可視化された絶対的絶望(レベル差)
妖妃モルガンの絶対防壁によって護られた白亜の都キャメロットを背にし、俺たちは再び『極光の氷原』の猛吹雪の中へと足を踏み出した。
目的地は、アーサー王が向かったとされる西の果て、『星幽の廃観測所』。
俺とルナが跨る初心者マウント『ストライダー』の横を、真紅の甲冑を纏ったモードレッドと、鉄灰色の甲冑に身を包むアグラヴェインが、それぞれ白銀の毛並みを持つ巨大な軍馬(重装マウント)を駆って並走している。
「……それにしても、まさか円卓の騎士様たちと肩を並べて旅をすることになるなんて、思ってもみませんでした」
ルナが、隣を走る二人の騎士をチラチラと見ながら、感嘆の混じった声を漏らした。
「本当に、人生……じゃなくて、ゲームって何が起こるか分かりませんね、アイズドさん」
「まったくだ。つい数時間前まで、城門の前で血みどろの殺し合いを始めようとしていたってのにな」
俺が肩をすくめると、前方を走っていたアグラヴェインが、軍馬の速度を少し落としてこちらに並んできた。
彼の目元に刻まれた深い隈は、極寒の吹雪の中でも全く消える気配がない。
「我々としても、素性も知れぬ外部の開拓者と行動を共にするのは極めてイレギュラーな事態です。ですが、狂王アーサーの暴走を止めるためには、一刻の猶予もない。……ところで、アイズド殿と申しましたか」
アグラヴェインが、鉄灰色のガントレットで自身のシステムウィンドウを操作しながら俺を見た。
「あなた方の魔法や範囲攻撃が、乱戦時に我々に誤爆しては無駄な魔力と回復リソースを消費することになります。一時的ではありますが、システム上の『パーティ編成』を申請しました。承認を」
「ああ、そりゃ助かる。俺のデバフがそっちに飛んだら厄介だからな」
俺は虚空に浮かび上がった『アグラヴェインからのパーティ招待』のポップアップを、迷わず「承認」した。
MMORPGにおいて、NPCと一時的なパーティを組むことは珍しいことではない。護衛クエストや共闘イベントでは、味方のNPCのHPを回復したり、支援バフをかけたりするために必要なシステム的な処置だ。
ピロリン、という軽い電子音が鳴り、俺の視界の左上に、現在のパーティメンバーのステータスUIが展開された。
上から順に、俺、ルナ。
そして新しく追加された、アグラヴェインとモードレッドのHPバーとMPバー。
俺は、軍師としての癖で、何気なく彼らの名前の横に表示されている『レベル(Lv.)』の項目に目をやった。
「――――ッ!?」
その瞬間。俺は危うくストライダーの手綱を取り落とし、雪原に転げ落ちそうになった。
「お、わわっ!?」
「アイズドさん!? 大丈夫ですか、急にバランスを崩して」
ルナが慌ててストライダーを寄せてくるが、俺はそれに答える余裕すらなく、ただ視界の左上に固定されたUIの数字を、穴のあくほど凝視していた。
そこには、ハッキリとこう記されていた。
『Agravain [Lv.75]』
『Mordred [Lv.91]』
「…………は?」
俺の口から、間抜けな声が漏れた。
見間違いではない。目を擦ってもう一度見ても、数字は変わらない。
「お、おい……嘘だろ。お前ら……」
俺は震える指でUIを指差し、隣を走る二人の騎士を見た。
アグラヴェイン、レベル75。
これだけでも十分に驚異的だ。現在、世界中のプロゲーマーたちが血反吐を吐きながら毎日ログインし続けて、ようやく到達しているのがレベル80のカンスト帯である。最前線のトッププロに肉薄するステータスを、この事務仕事に追われている過労死寸前の中間管理職が持っているという事実。
だが、そんなことはどうでもよくなるほどの異常値が、その下にあった。
モードレッド、レベル91。
(……レベル91、だと?)
俺の脳内が、警鐘を鳴らして激しくスパークした。
現在、このEHOにおけるプレイヤーの絶対的なレベル上限は『80』だ。
俺たちが今、まさにその壁をぶち壊すために、世界でたった一つのユニーククエストに挑み、未知の死地へと向かっているというのに。
この真紅の騎士は、涼しい顔をして『レベル90』の限界すらも突破しているのだ。
「どうしました、アイズド殿。私の顔に何かついていますか?」
モードレッドが、不思議そうにこちらを振り返る。
(こいつら……いや、この世界の最上位NPCたちは、そもそもプレイヤーのレベルキャップなんていうシステム上の制約を受けていなかったのか……!)
