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『地味だと追放された元プロ、限界突破の産廃ジョブで全ロール最強へ』  作者: 料理長


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深夜の検索者


完全没入型VRMMO『エターナル・ホライゾン・オンライン(EHO)』の世界からログアウトした直後の感覚を、ルナはまだ完全には掴みきれていなかった。

視界を覆っていた色鮮やかなファンタジー世界の光景がフッと途切れ、無機質な電子音とともに意識が現実の肉体へと急速に引き戻される。

ルナは、自室のベッドの上でゆっくりと目を開けた。


「……ふぅっ」


頭部に装着していたVRヘッドセットを両手で外し、サイドテーブルへとそっと置く。

深夜の静まり返った部屋。カーテンの隙間から差し込む青白い月明かりが、見慣れた家具の輪郭をぼんやりと照らし出していた。エアコンの微かな駆動音だけが、現実世界で鳴っている唯一の音だ。


ルナはベッドの上に身を起こし、自身の手のひらをじっと見つめた。

つい数分前まで、この手には白銀に輝くショートソードが握られていた。二十メートルを超える巨大な魔蛇の硬い甲殻を切り裂き、泥濘に塗れ、全身の骨が軋むほどの衝撃を何度も受け止めた。


システム上の安全装置により、仮想世界ゲームでの痛覚や疲労がそのまま現実の肉体にフィードバックされることはない。しかし、人間の脳は極度に没入した体験を「現実」と錯覚する。極限の死闘を繰り広げた際の一瞬の死の恐怖や、全身の筋肉をバネのように収縮させた感覚は、幻肢痛のような微かな痺れとなって、確かに彼女の身体に残っていた。


「本当に……信じられない一日だったな」

ルナはベッドから降り、フローリングの床を素足で歩いてキッチンへと向かった。

冷蔵庫を開け、よく冷えた麦茶をグラスに注いで一気に飲み干す。冷たい液体が喉を通って胃の腑に落ちていく感覚が、彼女の意識を完全に現実世界へと繋ぎ止めた。


グラスをシンクに置き、再びベッドへと戻って毛布にくるまる。

身体は心地よい疲労感に包まれているのに、脳の奥底はまだ興奮状態から抜け出せていないようで、眠気はまったく訪れそうになかった。

目を閉じれば、今でもあの光景が鮮明に蘇ってくる。


数千年の間、狐人族を縛り付けていた澱みの化身『瘴澱の魔蛇』との死闘。

全身を真っ赤に染め、システムのエラーを吐き出しながらも、己の身を呈して巨大な顎を食い止めてくれたアイズドの姿。


そして、彼が命懸けで抉じ開けてくれた唯一の隙に、自分の全霊を込めた刃が突き刺さり、ガラスが砕け散るような音とともに勝利のファンファーレが鳴り響いたあの瞬間。


「レベル50……それに、ワールドクエストの更新……」


ルナは毛布の中で、小さく呟いた。

ゲームを始めたばかりの初心者だった自分が、たった数日でそんな途方もない高みに到達してしまった。すべては、あの路地裏で彼に出会ったからだ。

初心者狩りの詐欺集団に囲まれ、どうしていいか分からずにいた自分を、低いドスの効いた声とともに助け出してくれた、初期装備の布の服を着た三白眼の男。


「アイズドさん……」


彼がいなければ、今の自分は絶対にあり得なかった。

彼は口が悪く、態度もぶっきらぼうだが、その実力は誰よりも桁違いだった。複数の役割ロールを同時にこなし、常人には不可能な情報処理速度で盤面を完全に支配する。


そこで、ルナの脳裏に、先ほどのログアウト直前の会話がふと蘇った。


地下都市から地上の『始まりの街・エリュシオン』へと戻り、ワールドクエストの更新によって狂乱の坩堝と化した広場を足早に抜け出そうとしていた時のことだ。

メインストーリーがフェーズ2へと移行したことの異常性を説明する際、アイズドは呆れたように息を吐きながら、こんな言葉を口にした。


『最初のワールドクエスト――フェーズ1のクリアフラグを見つけたのは半年前だ』

『当時の俺はボスの行動パターンとタイムラインの解析に忙殺されていて、ストーリーのテキストなんてまともに読んでいなかったから、詳しい内容はほとんど覚えてないがな』


その言葉が、暗い部屋のベッドの中で、ルナの思考に小さな、しかし決定的な波紋を広げた。


「……あれ?」

ルナは暗闇の中でぱちりと目を開けた。

『俺は解析に忙殺されていて……』

その言葉は、まるで――いや、間違いなく、アイズド自身が半年前のワールドクエストの第一発見の場に『居た』ということを意味している。伝聞やニュースで知った者の口ぶりではない。当事者としての言葉だ。


「フェーズ1のワールドクエストを見つけたのって、たしか……」

ルナはVRMMOの初心者ではあるが、EHOというゲームが現実世界でどれほど社会現象になっているかは知っている。

半年前、誰も解けなかった最初のワールドクエストの謎を解き明かし、ワールドファーストの栄誉と莫大な富を手にしたチームの名前。それは、ゲームをやらない人間の耳にすら届くほど、大々的なニュースになっていた。


「『白騎士団』……っていってたっけ」


EHO最大規模の覇権ギルドであり、数多の企業スポンサーを抱えるトッププロのeスポーツチーム。

ルナの胸の奥で、心臓がトクトクと早鐘を打ち始めた。


(アイズドさんが、ボスの解析をしていてストーリーを読んでいなかった……。それってつまり、もしかして、アイズドさんは白騎士団に入っていたんじゃ……?)


