領主館前広場
グレイム領へ向かう道は、昨日よりも短く感じた。
実際の距離が変わったわけではない。リーフェ村から領都までは、森を抜け、古い木材運搬路を通り、灰色の街道へ合流するだけだ。行きも帰りも、道の長さは同じである。
ただ、目的地の重さが違った。
昨日は、記録を取りに行った。
今日は、晒されに行く。
言葉にするとひどいな。いや、実際ひどい。
領主館前広場での公開査定。リーフェ村の素材価値を確認するための、領主権限イベント。表向きは公正な審査であり、ノイズの税制に異議を唱えた俺たちに与えられた正式な機会。
だが、実態は違う。
ノイズは、俺たちを人前に引きずり出したいのだ。
黒鉄の重装騎士。
灰衣の旅剣士。
モチモチきなこもち。
リーフェ村の帳簿。
《灰鉄の偽装外殻片》。
《根麻の可動外套片》。
それらすべてを広場の中央に並べ、失敗させ、笑いものにし、再査定請求を潰す。ついでに俺たちの特徴を情報屋へばら撒く。
領主としては、なかなか効率的な一手だ。
性格は終わっているが。
「人、多いでしょうか」
隣を歩くルナが、フードの奥から小さく聞いてきた。
「多いだろうな」
「ですよね」
「ノイズは見せ物にしたいはずだ。人を集めない理由がない」
「見せ物……」
ルナの声が少し沈む。
灰色の外套は、朝霧の湿気を少し吸って重そうに見える。だが、歩き方は昨日より滑らかだった。内側に仮留めした《根麻の可動外套片》が、足の動きに合わせて裾を逃がしている。
外からは、ただの重い旅外套。
中では、布が彼女の動きを殺さないように細かく割れている。
いい出来だ。
あくまで試作品としては、だが。
「緊張してるか」
「しています」
ルナは素直に答えた。
「でも、昨日よりはましです。やることは分かってますから」
「白銀は使わない」
「はい」
「勝とうとしない」
「はい」
「外套で崩れずに動く」
「はい」
返事は落ち着いている。
だが、指先は外套の端を握っていた。
怖いのだろう。
それでいい。
怖くない人間ほど、余計なことをする。怖さを認識して、それでも足を止めない方がずっと信用できる。
少なくとも、今のルナは昨日の彼女よりずっといい。
リリィとロアン村長は、俺たちの少し後ろを歩いていた。ロアンは帳簿を抱え、リリィは小さな木箱を両手で持っている。木箱の中には、リーフェ村の灰鉄鉱と根麻布のサンプル、そして昨日の試作品ログを記録した小型の証明札が入っている。
きなこもちは最後尾。
いつもの煤けた作業着に、小さな鞄と金槌。見た目だけなら、完全に野良職人である。いや、実際に野良職人なのだが。
「重装騎士さん」
きなこもちが俺の背中へ声をかけた。
「何だ」
「左肩、違和感ある?」
「昨日よりはましだ」
「それは褒めてる?」
「職人基準では不十分なんだろう」
「分かってきたじゃん」
「分かりたくなかった」
肩に仮留めした《灰鉄の偽装外殻片》は、重装鎧に見える外観を保ったまま、可動の逃げを作っている。機装そのものは見せない。動かさない。だが、俺の本来の身体操作を完全には殺さない。
きなこもちが知っているのは、そこまでだ。
左腕の武器が普通ではないこと。
俺が重装騎士一本の動きではないこと。
その秘密を隠すには、防具側に逃げが必要なこと。
変形の詳細は知らない。ジョブ名も知らない。もちろん、俺がかつて白騎士団のジンだったことも知らない。
知らないまま、必要なものだけ作る。
職人としては、かなり信用できる。
口は悪いが。
「広場に着いたら、まずノイズが喋る」
俺は歩きながら確認する。