俺の脳裏に、数時間前、白亜の城門の前で対峙した漆黒の巨漢――ガウェイン卿の姿がフラッシュバックした。
圧倒的な質量のロングソード。空間を押し潰すような重圧。
俺はかつて、ルナにこのゲームの絶対法則を教えた。
『レベルが10離れた格下からの攻撃ダメージやデバフは、システムによってすべて完全にカット(無効化)される』と。
もし、あの城門の前に立っていたガウェインのレベルが、モードレッドと同等……いや、レベル90前後だったとしたら。
レベル50のルナと、内部ステータスがレベル1の布の服である俺の攻撃は、どれだけ完璧なタイミングで急所を突こうが、どれだけ強力なデバフを叩き込もうが、システム上で『ダメージ0(Resist)』として処理されていたということだ。
(……こりゃあ、勝てないわけだ)
俺は冷や汗を拭いながら、内心で力なく呟いた。
軍師の計算も、ルナの神がかったフレーム回避も関係ない。そもそも同じ土俵にすら立っていなかったのだ。
あの時、モードレッドが間に割って入って仲裁してくれなければ、俺たちは一切のダメージを与えることができない『無敵の暴力』の前に、ただ蹂躙されて消し飛んでいた。
それどころか、そんなガウェインの必殺の一撃を、涼しい顔で正面から受け止めて弾き返したモードレッドがどれほどの化け物ステータスをしているか、数字で可視化されたことによって嫌というほど理解してしまった。
「……いや、なんでもない。ただ、あんたらの桁外れの強さに、少しばかりビビっちまっただけだ」
俺が素直に白状すると、アグラヴェインは鼻で小さく笑った。
「ご謙遜を。あなた方のような歴戦の開拓者が、我々の力ごときで怯むとは思えませんが。……お喋りはその辺にしておきなさい。来ますよ」
アグラヴェインが鉄灰色のガントレットを腰の剣に添えた瞬間。
吹雪の向こう側から、地響きのような唸り声とともに、巨大な氷の塊がいくつも飛び出してきた。
『グォォォォォォォォッ!!』
現れたのは、全身が鋭い氷柱で構成された巨大な狼の群れ――『フロスト・ダイアウルフ』だ。
その数、およそ二十。極光の氷原における高レベルのアクティブエネミーである。
「ルナ! 散開して迎撃態勢だ!」
俺が機装を変形させようと構えた、その時だった。
「フッ……この程度の雑兵で、我らの歩みを止められると思うな!」
先陣を切って軍馬から跳躍したのは、モードレッドだった。
小柄な彼女の身体から、爆発的な真紅の闘気が立ち昇る。
レベル91の圧倒的なステータスから放たれる、純粋な魔力と筋力の結晶。
「《叛逆の紅雷》ッ!!」
モードレッドが空中で細身の剣を振り抜いた瞬間、真紅の雷を伴った巨大な斬撃の波が、雪原を扇状に薙ぎ払った。
凄まじい轟音。
ルナが苦戦するであろう高レベルの氷狼たちが、ただの一撃で、悲鳴を上げる間もなく文字通り『粉砕』され、光の粒子となって吹き飛んでいく。
二十体いた群れの半分が、たった数秒で消滅した。
「す、すごい……! なんですか、今の一撃……!」
ルナが目を丸くして感嘆の声を上げる。
「驚いている暇はありませんよ。陣形が乱れた隙を突きます」
アグラヴェインは軍馬から降りることすらなく、冷静に腰の剣を引き抜いた。
派手な闘気も、魔法の爆発もない。だが、彼の剣筋は恐ろしいまでに『無駄』がなかった。
生き残った氷狼がアグラヴェインに飛びかかろうとした瞬間、彼は最小限の動きで剣を滑らせ、敵の装甲の最も薄い関節部分だけを的確に斬り裂いていく。
「キャンッ!?」
「急所を突かれましたね。これで機動力は半減です。モードレッド卿、左翼の三体を処理なさい」
「言われずとも分かっている!」
アグラヴェインがデバフを与え、体勢を崩した敵をモードレッドが圧倒的な火力で刈り取る。
二人の円卓の騎士による、完璧に計算された蹂躙劇。
そこには、俺たちが入る隙など一ミリも存在しなかった。
「……アイズドさん。私たち、完全に蚊帳の外ですね……」
剣を抜いたまま立ち尽くすルナが、苦笑いしながらこちらを見た。
「ああ。今は大人しく、あの化け物たちにキャリー(寄生)してもらおうぜ」
俺は機装を解除し、ため息をついた。
モードレッドが次々と氷狼を斬り伏せる中、アグラヴェインの冷ややかなボヤきが風に乗って聞こえてくる。
「モードレッド卿。無駄に大技を使って魔力と武器の耐久値をすり減らすのはやめなさい。その剣のメンテナンス費用を捻出するために、私がどれだけ帳簿と睨み合っているか理解しているのですか」
「う、うるさいアグラヴェイン! 戦場に金の話を持ち込むな、興が削がれるだろうが!」
「現実から目を背けるのはあなたの悪い癖だ。帰ったら始末書を三枚書かせますからね」
「なぜ敵を倒して始末書を書かねばならんのだ!」
敵の群れを一方的に殲滅しながらも、絶え間なく続く漫才のような口論。
だが、そのやり取りを眺めながら、俺の胸の奥には冷たい緊張感が渦巻いていた。
レベル91のモードレッドと、レベル75のアグラヴェイン。
これほどまでの圧倒的な武力を持つ彼らでさえ、あの『アーサー王』を止めることはできず、モルガンは城に引きこもって防衛線を張るしかなかったのだ。
(アーサー王の背後にいる『七つの竜種』……。あのお方ってのは、この規格外の円卓の騎士たちでおそれるなんて、どれほどの化け物なんだ……?)
戦闘が終わり、何事もなかったかのように剣を収めて再び馬を進め始める二人の騎士の背中を見つめながら。
俺は、これから足を踏み入れる『星幽の廃観測所』に潜む絶望の深さを予感し、無意識のうちに己の拳を強く握りしめていた。




