生産都市グレイム領
グレイム領は、遠くから見れば豊かな街に見えた。
丘の向こうに、いくつもの煙突が立っている。鉄を打つ音、木材を削る音、歯車が回る低い唸り。城壁の内側からは、工房都市特有の熱気がこちらまで流れてきた。
生産職のメッカ。
鍛冶師、錬金術師、裁縫師、彫金師、木工師。戦う者たちの背後で、この世界の武器、防具、消耗品、装飾品を支えている職人たちが集まる場所。
昔のグレイム領は、もっと活気があった。
白騎士団にいた頃、俺は何度もここの相場表を見ていた。新フェーズ前には鉱石と魔獣皮が跳ね、探求期の直後には属性耐性装備の注文が殺到する。情報と素材と金が、工房街を中心にぐるぐる回っていた。
だが、今見えている煙は、記憶の中のそれより重い。
空へ抜けず、街の上に低く淀んでいる。
もちろん、本当に空気が悪いだけかもしれない。工房が増えれば煙も増える。炉の稼働率が高いのなら、むしろ景気がいいとも取れる。
けれど、街道を進むにつれて、その考えは少しずつ否定されていった。
まず、荷馬車の列が長い。
グレイム領の門の前には、鉱石や木材を積んだ馬車が何台も並んでいた。だが、進みが遅い。検問が混んでいるというより、ひとつひとつの積み荷をやたら細かく確認している。
次に、列に並ぶ商人たちの顔が暗い。
儲かっている街へ入る商人の顔ではない。これから税を取られる人間の顔だ。俺は現実で確定申告の時期に似た顔を見たことがある。あれはゲームでも現実でも、人類共通の陰りらしい。
そして、門の横に立てられた新しい掲示板。
そこに、嫌な文字が並んでいた。
《領主税改定のお知らせ》
《鉱石類搬入税:十二%》
《希少素材搬入税:十八%》
《工房使用料:等級別に改定》
《領内販売手数料:一律八%》
《未登録工房での高位加工は禁止》
「……うわ」
隣でルナが小さく声を漏らした。
フード付きポンチョの奥で、顔はほとんど見えない。だが、声だけで引いているのが分かる。
「すごく、取りますね」
「ああ。すごく取るな」
「これ、普通なんですか?」
「普通じゃない。少なくとも、昔のグレイム領はここまで露骨じゃなかった」
搬入税。
工房使用料。
販売手数料。
しかも、高位加工は登録工房のみ。
つまり、素材を入れる時に取られ、作る時に取られ、売る時に取られる。さらに、領主が認めた工房以外では上級装備の製作ができない。
よくできている。
悪い意味で。
金の流れを握るには、入口、加工場、出口を押さえればいい。素材の持ち込みを管理し、設備を独占し、販売手数料を課す。生産職は設備がなければ仕事にならないから、多少高くても従うしかない。
これを作ったやつは、少なくとも馬鹿ではない。
性格は悪い。
たぶん、かなり悪い。
「アイズドさん」
「何だ」
「顔、怖いです」
「兜で隠れているはずだが」
「雰囲気で分かります」
「ポンチョ越しに人の雰囲気を読むな」
ルナは少しだけ黙った。
たぶん、掲示板を見ている。
「困ってる人、多そうですね」
「多いだろうな」
「助けますか?」
「まず装備更新だ」
「はい」
「次に情報収集」
「はい」
「その過程で、必要なら関わる」
「必要になる気がします」
「予言するな」
当たりそうだから困る。
俺たちは隊商の列の最後尾へ並んだ。
俺は黒鉄の重装騎士。
ルナは顔を隠した旅剣士。
どちらも目立ちすぎない。少なくとも、全ワールド通知の「名もなき二名」と直結する見た目ではない。
門番はNPCとプレイヤーが混ざっていた。
グレイム領はプレイヤー領主が管理する特殊領地だ。領主権限を持つ者は、都市運営の一部をカスタムできる。税率設定、工房使用料、採取地の管理、領内イベントの発行。便利な権限だ。
便利なものは、悪用もできる。
俺たちの番が来る。
門番のプレイヤーがこちらを見た。レベルは五十台前半。装備はそれなりだが、立ち方に隙が多い。戦闘職というより、領主の雇った警備係か。
「通行目的は?」
「装備の更新だ」
俺は重装騎士らしく、低めに答えた。
「職は?」
「重装騎士系」
嘘ではない。
