灰衣の旅剣士
灰色の外套が、静かに揺れた。
広場に集まった人々の視線が、その揺れを追っている。
領主館前広場の中央に設置された査定フィールドは、見た目よりずっと性格が悪かった。床は一見、平坦な石畳に見える。だが、一定間隔で低い金具がせり上がり、外套の裾や足首を引っかけるように配置されている。足元には薄い霧が流れ、視界の下半分を曖昧にする。さらに、左右には細い布紐が張られていた。歩く者の肩や肘へ絡み、衣服の可動域を確かめるための仕掛けだ。
査定というより、嫌がらせの展示会である。
いや、査定とはそういうものかもしれない。道具の価値を測るには、使いにくい条件へ放り込むのが一番早い。問題は、ノイズの顔があまりにも楽しそうなことだった。性格の悪さが、顔面にログインしている。
ルナは、一歩目を置いた。
深いフードの中で表情は見えない。白銀の髪も、青い瞳も、観衆からは隠れている。外から見えるのは、灰色の外套をまとった細身の旅剣士。それだけだ。
だが、俺には分かる。
足の置き方が、昨日と違う。
以前のルナなら、布を邪魔なものとして避けようとした。裾に足を取られないよう、外套の動きから逃げていた。だが今は違う。彼女は、布が逃げる場所へ足を置いている。
外套と喧嘩していない。
きなこもちの言い方を借りれば、相談している。
低い金具が、床から跳ねるようにせり上がった。
ルナの右足の前。
普通に踏み込めば、裾の内側が引っかかる位置だ。
観衆の中から、小さな声が上がる。
「引っかかるぞ」
その直後、ルナは踏み込まなかった。
膝をわずかに抜き、足の軌道を半歩だけ内側へずらす。外套の裾は一瞬遅れて広がり、内側の分割が開いた。金具は布の外側を掠めただけで、絡まない。
静かな回避だった。
派手さはない。
剣も抜いていない。
白い光など、当然出ていない。
それでも、見る者が見れば分かる動きだった。
「……あれ、外套着てるのに足が止まらない」
誰かが呟く。
別の生産職らしきプレイヤーが、目を細めた。
「裾が分割されてる? いや、外からは一枚に見えるぞ」
「内側か?」
「根麻布であの動き、出せるのか……?」
ざわめきが、少し変わった。
単なる野次馬の声から、生産職の観察へ。
ノイズの眉が、ほんのわずかに動いた。
ルナは二歩目へ入る。
今度は左右から布紐が伸びた。肩と肘を絡め取るような位置。外套を着たまま剣を抜こうとすれば、腕の動きが止まる仕掛けだ。
ノイズは、ルナを転ばせたいだけではない。
顔を隠したまま、剣士として動けないことを示したいのだ。
顔と髪を隠すなら、戦闘性能は落ちる。
隠蔽性と可動性は両立しない。
そういう結論に持ち込みたいのだろう。
ルナは剣の柄に手を添えた。
抜かない。
ただ、抜ける位置まで腕を動かす。
布紐が肘を狙ってくる。
彼女は肩を大きく逃がさない。そんなことをすれば、フードがずれて顔が見える。代わりに、身体の中心をほんの少し沈めた。肩ではなく、腰で腕の角度を変える。灰色の外套の肩口に入った逃げが開き、肘が布の内側を滑る。
布紐は、外套の表面を撫でただけだった。
剣は、半ばまで抜ける。
銀ではない。
白でもない。
ただの、支給品から少しだけましになった片手剣の鈍い鋼色。
ルナはすぐに剣を鞘へ戻した。
攻撃ではなく、抜刀可動の確認。
条件通りだ。
イベントログが広場に表示される。
《隠蔽状態:維持》
《外套干渉:軽微》
《抜刀動作:成立》
《発光系補助効果:未検出》
よし。
発光系補助効果未検出。
つまり、《白銀の剣気》は使っていないとシステムが示した。
これは大きい。
観衆にも、ノイズにも、情報屋にも、彼女の動きが外套と身体操作だけで成立していることを示せる。
ノイズは笑みを保っている。
だが、指先が落ち着きなく動いていた。
ーーーーーー
第一査定は、まだ終わらなかった。
霧が濃くなる。
足元の金具に加え、左右の柱から細い革帯が射出された。直接身体を打つほどではないが、外套の布を引っかけて動きを乱すためのものだ。
