狂人だけが笑う
装備欄に《古代変形機装》を収めた瞬間、視界が壊れた。
いや。正確には、壊れたように見えた。
左腕に装着された黒銀の機装が、静かに展開する。手首から肘までを覆う装甲片が、鱗のように重なり合い、その中央に埋め込まれた竜眼が青白い光を放った。
次の瞬間、視界の右端に無数の細いバーが並ぶ。
一本。二本。三本。それで終わらない。さらに下へ、さらに奥へ。半透明の表示領域が展開し、俺の視界の端を埋め尽くしていく。
最終的に、そこに並んだバーの数は三十。
三十種。
それぞれに異なる名前が刻まれている。
《重装騎士》
《狂乱斧士》
《漆黒魔剣》
《影行暗殺》
《飛竜槍士》
《機工魔導》
《神聖司祭》
《機工賢者》
そのほかにも、見覚えのある上級職の名がずらりと並ぶ。ただし、その大半は灰色だった。
未解放。適合率不足。出力制限中。使用不可。
初期状態で実際に扱える形態は、わずか三つ。
《剣装》
《盾装》
《射装》
だが、使用できないからといって、表示されないわけではない。未解放の三十枠すべてに、待機時間、形態安定率、出力補正、装備適性、変形硬直、関連派生条件らしき情報が紐づいていた。
つまり、このジョブは最初から、未来の管理領域まで全部見せてくる。
親切なのではない。
圧迫だ。
まだ使えない情報まで、視界に流し込んでくる。普通のプレイヤーなら、この時点で気分が悪くなる。必要な情報と不要な情報の境界がない。何を見ればいいのか分からない。どれが今押せるのか分からない。どれが罠なのか分からない。
戦闘どころではない。
三秒で目を逸らし、三十秒でジョブを外す。
俺はしばらく、視界の端で蠢く三十本のバーを眺めていた。それぞれが別の時計を持っている。
剣の時計。盾の時計。射の時計。まだ使えない斧の時計。槍の時計。杖の時計。短剣の時計。聖具の時計。
それらが独立して、別々の速度で回り続ける。
人間の処理能力を、明らかに超えている。
説明文が一行も親切でなかった理由が、ようやく分かった。
これは、扱えるように作られていない。
扱えないことを前提に、ただ機能だけを積み上げたようなジョブだ。
「なるほど」
俺は小さく呟いた。
「最悪だな」
声に反して、口元が少しだけ上がっていた。
ーーーーーー
まずは、変形を試す。
俺は左腕の機装に意識を向けた。視界の端に表示された三つの初期形態。《剣装》《盾装》《射装》。そのうち、《剣装》を選択する。
瞬間、左腕の装甲が音を立てて動いた。折り畳まれていた黒銀の金属片が前方へ伸び、手の中に収まる形へと組み替わっていく。
剣。
ただし、普通の剣ではない。
刃の根元に機械的な継ぎ目があり、刀身の中心を青白い線が走っている。竜の骨を削り、鋼で包み、無理やり剣の形にしたような不気味な武器。
重さは、支給品の片手剣より少し重い程度。振れる。だが、手に馴染むという感覚はない。武器というより、何かの端末を無理に握らされているような違和感がある。
次に、《盾装》。
意識を切り替えた瞬間、剣の刀身がばらけた。細かな金属片が左腕へ戻り、重なり合い、前腕の外側に楕円形の盾を形成する。
その間、身体が一拍止まった。
硬直。
短い。だが、確実にある。〇・四秒。いや、感覚的にはそれくらいか。戦闘中なら、十分に死ねる長さだ。
続けて、《射装》。
盾が解体され、腕の上に細身の射出機構が組み上がる。銃、というよりは、弩に近い。照準用の細い光が視界中央へ伸びる。
再び、硬直。今度はやや長い。〇・五秒から〇・六秒。しかも、変形直後に射撃精度が安定するまで、さらに短い遅延がある。
視界の端では、《剣装》《盾装》《射装》それぞれの待機時間が別々に動いていた。剣から盾に変形しても、剣側の時計は止まらない。盾から射へ変形しても、盾側の時計は独立して回っている。
つまり、ひとつの形態でスキルを使ったあと、別の形態へ移れば、別の時計を使える。
理屈としては、強い。
だが、問題はその間に挟まる変形硬直と、形態ごとの補正差だ。
