公開査定前夜
公開査定。
その四文字は、通知欄に表示されているだけなら、いかにも公平で、透明で、まっとうな制度に見えた。
誰かが素材価値に異議を唱えた。ならば、公開の場で査定し直す。職人が作った試作品を見せ、素材の由来を確認し、必要なら実演を行う。結果はログとして残り、領地管理システムが判断材料にする。
言葉だけなら、すばらしい。制度としても、たぶん必要だ。
問題は、それを発行したのがノイズであり、場所が領主館前広場であり、期限が翌日正午であり、対象者に俺とルナが含まれていることだった。
つまり、罠である。
ご丁寧に「公正な審査」という包装紙で包まれた、かなり性格の悪い罠だ。開けたら中から毒針が飛んでくるタイプの贈答品。のし紙に「誠意」と書いてあるのがまた腹立たしい。
リーフェ村の集会小屋には、夜になっても灯りが残っていた。
村人たちは、少し離れた場所で不安そうにこちらを見守っている。ロアン村長は帳簿と通知ログを何度も確認し、リリィは湯気の立つ薬草茶を配って回っていた。
ちなみに味は、フェネキアの薬草茶に勝るとも劣らない。悪い意味で。健康に良い味というものは、だいたい舌への暴力である。
小屋の中央では、きなこもちが作業台の上に二つの試作品を置いていた。
《灰鉄の偽装外殻片》。
《根麻の可動外套片》。
どちらも完成品ではない。あくまで試作部品だ。
だが、意味は重い。
リーフェ村の素材が不当に低く評価されていたことを証明する材料であり、俺たちが明日、領主館前広場で晒されながら守らなければならない証拠であり、さらに言えば、俺たち自身の偽装と生存に直結する防具の第一歩でもある。
「まず、前提を確認するよ」
きなこもちが、煤のついた指で作業台を軽く叩いた。
「明日やるのは、武器の実演じゃない。防具の実演だ。ここを勘違いしたら終わる」
「分かっている」
俺は頷いた。
アイズドの武器は、左腕の《古代変形機装》だ。
ただし、その名も、性質も、きなこもちには話していない。
彼女が知っているのは、せいぜい「普通の武器ではないらしい」ということだけだ。俺が重装騎士一本の人間ではないこと。左腕の機構に触れるべきではないこと。そこに何か厄介な秘密があること。
その程度で、十分だった。
腕のいい職人は、知らなくていいことを知らないまま、必要な部分だけを見る。きなこもちは、まさにそういう目をしていた。
「アイズド。あんたの左腕のそれには触らない」
「賢明だな」
「普通の武器じゃない。けど、何なのかまでは聞かない。聞いたら面倒そうだし、触ったらもっと面倒そうだからね」
「その判断は正しい」
「だから、あたしが作るのは防具側。あんたが重装騎士に見えるための外殻。けど、本当の動きを邪魔しない外殻だ」
「本当の動き?」
「重装騎士一本の人間じゃない動き、って意味」
きなこもちは俺の肩、肘、腰へ順に視線を走らせた。
「盾役みたいに見えるのに、肩と肘と腰の逃がし方が違う。何を隠してるかは知らない。でも、普通の重鎧を着せたら、その隠してるものごと死ぬ。それくらいは分かる」
俺は、少しだけ黙った。
見抜きすぎだ。
だが、見抜き切ってはいない。
その線引きが、今はありがたかった。
「外からは黒鉄の重装騎士。中身は軽く、可動域を殺さない。肩と肘と腰には逃げを作る。衝撃は正面で受けるんじゃなくて、外へ流す。そういう防具外殻が必要なんでしょ」
「だいたい合っている」
「だいたい、ね」
きなこもちはにやりと笑った。
「秘密持ちの客は面倒だけど、注文としては面白いよ」
「面白がるな。こっちは命がかかってる」
「職人にとっては、面白いものほど命がかかる」
「嫌な職業倫理だな」
「褒め言葉として受け取る」
きなこもちは悪びれもせず言った。
次に、彼女はルナを見る。
ルナは作業台の前で、灰色のポンチョを着たまま立っていた。フードは深く、顔の半分以上が影になっている。白銀の髪も、サファイアブルーの瞳も、ほとんど外からは見えない。
だが、明日はその姿で広場に立つ。
情報屋がいる。配信者もいるかもしれない。ノイズの部下も、野次馬も、生産職も見る。
そこで一度でも《白銀の剣気》を使えば、噂は一気に繋がる。
灰衣の旅剣士。白銀の剣気。名もなき二名。根脈。魔蛇。
まだ曖昧な線が、形を持ってしまう。