表向きは。
「そっちは?」
門番がルナを見る。
ルナは一拍遅れて答えた。
「旅の剣士です」
「顔、見せられるか?」
その一言で、ルナの肩がわずかに動いた。
俺は即座に間へ入る。
「連れは顔を出したがらない。街道で配信者に絡まれてから、少し神経質でな」
門番は一瞬、面倒そうな顔をした。
配信者。
この単語は便利だ。だいたいの迷惑行為の説明に使える。実際に迷惑な配信者がいるせいで、説得力もある。偏見ではない。経験則だ。
「まあ、最近は多いからな」
門番は納得したように肩をすくめた。
「ただし、領内で問題を起こすなよ。今は素材泥棒も密造工房も多い。ノイズ様が厳しく取り締まってる」
「心得ている」
「工房を使うなら登録所へ行け。無登録加工は罰金だ」
「分かった」
通行料を支払う。
高い。
思ったより高い。
だが、ここで文句を言うと目立つ。俺は黙って支払いを済ませ、ルナを連れて門をくぐった。
ーーーーーー
門の内側へ入った瞬間、熱が来た。
炉の熱。
蒸気の熱。
人の密度が作る熱。
石畳の通りを、素材を積んだ台車が行き交っている。左右には工房が並び、看板には鍛冶槌、針、薬瓶、木彫りの弓、宝石の意匠。どこを見ても、生産職の街らしい風景だった。
ただし、活気とは少し違う。
音はある。
人もいる。
工房も動いている。
だが、空気が硬い。
通りの隅で、生産職らしいプレイヤーが料金表を見て舌打ちしていた。
「また上がってる。中級炉でこの値段かよ」
「高位炉なんか論外だぞ。大手ギルドでもなきゃ使えねえ」
「素材持ち込みにも税、炉にも税、売る時にも税。何重取りだよ」
「ノイズが領主になってからずっとこれだ」
別の店では、NPCの老職人が、若いプレイヤーに頭を下げていた。
「すまんのう。この値では受けられん。炉を借りるだけで赤字になってしまう」
「こっちも予算ぎりぎりなんだよ。じゃあ、どうしろってんだ」
「わしにも、どうにも……」
ルナが足を止めかけた。
俺は軽く肩に手を置く。
今は止まるな。
彼女は一瞬だけこちらを見て、それから小さく頷いた。
偉い。
かなり偉い。
ただ感情で飛び込まないだけで、以前よりずっと成長している。
通りを進みながら、俺は街の構造を見た。
中央に領主館。
そこから放射状に伸びる大通り。
北側に鉱石市場。
東側に木工・裁縫区。
南側に錬金区。
西側に鍛冶工房街。
都市設計自体は悪くない。素材の搬入から加工、販売までの導線が短い。生産都市としては理想に近い。
問題は、その導線のすべてに徴収所があることだ。
市場の入口。
工房区の境目。
販売所の前。
領主の紋章をつけた受付NPCが、あちこちで手数料を取っている。プレイヤーによる自動徴収システム。文句を言う相手がNPCなので、余計に腹が立つ仕様だ。役所の窓口に怒鳴っても制度は変わらない、という現実味まで再現しなくていい。
「アイズドさん」
ルナが小声で言った。
「これ、全部、領主さんが決めてるんですか?」
「全部ではないが、大部分は領主権限だろうな。税率、工房使用料、登録制度。システムで許可されている範囲内なら変更できる」
「システムで許可されているなら、悪いことじゃないんですか?」
「悪いことと、可能なことは違う」
俺は通りの先にある領主館を見た。
黒い石造りの建物。
上には、鉄槌と歯車の紋章。
そして、その中央に追加された新しい印。
銀貨を掴む手。
趣味が悪い。
「ルール上できるからといって、やっていいとは限らない。だが、ゲーム内では“できる”ことがそのまま力になる。特にRMTが絡むと、効率よく搾れる仕組みはすぐ現実の金になる」
「搾る……」
「素材と工房を握れば、生産職は逆らいにくい。ここは生産都市だからな。職人は設備が必要だし、設備は領主が押さえている」
ルナは黙った。
たぶん、怒っている。
だが、今は怒りを声にしない。
フードの中で、彼女は通りを見ている。困っている職人、値段表の前で立ち尽くすプレイヤー、荷馬車を押すNPC。そういうものを、ひとつずつ目に入れている。