さらに、フィールド奥に模擬人形が三体出現した。
木と金属でできた訓練用の相手。手には短い棒を持っている。攻撃力は低いが、命中すれば判定は残る。査定用の簡易ゴーレムに近い。
イベントログが更新される。
《追加条件:模擬攻撃回避》
《攻撃スキル使用不可》
《発光系補助効果使用不可》
《顔部隠蔽維持》
《外套破損率二十%未満》
ルナの肩が、ほんの少しだけ強張った。
条件が増えた。
ノイズが後出しで難度を上げた形だ。
だが、完全な不正ではない。公開査定の範囲内で、実用品としての可動性を確認する。そう言われれば通る。
やはり、小物だが馬鹿ではない。
嫌なところだけ、ちゃんとしている。
「領主殿」
俺は声を上げた。
ノイズがこちらを見る。
「何かな、黒鉄の重装騎士」
「追加条件を出すなら、判定基準を明示しろ。外套の性能査定であって、灰衣の旅剣士本人の戦闘能力査定ではないはずだ」
ノイズの笑みが薄くなる。
「当然だ。条件は今表示した通り。顔部隠蔽、外套破損率、可動干渉、補助効果の未使用。この四点を確認する」
「模擬人形のレベルは?」
「査定用だ。実害はない」
「レベル」
俺は繰り返した。
ノイズが舌打ちを噛み殺すような顔をした。
「レベル四十五相当」
「灰衣の旅剣士との差は十未満だな」
「そうだ」
「なら問題ない」
俺は引いた。
確認するべきはそこだ。
レベル差が十以上開けば、こちらの行動が不自然に無効化される可能性がある。逆に、相手の判定だけ通る条件なら、査定として不公平だ。そこを潰しておけばいい。
ルナがこちらを一瞬見た。
俺は短く頷く。
やれ。
彼女は小さく息を吸った。
そして、踏み出した。
一体目の模擬人形が正面から棒を振る。
遅い。
いや、普通のプレイヤーなら十分速いのだろう。だが、ルナの感覚からすれば、起こりが大きい。彼女は横へ大きく避けない。外套の裾を広げすぎれば、革帯に引っかかる。だから、沈む。
膝を抜き、重心を落とす。
棒がフードの上を掠める。顔は見えない。髪も出ない。
そのまま、一歩。
裾が金具へ触れる直前、内側の分割が開いた。
足が抜ける。
二体目が左から打ち込む。
ルナは剣を抜かない。
手で受けない。
ただ、半身になる。
外套の表面を革帯が滑り、肩口の逃げが開く。模擬人形の棒は、彼女の袖の外側を掠めた。布にわずかな傷がつく。
ログが流れる。
《外套破損率:三%》
問題ない。
三体目が、遅れて背後から突く。
死角。
観衆が声を上げた。
ルナは見ていない。
だが、反応した。
首を回さず、足だけを入れ替える。身体の向きを変えるのではなく、立つ場所を変えた。棒は彼女の背中の外套を押すように掠め、根麻布の表面で滑る。
破れない。
引っかからない。
ルナはその力を利用して、さらに前へ出た。
いい。
避けるだけではなく、外套が受けた力を殺していない。布が滑る方向へ身体を乗せている。
きなこもちが、小さく笑った。
「相談できてるね」
「何とだ」
「布と」
「やっぱり聞こえているんじゃないか?」
「比喩だってば。たぶん」
その「たぶん」をやめろ。
だが、言いたいことは分かる。
ルナは、外套を障害物として扱っていない。
身体の一部にし始めている。
これなら、査定としては十分だ。
そう思った直後、フィールドの霧がさらに濃くなった。
ノイズが、手元の操作盤に触れている。
追加操作か。
模擬人形三体が、同時に動いた。
正面、右、背後。
さらに床の金具が、ルナの足元で連続してせり上がる。
観衆がざわめく。
「おい、難度上げすぎじゃないか?」
「これ外套の査定だろ?」
「でも公開査定なら、あれくらいやるのか?」
「顔隠したままは無理だろ」
ノイズの狙いは分かりやすい。
ルナに選ばせる気だ。
顔部隠蔽を維持するか。
外套を破らないか。
被弾を避けるか。
どれかを捨てさせる。
あるいは、追い込まれて白銀を使わせる。
そうすれば勝ちだ。
だが、ルナは白銀を使わなかった。
剣も抜かなかった。
彼女は、止まった。
ほんの一瞬だけ、完全に動きを止めた。