《剣装》のままなら軽快に動ける。《盾装》では身体が重くなる。《射装》では近接補正が落ちる。さらに、俺の装備は新規支給品の安物。本来なら各形態に適した装備、ステータス、スキル補正を揃えるべきなのだろう。
だが、《古代変形機装》はその前提を破壊している。
ロールを切り替えるたび、身体の最適解が変わる。
剣士の身体で盾役をしろ。盾役の硬さで射撃しろ。射撃姿勢から近接へ戻れ。
そういう無茶を、平然と要求してくる。
馬鹿げている。
誰がどう見ても、産廃だ。
高機能すぎて、実戦に乗らない。選択肢が多すぎて、判断が遅れる。硬直があるせいで、切り替えそのものがリスクになる。そして何より、三十本の時計を見ながら戦えという発想が終わっている。
俺は左腕の機装を見下ろした。
竜眼が、静かに光っている。
まるで、こちらの反応を待っているようだった。
「いい性格してる」
俺は呟く。
これを作った古代人か、システム担当者か、あるいは世界そのものかは知らない。だが、少なくともプレイヤーに優しい設計ではない。
試しに触った十人のうち、十人が投げる。
その評価は正しい。
正しいからこそ。
俺は、少しだけ笑った。
ーーーーーー
検証には、相応の相手がいる。
俺は遺跡を出て、辺境の谷へ戻った。
エリュシオン西方の外れ。人の少ない岩場。地図上では推奨レベル表示も曖昧で、素材効率も経験値効率も悪い。普通のプレイヤーは寄りつかない。
だが、魔物の配置だけは悪くなかった。
狭い谷。岩陰。高低差。射線の通る場所と、通らない場所。敵を誘導できる隘路。試運転にはちょうどいい。
しばらく歩くと、地面が低く震えた。
前方の岩陰から、鋼色の牙を持つ猪が現れる。
鋼牙の猪。
四体。
体格はロック・ハウンドより一回り大きい。突進力が高く、正面から受ければレベル一の身体など簡単に吹き飛ばされる。
さらに、谷の右奥。岩の上に、岩甲の蜥蜴が一体。硬い外皮と、遠距離の石弾。猪の突進で足を止められたところへ、蜥蜴の射撃が飛んでくる構図だ。
新規アバターが一人で踏み込むには、普通に無謀。
囲まれれば削り殺される。盾で受け続ければ、遠距離に抜かれる。射撃を狙えば、猪に詰められる。剣だけでは処理速度が足りない。
試運転の舞台としては、申し分ない。
俺は谷の中央へ踏み込んだ。
敵性反応が、一斉に赤く染まる。
鋼牙の猪が、土煙を上げて走り出した。
四体同時。
真正面からの突進。
まずは、《盾装》。
左腕の機装が展開し、黒銀の盾へ変わる。
硬直。〇・四秒。その間に猪の距離が詰まる。
間に合う。
俺は盾を正面ではなく、斜めに構えた。
受け止めるのではない。
逸らす。
最初の猪の牙が盾に激突する。衝撃。レベル一の身体が、内側から軋む。まともに受ければ耐えられない。だから、踏み込む。
衝突の瞬間、半歩前へ。盾の角度を変える。突進の力を横へ逃がす。
一体目が逸れる。その後ろにいた二体目が、進路を塞がれてわずかに減速する。三体目と四体目が、左右に広がろうとする。
そこで、俺は盾を地面に叩きつけた。
《盾装》初期スキル、《アンカー・ガード》。
効果は短時間の踏ん張りと、正面からのノックバック軽減。本職タンクのそれに比べれば弱い。持続も短い。だが、この瞬間だけあればいい。
猪三体の突進が、俺の位置で詰まる。
足が止まる。
敵の隊列が、一瞬だけ団子になる。
狙いどおり。
俺は盾を解除する。
《剣装》へ変形。
硬直。〇・四秒。
猪の一体が体勢を立て直し、牙を振り上げる。その攻撃が届くより、ほんの少し早く、剣が形を取った。
斬る。
前脚。
ダメージは低い。だが、狙いはHPではない。姿勢制御値。よろめき。再突進までの遅延。
剣撃を二つ入れて、すぐに下がる。普通の剣士なら、ここで追撃したくなる。だが、火力が足りない追撃は無駄だ。無駄どころか、硬直を晒して死ぬ。
視界の端で、《盾装》の待機時間がまだ回っている。《剣装》の初期スキルも、今使ったばかり。
なら、次。
《射装》。
左腕の剣がほどけ、細身の射出機構へ変わる。
硬直。
その間、俺は横へ走る。
変形中に足が完全に止まるわけではない。ただし、動作補正が鈍る。つまり、直線移動は危険。