「たぶん、リーフェ村が未納を出した事実から入る。採取量低下、品質低下、税の正当性。その辺りを並べるはずだ」
「村が悪いみたいに言うんですね」
リリィが小さく言った。
「そうだ。だから、感情で反応するな。反論はロアン村長と俺がする。リリィは聞かれたことだけ答えろ。分からないことは分からないでいい」
「はい」
「ロアン村長は、帳簿の数字を間違えないこと。相手は言葉尻を拾う」
「承知しました」
「きなこもちは」
「素材査定と試作品の説明でしょ。分かってる。ノイズが理外創成を死に機能扱いして笑ってきたら、笑顔で殴る」
「言葉でな」
「もちろん」
一応確認しておいた。
このドワーフは、たまに金槌で殴ることを比喩ではなく実行しそうな空気がある。
「ルナは」
「はい」
「黙って立て」
「それだけですか?」
「最初はそれだけでいい。ノイズはお前の顔を出させようとするかもしれない。フードを取れ、正体を示せ、査定に不誠実だ、そういう言い方をしてくる可能性がある」
「取らないです」
「取る必要はない。今回の対象は外套型防具の性能だ。顔を晒すことは査定条件に含まれていない」
「はい」
「もし無理に触られそうになったら、避けろ。斬るな」
「分かりました」
ルナは頷いた。
その声に、少しだけ硬さが戻る。
ノイズは、そこを狙うかもしれない。
彼女の感情。
顔を隠している理由。
白銀の髪。
情報屋たちが嗅ぎ始めた匂い。
こちらが守りたいものは、相手にとって攻める場所でもある。
面倒な盤面だ。
だが、盤面である以上、読める。
グレイム領の城壁が見えてきた。
朝の煙が、相変わらず低く流れている。
昨日より、人の気配が濃かった。
ーーーーーー
領主館前広場は、すでに見物人で埋まっていた。
予想はしていた。
だが、実際に見ると想像以上だった。
広場中央には、木製の査定台が組まれている。周囲には柵が置かれ、その外側にプレイヤー、NPC、生産職、商人、配信者らしき者たちが集まっていた。空中には小型の録画ウィンドウがいくつも浮いている。
配信者の声が聞こえる。
「はい、こちらグレイム領の領主館前です! リーフェ村の素材価値を巡る公開査定、まもなく開始ということで――」
「理外創成の試作品が出たってマジ?」
「黒鉄の重装騎士、来たぞ」
「隣の灰色のやつ、あれが旅剣士?」
「顔見えなくね?」
「白髪隠し説あるって書かれてたやつ?」
ルナの肩がわずかに動いた。
俺は半歩前へ出て、自然に彼女を視線から遮る位置を取る。
盾役の立ち位置。
それだけなら不自然ではない。
むしろ、重装騎士なら当然だ。
広場に入った瞬間、視界にイベント通知が表示された。
《領主権限イベント:公開査定》
《リーフェ村素材価値確認》
《開始まで:五分》
《参加者:グレイム領主ノイズ》
《参加者:リーフェ村代表ロアン》
《参加者:モチモチきなこもち》
《補助者:黒鉄の重装騎士》
《補助者:灰衣の旅剣士》
《対象素材:灰鉄鉱/根麻布》
《対象試作品:灰鉄の偽装外殻片/根麻の可動外套片》
名前は出ていない。
よし。
ただし、簡略名は出ている。
黒鉄と灰衣。
この二つの呼び名は、今日で確実に広がる。
もう避けられない。
なら、印象をこちらで制御する。
黒鉄の重装騎士は、書類にうるさい変なタンク。
灰衣の旅剣士は、顔を隠したまま動ける剣士。
それ以上にはしない。
白銀も、機装も、フェネキアも出さない。
広場の奥、領主館の階段上に、ノイズが立っていた。
派手なコート。
指輪だらけの手。
整った顔立ちに、作り物めいた笑み。
昨日の搬入門で見た時より、ずっと領主らしく装っている。背後には補助警備が並び、左右に徴税官NPCが控えている。舞台を作ることには長けているらしい。