「ポンチョちゃん」
「ルナです」
「覚えてるって。ルナ」
きなこもちが笑う。
「明日は、白い光は使わない」
ルナの肩がわずかに動いた。彼女は、少し遅れて頷く。
「はい。使いません」
「使えば楽になる場面があっても?」
「使いません」
「足元が絡むような試験を出されても?」
「使いません」
「視界を塞がれて、避けにくくされても?」
「……使いません」
最後だけ、ほんの少し間があった。
責める気にはならなかった。
むしろ、その間がある方が自然だ。
《白銀の剣気》は、今のルナにとって切り札だ。火力を上げるための光ではない。剣先で攻撃線や魔力線、淀みの糸に干渉するための前提技術。だが、使えば普通の剣では触れないものに触れられる。
あれがあれば、危ない場面をずらせる。
けれど、明日は使えない。
使えば、守りたい匿名性が崩れる。
強くなるほど、使えない場面が増えるというのは、なかなか性格の悪い話だ。さすがEHO。嫌がらせの設計に余念がない。
「ルナ」
俺は言った。
「明日の目的は勝つことじゃない」
ルナがこちらを見る。フードの奥で、目だけが小さく光った。
「勝たなくていいんですか?」
「査定は戦闘じゃない。勝利条件を間違えるな。お前が明日やるべきことは、相手を倒すことじゃない。《根麻の可動外套片》が、顔と髪を隠したまま剣士の動きを邪魔しないと証明することだ」
「証明……」
「派手に斬らなくていい。白銀を見せなくていい。むしろ見せるな。必要なのは、布の下で崩れずに動くこと。踏み込んで、避けて、戻る。それだけでいい」
ルナは自分の外套の裾を見下ろした。
昨日までのポンチョは、ただ隠すための布だった。視界を狭め、足に絡み、彼女の動きを鈍らせる。白銀髪と顔を隠す代わりに、剣士としての利点を殺していた。
だが、《根麻の可動外套片》は違う。
深いフードで顔と髪を隠す。外から見ると、灰色の重い旅外套に見える。しかし内側は分割され、足の動きに合わせて裾が逃げる。フードにも細い芯が入り、影を保ったまま視界を確保する。
完璧ではない。試作品だ。
だが、方向性は正しい。
「明日は、白銀なしでやる」
ルナは小さく言った。
「私の足と、この外套だけで」
「ああ」
「できますかね」
「できるかどうかは知らない」
「そこは励ましてください」
いつもの抗議。
けれど、声は少しだけ震えていた。
俺は少し考える。
無責任に「できる」と言うのは簡単だ。だが、それは励ましというより祈願に近い。俺が言うべきなのは、根拠のない優しさではなく、彼女が立てる足場だ。
「お前は、すでに白銀なしでも格上の攻撃を避けている」
俺は言った。
「外套に足を取られる癖も、昨日より減っている。きなこもちの調整で、視界と足捌きも改善されている。明日必要なのは、初めての力じゃない。今できることを、見られている場で崩さないことだ」
ルナはしばらく黙った。
それから、小さく息を吐く。
「それなら、少し分かります」
「なら、それをやれ」
「はい」
彼女は頷いた。
さっきより、声が落ち着いていた。
きなこもちが腕を組んで、にやにやしている。
「重装騎士さん、口は悪いけど説明は上手いね」
「褒めるな。目立つ」
「ここ室内だよ」
「俺の心が目立つ」
「面倒な心だね」
同感である。
ーーーーーー
調整は、夜通しに近かった。
といっても、完成防具を作るわけではない。試作品の仮調整だ。
《灰鉄の偽装外殻片》を、俺の見た目装備の肩と腰に合わせる。実際の装備欄では、まだ臨時追加外装扱いだ。性能は限定的だが、明日の実演には十分使える。
きなこもちが、俺の肩を横から叩いた。
「そこ、動かして」
俺は腕を上げる。
「もっと。重装騎士っぽくじゃなくて、本当に動かしたい方」
「見せすぎるとまずい」
「ここには村人しかいない。あたしが見ないと作れない」
「村人もいる」
「村人に肩の可動を見られて正体がバレるなら、あんたの秘密はだいぶ肩に寄ってる」
「嫌な秘密だな」
仕方なく、俺は少しだけ本来の動きに近づけた。
左腕の機装は、実際には動かさない。もちろん、展開もしない。ただ、戦闘中に必要になる肩の抜き方、肘の逃がし方、腰の沈め方だけを再現する。
それが何のための動きなのか、きなこもちには説明しない。
彼女も聞かない。