彼女は戦い方だけでなく、見るべきものも少し変わり始めている。
いい変化だ。
ただし、危険でもある。
見えすぎると、放っておけなくなる。
そしてこの世界には、放っておけないものが多すぎる。
「まず登録所へ行く」
俺は言った。
「装備を作るには、工房の利用条件と料金を確認する必要がある」
「はい」
「そこで余計なことは言うな」
「分かってます」
「本当か?」
「分かってます」
「二回目の方が怪しい」
「アイズドさん、信用してください」
「努力する」
「それ、信用してないやつです」
いつものやり取りをしながら、俺たちは大通りを進んだ。
その途中だった。
横道から、少女が飛び出してきた。
茶色の髪。
麻のワンピース。
足元は泥で汚れている。
NPCだ。
年齢は十代半ばほど。村娘という言葉が、そのまま形になったような外見だった。彼女は何かから逃げているように息を切らし、大通りへ出た瞬間、足をもつれさせた。
「危ない」
ルナが反射的に動いた。
ポンチョの裾が翻る。
まずい、と思ったが、彼女はぎりぎりで白銀の剣気を出さなかった。ただ一歩踏み込み、倒れかけた少女の腕を支えた。
速い。
だが、一般プレイヤーにもあり得る範囲だ。
たぶん。
そう信じたい。
「大丈夫ですか?」
ルナが少女を支える。
少女は顔を上げ、怯えた目でルナを見た。
「あ……ご、ごめんなさい」
「怪我は?」
「平気です。でも、早く行かないと……」
その時、横道から二人の男が出てきた。
片方はNPCの徴税官風。
もう片方はプレイヤーだ。胸に領主館の補助警備章をつけている。レベルは五十二。装備はそこそこ。腰には短剣。
「おい、リリィ」
徴税官風の男が言った。
「逃げても無駄だ。村の未納分は記録されている」
リリィ。
少女の名前らしい。
ルナの手に、わずかに力が入った。
俺は一歩前へ出る。
重装騎士として、自然に。
「何か問題か」
俺が言うと、補助警備のプレイヤーがこちらを見た。
「あんたには関係ない。領主税の未納者だ」
「この子が?」
「こいつの村だ。素材税を払えないなら、担保を差し出す規則になってる」
「担保?」
「畑、家畜、生産具。まあ、今回は人手も足りてるから、領主館の雑用契約で済ませてやるって話だ」
済ませてやる。
その言葉で、ルナの空気が変わった。
フードの奥からでも分かる。
怒っている。
かなり。
「雑用契約って、どういう意味ですか」
ルナが低い声で聞いた。
俺は内心で頭を抱えた。
止めるべきか。
いや、今の質問は自然だ。むしろここで完全に無視する方が不自然かもしれない。重装騎士と旅剣士が、目の前で少女を連れていかれそうになっている。多少聞くくらいなら問題ない。
補助警備のプレイヤーは面倒そうに肩をすくめた。
「労働契約だよ。ゲーム内NPCだからって勘違いすんな。領地システムに認められた正規手続きだ」
「本人が嫌がっていても?」
「村が未納なんだ。誰かが責任を取る」
ルナの手が、剣の柄に近づきかけた。
俺は小さく名前を呼ぶ。
「ルナ」
彼女は止まった。
ぎりぎりだ。
補助警備のプレイヤーが、俺を見る。
「なんだ、連れか。揉める気なら、領主館に通報するぞ」
「揉める気はない」
「ならその子を渡せ」
「その前に、確認したい」
「何を」
「領主税の未納記録と、担保契約の発行元だ。正規手続きなら提示できるだろう」
補助警備が眉をひそめた。
「面倒なやつだな」
「重装騎士は書類にうるさい」
「そんな設定聞いたことねえよ」
「今作った」
しまった。
少し素が出た。
ルナが横で小さく肩を震わせている。笑うな。
補助警備は舌打ちしながら、徴税官NPCへ指示した。
NPCが淡々と書類ウィンドウを展開する。
村名。
素材税未納。
延滞手数料。
担保徴収。
労働契約候補。
項目は並んでいる。
だが、俺はすぐに違和感を覚えた。
延滞手数料が高すぎる。
しかも、税の計算基準が市場価格ではなく、領主館指定価格になっている。指定価格が実勢相場より高い。つまり、村が実際に得た収入より大きい額を基準に税が課されている。