横移動。岩を挟む。射線を切りながら、変形を終える。
岩甲の蜥蜴が、岩の上から石弾を放った。俺が一瞬前にいた場所を、鈍い音とともに石が穿つ。
遅い。
狙いは正確だが、弾速は見える。
射装の照準光が、蜥蜴の頭部へ伸びる。
撃つ。
一発。二発。三発。
火力は大したことがない。だが、遠距離からの牽制としては十分。蜥蜴の注意がこちらへ固定される。岩の上から降りようとする。
それでいい。
一番厄介なのは、安全圏から撃たれることだ。群れから引き剥がせば、ただ硬いだけの的になる。
猪が背後から迫る。
足音。呼吸。地面の震動。
距離は、二歩。
射装のままでは受けられない。《盾装》はまだ戻らない。《剣装》は使用可能。
なら、剣。
変形。
硬直。
猪の牙が迫る。
ぎりぎり。
俺は変形完了と同時に剣を下から振り上げた。牙を弾く。完全には止まらない。左肩に衝撃。HPバーが削れる。痛覚補正が、鈍い熱として走った。
被弾。
だが、死んでいない。
死んでいなければ、続きがある。
ーーーーーー
戦闘とは、手番の奪い合いだ。
攻撃する。受ける。避ける。詠唱する。回復する。立て直す。そのひとつひとつに、待機時間と硬直がある。
普通のプレイヤーは、自分の職業に与えられた時計だけで戦う。剣士なら剣士の時計。タンクならタンクの時計。ヒーラーならヒーラーの時計。それが戻るまで、待つ。回るまで、耐える。
だが、《古代変形機装》は違う。
一つの時計が止まっている間に、別の時計を使う。
盾で受ける。剣で崩す。射で引き剥がす。剣で戻る。盾が戻る。射が戻る。それぞれが別々に回るなら、手番の空白を別の形態で埋められる。
理屈の上では、手が空く瞬間がない。
理屈の上では。
問題は、その理屈を人間の頭で回せるかどうかだ。
視界の端に三十本のバー。今使えるのは三つだけ。だが、未解放形態の情報まで揺れているせいで、視界が常にうるさい。
剣の待機時間。盾の待機時間。射の待機時間。変形硬直。敵の攻撃予兆。地形。自分のHP。敵の位置。次の形態。その次の形態。戻ってくる時計。間に合わない時計。切っていい選択肢。切ってはいけない選択肢。
全部を同時に見る。
いや、見るだけでは遅い。
見る前に、次を決める。
俺は谷の岩壁へ向かって走った。
猪二体が追ってくる。一体は前脚を傷めて速度が落ちている。もう一体は無傷。蜥蜴は岩場から降り、こちらへ近づいている。残る猪一体は、さっきの衝突で少し離れた。
今、最も危険なのは無傷の猪。次に蜥蜴。だが、先に蜥蜴を処理したい。遠距離を残すと、盾を切った瞬間に刺される。
《盾装》が戻る。
視界の端のバーが、青く点灯した。
俺は振り返る。
変形。
盾。
硬直。
そこへ無傷の猪が突っ込んでくる。
受ける。
今度は逸らさない。真正面で受け止める。《アンカー・ガード》はまだ戻っていない。だからスキルではなく、地形で止める。
背後は岩壁。衝撃が背中から抜け、HPが削れる。
痛い。
だが、位置は固定できた。
猪の牙が盾に噛み合い、一瞬だけ抜けなくなる。硬直。俺は盾を解除しない。そのまま身体を半回転させ、猪の巨体を壁との間に挟む。
射線が切れる。
蜥蜴の石弾が、猪の背に当たった。
同士討ち判定。小さなダメージ。だが、十分。猪が怒り、蜥蜴へヘイトを向ける。
敵の矛先が乱れる。
戦場は、少しだけこちらのものになる。
《射装》へ変形。
硬直。
その隙を、傷ついた猪が狙ってくる。
間に合わない。
なら、キャンセル。
変形を中断する。
視界に警告。
《形態変化が不安定化しました》
《短時間、出力低下》
「うるさい」
俺は低く呟き、横へ転がった。
猪の牙が空を切る。変形中断にはペナルティがある。だが、死ぬより安い。
出力低下、三秒。
その三秒は、スキルに頼らない。
足で稼ぐ。
岩場の影へ逃げ込み、猪を直線に並べる。出力低下が切れる。
今度こそ《射装》。
変形完了。
照準。
蜥蜴の眼。
撃つ。撃つ。撃つ。
石弾の予備動作を潰す。蜥蜴が怯む。そこへ、怒った猪が突っ込んだ。
