魔女の素顔と交錯する推論
白亜の城の最奥、冷たいクリスタルの分厚い扉が開かれた先。
そこは、外の活気ある街並みとは完全に切り離された、静寂と冷気に包まれた玉座の間だった。壁面には緻密な星図が描かれたタペストリーが掛けられ、高い天井からは銀細工のシャンデリアが、冷たい月明かりのような光を大理石の床に落としている。
その光の中心、氷の彫刻のような玉座に、その女は静かに腰を下ろしていた。
「――よく来ましたね、モードレッド。それに、見知らぬ旅人たちも」
鈴を転がすような、それでいて鼓膜の奥を直接撫で回すような、魔力を含んだ深い声だった。
稀代の魔女であり、アーサー王の姉。そして、俺の傍らに立つ真紅の騎士モードレッドの母たる存在、妖妃モルガン。
俺は油断なく彼女の姿を視界に収めながらも、内心で思わず微かな感嘆の息を漏らしていた。
(……なんて、妖艶な女だ)
それが、俺の偽らざる第一印象であった。
月光を溶かして紡いだような銀糸の長い髪。闇に沈むような漆黒のドレスは、彼女の陶器のように滑らかで白い肌をこの上なく引き立たせている。切れ長でありながらもどこか憂いを帯びた双眸は、見る者の魂を容易く絡め取る、底知れぬ色気と知性を放っていた。
隣に立つモードレッドの、峻烈で若々しい騎士としての佇まいと見比べても、玉座の女が彼女を産んだ母親であるなどとは到底信じられない。時を止めているのか、あるいは魔術によって肉体を最適化しているのか。
(人間離れした美貌を持つ魔女が、実は大きな子持ちの母親である……。ファンタジーの文脈としてはあまりにも典型的なお約束の展開だが。……まあ、嫌いじゃない。むしろこういうベタな驚きは大いに歓迎すべきだ)
緊迫した敵地の中枢にあって、俺は自身の内に湧き上がるそんなメタ的な感想に、少しだけ救いを感じていた。このような軽口を頭の中で叩けるうちは、まだ自分は正気を保っている。彼女の放つ異質な存在感と、空間そのものを支配する魔力の圧に呑まれないための、ゲーマーとしての防衛本能だ。
モルガンは、値踏みするように俺とルナを見つめた後、ふと視線を外して傍らのモードレッドへと向けた。
「それで、モードレッド。なぜ見ず知らずの旅人を、この私の元へ連れてきたのですか? 今の私たちは、外部の人間を迎え入れるような余裕など持ち合わせていないはずですが」
咎めるような、冷ややかな響きを含んだ問い。その言葉の裏には、文字通り血を吐くような綱渡りの現状を維持している指導者としての疲労が垣間見えた。
モードレッドは母の威圧に怯むことなく、一歩前に出て、堂々と胸を張って答えた。
「必要だから連れてきたまでだ、母上。この者たちは、我々が血眼になって探している『アーサーの現在の居場所』を知っている」
その言葉が広い空間に響いた瞬間、モルガンの憂いを帯びた双眸に、鋭い驚きが閃いた。
彼女は弾かれたように姿勢を正し、再び俺たちへと向き直る。
「……なるほど。それは確かに、何よりも得難い客人だわ。歓迎の挨拶が遅れた無礼を許してちょうだい、旅人よ」
モルガンはふっと自嘲気味な微笑を浮かべ、細い指先で自身のこめかみを軽く押さえた。
「恥ずかしながら、現状はこちらも様々な部分で手が回せていない状況でね。王の行方を追うための目も、それを阻止するための手足も、全てが足りていないのです」
稀代の魔女であり、強大な勢力を率いるはずのモルガンが、「手が回っていない」と率直に自身の窮状を零す。
俺は、この機会を逃すべきではないと判断した。情報という最大のカードを切る前に、どうしても確証を得ておかなければならない疑問があったのだ。
「王の居場所を教える前に、一つだけ聞かせてくれ」
俺の静かな声に、モルガンとモードレッドの視線が集中する。
「……アーサー王の真の狙いとは、一体なんなんだ? あれほどの王が、国を捨て、円卓を崩壊させてまで、なぜあんな不可解な真似を……覇権のためか、それとも狂気に囚われたとでもいうのか?」
俺の問いが落ちた後、部屋には重く冷たい静寂が降りた。
モルガンはゆっくりと目を伏せ、長い睫毛が白い頬に濃い影を落とした。彼女はまるで、口に出すことすら恐ろしい呪いの言葉を紡ぐように、ひどく悲痛な声で静かに答えた。
「……あの子は、決して狂ったわけでも、悪逆の道に堕ちたわけでもないのよ。ただ……」
