冷徹なる苦労人
数日前、砂海の地下都市で結界を再起動したあの瞬間のことを思い出す。
世界中に響き渡ったワールドアナウンス。俺のシステムメニューのクエストログには、今も燦然と輝く黄金の文字が刻み込まれている。
『ワールドクエスト:七つの竜種の討伐』
だが、そのクエストの詳細欄は、不気味なほどに空白だった。
七つの竜がそれぞれどのような姿をしているのか、どのような能力を持ち、世界のどこに生息しているのか。攻略のための具体的な情報は一切提示されておらず、ただ「七つの竜種が顕現した」という事実だけが無機質に投げ出されている。
伝説としての名称のみが先行し、実態が全く掴めないことによる底知れぬ不気味さ。未知の強敵に対する心理的な緊張感が、俺の背筋を冷たく撫でるのと同時に、ゲーマーとしての血を熱く滾らせていた。
そして今、俺は白亜の城の玉座の間で、その強大な竜の力に魅入られたであろうアーサー王の真実について、一つの推論をぶつけた。
俺の言葉を聞き終えた妖妃モルガンは、憂いを帯びた瞳を伏せ、小さく、だが確かな重みのある息を吐き出した。
「……鋭い洞察力ですね、見知らぬ旅の者よ。私たちの抱える絶望の淵を、外の世界の者がここまで正確に覗き込むとは思いませんでした」
モルガンは玉座から静かに立ち上がった。漆黒のドレスの裾が、大理石の床を滑る。
「ですが、ここから先の話は少しばかり長くなります。このような冷え切った玉座の間での立ち話もなんですから……客室へ移動しましょう」
モルガンが白魚のような細い指を鳴らした瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
空間そのものが折り畳まれるような浮遊感。高度な空間転移魔法が、詠唱すらなしに発動したのだ。
一瞬の暗転の後、俺とルナが立っていたのは、暖炉の火が暖かく燃える、豪奢な調度品で統一された落ち着いた客室だった。
「モルガン様。事前の申請なしに、城内での空間転移魔法を私的に使用するのはお控えくださいと、何度申し上げればご理解いただけるのでしょうか。結界維持の魔力リソース計算が狂い、後の帳尻合わせにどれだけの労力がかかるか、少しはご配慮いただきたい」
転移の光が収まるや否や、頭上から冷ややかで、ひどく事務的な声が降ってきた。
部屋の隅に置かれた重厚な執務机。そこに山積みになった書類(羊皮紙)の束に埋もれるようにして座っていたのは、鉄灰色の甲冑に身を包んだ、神経質そうな細面の騎士だった。
彼の名はアグラヴェイン。現実のアーサー王伝説においては、円卓の騎士の一人であり、冷酷な密告者や策謀家として描かれることの多い人物だ。
だが、目の前にいるこのEHOにおけるアグラヴェインの目元には、まるで何日も徹夜を重ねたかのような色濃い隈がくっきりと刻まれていた。その表情は、冷血漢というよりは、終わりの見えない残業と予算不足に苛まれる『限界一歩手前の中間管理職』のそれに酷似していた。
「細かいことを気にするな、アグラヴェイン! それよりもこの者たちが、アーサーの現在の居場所を知っているのだぞ!」
俺の隣で、真紅の騎士モードレッドが身を乗り出して息巻く。
その言葉を聞いたアグラヴェインは、ペンを動かしていた手を止め、深く、本当に深く、魂の底から絞り出すような重い溜息をついた。
そして、鉄灰色のガントレットに覆われた指先で、こめかみをグリグリと揉みほぐし始める。
「……モードレッド卿。あなたは昨日も『氷原のパトロール』と称して予定ルートを大幅に逸脱し、規定量以上の魔力ポーションを無駄に消費しましたね。ただでさえ枯渇寸前の兵站の確保と、予算のやり繰りを誰がやっていると思っているのですか。後先考えずに突撃する前に、まずは報告書を提出しなさい」
「むっ……そ、それは、吹雪の中で魔獣の気配がしたからであって、決して無駄遣いでは……!」
「結果として魔獣は発見できず、ポーションだけが消費された。それが現実です」
冷酷なまでに事実のみを突きつけるアグラヴェインの正論に、モードレッドが言葉に詰まってタジタジになっている。
俺はその光景を見て、不覚にもアグラヴェインに対して強烈なシンパシーを抱いてしまっていた。
(……わかる。痛いほどによくわかるぞ、あんたの苦労が)
かつて俺も、白騎士団の軍師として、目先のバズに釣られて無茶苦茶な動きをするエースや、利益至上主義のマネージャーの尻拭いをさせられていた。消費アイテムの在庫管理、資金の運用、オークションの相場操作。表舞台の華やかな戦闘の裏で、どれだけ裏方の緻密な計算と心労が組織を支えているか。
「冷血な密告者」と後世に伝わっているこの男の正体は、実は組織を維持するために嫌われ役を買って出ている、超有能な『究極の苦労人』だったというわけだ。
「おい、あんた。胃薬なら特上のポーションを持ってるが、飲むか?」
俺が思わず同情心から声をかけると、アグラヴェインは冷ややかな目を俺に向けた。