ルナはサイドテーブルに置いていたスマートフォンに素早く手を伸ばした。

暗い部屋の中で、液晶の眩しい光が彼女の顔を照らし出す。

彼女は無意識のうちにブラウザを開き、検索窓に『EHO 白騎士団 メンバー』というキーワードを入力して検索ボタンをタップしていた。


検索結果のトップには、洗練されたデザインの『オーダー・オブ・ナイツ(白騎士団)』の公式ホームページが表示された。

サイトを開くと、数々の有名企業やエナジードリンクメーカーのスポンサーロゴが画面の端を飾り、トップページには純白のスタイリッシュなユニフォームに身を包んだプロゲーマーたちの美麗な写真がスライドショーで流れていた。

金髪をツーブロックにした若きエースアタッカーや、笑顔を振りまくアイドル的なプレイヤーたち。誰もが自信に満ち溢れ、華やかなオーラを放っている。


ルナは『所属選手一覧』のページを開き、スクロールしながら一人一人の名前と顔写真を確認していった。


「ええと……アイズドさん、アイズドさん……」


しかし、どれだけ画面をスクロールしても『アイズド』という名前のプレイヤーは見当たらなかった。

鋭い三白眼を持つ、少し無精髭を生やしたような、あのぶっきらぼうな男の顔写真もない。並んでいるのは、まるで芸能人のように綺麗にメイクされ、カメラに向かってポーズを決める若者たちばかりだ。


「……やっぱり、私の勘違いなのかな」


ルナは小さく息を吐き、少しだけ落胆した。

冷静に考えればそうだろう。彼の実力がどれほど常識外れであっても、あの「最高のクソゲーじゃねえか」と狂ったように笑う粗野な振る舞いが、この華やかなプロの世界に馴染むとは到底思えなかった。


「アイズドさんが言っていたのは、白騎士団じゃなくて、その攻略にたまたま関わっていた下請けのクランか、ソロプレイヤーの集まりだったのかもしれないですね……」


スマートフォンを閉じようとしたその時。

ルナの指先が、ページの一番下、フッター部分の目立たない場所に配置された『プレスリリース・お知らせ』という小さなテキストリンクに触れた。

画面が切り替わり、事務的な文字だけが並ぶ無味乾燥な一覧ページが表示される。


大会への出場情報やスポンサー契約の締結といった華やかなニュースが並ぶ中。

ルナの視線が、ほんの数日前に更新されたばかりの、たった一行の短い見出しに釘付けになった。


『【お知らせ】前衛アナリスト(軍師)「ジン」の契約満了および退団について』


「ジン……?」


ルナはそのリンクをタップし、詳細のページを開いた。

そこには、写真もなく、ただ事務的で冷たい文章が数行だけ綴られていた。

『当チームの戦術構築に貢献した戦術アナリストのジン選手につきまして、双方合意のもと、〇月〇日付をもって契約を満了し、チームを退団することとなりました。これまでの氏の貢献に感謝するとともに……』


ルナの目が、その『〇月〇日付』という退団日の日付に吸い寄せられた。


「これ……」


ルナは息を呑んだ。

その日付は、彼女がEHOというゲームを初めてプレイした日。

路地裏で詐欺集団に絡まれ、初期装備の布の服を着た「レベル1」のアイズドに助けられた、まさに『その日』だったのだ。


『俺はボスの行動パターンとタイムラインの解析に忙殺されていて……』


アイズドのあの言葉が、ルナの脳内で決定的な意味を持って反響する。

『解析』に忙殺されていた。

退団した選手の役割は『前衛アナリスト(軍師)』。

白騎士団は、徹底的な利益至上主義と効率化を掲げるチームだ。そんなチームが、第一線で活躍していたはずの戦術アナリストを、なぜこのタイミングで手放したのか。

パズルのピースが、カチリ、カチリと音を立てて完全に組み合わさっていく。

常人には絶対に不可能な、三十種ものクラスを並列処理で回す異常な情報処理能力。

敵の行動フレームやタイムラインをコンマ一秒の狂いもなく予測し、最適なカウンターを叩き込む、初心者の自分を的確に導き、まるで未来を見ているかのような戦術眼。



彼は、ただの『ゲームが上手いおじさん』なんかではなかった。

世界最強と呼ばれた覇権ギルドの頭脳。最前線のプロチームを裏から支え、世界中のプレイヤーが束になっても解けなかったワールドクエストのフラグを解析の力だけで抉じ開けた、本物の『天才軍師』。


