
その言葉を聞いた瞬間、ガウェインの心の中で、かつての王に対する一縷の望みや、共に円卓を囲んだ忠義の糸が、音を立てて完全に砕け散った。
かつて高潔だった王はもういない。
民を愛し、騎士たちと笑い合った男は、とうの昔に竜の引力に魂を食い破られ、ただ力を求めるだけのグロテスクな抜け殻へと成り果てていたのだ。
「……おおおおおおおおおおッ!! 狂王ォォォォォォォッ!!!」
ガウェインの漆黒の甲冑から、限界を超えたドス黒い殺意のオーラが噴出する。彼は大剣の柄を両手で握り締め、アーサーの魔剣ごと強引に叩き斬ろうと膂力を全開にした。
「……ええ。もうあの子は、私たちの知るアーサーではないわ」
ガウェインの背後で、冷たく、だが絶対的な決意を秘めた声が響いた。
モルガンが立ち上がり、その細い腕を前に突き出していた。彼女の銀糸の髪が、膨大な魔力の風に逆立って荒れ狂う。
彼女の周囲に、幾千もの氷の刃と、宇宙の深淵を思わせる漆黒の魔力球が無数に展開される。
「あれは、竜の引力に魅入られたただの化け物。……私が、この手で終わらせなければならない、最大の罪!」
モルガンの銀色の魔力と、ガウェインの漆黒の闘気が、玉座の間で一つに交じり合う。
かつて反逆者とされた魔女と、最後まで王を信じようとした聖騎士。本来は相容れないはずの二人が、狂王という共通の悲劇を前に、完璧な共闘の構えをとったのだ。
「フフッ……アハハハハハハッ!! 素晴らしい! その強大な魂の輝き、あのお方もさぞお喜びになるだろう!」
アーサーは狂気に満ちた笑い声を上げ、全身から赤黒い竜の魔力を爆発させた。
悲哀に満ちた過去の絆が完全に瓦解し、容赦のない殺意へと変わる。
ガウェインの大剣が空間を叩き割り、モルガンの魔術が光の雨となって殺到し、アーサーの魔剣がそれを真っ向から迎え撃つ。
ズガァァァァァァァァァンッ!!!!
剣戟と魔術が入り乱れ、白亜の城の最奥が木っ端微塵に吹き飛ぶ。
それは、キャメロットという一つの神話が終焉を迎える、悲劇的で、あまりにも壮絶な死闘の幕開けであった。