その舞台が安っぽいのは、本人の品性の問題だ。
ノイズは俺たちを見ると、わざとらしく両手を広げた。
「ようこそ、リーフェ村の諸君。そして、素材評価の公正を求める冒険者諸君」
声が広場全体へ響く。
拡声魔法か、イベント用の音声補助だろう。
「本日は、グレイム領の運営に疑義があるとの申し立てを受け、この領主ノイズ自ら、公開査定の場を設けた。領民と冒険者の不安を払拭するため、あえて衆目の前で審査を行う」
あえて、か。
よく言う。
あえて衆目の前に出したのは、こちらを追い詰めるためだろうに。
だが、観衆にはそれなりに響く。少なくとも、事情を知らない者から見れば、領主が透明性を示しているように見える。
ノイズは続ける。
「リーフェ村は、ここ数ヶ月、灰鉄鉱および根麻布の納付量を大きく落としている。領主館は規則に従い、未納分の担保徴収を進めた。だが、村側は素材評価に不服があると主張している」
ざわめき。
村側。
不服。
言い方がうまい。
まるで、村が税を逃れようとしているように聞こえる。
ロアン村長の顔が強張った。
リリィは木箱を抱きしめるように持っている。
ルナの気配が少しだけ尖った。
俺は軽く手を上げ、全員を制する。
まだだ。
ノイズの発言は、想定内。
まずは相手に喋らせる。
「さらに」
ノイズの目が、きなこもちへ向く。
「登録外の職人モチモチきなこもちが、リーフェ村の共同炉を用いて、既存レシピ外生成品を作ったという。理外創成。生産職の間では、素材を灰にするだけの死に機能として知られるものだ」
観衆の一部が反応した。
「理外創成?」
「マジでやったのか」
「死に機能じゃん」
「素材もったいな」
「でも成功したって話だろ」
きなこもちが笑っている。
怒っている笑顔だ。
怖い。
金槌を握るな。まだ早い。
「本日確認するのは三点」
ノイズは指を立てた。
「第一に、リーフェ村の灰鉄鉱と根麻布が、村側の主張する価値を本当に持つのか」
二本目の指。
「第二に、理外創成で作られたという試作品が、素材評価の証拠として成立するのか」
三本目。
「第三に、その試作品が実用品としての性能を持つのか」
ノイズは楽しげに笑った。
「つまり、作っただけでは足りない。見せてもらおう。リーフェ村の素材とやらが、どれほどのものなのかを」
言いたいことは分かった。
試作品の性能確認。
つまり実演。
こちらを動かす気だ。
ノイズは広場中央の査定台へ手を向けた。
「対象試作品を提出しろ」
きなこもちが木箱を受け取り、査定台へ向かう。
俺とルナも、その後ろに続く。
観衆の視線が刺さる。
黒鉄の外殻が、その視線を受ける。灰色の外套が、ルナの顔を隠す。
リリィとロアン村長は、少し離れた場所に立った。彼らまで台の中央に上げる必要はない。むしろ、ノイズの言葉に巻き込まれない位置にいた方がいい。
査定台の上に、試作品が置かれる。
《灰鉄の偽装外殻片》。
《根麻の可動外套片》。
ノイズ側の鑑定NPCが近づき、ログを確認する。
淡々とした声が流れた。
《素材由来確認》
《灰鉄鉱:リーフェ村産》
《根麻布:リーフェ村産》
《補助素材:外部持ち込み》
《村素材寄与率:七十二%》
《生成方式:理外創成》
《生成結果:限定成功》
広場がざわつく。
七十二%。
数字は強い。
リーフェ村の素材が主材料であることが、公のログとして示されたからだ。
ノイズの眉が、わずかに動いた。
すぐに笑みに戻したが。
「なるほど。素材由来は認めよう」
ノイズが言った。