「アイズドさんが……白騎士団の、元トッププロ……」


ルナはベッドの上に正座し、スマートフォンを握りしめたまま、その衝撃的な事実をゆっくりと反芻した。

自分が背中を預けていた人物が、どれほどとんでもない経歴の持ち主であったのか。

その事実に、畏敬の念と、少しの緊張感が入り混じったような、不思議な感情が胸の奥に湧き上がってくる。


「……プロの、軍師かあ……」


ルナは暗い部屋の中で、一人ごちた。

世界を熱狂させる華やかなeスポーツの舞台。数万人の観衆が見守る巨大なステージの上で、スポットライトを浴びるアイズドの姿を想像してみる。


白騎士団の動画を漁ると出てくる、純白のスタイリッシュなユニフォームに身を包んだアイズド、ここではジンではあるが。


「あ、あった」


胸元には有名スポンサーのロゴが輝き、綺麗に整えられた髪型で、マイクに向かって涼しい顔で戦術の解説をしているアイズド。

『ええ、今回の勝利は我々の綿密な計算と、チームワークの賜物です。ファンの皆様、応援ありがとうございます』と、爽やかな笑顔で手を振るアイズド。


「――――」

ルナは、数秒間、映像を再生し続けた。


そして。

「……ぶっ」

静まり返った部屋の中に、吹き出すような音が漏れた。


『テメェの相手は俺だろうが、クソ爬虫類ッ!! こっちを見ろォッ!!』


ルナの脳裏に、数時間前の死闘の記憶が強烈な勢いでフラッシュバックしてきたのだ。

純白のユニフォームなどどこにもない。

ボロボロに引き裂かれた初期装備の布の服。

口の端から大量のテクスチャを撒き散らしながら、泥濘の中を這いつくばり、狂気的な三白眼を見開いて絶叫する姿。

自分の骨が砕ける音すらも戦術の一部に組み込み、理不尽なシステムとクソAIを口汚く罵りながら、どこまでも泥臭く、死の淵で狂ったように笑う三十歳のおっさん。


「ふふっ……くくっ、あはははははっ!!」


ルナはスマートフォンの画面を伏せ、ベッドの上に倒れ込んで、お腹を抱えながら声を殺して笑い転げた。

ダメだ。似合わなすぎる。

あの男が、あんなキラキラしたエリート騎士の集団に混ざって、爽やかに笑っている図なんて、どう頑張っても想像できない。想像しようとすればするほど、現実の彼とのギャップが激しすぎて、お腹が痛くなるほどおかしかった。


「あー、おかしいっ。ひぃっ、涙出ちゃった……っ」


目尻に滲んだ涙を指先で拭いながら、ルナはしばらくの間、ベッドの上でクスクスと笑い続けた。

先ほどまで感じていた畏敬の念や緊張感は、完全にどこかへ吹き飛んでしまっていた。


彼がかつて、白騎士団の『軍師ジン』であったのだとしても。

どんな理不尽な理由でチームを追放され、この未知の大陸へとやってきたのだとしても。

今のルナにとって、そんな肩書きはまったく重要ではなかった。


彼が本当にプロだったのなら、どうしてあんな泥臭くて、限界を超えた無茶苦茶な戦い方ばかりするのだろう。

きっと彼は、利益や効率、見栄えといった『プロとしての縛り(労働)』から解放されて、今、心の底から純粋にこのゲームを楽しんでいるのだ。

マニュアルという安全なレールを捨て、自らの命を削ってでも限界の先にある「最高の遊戯」を追い求める。

その狂気的で、不器用で、誰よりも頼もしい姿こそが、彼女の知る『アイズド』というプレイヤーのすべてだった。


「……ふふっ。どんな過去があっても、アイズドさんはアイズドさんだよね」


ルナはスマートフォンの画面をスリープさせ、充電ケーブルに繋いでサイドテーブルへと置いた。


部屋の中は再び、青白い月明かりと静寂に包まれる。

ルナは毛布を肩まで引き上げ、枕に頭を沈めた。

心地よい疲労感が、ゆっくりと彼女の意識を微睡みの底へと誘っていく。


明日は、どんな理不尽なギミックが彼らを待ち受けているのだろう。

アイズドが言っていた『レベル90』への道程。

現在のシステムの絶対的な上限であるレベル80を超え、世界中のプロや企業勢が束になっても到達できない高みへと至るための、未知の試練。


それはきっと、今日までの戦いよりも遥かに過酷で、絶望的で、容赦のない死線になるはずだ。

だが、ルナの心に恐怖は一切なかった。

あの、口が悪くて泥臭い、世界で一番頼もしい『元エリート軍師様』が前を歩いてくれる限り、自分はどこまでも剣を振り抜くことができる。


「おやすみなさい、アイズドさん。……明日も楽しみましょうね」


暗い部屋の中で小さく呟いたルナの唇には、穏やかで楽しげな笑みが浮かんでいた。

彼女はそのまま静かに目を閉じ、明日から始まる新たな限界突破の冒険を夢見ながら、深く、安らかな眠りへと落ちていった。

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