領主の反論
共同炉を、ここへ運ばせる。
ノイズが放ったその一言で、領主館前広場の空気が凍った。
ロアン村長は声を失い、リリィは抱えていた木箱を胸に押しつけたまま青ざめている。きなこもちは、表情から笑みを消していた。小柄なドワーフの職人が本気で怒ると、妙に静かになる。金槌を握る手にだけ、力が入っている。
ルナも、一歩前へ出かけた。
俺は軽く手を上げて制する。
まだだ。
ここで剣を抜けば、ノイズの思う壺だ。
いや、ノイズ自身がそこまで計算しているかは怪しい。だが、結果としてそうなる。領主館前広場で、灰衣の旅剣士が領主の命令に対して剣を抜く。そうなれば、公開査定は一瞬で治安事件へすり替わる。
リーフェ村の素材価値も、税の矛盾も、担保執行の不当性も、全部が後ろへ押し流される。
剣は強い。
だからこそ、抜く場所を間違えると話を壊す。
「領主ノイズ」
俺は言った。
できるだけ、声を低く、平坦にする。
怒りはある。
だが、怒りは今、表に出すべき道具ではない。燃料にはなるが、刃にはならない。少なくとも、こういう書類と人目の戦場では。
「共同炉の搬出は、今回の公開査定の対象外だ」
ノイズは、わざとらしく首を傾げた。
「対象外? リーフェ村の供給能力を確認するためには、共同炉の状態確認が必要だろう」
「状態確認なら村で行えばいい。ここへ運ぶ必要はない」
「公開査定だ。衆目の前で確認してこそ意味がある」
「分解搬出すれば、炉そのものに損傷が出る可能性がある。共同炉は村の生産基盤だ。確認のために壊せば、本末転倒になる」
「壊れると決まったわけではない」
「なら、破損時の責任者を明記しろ」
ノイズの眉が動いた。
俺は続ける。
「共同炉の搬出、分解、運搬、再設置。その過程で損傷が発生した場合、領主館が修復費用と停止期間の損失を補填する。そう公開ログに残すなら、話を聞く余地はある」
広場がざわめいた。
ノイズの顔色が変わる。
この手の人間は、命令する時は強い。だが、責任の所在を明文化されることを嫌う。自分の権限は広く取りたいが、その結果の負債は相手に押しつけたいからだ。
「……領主館が、なぜそのような負担を負う必要がある」
「領主館が必要だと言って運ぶからだ」
「供給村の査定だ。村側が協力するのは当然だろう」
「協力と、生活基盤の一時接収は違う」
俺は、空中に表示されたイベントログを指した。
《公開査定:リーフェ村素材価値確認》
《対象素材:灰鉄鉱/根麻布》
《対象試作品:灰鉄の偽装外殻片/根麻の可動外套片》
「このイベントの対象は、素材と試作品だ。共同炉は対象に含まれていない。追加するなら、イベント条件の変更になる」
ノイズが口を開きかける。
俺はその前に言葉を重ねた。
「変更するなら、目的、必要性、損傷時の責任、搬出中の村の生産停止補償、すべて公開ログに残せ」
沈黙。
広場の視線が、一斉にノイズへ向く。
領主館前広場。
公開査定。
多数のプレイヤーとNPC。
録画ウィンドウ。
そして、領地管理システム。
今ここで発した言葉は、消えない。
ノイズは、それを嫌っている。
だが、彼がこの場を作った。
自分で衆目を集め、自分で公開査定にした。透明性の看板を掲げたのは彼自身だ。
その看板が、今は彼の首にかかっている。
「黒鉄の重装騎士」
ノイズは、低い声で言った。
「君は、あまりにも手続きにこだわりすぎる」
「手続きで村を縛ったのはそちらだ」
広場のどこかで、誰かが息を呑んだ。
ノイズの目が細くなる。
「領地運営には秩序が必要だ。供給村が納付義務を果たさず、異議を唱えるたびに担保執行を止めれば、領全体の素材流通が崩れる」
彼は、声を広場全体へ響かせた。
「考えてみろ。リーフェ村だけではない。グレイム領にはいくつもの供給村がある。ひとつの村を特別扱いすれば、他の村も同じことを言い出すだろう。税を下げろ、納付量を見直せ、担保を待て、と。そうなれば、工房は素材不足に陥り、冒険者への装備供給も止まる。君たちは、それを望むのか?」
正しい言葉だ。
いや、正しいように聞こえる言葉だ。
領地全体の安定。
素材流通。
工房への供給。
冒険者の装備。
ノイズは、リーフェ村の問題を「一村のわがまま」へすり替えようとしている。
広場の反応が揺れた。
特に、大手工房や商人らしきプレイヤーたちの間に、迷いが見える。彼らにとって、素材の安定供給は重要だ。村側の事情に同情はしても、自分たちの炉が止まることは避けたい。
