喪われた円卓と偽装される刃
極光の氷原の奥地へと進むにつれ、周囲の環境はますます過酷さを増していった。
荒れ狂う猛吹雪が視界を白く染め上げ、仮想肉体の体温を容赦なく奪っていく。俺たちは進行を一時中断し、雪原に半ば埋もれていた巨大な古代遺跡の残骸の陰を利用して、風を凌ぐための野営を張ることにした。
サバイバルスキルの《簡易キャンプ》によって設置された焚き火が、パチパチと乾いた音を立ててオレンジ色の炎を揺らしている。
冷え切った空気に炎の温もりが滲む中、遺跡の少し開けた場所で、二つの影が激しく交錯していた。
「甘いぞルナ! その踏み込みは一直線すぎる。モンスターの巨体ならいざ知らず、人同士の剣術において、軌道の読める突進はただの的だ!」
「くっ……! はぁッ!!」
真紅の甲冑を纏ったモードレッドと、蒼い軽装鎧のルナによる模擬戦である。
互いに刃を潰した練習用の武器を手にしているとはいえ、その踏み込みと剣速は実戦さながらの緊迫感を放っていた。
「お前の眼は獣のそれだ。筋肉の収縮で次の動きを読めているのだろう。見事な反射神経だ……だがな、ルナ。人の剣とは『嘘』を吐くものだ」
モードレッドはルナの鋭い刺突を半身で躱すと、返す刀でルナの死角から緩やかな袈裟斬りを放った。
ルナはそれを難なく後ろへ跳んで回避しようとしたが――。
「しまっ……!?」
ルナの回避先に、いつの間にかモードレッドのブーツの爪先が置かれていた。足元をすくわれたルナは雪の上に無様に転がる。斬撃はフェイントであり、本命は足払いだったのだ。
「殺意を隠し、隙を偽装する……その対人の駆け引きを覚えれば、お前の剣はより鋭く、美しくなるぞ」
モードレッドは剣を下げ、雪に倒れたルナに手を差し伸べた。
「……はいっ! もう一本、お願いします!」
ルナはその手を取って立ち上がると、雪を払い、再び真剣な眼差しで白銀の片手剣の柄を握り直した。
ルナの「生物学的な反射神経」は、モンスターの巨大なモーションをフレーム回避するには最適だが、対人戦特有の『騙し合い』には極端に弱かった。先ほどのガウェインとの戦闘で露呈したその致命的な弱点を見抜き、モードレッドは道中の短い休息時間を使って、ルナに騎士としての剣の駆け引きを叩き込んでくれているのだ。
ルナはモードレッドのアドバイスをスポンジのように吸収し、一度食らったフェイントには二度と引っかからず、逆に自らも不器用ながらフェイントを混ぜるようになっていく。
圧倒的なレベル差(レベル91とレベル50)がありながらも、そこには確かな師弟関係のような、温かくも緊迫した連帯感が芽生え始めていた。
「……目覚ましい成長速度ですね。彼女の才能は、まさに原石だ」
焚き火に当たりながらその手合わせを見守っていた俺の隣で、鉄灰色の甲冑を着たアグラヴェインが静かに呟いた。
彼はインベントリから取り出した魔法瓶で温かい紅茶を二つのカップに注ぐと、片方を俺に差し出してきた。
「サンキュー。まあ、あいつは俺が見つけた最高のアタッカーだからな」
俺はカップを受け取り、冷えた身体に熱い紅茶を流し込んだ。
「ルナ殿の剣術もさることながら……アイズド殿。私は、あなたのその右腕の兵装に、非常に強い興味を惹かれています」
アグラヴェインは、俺の右腕に装着されている【古代変形機装】を、冷徹な、しかし純粋な探究心を帯びた知的な双眸で見つめてきた。
「先ほどの氷狼との戦闘で、あなたは一瞬だけその機装を変形させようとしましたね。その微細な魔力の揺らぎと、複雑な機構の駆動音……。書類仕事の合間に古代の魔導工学を少しかじった程度の私でも、あれがどれほど異常な代物か理解できます」
「異常、ね」
俺は自嘲気味に笑い、機装の表面を軽く撫でた。
「盾から剣へ、そして杖へ。ロールを瞬時に切り替えるという理屈は分かります。……ですが、それを実戦で運用するには、各形態の独立した魔力回路を同時並行で管理し、戦況に合わせてコンマ一秒の判断で変形機構を制御しなければならない」
アグラヴェインは、焚き火の炎に照らされた鉄灰色のガントレットを顎に当てた。
「それは、人間の脳の処理領域を常に暴走状態に置くことを意味する。あなたは、自らの精神を焼き切りながら戦術を組み立てる狂人だ」
「狂人扱いとはひどいな、アグラヴェインの旦那。こっちは好きでやってるんだよ」
「褒め言葉ですよ」
アグラヴェインはカップを傾け、小さく、だが確かな敬意を込めて息を吐いた。
「最適化された戦術のレールの上を歩くのは容易い。ですが、自らを削ってまで未知の盤面を支配しようとするその狂気的な知性……。我々が今必要としているのは、そのような常識外れの力なのかもしれませんな」
