人型AIの極致
完全没入型VRMMO『エターナル・ホライゾン・オンライン(EHO)』における戦闘は、大きく二つのカテゴリに大別される。
一つは、巨大なモンスターや異形のレイドボスを相手にする『PvE(対モンスター戦)』。これまでの俺とルナが経験してきた、瘴澱の魔蛇のような巨大生物との死闘がこれに該当する。この場合、敵の攻撃は広範囲かつ理不尽なギミックに満ちているが、そこには必ず『パターンの法則性』や『生物的な構造の死角』が存在する。
そしてもう一つが、プレイヤー同士が争う『PvP(対人戦)』、あるいはそれに準ずる『人型NPCとの戦闘』である。
「くっ……! また、防がれた……ッ!」
吹雪が止んだ極光の下、白亜の幻城の前で、ルナの焦燥に満ちた声が響いた。
彼女の放った白銀の片手剣による鋭い刺突が、漆黒の騎士の絶妙な剣捌きによっていなされ、火花を散らして虚空へと逸らされる。
人型ボスとの戦闘において最もタチが悪いのは、敵のサイズがプレイヤーと同等であるため『死角が極めて少ない』ということ。そして何より、超高度AI『アルファ』によって制御された最上位のNPCは、対人戦のトッププレイヤーと何ら遜色ない、いや、それ以上の『悪辣な立ち回り』を行ってくるという点だ。
ただ愚直にスキルを放つのではない。攻撃のモーションを見せておいてキャンセルする『ブラフ(フェイント)』、こちらの回避の無敵フレームが終わる瞬間を狙い澄ました『ディレイ(遅延)攻撃』、そしてこちらのスキル回しの隙を正確に突いてくるカウンター。
それは、純粋なステータスの暴力ではなく、対人ゲーム特有の『駆け引き(マインドゲーム)』の極致であった。
「ルナ! 剣の軌道が素直すぎる! 奴は攻撃を誘ってからパリィで弾く気だ、フェイントを混ぜろ!」
「ふぇいんと……っ!? わ、分かりません、どうやって……!」
ルナの悲痛な叫び。
彼女は、現実世界で幼少期から叩き込まれた極限の武術と『生物学的な反射神経』を持っている。だからこそ、巨大なモンスターの筋肉の収縮から攻撃を予測し、フレーム回避を行うという神業が可能だった。
しかし、彼女はオンラインゲームの対人戦における『プレイヤー特有の騙し合い』の経験が完全にゼロだった。相手が「あえて隙を見せている」という対人戦のセオリーを知らないため、彼女の洗練された美しい剣技は、実戦の泥沼を這いずり回ってきたかのような老獪な漆黒の騎士にとっては、あまりにも『素直で読みやすい攻撃』になってしまっていたのだ。
ガガガガガァァァァンッ!!
「ぐ、おぉぉぉぉッ!」
ルナを庇うために前に出た俺の《機装変形:要塞大盾》が、漆黒の騎士の振り下ろした大剣の重撃を受けて悲鳴を上げる。
「甘いな! その盾の構え、三手先まで読めているぞッ!」
漆黒の騎士は、ただ力任せに大剣を振り回しているわけではない。
大剣の重みを利用して俺の盾を弾き、体勢が崩れた瞬間に、柄尻を使って俺の死角である脇腹を正確に突いてくる。さらには、ルナがカバーに入ろうとする軌道上に、わざと大剣の刃を置いて牽制し、二人の連携を完璧に分断していた。
(チィッ……なんてデタラメなAIだ! 白騎士団のエースだなんだと持て囃されている連中なんざ目じゃねぇ。こいつの中身、対人戦の世界ランカーのデータでも入ってんじゃねぇのか!?)