ここがノイズの強みだ。
小物ではある。
だが、権限を使う理屈は持っている。
ただの悪徳ではない。悪徳を制度の言葉で包むことができる。
だから厄介なのだ。
「特別扱いではない」
俺は言った。
「再査定を求めているだけだ」
「その再査定が、領全体の秩序を乱すと言っている」
「違う。秩序を乱しているのは、一貫しない評価基準だ」
俺は表示した数字を再び広げる。
灰鉄鉱。
根麻布。
指定価格。
買い取り評価。
担保評価。
審査期間。
担保執行猶予。
「税を取る時は高い基準。買い取る時は低い基準。担保を取る時はさらに低い基準。異議申し立ては七日、担保執行は三日。これが秩序なら、秩序という言葉の方が泣く」
「詭弁だ」
「なら、同じ基準で評価すればいい」
俺は言った。
「リーフェ村だけではない。全供給村に対して、税額算定、買い取り評価、担保評価の基準を統一する。異議申し立て中は担保執行を一時停止する。そうすれば秩序は守れる」
広場がざわめいた。
商人たちの顔が変わる。
生産職たちも、互いに視線を交わした。
全供給村。
基準の統一。
異議申し立て中の担保停止。
それはリーフェ村だけの救済ではない。
グレイム領全体のルール見直しになる。
ノイズが嫌がる理由は、そこだ。
「簡単に言うな」
ノイズが吐き捨てる。
「領地運営は、お前の机上の計算では回らない」
「では、今のままで回っているのか?」
俺は、広場の周囲を見た。
疲れた職人たち。
料金表を睨む商人たち。
小声で不満を漏らす生産職。
不安そうな供給村のNPCたち。
「炉は動いている。荷は入っている。税も取れている。だが、村は沈み、職人は小工房を閉じ、登録外の炉は罰金を恐れて息を潜めている。それを回っていると言うなら、確かに回っている」
一拍置く。
「首を絞めながらでも、歯車は少しの間なら回るからな」
広場が静かになった。
ノイズの顔が、さらに険しくなる。
少し言いすぎたか。
だが、ここは引けない。
ノイズの論点は「領地全体の安定」だ。
なら、その安定が見かけだけだと示す必要がある。
ーーーーーー
ノイズは、今度は俺ではなく、観衆へ向き直った。
「皆、よく考えてほしい」
声の調子を変えた。
領主としての演説。
こちらではなく、周囲を取り込むつもりだ。
「グレイム領は生産都市だ。素材が安定して集まり、工房が稼働し、冒険者たちへ装備を供給する。それがこの都市の役割だ。多少厳しい税制であっても、全体の流れを守るためには必要な負担である」
彼は手を広げる。
「リーフェ村の事情は理解する。だが、感情だけで制度を曲げれば、次に苦しむのはこの街の職人であり、素材を待つ冒険者たちだ」
上手い。
感情論に寄せてきた。
俺たちがリリィを守り、村に同情して動いているように見せる。その上で、自分は領地全体を見ていると印象づける。
実際には、俺たちが数字を出し、ノイズが感情と秩序の言葉に逃げているのだが、聞き方によっては逆にも見える。
場の空気は、まだ完全にはこちらではない。
だから、次は別の声が必要だった。
「領主様」
低い声が上がった。
登録工房第三炉の査定士、グラン親方だった。
彼は重い足取りで一歩前へ出る。
「職人として申し上げます。今の制度は、工房のためにもなっておりません」
ノイズの目が鋭くなる。
「グラン。君はまた口を挟むのか」
「はい。素材の話であれば」
グラン親方は、広場の職人たちへ視線を向けた。
「工房使用料は上がりました。登録工房以外での高位加工は禁止され、素材は搬入門を通したものしか扱えない。確かに、それで一定の品質管理はできます。ですが、供給村の素材評価が歪めば、工房側も正しい素材を選べません」
職人たちが頷く。
グランは続けた。
「灰鉄鉱は剣には向かない。しかし外殻には向く。根麻布は魔力伝導に劣る。しかし耐湿外套には向く。そういう素材の適性を、領主館の一括評価が潰しています。これは工房のためではありません」
きなこもちが、にやりと笑った。
「親方、いいこと言うじゃん」
「お前は黙っていろ。話がややこしくなる」
「ひどい」
広場に少し笑いが起きる。
ノイズは笑わない。
グラン親方は、さらに続ける。
「安定供給は必要です。ですが、供給村を潰して得られる安定は長く続きません。村が共同炉を失えば、素材はさらに減ります。職人にとっても損です」
「君は登録工房の立場を忘れている」