組織の兵站と実務をたった一人で回す究極の苦労人であるアグラヴェイン。そして、かつてプロチームの裏方として全戦術を一人で構築していた俺。
表舞台の華やかな剣撃の裏側で、数字と確率に狂わされながらも組織を支えてきた裏方同士の、奇妙なシンパシーと信頼感が、そこには確かに存在していた。
「ありがとうございました、モードレッドさん! すごく勉強になりました!」
「ふふっ、良い汗をかいたな。お前の剣は、もっと強くなるぞ」
息を弾ませながら、ルナとモードレッドが模擬戦を終えて焚き火の輪に戻ってきた。
モードレッドが真紅の甲冑の雪を払い、俺の向かい側に腰を下ろす。ルナも俺の隣に座り、アグラヴェインから渡された温かい紅茶を美味しそうに啜った。
パチパチと薪がはぜる音だけが、しばらくの間、遺跡の陰に響いていた。
冷え切った空気の中で、俺はカップを置き、ずっと気になっていた核心を突く質問を投げかけた。
「……一つ、聞かせてくれ。モードレッド」
「なんだ?」
「あんたやアグラヴェイン、それに城門にいたガウェイン。あんたらほどの化け物揃いの『円卓の騎士』が……どうして今、あんたたち三人しか残っていないんだ?」
その問いが落ちた瞬間、焚き火の炎が微かに揺らいだ。
モードレッドの顔からスッと笑みが消え、アグラヴェインもまた、伏し目がちに紅茶のカップを見つめて沈黙した。
「……アーサー王が、俺たちに語った惨劇の歴史。あれが全部嘘だったってことは分かった。なら、本当のキャメロットで何があった? どうして、円卓の騎士は死に絶えちまったんだ?」
長い沈黙の後。
モードレッドは、焚き火の炎をその蒼い瞳に映しながら、重く、苦しげな口を開いた。
「かつての父上――アーサー王は、誰よりも泥に塗れ、常に軍の先頭で我らを導く眩い道標であった」
彼女の声には、かつて敬愛した父への確かな憧憬が滲んでいた。
「強大で、優しくて、絶対に折れない不屈の剣。私にとって、父上は絶対の正義であり、すべてを捧げるに足る完璧な王だったのだ」
だが、と。モードレッドはギリッと奥歯を噛み締めた。
「ある日を境に……王は変わってしまった。何かに取り憑かれたように、城の地下深くに籠るようになり、誰も見たことのない古代の魔術書を読み漁るようになった。そして……」
モードレッドの肩が、小刻みに震え始める。
「父上は、このキャメロットに住む罪なき民たちを触媒とした、『生贄の儀式』を強行しようとしたのだ」
「生贄の、儀式……」
ルナが息を呑み、血の気を失った顔で呟く。
「そうだ。莫大な魔力を持つ『あのお方』をこの世界に現出させるための、おぞましい禁忌の儀式だ」
俺の脳内で、竜の引力に魅入られた王の狂気が、確かな映像となって浮かび上がった。王は自らの国を、竜を呼び覚ますための供物に変えようとしたのだ。
「それを止めるために……母上は、悪逆の魔女の汚名を被って反旗を翻した。父上の狂行から民を護るため、自らの魔力で絶対防壁を展開したのだ。……だが、円卓の騎士たちは、真っ二つに割れてしまった」
モードレッドは、両手で顔を覆うようにして俯いた。
「何があっても王に従うと誓った者たちと、民を護るために王に刃を向ける者たち……。かつて背中を預け合った同胞たちが、血で血を洗う凄惨な同士討ちを繰り広げた。……私が、この手で斬り捨てた兄弟もいる」
痛切な告白。
それが、アーサー王の言っていた『モルガンとモードレッドの反乱』の真実であった。
正義と狂気が反転したキャメロット。王の暴走を止めるための、血に塗れた内戦。
結果として、生き残ったのは結界を張ったモルガン、そして王に反逆したモードレッドとアグラヴェイン、王に従ったガウェインの数名だけだったのだ。
「……だが、悲しんでいる暇はない」
モードレッドは顔を覆っていた手を離し、立ち上がった。
その蒼い瞳に溜まっていた涙は、すでに極寒の風によって乾き、そこには決死の覚悟と燃え盛るような闘志だけが宿っていた。
彼女は、猛吹雪の向こう――『星幽の廃観測所』の方角を鋭く見据えた。
「母上の召喚獣が与えた傷により、今のアーサーは決して万全ではないはずだ。奴が地下に眠る竜の力を完全に我が物にする前に……この手で王を討ち、血に塗れた円卓の歴史を終わらせる!」
真紅の甲冑が、炎の光を反射して力強く輝く。
「手負いの獣を狩るには、今この瞬間こそが唯一絶対の好機なのだ!」
その悲痛なまでの覚悟と決意の言葉に、ルナも立ち上がり、力強く頷いた。
「はい。私たちも、全力でお手伝いします! キャメロットの人たちを護るために!」
「なら、さっさとその狂王の首を獲りに行くか」
俺も立ち上がり、右腕の機装をカチャリと鳴らして不敵に笑った。
「俺たちのレベルキャップ解放のフラグも、そこに転がってるはずだからな」




