蹂躙の流儀と、背後の白銀
『――FIGHT!!』
システムの無機質な開始合図が、薄暗い路地裏に鳴り響いた。
「死ねやァァッ!!」
一番手の戦士の男が、獣のような咆哮と共に突進してくる。
その手に握られた大剣が、システムアシストの淡い光を帯びた。基本の重攻撃スキル《ヘビー・スラッシュ》だ。フラット化されたレベル一のステータスであっても、直撃すればただでは済まない。
大上段から振り下ろされる必殺の一撃。
後ろでルナが悲鳴を上げる中、俺――アイズドは、その場から一歩も動かなかった。
「……ッ!」
ただ、刃が脳天を叩き割るコンマ一秒前。
首をわずかに右へ傾け、上半身の軸を数センチだけずらした。
轟音と共に、俺の鼻先数ミリを大剣が通過し、石畳に激突して火花を散らす。
「なっ……!?」
「大振りすぎる。システムアシストに頼り切った、軌道が丸見えの『お仕着せモーション』だ」
俺はだらりと剣を下げたまま、驚愕に目を見開く男に冷たく言い放った。
完全没入型VRMMOにおける対人戦(PvP)の極意は、ステータスの暴力ではない。
相手が「どのスキルを選択したか」を初動の筋肉の動きから読み取り、システムが強制的に描く攻撃軌道を完全に逆算することだ。
「さあ、五十万欲しいんだろ? 好きなだけ打ってこいよ」
俺が両手を広げて挑発すると、男は顔を真っ赤にして大剣を振り回し始めた。
「舐めるなァッ! 《ラウンド・スラッシュ》! 《スマッシュ》! くそっ、当たれ!」
横薙ぎ、突き、斬り上げ。
怒りに任せた連撃が俺を襲うが、俺はそのすべてを、最小限の歩法と体捌きだけで躱し続けた。
刃が髪の毛を数本斬り飛ばし、衣服を掠めるが、被弾判定には一切触れさせない。まるで嵐の中で舞う一枚の葉のように、俺のアバターは男の攻撃をすり抜けていく。
「はぁっ、はぁっ……! ば、化け物か、テメェ……!」
スタミナを消費し尽くし、息を切らす男。
その大剣が完全に止まり、システム特有の『攻撃後硬直』が男の全身を縛り付けた。
「五連撃。……それで終わりか?」
俺は小さく溜め息をつくと、手にしていたなまくらな初期ソードを無造作に振り上げた。
「なら、次はこっちの番だ」
刃が閃く。
スキルすら使わない、ただの通常攻撃。
だが、完全に脱力した状態から放たれたその一撃は、男の鎧の隙間――クリティカル判定となる首筋の弱点へと、寸分の狂いもなく吸い込まれた。
『ガシィィィン!!』
システムによる大ダメージ補正の真紅のエフェクトが炸裂する。
「が、あ……ッ!?」
男のHPバーが一瞬にして消し飛び、残り『1』の状態で強制ストップがかかる。
アバターが膝から崩れ落ち、頭上に『LOSE』のホログラムが浮かび上がった。
「次。そこの小賢しい盗賊、お前だ」
俺が剣の血糊を振り払いながら視線を向けると、二番手の小柄な男がヒッと喉を鳴らした。
だが、彼はすぐに姿を風景に同化させる《ハイド》のスキルを使用し、路地裏の暗がりへと溶け込んだ。
「へへっ、姿が見えなきゃ、いくら動きが読めても意味が――」
「隠密スキルを使えば足音と呼吸音が消えるのは、レベル十以上のパッシブ補正が乗っている時だけだ。ここはイコール・コンディション(フラットルール)だぞ?」
俺は一切の迷いなく、背後の虚空に向かって剣を突き出した。
「ゲブァッ!?」
カエルのような悲鳴と共に、俺の背後から襲いかかろうとしていた盗賊の姿が虚空からブレて現れる。
俺の刃は、彼の胸の中心に深々と突き刺さっていた。
「レベル一のステータスじゃ、システムが足音までは消してくれない。マニュアルで歩法を制御できない三流が、姿だけ消したところでただの案山子だ」
剣を引き抜くと、二番手の男もまた、HP1を残して地面に突っ伏した。
残るは一人。一番後方に立っていた、魔法使い(メイジ)の男だけだ。
「ひ、ひぃぃっ……! く、来るな! 近づくじゃねえ!!」
男はパニックに陥りながら、杖を振り回して魔法の詠唱を開始した。
空中に出現した詠唱バーが急速に満たされ、彼の杖の先端に、周囲の空気を歪ませるほどの高熱を帯びた巨大な炎の球体が現出する。
「消し炭になれッ! 《ファイヤーボール》!!」
男の叫びと共に、灼熱の火球が路地裏を照らし出しながら、俺に向かって一直線に飛来した。
回避するには路地が狭すぎる。かといって、レベル一の初期装備で防御すれば、魔法の貫通ダメージだけでHPはゼロになる。
「アイズドさん、避けてっ!!」
背後でルナが悲鳴を上げた。
だが、俺は逃げも隠れもしない。ただ、向かってくる火球を冷静な三白眼で見据え、初期ソードを中段に構えた。
(魔法は、回避不能の『現象』じゃない)
プロゲーマーとしてシステムの深淵を覗き込んできた俺には、常識の裏側にある「仕様の穴」が見えている。
(EHOにおいて、飛来する攻撃魔法は『耐久値と質量を持ったオブジェクト』として処理されている。つまり――)
「タイミングとベクトルさえ完全に合わせれば、物理で『斬れる』んだよ」
俺は、火球が顔面に直撃するコンマ数秒前――。
初期ソードに、剣士の基本スキル《スラッシュ》を発動させた。