ノイズが言った。
「忘れておりません。だから申し上げています」
グラン親方の声は、硬かった。
「炉は、素材がなければ火を保てません。村が死ねば、工房も死にます」
その一言は、広場の生産職たちに強く刺さったようだった。
職人たちは、炉の話に弱いらしい。
いや、当然か。
俺たち戦闘職にとっての武器やHPバーのようなものなのだろう。
ノイズは、グラン親方を睨んだ。
その視線に含まれる圧は、かなり露骨だった。
だが、ここで彼を直接黙らせれば、またログに残る。
ノイズはそれを理解している。
だからこそ、歯ぎしりするように黙った。
ーーーーーー
今度は、別の方向から声が上がった。
「うちの村も、査定を見直してほしい」
小さな声だった。
だが、広場では妙に響いた。
見ると、観衆の後ろに、別の供給村のNPCらしき男が立っていた。手には木札。搬入許可証のようなものを持っている。
ノイズの補助警備がすぐに動こうとする。
俺は、その前に声を出した。
「公開査定の場だ。供給村の関係者が発言することに問題はないはずだ」
ノイズが俺を睨む。
「お前が仕切る場ではない」
「では、発言禁止ならそうログに残せ。公開査定で供給村関係者の発言を禁じた、と」
また、ログ。
ノイズの顔が歪む。
供給村の男は、震えながらも続けた。
「うちは木材の村です。搬入門での評価は下がったのに、税額の基準価格は上がっています。理由を聞いても、領主館指定だからと……」
別の声が上がる。
「うちの薬草もだ」
さらに、工房側からも。
「工房使用料の改定理由を説明してもらってない」
「登録工房の等級料、急に上がったよな」
「未登録加工禁止で、小工房はもう限界だ」
ざわめきが、大きくなる。
これは危険だ。
こちらにとっても、ノイズにとっても。
群衆の不満が一気に噴き出せば、公開査定は暴動に変わる。そうなればノイズは治安維持を名目に補助警備を動かせる。こちらはまた不利になる。
怒りは必要だ。
だが、暴発させてはいけない。
俺は手を上げた。
「今はリーフェ村の公開査定だ」
声を少し強くする。
「他村や工房の問題は、今ここで全部は扱えない。だが、リーフェ村の件で評価基準の矛盾が確認されれば、同じ基準で他の案件も再査定を求められる」
広場のざわめきが、少しだけ収まる。
「まずは、この査定を終わらせる。それが次の入口になる」
入口。
その言葉に、何人かが頷いた。
ノイズが苦々しい顔をする。
群衆の怒りを煽りすぎず、しかし火を消しすぎない。
難しい。
俺はこんなところで何をやっているのだろう。装備更新に来ただけだったはずなのに、いつの間にか領地行政の公開討論会で交通整理をしている。
最高のクソゲーにもほどがある。
「黒鉄の重装騎士」
ノイズが言った。
声が低い。
「君は、ずいぶんこの場を動かしたがるな」
「動いているものを、暴れないようにしているだけだ」
「詭弁だ」
「便利な言葉だな」
少しだけ、きなこもちの口癖が移った気がする。
よくない。
職人の悪影響である。
ーーーーーー
ノイズは、しばらく黙った。
その沈黙の間に、広場の上空ではまだ数字が並んでいた。
素材評価。
税額算定。
担保評価。
審査期間。
担保執行猶予。
共同炉差し押さえ後の予測影響。
どれも、ノイズの舞台を崩す材料だ。
だが、ノイズにはまだ最後の盾がある。
領主権限。
グレイム領の管理者として、最終判断を下す権限。
彼は、そこに逃げ込むはずだ。
「よかろう」
ノイズは、ようやく口を開いた。
「ここまでの主張は聞いた。リーフェ村の素材に、一定の用途価値があることも認めよう」
広場がざわつく。
認めた。
だが、彼の声には、まだ刃がある。
「だが、供給村としての義務違反が消えるわけではない。素材の用途価値があろうと、納めるべき量を納められなかった事実は残る。よって、担保執行の一時停止は認めるが、担保候補の確認は継続する」
ロアン村長が息を呑む。
リリィが小さく「そんな」と呟く。
ノイズは続けた。
「共同炉の即時搬出は見送ろう」
広場の空気がわずかに緩む。
だが、次の言葉でまた硬くなった。
「ただし、リーフェ村の共同炉には領主館の封印を施す。再審査が完了するまで、無許可使用を禁じる。供給義務違反の担保保全措置として、妥当な判断だ」
きなこもちが、低い声で言った。
「最悪だね」
その通りだった。
運び出さなくても、封印すれば同じだ。
