白亜の熱気
重々しい音を立てて、白亜の巨大な城門が内側へと開かれていく。
極光の空と、肌を刺すような猛吹雪を背にして、俺とルナは真紅の騎士モードレッドの案内に従い、幻の都『キャメロット』の内部へと足を踏み入れた。背後では、漆黒の巨漢であるガウェイン卿が、無言のまま大剣を背負って殿を務めるように付いてきている。
分厚いクリスタルの回廊を抜けた先。
そこに広がっていた光景は、俺とルナの想像を根底から覆すものだった。
「……えっ?」
ルナの口から、呆然とした声が漏れる。
俺もまた、その圧倒的なスケールと予想外の情景に、思わず足を止めてしまった。
城門を抜けた先は、巨大なドーム状の空間になっていた。
見上げるほど高い天井の中心には、人工太陽のような巨大な魔力球が浮遊しており、温かで柔らかな光を空間全体に降り注いでいる。
外界の極光の氷原を吹き荒れていた、仮想肉体を削り取るような極寒の吹雪は完全に遮断されていた。肌を撫でるのは、春の陽だまりのような心地よい温もりと、かすかに漂う焼きたてのパンや香辛料の食欲をそそる匂い。
そして何より俺たちを驚かせたのは、眼下に広がる街の『活気』だった。
白亜の石材で整然と造られた家々や、立ち並ぶ色とりどりの天幕の露店。そこを行き交う無数の人々。
耳を澄ませば、商人の威勢の良い掛け声や、鍛冶屋が槌を振るう小気味良い金属音、そして子供たちの弾けるような笑い声が、街のあちこちから聞こえてくる。
「これ……どういうことですか? アーサー王のお爺さんは、たしか……」
ルナが信じられないというように、サファイアブルーの瞳を瞬かせた。
『妖妃モルガンの呪縛によって国は永遠の氷に閉ざされ、民は苦しみに喘いでいる』
数時間前、湖畔で血を流していたアーサー王は、確かにそう語っていた。その悲痛な言葉に胸を痛め、純粋な正義感から魔女を討伐しようと決意したはずだった。
だが、目の前にあるのは、どう見ても平和で、幸福に満ちた人々の営みそのものである。
街を歩く人々の姿を観察して、俺はさらに目を細めた。
「……なるほどな。ただの平和な街ってだけじゃない。見ろ、ルナ。あの種族の多様さを」
俺が顎でしゃくった先。
露店の前では、尖った耳を持つ長耳族が魔法で器用に商品を並べ、それを小柄で筋骨隆々たるドワーフが豪快に笑いながら買い求めている。
広場では、狼や獅子のような獣の耳と尻尾を持つ獣人族の子供たちが追いかけっこをしており、それを鱗と角を持つ屈強な竜人族の男たちが、重い荷車を引きながら優しく見守っていた。
もちろん、俺たちと同じ人間族の姿もそこかしこにある。
EHOの世界において、これだけ多様な種族が一つの街に集まり、壁を作ることもなく肩を並べて笑い合っている光景は、極めて珍しい。
「……アーサー王の野郎、見事に主語をデカくして被害者ぶってやがったな」
俺は鼻で笑い、呆れたようにため息をついた。
「モルガンは国を氷の呪縛に閉じ込めたんじゃねえ。外の理不尽な極寒や、モンスターどもから民を護るために、城ごと『強固な氷の結界』で引きこもってたってわけか」
俺の推論を聞き、前を歩いていたモードレッドが立ち止まり、振り返った。
兜を脱いだ彼女の素顔――金糸の髪と、透き通るような白い肌、そして凛々しい蒼い瞳が、真剣な光を帯びて俺たちを見据えた。
「その通りだ。母上は、アーサーの凶行からこのキャメロットの民を護るため、己の全魔力を代償にしてこの絶対防壁を展開された。外の世界がどのように我々を『氷の魔女と叛逆の騎士』と蔑もうとも、この結界の中にある笑顔こそが、我らの護るべき真実の国なのだ」