普通なら、それは悪手だ。
三方向から攻撃が来ている。足元の金具も上がる。止まれば当たる。
だが、ルナの停止は、硬直ではなかった。
重心を一点へ沈めるための、静止。
次の瞬間、彼女の身体が真下へ落ちた。
膝を抜き、外套の内側に空間を作る。
正面の棒が頭上を通る。右の棒が肩を掠める。背後の棒が外套の背を押す。床の金具が裾に触れる。
すべてが、ぎりぎりで絡まない。
外套が膨らみ、内側の分割が順に開く。
灰色の布が、まるで一呼吸するように広がった。
ルナは、その下から滑るように抜けた。
一歩。
二歩。
三歩。
フィールドの出口へ。
最後の革帯がフードを狙う。
フードがわずかに浮いた。
まずい。
白銀の髪が出る。
俺が一瞬、動きかけた。
だが、ルナは自分で戻した。
剣の柄にかけた手を使わず、顎をわずかに引き、肩を落とす。フード内側の芯が形を保ち、影が顔を覆い直す。革帯はフードの外側を滑り、ほどける。
顔は見えない。
髪も出ない。
ルナは出口の線を越えた。
ログが広場に流れる。
《第一査定終了》
《顔部隠蔽:維持》
《発光系補助効果:未検出》
《攻撃スキル使用:未検出》
《外套破損率:七%》
《可動干渉:軽微》
《査定結果:条件達成》
一拍、静寂が落ちた。
その後、広場がざわめいた。
「抜けた……」
「発光なし?」
「スキル使ってないよな?」
「外套、どうなってるんだ?」
「根麻布であれだけ動けるのか?」
「灰衣の旅剣士、何者だよ」
最後の声は余計だ。
だが、今は仕方ない。
顔も髪も見えていない。白銀も使っていない。剣技としても、派手な攻撃はしていない。
見せたのは、外套の性能と、旅剣士としての足捌き。
ギリギリ、守るべき線の内側だ。
ルナはフィールドの外で、静かに息を吐いた。
フードの影の中で、彼女の目がこちらを見る。
俺は小さく頷いた。
よくやった。
言葉にはしない。
広場で褒めると目立つ。主に俺の心が。
だが、ルナには伝わったらしい。
彼女の肩から、少しだけ力が抜けた。
ーーーーーー
ノイズは拍手した。
乾いた音だった。
「見事だ」
声だけは、領主らしく朗々としている。
「灰衣の旅剣士は、顔を隠したまま、外套装着状態で指定障害を突破した。発光系補助効果も使用していない。確かに、《根麻の可動外套片》には一定の機能があるようだ」
一定の機能。
わざと低く言ったな。
だが、ログは残った。
隠蔽維持。
可動干渉軽微。
発光系補助効果未検出。
外套破損率七%。
査定条件達成。
それらは広場に表示され、観衆も見た。ノイズの言葉だけでは消せない。
きなこもちが、声を張る。
「今の結果で分かる通り、《根麻の可動外套片》は、隠蔽性と剣士の可動を両立している。主素材はリーフェ村産の根麻布。領主館の三等級評価では、この性能は出ない」
生産職たちが反応する。
「確かに三等級根麻じゃ無理だ」
「黒斑があったとしても、選別すれば使えるってことか」
「村単位で低評価は雑すぎるだろ」
いい流れだ。
ノイズの顔が、少しだけ固くなる。
ただし、まだ決定打ではない。
これは第一査定。
ルナの外套が通っただけだ。
次は俺。
ノイズはゆっくりこちらを向いた。
「では次だ」
広場の奥で、衝撃試験装置が起動する。
重い打撃槌が、ゆっくり持ち上がった。
「黒鉄の重装騎士。次は、君の番だ」
観衆の視線が、今度は俺へ集まる。
俺は黒鉄の外殻を軽く確かめた。
左腕の機装は、まだ沈黙している。
見せない。
使わない。
防具の性能だけで通す。
面倒な条件だ。
だが、ルナは白銀なしで通した。
なら、俺も機装の本性を伏せたまま通すしかない。
「アイズドさん」
戻ってきたルナが、小さく言った。
「何だ」
「崩れませんでした」
「ああ」
「次は、アイズドさんの番です」
「そうだな」
「崩れないでください」
言い返す言葉が、一瞬見つからなかった。
俺は苦笑しそうになりながら、前へ出た。
黒鉄の重装騎士として。
中身を隠したまま。
ノイズの用意した、次の罠へ。




