規格外の老騎士
始まりの街・エリュシオンの北門を抜け、俺たちは雪と氷に閉ざされた『極光の氷原』を目指し、中継地点となる鬱蒼とした針葉樹の森を駆け抜けていた。
移動手段は、初心者クエストの報酬で誰もが最初に貰えるマウント『レンタル・ストライダー』だ。ダチョウによく似た、二本足で走る巨大な鳥である。
ルナは「わぁ、フワフワで可愛いです!」と大層お気に召したようだが、軍師としての俺からすれば、ただの『移動速度+30%の乗り物』でしかない。
ストライダーの背に揺られながら、俺はシステムウィンドウを開き、自身の装備欄を睨みつけて深々とため息をついた。
「どうしたんですか、アイズドさん。さっきから難しい顔をして」
隣を並走するストライダーの背から、新しい白銀の片手剣を装備したルナが不思議そうに首を傾げてくる。
「……いや、少し俺の『防具』について悩んでてな」
俺は額を押さえた。
EHOというゲームにおいて、防具はジョブの役割ごとに厳密に装備制限が設けられている。
タンクなら物理防御に優れた重鎧、アタッカーなら機動性を重視した軽装の革鎧、ヒーラーなら魔力回復量を上げる布のローブといった具合だ。タンクはアタッカーの軽装を装備できないし、ヒーラーは重鎧を着ることができない。
一般のプレイヤーなら、自分のメインジョブに合った最強の防具を一つ揃えれば済む話だ。
だが、俺が使う【古代変形機装】は違う。たった数フレームの武器変形だけで、タンクからアタッカー、ヒーラーへと瞬時にロールを切り替えるのがこのジョブの神髄だ。
もし俺がタンク用の重鎧を着ていれば、ヒーラーの杖に変形させた瞬間、システム上の『装備不適合』によるステータスペナルティが発生するか、最悪の場合は自動的に武装解除(全裸)されてしまう。
ロールを切り替えるたびに、いちいちインベントリを開いて全身の防具を着替えるなど、コンマ一秒を争う極限の戦闘の中でやれるわけがない。
全ロールの装備制限に引っかからず、なおかつペナルティを受けない防具。それは、レベル1の時に支給される『初期装備の布の服』しか存在しないのだ。
「なるほど……。だからアイズドさんは、いつもそのボロボロの服を着てるんですね」
「ああ。だが、さすがにこのレベル帯で初期装備のままだと、お前と同じように『特定班』やPKの目につきやすすぎるからな。だから、これを使った」
俺はシステムメニューの『外見変更』の項目をタップした。
直後、俺の身体を包んでいた粗末な布の服が、光の粒子に包まれ、漆黒の重厚な金属鎧へと見た目を変えた。
兜こそ被っていないが、どこからどう見ても高レベルのタンク職にしか見えない威圧感のある姿だ。
「わっ! すごい、一瞬で強そうな鎧に! それ、いつの間に買ったんですか?」
「……現実の口座からクレジットカードを切って、公式のEHOストアで買った『課金アイテム』だ。能力値の変動は一切ない、ただのアバターの着せ替え機能だよ」
俺がそう白状すると、ルナのサファイアブルーの瞳が、スゥッと細められた。
絶対零度のジト目が、俺の漆黒の鎧をねちっこく舐め回す。
「ふぅーん……? 私には『ステータスとフレームに干渉するから』って、あんなに何時間も防具の試着と武器の重心選びに付き合わせておきながら……ご自分の装備は、中身はボロボロの布の服のままで、見た目だけお金で解決したんですかー?」
「うっ……い、いや、これは仕様上の問題で不可抗力というか……」
「へぇー。アイズドさんは、初心者の女の子にだけ厳しいんですね。中身はレベル1の布の服なのに、外見だけいっちょ前に重装騎士ぶってるなんて、見掛け倒しもいいとこじゃないですか」
「やめろ! 痛いところをネチネチと突くな! お前はいつからそんな性格悪くなったんだ!」
ルナの容赦のない追撃に俺が泣き言を漏らしていると、周囲の鬱蒼とした森の木々が突然ひらけ、澄み切った巨大な湖畔が視界に飛び込んできた。
冷涼な空気が頬を撫でる。極光の氷原に近づいている証拠だ。
「アイズドさん……ストップ!」
突然、ルナが真剣な声色に変わり、ストライダーの手綱を強く引いて急ブレーキをかけた。
「どうした、敵か?」
俺も即座にマウントを止め、右腕の機装を盾に変形させる準備をする。
だが、ルナの視線は森の奥のモンスターではなく、湖畔の縁、葦が群生している水際に釘付けになっていた。
「……人が、倒れてます」
ルナがマウントから素早く飛び降り、水際へと駆け出していく。
俺も異変を察知し、急いで彼女の後を追った。
葦をかき分けた先に倒れていたのは、一人のNPCだった。
いや、ただのNPCではない。周囲の土はべっとりと黒赤い血に染まり、強烈な鉄錆の匂いが鼻を突く。
ルナが顔を青ざめさせながら、その人物の上半身を抱え起こしていた。
「ひどい……なんて傷……!」
NPCの上に表示されている種族を見て俺は息を呑んだ。
倒れていたのは、顔の半分を覆う見事な白銀の髭を蓄えた『ドワーフ族』の老人だった。
だが、その姿はあまりにも凄惨だった。
かつては国宝級の業物であっただろう黄金色の重鎧は、まるで巨大な獣の爪で引き裂かれたかのようにボロボロに砕け散り、装甲の隙間から覗く衣服は血と泥で原型を留めていない。胸部には致命傷とも言える深い裂傷が刻まれ、その傷口からは絶え間なくポリゴンのような光の粒子――命の灯火がこぼれ落ちていた。
顔を覆っていたであろう兜は無惨にひしゃげて転がり、閉じられた両目には深い苦悶の色が刻まれている。今にもシステムから消滅してしまいそうな、極限の衰弱状態だ。
「アイズドさん、早く回復魔法を! この人、死んじゃいます!」
「分かってる! 《機装変形:神聖十字架》!」
俺は即座に機装を変形させ、回復魔法をドワーフの老人に叩き込もうと杖を掲げた。
だが、至近距離に寄ったことで、俺はそのドワーフの『異質さ』に気づき、一瞬だけ動きを止めてしまった。
EHOの設定において、ドワーフ族は『人間族の腰ほどまでの小柄な身長』であるというのが絶対のルールだ。
しかし、ルナの腕に抱き抱えられているこの老騎士は、違った。
太く丸太のような腕、樽のように分厚い胸板、そして何よりその『全長』。
泥に塗れて横たわっている状態でも、その巨躯の異常さは一目で分かった。もし彼がこの場で立ち上がったならば、間違いなく、三十歳の成人男性である俺とほぼ同じ上背(身長)がある。
ドワーフの骨格と筋肉密度を持ったまま、人間の成人男性サイズまで巨大化したような、規格外の巨漢。
その重厚な肉体からは、瀕死の重傷を負ってなお、ただならぬ覇気と『王』としての絶対的な威厳が微かに立ち昇っていた。
「……アイズドさん! 早く!」
「チィッ、なんだこいつは……! 《神聖なる息吹》ッ!」
俺は疑問を脳の片隅に追いやり、光の魔法陣を展開した。