「お気遣いなく。……それにしても、外部の者を城内に招き入れるとは。モルガン様も、随分と思い切った決断をなされたものですな」
「彼らはただの外部の者ではありませんよ、アグラヴェイン。私たちの長きにわたる膠着状態を打ち破る、特異点となるかもしれない存在です」
モルガンが優雅にソファに腰を下ろし、俺たちにも座るように促した。
アグラヴェインは一つ息を吐くと、机から離れ、手際よく人数分の温かい紅茶を淹れてテーブルに並べた。その洗練された無駄のない所作からも、彼がこの城のあらゆる実務を取り仕切っていることが窺えた。
「さて、見知らぬ旅人たちよ」
モルガンが紅茶のカップを手に取り、静かに俺の目を見据えた。
「先ほどの玉座の間でのあなたの推測、実に見事でした。ですが、いくつか訂正させてください」
俺は黙って頷き、続きを促した。
「まず、湖畔に倒れていたアーサーの胸に刻まれていたという巨大な爪痕。あれは、あなたが推測したような『竜』のものではありません。彼が結界を破って逃走を図った際、それを阻止するために私が差し向けた『魔力召喚獣』がつけた傷です」
「なんだと……?」
俺は小さく眉をひそめた。
竜との接触によって負った傷ではない。つまり、アーサー王の戦闘力は俺の想定よりもまだ高く保たれている可能性がある。
「そして、もう一つ。世界に放たれた『七つの竜種』についてですが……」
モルガンは伏し目がちになり、その妖艶な顔に深い苦悩の色を浮かべた。
「それは確かに、アーサーを魅了した『あのお方』の一部ではあります。ですが、決して『あのお方そのもの』ではないのです」
「……どういうことだ? 竜種が本体じゃないなら、あのお方ってのは一体どこに――」
俺がさらに踏み込んで質問しようとした瞬間、モルガンは悲痛な顔でゆっくりと首を横に振った。
「……これ以上は、私たちの口からは何も言えません」
その言葉には、物理的な拒絶ではなく、見えない壁に阻まれているような『強制力』が働いていた。
フェネキア族の族長セレンが「古の悪意」について語ろうとした時に見せた反応と、全く同じ現象だ。
NPCが、システムの根幹に関わる裏設定を直接プレイヤーに語ることを制限する、絶対的な呪縛。
「……分かった。それ以上は聞かない」
俺はそれ以上の追及を諦めた。クソAI『アルファ』が敷いた情報統制のロックを、NPCの口から無理やり抉じ開けることは不可能だ。真実を知りたければ、自分たちの足で探索し、戦って情報を集めるしかない。
「では、約束通り、アーサー王の現在の居場所を伝えよう」
俺は虚空を叩き、システムマップを展開してテーブルの上にホログラムとして表示させた。
「俺たちがアーサー王を見つけた湖畔から、血痕と足跡のトラッキングを逆算した結果だ。奴は俺たちと別れた後、この極光の氷原を西へ向かい、古代の『星幽の廃観測所』と呼ばれるエリアの地下深くへと向かっている」
「西の、廃観測所……!」
モードレッドが弾かれたように立ち上がった。
「あそこは、かつて古代人が禁忌の兵器を建造しようとしたという呪われた遺跡! なぜ、アーサーがそのような場所に……!」
「おそらく、そこに『あのお方』の欠片……七つの竜種のうちの一体が眠っていると踏んだんだろう」
俺がそう結論づけると、モードレッドは剣の柄を強く握りしめた。
「すぐに討って出るぞ、母上! アーサーが竜の力を手にする前に、この手で決着をつけてみせる!」
モードレッドが血気盛んに扉へ向かおうとした、その時だった。
「お待ちください、モードレッド卿」
部屋の隅で、静かに事態を見守っていたアグラヴェインが、静謐な声で彼女を引き止めた。
彼は鉄灰色の甲冑を鳴らしてゆっくりと歩み寄り、冷ややかな瞳でモードレッドを見下ろす。
「あなた一人で向かえば、また後先考えずに突撃し、貴重な物資を枯渇させ、無用な危機を招くに決まっています。……今回は、私も随行いたしましょう」
「アグラヴェイン……お前が、自ら前線に出るというのか?」
モードレッドが驚いたように目を瞬かせる。
「城内の事務処理は山積みですが、こればかりは仕方がありません。それに……」
アグラヴェインは目を伏せ、その目元に刻まれた疲労の奥に、かつて共に円卓を囲んだ王に対する複雑な感情を滲ませた。
「あの男が、どのような狂気の果てに何を為そうとしているのか。かつて彼に忠誠を誓った者として、その末路は……私のこの目で、見届けねばなりません」
冷徹な事務官の仮面の裏に隠された、騎士としての静かな、しかし確固たる決意。
俺はアグラヴェインのその言葉を聞いて、小さく口角を吊り上げた。
「……いいぜ、苦労人の旦那。どうせ俺たちも、そこに行く予定だったんだ。道中、背中くらいは預けさせてやるよ」
「お気遣いなく。あなたのその『布の服』に防御を期待するほど、私は無能ではありませんので」
アグラヴェインは俺の痛いところを的確に突き、冷たく鼻を鳴らした。