猪の牙が、蜥蜴の外皮に突き刺さる。
二体が絡む。
好機。
《剣装》。
硬直。
踏み込む。
剣を横に払う。
狙うのは猪ではない。
蜥蜴の腹部。
外皮の薄い場所。
低いダメージ表示が、しかし連続で跳ねる。
もう一撃。
蜥蜴が光の粒になって砕けた。
遠距離持ち、処理。
これで盤面は単純になる。
残りは猪三体。こちらのHPは、残り六割を切っている。回復手段はない。《古代変形機装》の初期形態には、まだヒーラー系がない。
つまり、ここからは被弾を減らすしかない。
面白い。
俺はそう思ってしまった。
たぶん、だいぶ終わっている。
ーーーーーー
剣。
盾。
射。
剣。
剣。
盾。
射。
思考が、単語に削れていく。
文章で考えている暇はない。
猪の突進角度。足場の傾き。変形硬直。待機時間。残りHP。敵のよろめき。岩壁までの距離。
必要な情報だけが、視界の奥で光る。余計なものは落ちていく。
コメント欄もない。配信映えもない。スポンサーもない。誰かに説明するための言葉もない。
ただ、目の前の盤面を読む。
次の一手を選ぶ。
その一手が間違っていなければ、生き残る。間違っていれば、死ぬ。
単純だ。
ひどく単純で、ひどく面白い。
一体目の猪は、前脚を削り続けて機動力を奪った。突進できなくなったところを、岩壁際へ誘導し、射装で頭部を撃ち抜く。火力は低い。だから、回数で足りない分を補う。
撃つたびに、射装の待機時間が回る。その間は剣で立ち回る。剣が詰まれば盾で受ける。盾が詰まれば、動きで避ける。
スキルは強くない。ステータスも低い。だが、手番は途切れない。
二体目は、同士討ちを誘った。わざと背を見せ、突進を誘導し、別の猪の進路へ重ねる。
衝突。
硬直。
そこへ剣装で脚を斬る。射装で眼を撃つ。盾装で反撃を受ける。
少しずつ削る。
派手さはない。
地味だ。
笑えるくらい地味だ。
だが、地味な積み重ねほど盤面を支配するものはない。
最後の一体が、正面から突っ込んできた。
こちらのHPは残り二割。《盾装》の《アンカー・ガード》はまだ戻っていない。《射装》は使用可能。《剣装》も使用可能。盾そのものへの変形はできるが、スキルはない。
真正面から受ければ死ぬ。
避ければ、背後の岩に追い詰められる。
なら。
射装。
俺はあえて、遠距離形態へ変えた。
硬直。
猪が迫る。
照準光が揺れる。
狙うのは頭ではない。
足元。
猪の前脚が踏み込む、その一点。
撃つ。
石を砕く。
弾丸が地面を穿ち、小さな破片を跳ね上げる。
猪の足が、その破片に乗る。
滑る。
巨体が、ほんのわずかに傾いた。
それだけでいい。
《剣装》。
変形硬直。
その間に、猪の牙が俺の脇腹をかすめる。
HPが削れる。
残り一割。
だが、死なない。
剣が形を取る。
俺は倒れ込むように踏み込み、猪の喉元へ刃を突き入れた。
ダメージ表示。
小さい。
足りない。
もう一撃。
剣の通常攻撃。
派手なスキルではない。エフェクトも薄い。だが、最後の一ドットを削るには、それで十分だった。
鋼牙の猪が、光の粒になって消える。
静寂が落ちた。
谷に、風の音だけが戻ってくる。
視界の右端では、三十本のバーがまだ回っていた。
青。灰。赤。未解放。待機中。使用可能。出力低下。変形安定。
情報が、波のように視界を叩く。
戦闘は終わった。
それなのに、頭だけがまだ止まらない。
ーーーーー
俺は、その場に膝をついた。
身体の話ではない。
脳の話だ。
VRアバターの肉体は、呼吸を乱さない。汗も、疲労も、設定された範囲でしか再現されない。
だが、脳だけは別だ。
三十本の時計を視界の端で追いながら、実際に使える三つの形態を回す。変形硬直を敵の隙に重ねる。待機時間を次の手番に組み込む。装備補正の不足を立ち位置で埋める。ステータス差を地形で殺す。敵のヘイトを乱し、同士討ちを誘い、射線を切り、詰みの形だけを避け続ける。
たった数分の戦闘だった。
それなのに、現実で本気の遠征を半日こなした後のような、鈍い疲労が頭の芯に残っている。目の奥が熱い。思考がまだ、次の手を探している。
剣。盾。射。剣。盾。射。