ただ、職人の目で必要な隙間だけを拾っていく。
「やっぱり肩。あと背中。外から見ると板金っぽくしたいけど、内側は分割だね。腰は重そうに見せるだけ。実際に重くしたら死ぬ」
「俺は死にたくない」
「じゃあ職人の言うことを聞く」
彼女は手早く調整を入れる。
灰鉄鉱の薄片を外装の裏へ仮留めし、革紐と魔力糸で逃げを作る。見た目は重厚な装甲。中身は、衝撃を横へ逃がし、可動部を殺さない構造。
「本番ならもっと綺麗にやれる」
きなこもちが言う。
「高温炉と精密魔力台があれば、衝撃拡散をもっと均一にできる。今は村の共同炉で作った試作品だからね。無理やりもいいところ」
「十分だ」
「職人に十分って言うな。もっと良くなる余地がある時は、不十分って言うんだよ」
「面倒だな職人」
「そういう生き物」
次に、ルナの外套。
きなこもちは、ルナに何度も歩かせた。
立つ。半歩沈む。右へ抜ける。左へ戻る。剣を抜かずに柄へ手をかける。フードの影が顔を隠せているか確認する。裾が足に絡まないか見る。視界が狭すぎないか試す。
それを何度も繰り返す。
ルナは文句を言わなかった。
いや、何度か「これ、地味にきついです」とは言った。正直でよろしい。
ただ、途中で集中が変わった。
最初は外套に合わせて動こうとしていた。だが、次第に外套の動きを感じて、その逃げ道へ足を置くようになっていった。
布の重み。フードの影。裾が開く瞬間。膝が抜ける方向。
それらを、ルナは身体で拾っていく。
《白銀の剣気》は出ていない。
剣すら抜いていない。
それでも、彼女の動きは少しずつ剣士のものになっていった。
「いいね」
きなこもちが呟く。
「あんた、布に合わせるのが早い」
「そうですか?」
「普通は防具を着ると、身体が防具と喧嘩する。でも、あんたは途中から防具と相談し始める」
「相談……」
「素材の声を聞く、みたいな変な話じゃないよ」
「今さら否定しても遅い」
俺が言うと、きなこもちが睨んできた。
「聞こえる時もある」
「あるのか」
「比喩だよ、比喩。たぶん」
「たぶんをつけるな」
ルナが少し笑った。
その笑い方には、さっきより余裕があった。
「この外套、だんだん分かってきました」
「なら明日までにもっと分かれ」
きなこもちが布の内側を調整しながら言う。
「本番では、ノイズが何をしてくるか分からない。足場を悪くするかもしれない。視界を塞ぐかもしれない。模擬魔物を出すかもしれない」
「模擬魔物……」
「でも、白銀は使わない」
「はい」
「斬り倒そうともしない。必要なのは、この外套で動ける証明。相手を倒したら、逆に話が逸れる」
ルナは頷いた。
「倒すんじゃなくて、崩れない」
「そう」
「分かりました」
その返事は、かなり良かった。
戦いの前に勝ち方を間違えない。
それだけで、生存率は大きく変わる。
ーーーーーー
深夜を少し過ぎた頃、ロアン村長が温かいスープを持ってきた。
薬草茶ではなかった。
ありがたい。
世界はまだ捨てたものではない。
村人たちは少しずつ家へ戻っていたが、集会小屋の外には何人かが残っていた。明日の公開査定が怖いのだろう。それでも、村を守るために自分たちも何かしたい。そんな空気があった。
リリィは、ルナの外套の調整を手伝っていた。
針仕事そのものはきなこもちがやる。だが、布を支えたり、光を当てたり、予備の紐を渡したりする。小さな作業でも、彼女は真剣だった。
「リリィ、眠らなくていいのか」
俺が聞くと、彼女は首を横に振った。
「眠れないと思います。それに、何かしていた方が落ち着きます」
「明日はお前も広場に出ることになる」
「はい」
「怖いか」
「怖いです」
リリィは即答した。
その後で、小さく笑った。
「でも、何もできないまま領主館に連れていかれる方が、もっと怖かったです」
ルナが手を止める。
リリィは続けた。
「昨日までは、私が行けば村が少し助かると思っていました。でも、それだと次も、その次も、誰かが行くことになるんですよね」
「そうだな」
「だから、明日はちゃんと見ます。村がどうやって縛られていたのか。アイズドさんたちが、どうやってそれを解こうとしているのか」
強い子だ。
そう思った。
NPCだとか、クエスト対象だとか、そういう分類を一瞬忘れるくらいには。
この世界は、時々そういう顔をする。