俺は奥歯を噛み締めながら、絶え間なくヘイト固定スキル《重装騎士の絶対挑発》を叩き込んでいた。
システム上のヘイトは間違いなく俺に固定されており、騎士の攻撃の大半は俺の盾に向けられている。しかし、彼の大剣のリーチとステップワークの巧みさが、俺の盾の範囲外からルナの立ち位置を常に脅かしていた。
そして何より、今の俺には『反撃に転じるための手札』が致命的に欠けていた。
(クソッ……こんなことなら、ルナの装備のついでに、俺の防具も新調しておくべきだった……!)
激しい金属音と衝撃の嵐の中で、俺は己の慢心を呪った。
俺の現在の見た目は、課金ストアで購入した漆黒の重鎧のスキン(外見変更)によって、いかにも高レベルの重装騎士のような威圧感を放っている。だが、その中身のステータスは、チュートリアルで支給される『レベル1の初期装備(布の服)』のままだ。
俺の【古代変形機装】は、盾役からアタッカー、ヒーラーへと武器を変形させてロールを切り替えるジョブだ。防具の装備制限ペナルティを回避するために初期装備のままでいるのだが、今、この極限の対人戦において、その基礎ステータスの脆さが最大の枷となっていた。
もしここで、火力を出すために俺が機装を《双刃剣》や《大鎌》といったアタッカーの武器に変形させ、盾を失えばどうなるか。
漆黒の騎士が放つ大剣の余波、いや、ただの小石が跳ねて当たっただけでも、布の服の防御力ではHPが丸ごと吹き飛び、即死してしまう。
敵の攻撃の合間を縫ってアタッカーに変形し、攻撃を叩き込んで再び盾に戻す。それが俺のプレイスタイルだが、この漆黒の騎士は、俺が変形機構を起動させる『コンマ数秒の硬直』すらも見逃さず、的確にブラフを混ぜて潰しにかかってくるのだ。
下手に動けない。
盾を構え、ただひたすらに防戦一方となるジリ貧の盤面。
(このままじゃ押し潰される! 何か、何でもいいから奴のリズムを崩す隙を作らなきゃならねぇ!)
俺は盾越しに相手の禍々しい兜を睨み据え、対人戦におけるもう一つの武器――『会話』による盤面の攪乱を試みた。
「おいおい! さっきまでの余裕はどうした、黒騎士の旦那! 門番のくせに、俺たちみたいな格下に随分とムキになってるじゃねぇか!」
俺は挑発的に笑い声を上げ、極光の下に響き渡る声で、相手の怒りを煽るような言葉をぶつけた。
「アーサー王の狗だって? 笑わせるな! そもそもあのおっさんは、あんたの主君である魔女に国を乗っ取られた可哀想な被害者だろ! お前らみたいな裏切り者の騎士が、偉そうに正義面して――」
「黙れッ!!!」
俺の言葉を途中で叩き折るように、漆黒の騎士の兜の奥から、爆発的な怒気が噴出した。
「何も知らぬ外野が……あのお方の崇高な犠牲を、薄汚い狂王の妄言と一緒にするなァァァッ!!」
会話による隙作りは、見事に逆効果だった。
むしろ、俺の言葉は彼の逆鱗に深々と突き刺さり、ただでさえ高かった攻撃のテンポを、さらにもう一段階、限界を超えた領域へと引き上げてしまったのだ。
「しまっ――」
「遅いッ!!」
漆黒の騎士の大剣が、極光の光を吸い込んで赤黒いオーラを纏う。
彼が大きく踏み込んだ瞬間、周囲の雪原が爆風で吹き飛び、白亜の石畳が蜘蛛の巣状に砕け散った。
「《黒陽の絶剣》ッ!!」
上段から振り下ろされた、回避不能の広範囲を持つ絶対的な重撃。
フェイントもブラフもない。ただ純粋に、一切の技巧を粉砕するためだけに放たれた、力と魔力の結晶。
「アイズドさんッ!!」
ルナが悲鳴を上げながらカバーに入ろうとするが、間に合わない。
俺は残された魔力のすべてを右腕に注ぎ込み、《要塞大盾》の防御力を限界まで引き上げた。だが、布の服という脆弱な基礎ステータスでは、この規格外のイベントボスの必殺技を完全に相殺しきれるはずがなかった。
(……ここまでかッ!)