炉が使えなければ、村の生産は止まる。灰鉄鉱の一次加工も、根麻の乾燥も、農具の修理もできない。表向きは「保全」。実態は、首を絞めるのと変わらない。
ノイズは、少しだけ笑った。
「搬出はしない。君の指摘に配慮した。これなら問題あるまい?」
ある。
大ありだ。
だが、彼は言葉を変えてきた。
搬出ではなく、封印。
損傷責任を避けつつ、村の生産を止める手段。
領主権限の範囲内で、ギリギリ通りそうな嫌な手だ。
ノイズは、手を上げる。
イベントログが更新された。
《領主権限:担保保全措置》
《対象:リーフェ村共同炉》
《措置内容:再審査完了までの使用封印》
《発動予定:本日夕刻》
広場が揺れた。
リリィが木箱を落としそうになる。
ルナが一歩、前に出た。
今度は、俺も止めるのが少し遅れた。
彼女は剣には触れていない。
だが、声を出した。
「それじゃ、村はまた作れなくなります」
広場が静まる。
ノイズがルナを見る。
「灰衣の旅剣士。君には関係のないことだ」
「あります」
ルナの声は、静かだった。
「その外套は、リーフェ村の布でできています。アイズドさんの外殻も、リーフェ村の鉱石でできています。村が作れなくなったら、次はありません」
ノイズが目を細める。
「感情論だな」
「違います」
ルナは、少しだけ顔を上げた。
フードの影は保たれている。
白銀の髪は見えない。
「さっき、アイズドさんが言っていました。共同炉を止めたら、次の納付がもっと難しくなるって。それは、数字の話です」
俺は少しだけ驚いた。
ルナが、数字の話を返した。
彼女は続ける。
「村が払えないから炉を止める。でも、炉を止めたら、もっと払えなくなる。それは、保全じゃなくて、壊しているだけです」
広場が、しん、と静まった。
ノイズの顔が歪む。
リリィが、ルナを見ている。
きなこもちが、小さく笑った。
「いいね、ポンチョちゃん」
「ルナです」
ルナは小さく返した。
この状況で訂正するな。
いや、少し場が和んだからいいのかもしれない。
ノイズは、明らかに苛立っていた。
「……領地運営を知らぬ旅剣士が、口を出すな」
「知りません」
ルナは即答した。
「でも、斬ったら次に繋がらない線くらいは、分かります」
その言葉は、彼女らしかった。
剣士の言葉で、制度の話をしている。
俺とは違う。
きなこもちとも違う。
だが、今の広場には必要な言葉だった。
ノイズは、しばらくルナを睨んでいた。
そして、笑った。
嫌な笑いだった。
「なるほど。ならば、証明してもらおうか」
まただ。
こいつは、追い詰められると査定へ戻す。
自分の領域へ相手を引きずり込む。
「リーフェ村の共同炉を封印しないためには、再審査完了までの間も供給能力が維持されると示す必要がある。村の素材、職人、そして君たちの試作品。その価値を本当に証明したいなら、もう一度ここで示せ」
きなこもちの目が細くなる。
「何をさせる気?」
ノイズは広場中央の査定台を指した。
「追加査定だ」
イベントログが更新される。
《追加査定提案》
《供給継続能力確認》
《内容:リーフェ村素材を用いた簡易生成実演》
《条件:公開査定中に実用品質の試作部品を追加生成》
《成功時:共同炉封印措置を保留》
《失敗時:共同炉封印措置を即時確定》
きなこもちの顔から、完全に笑みが消えた。
俺も、内心で舌打ちする。
来た。
理外創成の再実演。
失敗すれば素材は灰になる。
しかも今度は、広場の中央。ノイズの用意した場。村の共同炉ではない。
条件はさらに悪い。
だが、成功すれば共同炉の封印を止められる。
ノイズは、そういう形にしてきた。
拒否すれば、村の炉は封印。
受けて失敗しても、封印。
受けて成功すれば、ようやく保留。
かなり不利な賭けだ。
それでも、選択肢は見えている。
きなこもちが、低く呟いた。
「死に機能を、人前で二回目か」
彼女の手が、金槌の柄を握る。
「いい度胸してるじゃないか、領主様」
ノイズは笑っている。
広場は、再び緊張に包まれた。
領主の反論は、まだ終わらない。
だが、それはもう論理ではなく、賭けに近づいていた。
そして賭けなら。
割に合わない先にだけ、見えるものがある。
俺は、きなこもちを見た。
彼女もこちらを見る。
職人の目だった。
怒りと、恐怖と、ほんの少しの興奮が混じった目。
面倒なことになった。
だが、こういう時ほど、この世界は先へ進む。
公開査定は、第三幕へ入ろうとしていた。