頭の中で時計が回り続けている。
俺はゆっくり息を吐いた。
理解する。
これは、最強だ。
少なくとも、理屈の上では。
役割の壁を、変形ひとつで踏み越える。タンクの手番が終わった瞬間に、アタッカーの手番へ移る。アタッカーの硬直を、射撃の位置取りで潰す。射撃の隙を、盾で受ける。
一つの職業なら必ず生まれる空白を、別の職業の時計で埋める。
手が空く瞬間がない。
理屈の上では、たった一人で隊列ひとつ分の働きをする。
こんなジョブは、ほかにない。
ただし。
使う人間のほうが、先に壊れる。
普通のプレイヤーには、絶対に回せない。三十本の情報を見せられた時点で、まず視界が死ぬ。変形硬直のせいで、初心者は被弾する。装備補正のズレで、本職ほど火力も硬さも出ない。スキル回しは複雑。管理項目は多すぎる。失敗すれば、機装出力が不安定化する。しかも初期形態だけでは、ヒーラー系も上位火力もない。
弱い理由なら、いくらでも挙げられる。
これを産廃と呼んだ連中は、ひとつも間違っていない。
誰も扱えない性能に、価値はない。どれだけ理論値が高くても、実戦で再現できなければ意味がない。効率社会の採点としては、これ以上なく正しい。
正しい。
正しい、のだが。
俺は、笑っていた。
膝をついたまま。誰もいない谷で。残りHP一割の新規アバターで。五十万円を注ぎ込んで引いた産廃ジョブの試運転に、頭を焼かれながら。
それでも、笑っていた。
勝ったからではない。儲かるからでもない。誰かに見せられるからでもない。むしろ、こんな戦闘を配信で見せたところで、視聴者の半分は何が起きたか分からないだろう。
地味だ。
相変わらず、俺のやっていることは地味だ。
だが。
面白かった。
途切れない手番を、自分の頭の限界まで回し続ける感覚。戦場を一つの盤面として見て、そこに自分自身を駒として置く感覚。誰かを勝たせるためではなく、自分が死なないために、自分の判断だけで世界を捌く感覚。
十年ぶりに、勝敗や数字から切り離された場所で、ゲームを面白いと思っていた。
これは、まずい。
かなり、まずい。
まともなプレイヤーなら、ここでこう考える。
疲れる。割に合わない。操作が面倒。本職を使ったほうが安定する。パーティに入れても迷惑。検証終了。産廃。
それで終わりだ。
だが、俺は違うことを考えていた。
今の戦闘で、変形の硬直を二回無駄にした。射装への切り替えは、一拍早ければ蜥蜴の初撃を潰せた。盾装の受け角度は、もう三度浅くてよかった。剣装の通常攻撃を一回減らせる。猪の同士討ちは、地形を使えばもっと安定する。形態表示は、視界の右端ではなく脳内で管理したほうがいい。
次は、もっと上手く回せる。
そう思っている。
この面倒の塊を、改善対象として見ている。
つまり、もう手遅れだった。
「壊れてるのは、ジョブじゃないな」
俺は膝の砂を払い、立ち上がった。
左腕の《古代変形機装》が、低く鳴る。竜眼が、青白く瞬いた。
「これを面白がる俺のほうだ」
谷の風が、装甲片の隙間を撫でていく。
誰もいない。拍手もない。コメントもない。報酬も大したことはない。だが、左腕には、どうしようもなく扱いづらい玩具がある。
五十万円分の価値があるかは、まだ分からない。
強いのか弱いのかも、まだ分からない。
だが、少なくとも。
退屈ではない。
それだけで、今の俺には十分すぎた。
狂人だけが笑える性能。
なら、ちょうどいい。
俺はもう、まともなプロゲーマーではない。白騎士団の軍師でもない。誰かの勝利を支える見えない土台でもない。
レベル一。所属なし。職業、《古代変形機装》。
名前は、アイズド。
失業した日にようやく戻ってきた、一人のゲーマーだ。
「さて」
俺は左腕を軽く振った。
黒銀の機装が、剣の形へ戻る。視界の端で、三十本の時計が静かに回り続けている。
最悪の産廃。
最高の玩具。
そのどちらなのかは、まだ決めなくていい。
決めるには、少し遊び足りない。
「次は、もう少し無茶をしてみるか」
そう言って歩き出した俺の口元には、まだ笑みが残っていた。