システムアシストによる淡い光の軌跡が、飛来する火球の中心核を、寸分の狂いもなく正確に捉える。
『キィィィンッ!!』
金属同士が激突したような、甲高いシステム音が鳴り響いた。
次の瞬間。
俺の剣技の攻撃判定が、ファイヤーボールのオブジェクト耐久値を完全に上回り、巨大な炎の球体を真っ二つに斬り裂いたのだ。
「……は、あ……?」
魔法使いの男が、間抜けな声を漏らす。
斬り裂かれた炎は、俺の左右を通り抜けて石壁に激突し、無害な火の粉となって霧散していく。
剣で魔法を相殺する。それは、コンマ一秒のタイミングと、ミリ単位の空間把握能力が要求される、トッププロですら実戦では滅多に成功させられない絶技だった。
「魔法職が、前衛に魔法を無効化されたら、あとはただの的だぜ?」
絶望で硬直する男の懐に一瞬で潜り込んだ俺は、その鳩尾に重い蹴りを叩き込み、返す刀でローブを深々と斬り裂いた。
「あ、ぎゃっ……!」
三つ目の『LOSE』の文字が、虚空に浮かび上がる。
わずか数分。
レベル一の初期アバターによる、三対一の完全なる蹂躙劇だった。
『DUEL FINISHED. WINNER:AIZED』
決闘フィールドの隔離結界が、ガラスが割れるような音と共に解除される。
地面に這いつくばる三人の男たちは、もはや反抗する気力すら完全にへし折られていた。
「ひ、ひぃぃっ……! 許して、許してください! 悪かった、俺たちが悪かったから……!」
五十万の賭け金の話などすっかり忘れ、リーダーの男が涙目で命乞いをする。
「二度と俺の視界をウロつくな。次会ったら、今度はリアルで特定して会社ごと潰すぞ」
俺が本気で殺意を込めた三白眼で見下ろすと、男たちは悲鳴を上げ、逃げるようにログアウトして消え去った。
路地裏に、再び静寂が戻る。
「……ふぅ。初期ステータスだと、流石にちょっと動きが重いな」
俺が首を回しながら剣を鞘に収め、軽く息を吐き出すと。
背後の壁際から、おずおずとした足音が近づいてきた。
「あ、あの……!」
振り返ると、白銀の髪の少女――ルナが、信じられないものを見るような、熱を帯びたサファイアブルーの瞳で俺を見つめていた。
「す、すごいです……! なんですか、今の動き!? 剣で魔法を斬るなんて、そんなことできるんですか!?」
先ほどまでの怯えは完全に消え去り、純粋な驚きと興奮で頬を紅潮させている。
まるでヒーローでも見るかのような、キラキラと輝く羨望の眼差し。
(……うわ、めんどくさっ)
俺は内心で盛大に顔をしかめた。
プロ時代ならファンサービスの一つでもしていただろうが、今の俺は誰の目も気にしないソロプレイヤーだ。他人に懐かれてキャーキャー言われるためにゲームをしているわけではない。俺はただ、俺自身が楽しむためにこの理不尽な世界に戻ってきたのだ。
「……ゲームの仕様を突いただけの、ただの小技だ」
俺はあからさまに面倒くさそうな態度で、そっぽを向きながら答えた。
「お前、ゲームの基本も知らねえで一人でウロついてたのか。無駄に目立つその綺麗な髪も、カモにしてくださいって看板ぶら下げてるようなもんだぞ」
「なっ……! 綺麗って言ったすぐ後にカモだなんて、どういう神経してるんですか!」
キャンキャンと文句を言い返してくる彼女を適当に聞き流し、俺は背を向けた。
「はいはい、悪かったな。じゃあな。これからはシステム仕様とアイテムの相場くらい調べてから街を歩くんだな」
「えっ? ちょ、ちょっと待ってください! 私、まだお礼も――」
ルナが手を伸ばしてくるが、俺はそれに構わず、路地裏の角を曲がって走り出した。
初期都市『エリュシオン』は、初心者向けの街とはいえ、その構造は中世ヨーロッパの入り組んだ迷宮のようになっている。
だが、元プロの軍師である俺の脳内には、この街のマップ構造(立体図)が1ピクセルの狂いもなく完全にインプットされていた。
路地を右へ、大通りを横切って左の階段を駆け上がり、NPCの露店の裏を通り抜ける。
常人なら三十秒で方向感覚を失うような複雑なルートを、一切の無駄なくトレースしていく。
「よし、このくらいでいいだろ」
五分ほど複雑な経路を走り抜け、街の東側にある巨大な転送門――未開のフィールドへと繋がる広場に出たところで、俺は足を止めた。
背後を振り返る。大勢のプレイヤーが行き交っているが、あの無駄に目立つ白銀の髪は見当たらない。
「ふぅ……完全に撒いたな。まったく、ソロの邪魔をされるのはごめんだぜ」
やれやれと首を振り、ステータス画面を呼び出してフィールド攻略の準備を始める。
誰にも邪魔されず、自分のためだけに未知の領域を探求する。俺は心を躍らせながら、一人で広大な荒野へと足を踏み出した。
――しかし、俺は気づいていなかった。
レベル一の初期ステータスゆえの、極端に狭い『索敵範囲』。
その死角となる絶妙な距離感を保ちながら。
「……ふふん。私、昔から足の速さと鬼ごっこには自信があるんですから。このまま逃がすわけないじゃないですか」
無垢な顔をした白銀の髪の少女が、足音を忍ばせてこっそりと俺の後をつけてきていることに。