モードレッドの言葉には、確固たる誇りと、静かな怒りが入り混じっていた。
ルナはハッとして、広場で遊ぶ子供たちや、笑い合う人々の姿をもう一度見つめた。
そして、フワッと花が咲くような、安堵の入り混じった笑顔を浮かべた。
「……良かったです」
「なに?」
モードレッドが怪訝そうに眉をひそめる。
「モードレッドさん。ここ、すごく素敵な街ですね。みんな笑顔で、色んな種族の人たちが一緒に仲良く暮らしてて……外の雪なんて嘘みたいに暖かいし。こんな素晴らしい街を作って、みんなを護っているお母様のモルガンさんって、本当に、すごく優しくて偉大な人なんですね!」
ルナの裏表のない、心の底からの純粋な称賛。
それは、これまで「悪の魔女の配下」として外の世界から敵意ばかりを向けられてきたであろうモードレッドにとって、予想外の言葉だったのだろう。
「――――ッ!!」
モードレッドの肩が、ビクゥッ!と大きく跳ねた。
彼女の凛々しかった表情が一瞬にして崩れ、蒼い瞳がきらきらと、異常なほどの輝きを放ち始める。
色白の頬がみるみるうちに朱に染まり、彼女はルナにズイッと詰め寄った。
「よ、よくぞ言ってくれた、白銀の剣士よ!!!」
「ひゃあっ!?」
突然の大きな声と勢いに、ルナが思わず一歩後ずさる。
「その通りだ! 君は分かっているな! 母上はただお強く、気高いだけのお方ではない! その御心は海よりも深く、太陽よりも暖かく、慈愛に満ちておられるのだ!」
モードレッドは身振りを交えながら、凄まじい早口で熱弁を振るい始めた。
「毎朝、民が目覚めるよりも早く玉座の間で結界の魔力出力を微調整され、その際の伏し目がちな横顔の美しさたるや、上空の極光すらも霞んで見えるほどだ! 先日など、私が野営の訓練で作った、消し炭のような不格好な肉塊を『よく頑張りましたね、モードレッド』と微笑んで残さず食べてくださったのだぞ!? あんなにも気高く、それでいてお優しく、非の打ち所がない完璧な御方が、この世界のどこにいるというのか!!」
「あ、ははは……すごいですねぇ。お母様のこと、本当に大好きなんですね」
ルナは引きつった笑顔で愛想笑いを浮かべ、タジタジになっている。
「大好きなどという陳腐な言葉で表現できるものか! 私は母上のためならば、この命はおろか魂の欠片すら喜んで捧げ――」
「全くだ! モードレッドの言う通りだぞ、旅の者よ!」
モードレッドの暴走に、背後にいた漆黒の巨漢・ガウェインまでもが力強く頷きながら参戦してきた。
「あのお方の淹れてくださる紅茶の香りは、まさに至高! このガウェイン、戦いの傷などあのお方の微笑み一つで完治するというもの! 狂王アーサーの如き血も涙もない男には、一生理解できまい!」
真紅の美青年(?)と漆黒の重装騎士が、顔を真っ赤にして身を乗り出し、「モルガン様の素晴らしさ」について口角泡を飛ばして語り合っている。
先ほどまで城門の前で、圧倒的な殺意と重圧を放ちながら死闘を繰り広げようとしていた威厳は、もはや欠片も残っていなかった。
「……おい」
俺はこめかみを押さえ、深々と、本当に深々とため息をついた。
「こいつら、ただの『重度のマザコン』と『強火のファンボーイ』じゃねえか……」
百歩譲って、彼らがモルガンを敬愛しているのは分かる。だが、緊迫した空気からいきなりのこのテンションの高低差は、軍師の冷静な思考回路に深刻なダメージを与えてくる。
「おい、ストップだストップ!!」
俺は両手をパンッと叩いて、二人のモルガン賛歌を強制的にぶった斬った。