モルガンは一度言葉を切り、重い息を吐き出した。
「ただ、『あのお方』の一部に、深く魅入られてしまっただけなの」
――『あのお方』。
その単語が、モルガンの艶やかな唇から滑り落ちた瞬間だった。
隣に立っていたルナが、ハッと息を呑んで俺の袖を強く引いた。
「アイズドさん……今、『あのお方』って……!」
「ああ。偶然の一致じゃない。お前も聞き覚えがあるはずだ」
俺の脳内で、バラバラに散らばっていた情報のピースがカチリと音を立てて結合していく。
砂海の地下都市。フェネキア族の族長セレンや長老たちと交わした対話の記憶。彼らは、かつて古代の大戦を引き起こした元凶について語る際、決してその具体的な固有名詞を口にしようとはしなかった。ただ恐れと敬意を込めて、それを『あのお方』と呼んでいたのだ。
「モルガン、あんたが言う『あのお方』ってのは、フェネキア族が伝承として恐れ、口にすることすら禁忌としている存在と同じものを指しているな?」
俺が問うと、モルガンの双眸が微かに見開かれた。
「……あなたたち、なぜその名を……」
「やっぱりか。ルナ、情報を整理するぞ」
俺はルナに向き直り、これまでの状況証拠を論理的に組み立てていった。
「俺たちが砂海の地下都市で結界を起動した時、ワールドアナウンスで世界に何が放たれた?」
「ええと……『七つの竜種』、ですよね」
「そうだ。フェネキア族が恐れる『あのお方』と、世界に放たれた規格外の厄災である『七つの竜種』。そして今、モルガンが口にした、アーサー王を魅了した『あのお方』。これらが無関係であるはずがない」
俺は腕を組み、冷たい石造りの床を見つめながら推論を重ねる。
「ルナ、思い出してみろ。俺たちが湖畔で倒れていたアーサー王を見つけた時、奴の胸には巨大な裂傷が刻まれていた。あれは剣や魔法の傷じゃない。巨大な獣……おそらくは『竜の爪痕』だった」
「あ……! 確かに、すごく大きな爪で引き裂かれたような傷でした!」
「アーサー王は、気が狂ったわけでも、単なる権力欲に溺れたわけでもない」
俺は真っ直ぐにモルガンの妖艶な瞳を見据え、導き出した結論をぶつけた。
「このゲームの裏設定に君臨する、圧倒的な力を持った竜……つまり『七つの竜種』こそが、あんたらの言う『あのお方』の正体なんじゃないのか?」
冷たい玉座の間に、俺の言葉が鋭く響き渡る。
モルガンとモードレッドは、言葉を失ったように押し黙っていた。それが何よりの肯定だった。
「アーサー王は、その『七つの竜種(あのお方)』の力の一部に触れ、魂を絡め取られてしまった。王が探しているのは、新たな領土でも聖杯でもない。自らを魅了した竜の力を求めて接触し、逆に深手を負った……それが湖畔での惨状の真実だ」
俺の推論を聞き終えたルナが、震える声で言葉を繋ぐ。
「じゃあ、アーサー王様を操っているのは……その竜なんですね」
「ああ。RPGにはよくある王道の展開だ。強大すぎる力に魅入られた高潔な騎士が、その力に呑まれて暴走し、かつての仲間を裏切る。アーサー王の不可解な行動のすべての原因は、彼自身の野心ではなく、その竜が放つ絶対的な引力によるものだったというわけだ」
(……点と点が、最悪の形で線に繋がった)
俺の心臓が、ゲーマーとしての興奮と、未知なるレイドボスに向けた闘争心で早鐘を打ち始めていた。
これは人間同士の権力闘争などではない。アーサー王の背後にいるのは、世界を揺るがす神話級の厄災――『七つの竜種』というシステム上の巨大な脅威だ。
俺はゆっくりと顔を上げた。
「お約束的展開」だと笑っていた余裕は消え去り、そこには、次なる強大なレイドボスを確信した、プレイヤーとしての鋭い狩猟者の色が宿っていた。
「……モルガン。事情は完全に把握した」
俺の声は、先程よりも一段低く、確かな重みを帯びていた。
「アーサー王の野郎は、ただの権力亡者じゃなく、竜の力に当てられて暴走してるってわけだな。王の居場所を教えよう。だが、相手が『竜』の力に魅入られたバケモノだってんなら、こっちも相応の準備と覚悟がいる」
俺は一歩前に踏み出し、妖妃に向かって不敵に口角を吊り上げた。
「アーサー王を止めるために、俺たちに協力してくれ。あんたが持ってる『あのお方』とやらに関するすべての情報を、ここで吐き出してもらうぜ」
冷たい石造りの部屋に、俺の静かな宣言が響き渡る。