ただのデータだと割り切ろうとするこちらの都合を、真っ直ぐ踏み越えてくる。
だから面倒だ。
そして、面白い。
「見ておけ」
俺は言った。
「明日はたぶん、ノイズが村を悪く言う。払えない村、怠けた村、不良素材を出した村。そういう言い方をしてくる」
リリィの表情が硬くなる。
「でも、それが全部じゃない。数字の置き方で、いくらでもそう見せられる。だから、お前は村の側の数字を覚えておけ。帳簿も、採取量も、共同炉の役割も」
「はい」
「村を守るのは、俺たちだけじゃない。お前たちの記録も必要だ」
リリィは深く頷いた。
「はい」
その声は、昨日街で震えていた少女のものとは少し違っていた。
ルナがこちらを見た。
何となく言いたいことは分かる。
褒めていいですか、だろう。
やめろ。
目立つ。
心が。
俺は先にスープを飲んだ。
うまい。
薬草茶より二百倍うまい。
この村には守る価値がある。少なくとも、スープの味ではフェネキアより上だ。いや、判断基準がおかしいな。分かっている。
ーーーーーー
夜明け前。
集会小屋の外に出ると、リーフェ村は薄い霧に包まれていた。
根麻畑の上に白い靄が漂い、共同炉の煙と混ざっている。遠くにはグレイム領の煙突群が見えた。あちらの煙は相変わらず低く、重い。
ノイズの街。
税の檻。
その中心へ、今日行く。
俺は左腕に触れた。
《古代変形機装》は静かだった。
明日は使わない。
いや、今日だ。
公開査定は正午。
その場で多形態変形は見せない。俺の武器の正体も、性能も、使い方も、観衆に渡してはいけない。防具外殻の可動と衝撃拡散を示すだけでいい。
本気を出せば楽になる。
だが、本気を出せば終わる。
その矛盾を、今日も抱えていくしかない。
「アイズドさん」
背後から声がした。
振り返ると、ルナが立っていた。
灰色の外套は仮調整を終え、昨日より自然に彼女の身体へ馴染んでいる。顔と髪は隠れている。だが、立ち姿に窮屈さは少ない。
「眠れたか」
「少しだけ」
「十分だ」
「アイズドさんは?」
「目を閉じていた」
「それ、寝てないやつです」
「休息には分類される」
「分類の問題じゃないです」
ルナは少し困ったように笑った。
それから、表情を引き締める。
「今日、白銀は使いません」
「ああ」
「倒そうともしません」
「ああ」
「崩れないところを見せます」
「それでいい」
ルナは胸元の外套を軽く握った。
「でも、もしリリィちゃんや村の人が危なくなったら」
「その時は守れ」
「白銀は?」
「最後の最後まで使うな。だが、命に関わるなら迷うな」
ルナは静かに頷いた。
「分かりました」
完全な禁止ではない。
使わずに済ませる。
だが、守るべきものが壊れるなら、匿名性より優先する。
それが線引きだ。
難しい。
だが、線を引かずに戦う方が危ない。
「怖いか」
俺が聞くと、ルナは少し考えた。
「怖いです」
彼女は正直に言った。
「でも、昨日よりは平気です。やることが分かっているので」
「いい答えだ」
「褒めました?」
「事実だ」
「アイズドさんの褒め方ですね」
「そうらしい」
ルナは笑った。
フードの奥で、その笑みは半分しか見えなかった。
それでいい。
今日の彼女は、灰衣の旅剣士でなければならない。
白銀の剣士ではなく。
リーフェ村の鐘が鳴った。
朝を告げる小さな音。
家々から村人たちが出てくる。ロアン村長、リリィ、きなこもち。皆、それぞれの不安を抱えながら、それでも歩き出す準備をしていた。
グレイム領までの道は長くない。
だが、今日の道はただの街道ではない。
村の素材価値を証明する道。
ノイズの檻へ向かう道。
そして、俺たちの正体を隠したまま、人前で戦わなければならない道だ。
俺は黒鉄の外殻を確かめ、左腕の機装をその下に沈めた。
武器は見せない。
白銀も見せない。
書類と防具と実演で、領主の罠を越える。
「行くぞ」
俺が言うと、ルナが頷いた。
「はい」
リリィが村の門の前で、深く息を吸った。
きなこもちが金槌を腰に下げる。
ロアン村長が帳簿を抱える。
村人たちが、静かに道を開けた。
朝霧の向こうに、グレイム領の煙が見える。
公開査定まで、あと数時間。
最高のクソゲーは、今日も律儀に最悪の盤面を用意している。
なら、こちらも律儀に、その盤面を崩しに行くとしよう。