「分かった、分かったから! お前らの母上にして主君が、この世の奇跡みたいな女神クラスの聖女だってことは骨の髄まで理解した! で、その御立派な母上は今どこにいらっしゃるんだ? 俺たちはその人に話を聞きに来たんだぞ!」
俺のツッコミに、モードレッドとガウェインはハッとして我に返った。
「……コホン。失礼した。つい母上のこととなると、己を律するのを忘れてしまってな」
モードレッドはワザとらしく咳払いをして、乱れた金糸の髪を整え、再び『クールで凛々しい騎士』の表情を取り繕った。
「母上は、この王城の最奥にある玉座の間で、結界の維持をなされている。こちらだ、案内しよう」
少しだけ早足になって歩き出したモードレッドの背中を追いながら、ルナが俺の袖をちょいちょいと引っ張った。
「アイズドさん……モードレッドさん、あんなに格好いいのに、なんだかちょっと残念な人ですね。親近感が湧いちゃいました」
「まあ、NPCのアルゴリズムとしてはかなり人間臭くて面白い部類だな。……だが、見ろよ」
俺たちは、モードレッドとガウェインの後に続いて、活気ある街のメインストリートを歩いていった。
すれ違う民衆たちが、二人の騎士の姿を見るなり、次々と笑顔で声をかけてくる。
「あ! モードレッド様だ! 今日も見回りの任務、お疲れ様です!」
「ガウェイン様! この前預かった大剣の刃こぼれ、バッチリ直しておきましたぜ! いつでも取りに来てくだせえ!」
「お二人とも、モルガン様によろしくお伝えくださいね!」
人間も、エルフも、ドワーフも、獣人も、竜人も。
誰もが皆、この二人の騎士に対して、心からの敬意と親愛の情を向けていた。
モードレッドは少し照れくさそうに手を振り返し、ガウェインは「おお、大儀である!」と豪快に笑いながらドワーフの鍛冶屋と肩を組んでいる。
その光景が、何よりも雄弁に真実を物語っていた。
彼らが決して、恐怖や洗脳によって民を支配している悪党ではないということを。
「……ふふっ。やっぱり、あのアーサー王って人が嘘つきだったんですね」
ルナが、道行く子供たちの笑顔を見つめながら、弾むような声で言った。
「アイズドさんが門番のガウェインさんを挑発してくれたおかげで、モードレッドさんが出てきてくれて、本当のことが知れました。もしあのまま戦って倒してしまってたら……私、絶対に後悔してました」
すごいなこいつ。あんだけ実力差があったのに負けん気だけはどのプレイヤーよりもあるな。
確かに俺たちがメタ的な推理に縛られ、マニュアル通りに『モルガン討伐』のクエストを進めていれば、この美しい街を守る騎士たちを理不尽に殺戮することになっていた。
最適解を疑わず、目の前の事実を見ようとしないことの恐ろしさ。クソAI『アルファ』の仕掛けた悪意あるシナリオの罠を、間一髪で回避できたのは、あの門前での対話があったからこそだ。
「……油断するなよ、ルナ。ここが平和な街だとしても、クエストの目的が『アーサー王の討伐』に反転したというだけだ。あの老いぼれドワーフの裏に何が隠されているのか、まだ全貌は見えていない」
「はい。でも、少なくとも私たちが護るべきものが何なのかは、はっきりしましたから」
ルナは腰の白銀の片手剣にポンと手を当て、力強く頷いた。
俺たちは、活気あふれる多種族の街を抜け、城の最奥部へと続く大階段を登っていく。
巨大なクリスタルの扉の向こう側。
この国を護るためにすべてを背負い、玉座で孤独な戦いを続けるという妖妃モルガンとの対面が、すぐそこまで迫っていた。