「だが、由来と価値は別だ。粗悪な素材から偶然それらしいものができることもある。理外創成なら、なおさらだろう?」
きなこもちが鼻で笑った。
「偶然で二等級上位の試作部品が二つ揃うなら、生産職は誰も苦労しないよ」
「では、その価値を示してもらおう」
ノイズは手を鳴らした。
広場の奥から、二つの査定装置が運び込まれる。
一つは、可動試験用の簡易障害フィールド。
床に細い突起、布を引っかける低い金具、視界を遮る薄い霧の発生器。
もう一つは、防御外殻用の衝撃試験装置。
振り子式の打撃槌と、足場の悪い石板。
なるほど。
準備がいい。
ルナの外套には、裾の絡みと視界制限。
俺の外殻には、重装に見える状態での可動と衝撃処理。
想定通り、こちらが失敗しやすい条件を作ってきた。
「まずは」
ノイズが、わざとルナを見る。
「灰衣の旅剣士からだ」
広場の視線が、一斉にルナへ向いた。
彼女のフードの奥で、息が止まった気配がした。
ノイズは笑う。
「《根麻の可動外套片》。顔と髪を隠しつつ、剣士の動きを妨げないという触れ込みだったな。ならば、この場で示してもらおう」
観衆がざわめく。
「顔と髪?」
「なんで隠す必要あるんだ?」
「やっぱ白髪隠し?」
「旅剣士って女?」
まずいな。
狙い通り、顔隠しの方へ話を寄せてきた。
俺が口を開く前に、ノイズが続ける。
「ただし、公正な査定のため、顔を隠したままで構わない。隠蔽性もまた、この外套の機能なのだろう?」
意外だった。
顔を出せと言ってくると思ったが、ノイズはそこを避けた。
いや、違う。
顔を出させるより、顔を隠したまま動かす方がいいのだ。
外套の機能を証明する名目で、ルナを人前で走らせ、避けさせ、特徴を記録させる。顔は見えなくても、動きは残る。情報屋にとっては、それだけでも十分値段がつく。
やってくれる。
ノイズは小物だが、嫌なところに手が届く。
ルナが小さく俺を見た。
フードの奥、わずかに見える瞳が揺れている。
俺は短く言った。
「崩れるな」
ルナは一度だけ目を閉じた。
そして、頷く。
「はい」
声は、もう震えていなかった。
きなこもちが彼女の外套の肩を軽く叩く。
「布と喧嘩しない。布が逃げる場所に足を置く。白い光は使わない」
「はい」
「あと、ポンチョちゃん」
「ルナです」
「転んだら受け身」
「そこからですか?」
「基本は大事」
ルナが少しだけ笑った。
いい。
緊張が、ほんの少し抜けた。
彼女は査定フィールドの前へ進む。
灰色の外套が揺れる。
フードは深く、顔も髪も見えない。
だが、その下で、彼女の足は静かに位置を決めた。
ノイズが手を上げる。
「では、第一査定」
広場全体に、イベントログが表示された。
《第一査定:可動外套実演》
《条件:顔部隠蔽維持》
《条件:外套装着状態で指定障害を突破》
《制限:攻撃スキル使用不可》
《制限:発光系補助効果使用不可》
来た。
発光系補助効果使用不可。
ノイズが白銀のことを知っているわけではないだろう。だが、隠し効果やスキルを使わせないための制限だ。これで、白銀はシステム的にも使えない。
逆にありがたい。
使わない理由が、こちらだけでなく査定条件にもなる。
ルナが剣の柄に手を添える。
抜かない。
ただ、立つ。
灰衣の旅剣士として。
ノイズが、楽しそうに開始合図を出した。
「始めろ」
床の障害フィールドが起動した。
薄い霧が、ルナの足元から広がる。
低い金具が、布の裾を引っかけるようにせり上がる。
観衆が息を呑む。
ルナは一歩、踏み出した。
その一歩は、昨日までとは違っていた。
布を避けるのではない。
布が開く場所へ、足を置いた。
灰色の外套が、静かに揺れた。