俺が歯を食いしばり、大盾の破壊と、それに続く自身のロスト(死)を覚悟した、まさにその刹那だった。
――キィィィィィィィィンッ!!!!
世界が割れるような、甲高く澄んだ金属音が、極光の空の下に響き渡った。
だが、それは俺の盾が砕け散る音ではなかった。
そして、漆黒の騎士の大剣が俺を両断することもなかった。
「……なっ!?」
俺の目の前。
漆黒の騎士が振り下ろした大剣と、俺の大盾のわずか数センチの隙間に。
信じられないほどの速度で『割り込んだ』何者かが、その細身の剣で、巨漢の放った大剣の重撃を正面から完璧に受け止めていたのだ。
「……ッ!! なぜだ……なぜ貴様が、ここへ出てくるッ!!」
漆黒の騎士が、兜の奥から驚愕と、さらなる激昂の入り混じった声を張り上げた。
俺とルナの視線が、その乱入者の姿に釘付けになる。
白亜の幻城の奥深くから、一条の閃光のように飛び出してきたその人物。
それは、燃え盛る炎のような『真紅の甲冑』を全身に纏った、一人の小柄な騎士であった。
兜の下からは、燃えるような金色の髪が数本零れ落ちている。その体格は漆黒の騎士に比べれば半分ほどしかなく、華奢ですらあった。
だが、その真紅の騎士が放つ魔力と覇気は、目の前の漆黒の巨漢と一歩も引けを取らない、圧倒的なものであった。
「邪魔をするな、モードレッドォォォォォッ!!」
漆黒の騎士――ガウェインと呼ばれた彼が、血を吐くような怒号を上げる。
モードレッド。
その名を聞いた瞬間、俺の脳内にあるアーサー王伝説の知識が激しくスパークした。
(モードレッド!? アーサー王の息子であり、円卓の騎士を裏切り、キャメロットを崩壊させた叛逆の騎士……それが、こいつなのか!?)
真紅の騎士、モードレッドは、ガウェインの大剣と自らの剣が激しく火花を散らす中、一切退くことなく、むしろその腕力で漆黒の巨漢を押し返し始めた。
「そこまでだ!! 剣を収めろッ!!」
真紅の騎士の兜の奥から響いたのは、凛とした、だがどこか悲痛な響きを帯びた、若く力強い『声』だった。
「この者たちは、ただあの狂王の言葉に騙されてここまで来ただけの迷い子だ! あのお方が命を懸けて護ろうとしている平穏な世界に、これ以上の無意味な血を流させる気かッ!」
「騙されているだと……? この者たちが、狂王の刺客ではないとでも言うのか!?」
ガウェインが、信じられないというように大剣の圧力を緩める。
「ええ、そうだ! 彼らは何も知らない! ただ、神話の影に隠された真実を知らぬまま、この氷原に足を踏み入れただけだ!」
真紅の騎士は、ガウェインの大剣を力強く弾き返すと、俺たちと漆黒の騎士の間に立ち塞がるようにして、両手を横に広げた。
真紅の甲冑が、極光の光を弾いて赫々と輝く。
「あのお方……母上は、このような無益な殺し合いを望んではおられない。……だから」
真紅の騎士は、兜の奥からガウェインを真っ直ぐに見据え、静かな、しかし絶対的な威厳を持った声で諭すように言い放った。
「落ち着け、ガウェイン卿」
極光の光が照らす白亜の城門の前。
激しく火花を散らしていた二つの巨大な殺意が、その凛とした一言によって、ふっと霧散していく。
静寂を取り戻した氷原で、俺とルナは、ただ呆然と、突如として現れた真紅の仲裁者の背中を見つめることしかできなかった。