さらに、担保徴収の猶予期間が短い。
村に支払う余地を与えず、すぐに担保へ移行できる設計だ。
これは偶然ではない。
最初から取り上げるための制度だ。
「なるほど」
俺は書類を閉じた。
「確認できた」
「なら渡せ」
「いや」
俺はリリィを見る。
「この子は、今ここで連れていかれる必要はない」
補助警備の顔色が変わった。
「あ?」
「書類上、担保徴収の実行期限は明日の正午だ。今はまだ猶予期間内だ。お前たちがやっているのは事前確保であって、正式執行ではない」
「細かいことを……」
「細かいところに権限の穴がある。覚えておけ」
補助警備が手を短剣へ伸ばしかけた。
周囲の通行人が足を止める。
まずい。
注目が集まる。
ここで戦えば、目立つ。
だが、引けばリリィは連れていかれる。
戦闘以外で処理する。
「それとも」
俺は低い声で続けた。
「領主館の補助警備が、正式執行前にNPCを強制連行したというログを残すか?」
補助警備の手が止まった。
領地システムは領主に強い権限を与える。
だが、同時にログも残る。
あからさまな不正処理は、上位管理に引っかかる可能性がある。特にNPC労働契約は、強制と任意の判定が細かい。昔、白騎士団の遠征拠点運用で散々調べた分野だ。
こんなところで役に立つとは思わなかった。
人生、無駄知識ほど変なタイミングで光る。
「……行くぞ」
補助警備のプレイヤーは舌打ちした。
「明日正午までだ。払えなきゃ正式に持っていく」
徴税官NPCは無表情のまま頷き、二人は横道へ戻っていった。
周囲の視線が、しばらくこちらに残る。
俺は大きな動きをせず、リリィへ視線を向けた。
「立てるか」
「は、はい……」
リリィは震えながら頷いた。
ルナが彼女を支えている。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
「礼はいい。今のは一時的に止めただけだ。明日の正午までに何とかしなければ、正式に来る」
リリィの顔が青くなる。
「そんな……村には、もう払えるものなんて……」
ルナがこちらを見る。
その目は、フードの奥でも分かった。
助けたい。
そう言っている。
俺は小さく息を吐いた。
装備更新のためにグレイム領へ来た。
目立たないために変装した。
職業も固定した。
面倒事には首を突っ込まないつもりだった。
そして到着早々、税制の穴を突いて領主側の執行を止めた。
完璧な潜伏とは程遠い。
だが、ここで知らないふりをするのも違う。
いや、違うというか。
リリィの村の素材税。
領主館指定価格。
担保徴収。
工房使用料。
全部、一本の線で繋がっている。
装備更新をするには、この街の生産環境を避けて通れない。なら、これは余計な寄り道ではない。
必要な情報収集だ。
そういうことにする。
「リリィ」
俺は少女の名前を呼んだ。
「お前の村で、何が起きているか聞かせろ」
「え……?」
「助けるとは言っていない。俺たちは装備を作りに来ただけだ」
ルナが横で、また微妙な顔をした。
分かっている。
自分でも言い訳っぽいと思う。
「だが、装備を作るには、この街の素材と工房の事情を知らなきゃならない。お前の話は、その手がかりになる」
リリィは泣きそうな顔で、何度も頷いた。
「はい……! 話します。村のこと、全部」
ルナが小さく息を吐く。
安心したような、覚悟したような息だった。
「アイズドさん」
「何だ」
「装備更新、大変そうですね」
「そうだな」
「でも、必要なんですよね」
「ああ。必要だ」
俺は領主館の方を見た。
黒い石造りの建物。
銀貨を掴む手の紋章。
領主ノイズ。
まだ姿は見ていない。
だが、街にはすでに彼の手が回っている。
素材に。
工房に。
村に。
人に。
線は見え始めた。
なら、次はどこをずらせば流れが戻るかを読むだけだ。
もっとも、それをやれば十中八九、面倒事の中心に立つことになる。
俺は内心で溜息をついた。
重装騎士のふりをして静かに装備を作る予定は、門をくぐって一時間も保たなかった。
本当に、最高のクソゲーである。




