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失業した軍師、産廃ジョブで世界の余白を攻略する 〜古代変形機装は、使い手の頭がおかしいほど強くなる〜  作者: 三元豚


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黄金の号砲


 夜のフェネキアは、現実の夜より静かだった。


 地下都市の空に、星が浮かんでいる。もちろん本物の星ではない。ここは地上ではなく、世界樹の根が抱く地下の里だ。だが、頭上に広がる夜空は、そうと知っていても偽物とは言い切れないほど澄んでいた。


 黒ではない。


 深い藍色。


 その奥に、白い星が瞬いている。水路の白砂が星明かりを受けて淡く光り、光草の花が夜風に揺れる。遠くで、フェネキア族の子供たちが家へ戻っていく声がした。


 世界樹。


 セレンは、そう呼んだ。


 この地下都市の中央にそびえる、巨大な根と幹。その膨大な魔力が、空を作り、疑似太陽を灯し、昼夜を巡らせている。俺たちが見上げている星空も、その魔力によって編まれたものだ。


 地下に空がある理由。


 地下に太陽がある理由。


 地下に、風と水と生活がある理由。


 全部、その世界樹に繋がっていた。


「この上には、エルフが住んでいる」


 根の間へ向かう道すがら、イリスがそう言った。


 ルナが目を丸くする。


「上、ですか?」


「地上だ。世界樹の幹と枝葉の周辺に、古くから住む者たちがいる。我らフェネキアが根を守るなら、彼らは枝葉と光の巡りを守る」


「地下がフェネキア族で、地上がエルフ……」


 ルナは頭の中で地図を描くように、空を見上げた。


 たぶん、また迷子になりかけている。


 上下方向の地図で迷子になられると、救助難易度が跳ね上がるのでやめてほしい。


「つまり、この里は地下都市というより、世界樹の内側にある拠点みたいなものか」


 俺が言うと、イリスは頷いた。


「外界の言葉なら、それが近い」


「ずいぶん重要そうな場所に迷い込んだな、俺たちは」


「白尾さまが導いた」


「そうだったな」


 前を歩く白狐が、当然だと言わんばかりに尾を揺らした。


 小さいくせに態度がでかい。


 だが、その白い尾がなければ、俺たちはここへ辿り着けなかった。淀みの魔蛇を沈めることも、世界樹の根に触れることもなかった。


 そう考えると、この狐の態度がでかいのも、まあ、多少は許せる。


 多少は。


「今夜の儀で、白狐の羅針盤を作る」


 イリスが言った。


「それがあれば、またここへ来られるんですよね」


 ルナが聞く。


「正確には、道を探せるようになる。好きな場所から好きな時に帰れるわけではない。根が拒む場所では開かぬ。淀みが濃い場所では針が乱れる。白尾さまが許さぬ時も、道は閉じる」


「便利そうで、不便ですね」


「便利すぎる道具は、だいたいろくなことにならない」


 俺が言うと、ルナは少し笑った。


「アイズドらしいです」


「事実だ。何でもできるアイテムは、何でも壊す」


「それも事実ですね」


 白狐が振り返り、短く鳴いた。


 早くしろ、ということらしい。


 はいはい、道標様。


 俺たちは根の間へ入った。


ーーーーーー


 根の間は、昼に見た時とはまるで違う場所になっていた。


 中央の水盤を囲むように、淡い金色の灯が浮いている。水盤の奥には、巨大な白い根が天井へ伸び、そのさらに上へ、幹のような影が続いていた。夜の空へ向かって伸びる世界樹。その根元に、セレンが立っていた。


 黄金の九尾が、灯の光を受けて揺れる。


 普段のセレンは、穏やかで、どこか遠くを見ているような雰囲気がある。だが、今夜の彼女は違った。族長というより、祭祀を司る者の顔をしていた。


 水盤の縁には、白い円盤が置かれている。


 手のひらほどの大きさ。中央には針らしきものはまだない。外周には、細い溝と古い文字が刻まれている。読めない。だが、入口の門や《古代変形機装》に刻まれていた文様と、どこか同じ系統に見えた。


 白狐が円盤の前に座る。


 セレンが静かに告げた。


「白尾の光、澄みし白砂、そして淀みを沈めた者の跡。それらを器へ刻む。今宵、この羅針盤は汝らの道を覚える」


「道を覚える、か」


「道は、歩いた者を覚える。歩いた者もまた、道に覚えられる」


「相変わらず詩的だな」


「外界の者は、詩を軽んじる」


「ログで出してくれた方が分かりやすいからな」


 セレンは小さく笑った。


 その笑みに、少しだけ緊張が解ける。


 ルナは円盤を見つめていた。目が真剣だ。さっきまでの薬草茶に敗北した女子大生とは別人の顔である。いや、どちらもルナなのだが、人は薬草茶でだいぶ表情を奪われる。


「始める」


 セレンが言った。


 白狐の尾が、ゆっくりと持ち上がる。


 白い光が、尾先に集まった。


 前に見た光とは違う。


 道を示すための短い発光でも、淀みを焼くための強い光でもない。もっと静かで、深い。根の底から湧き上がり、世界樹の幹を通り、枝葉の星へ届くような光だった。


 光が、円盤へ落ちる。


 円盤の中央に、白い針が浮かび上がった。


 次に、セレンが水盤から白砂をすくう。


 それは普通の白砂ではない。魔蛇を沈めた後、第二流路から採られた澄み砂だという。淀みをくぐり、それでも流れを取り戻した砂。


 セレンがそれを円盤へ散らすと、外周の溝に沿って細かな光が走った。


 最後に、セレンは俺とルナへ視線を向けた。


「汝らの手を」


 俺たちは水盤の縁へ近づき、それぞれ円盤へ手をかざした。


 触れる直前、左腕の機装が小さく震えた。


 ルナの剣も、鞘の中で微かに鳴った。


 俺の視界に、ログが流れる。


 《白狐の羅針盤生成条件を確認》


 《淀みの魔蛇沈降記録を刻印》


 《根系流路回復記録を刻印》


 《守護系統反応を同期》


 《白銀制御反応を同期》


 円盤が、金色に光った。


 その瞬間、根の間の空気が変わった。


 世界樹の根が、低く鳴る。


 水盤が波打つ。


 白狐の針が、くるりと一度回転し、やがてぴたりと止まった。


 針の先は、都市の外ではなく、下を指していた。


 世界樹のさらに深く。


 根の底。


 魔蛇を沈めた、そのもっと奥。


 セレンの顔から、わずかに笑みが消えた。


「やはり、そこを指すか」


「そこ?」


 ルナが聞く。


 セレンはすぐには答えなかった。


 沈黙が落ちる。


 根の間にいたイリスが、わずかに視線を伏せた。白狐も、尾を低くした。


 ただの次の目的地、という空気ではない。


 名前を口にする前から、重い。


 セレンは、ゆっくりと言った。


「汝らが沈めた淀みは、ただの淀みではない」


「だろうな」


「あれは、根の底より漏れた吐息の端だ」


「吐息」


「この世界樹の深く、根が最も暗く絡む場所に、古き災いの一角が封じられている」


 災いの一角。


 セレンは、そこで言葉を止めた。


 言い淀んだのではない。


 言うことそのものを恐れている。


 それが分かった。


 彼女ほどの存在が、名を避けている。


 つまり、これはフレーバーではなく、世界設定としての禁忌だ。


 普通のNPCが知るはずもない。知っていたとしても、口にはしない。いや、知ること自体が許されていない類の情報だ。


 おそらく、この手の話を知っているのは、セレンのような上位存在だけだ。いつか出会うかもしれない伝説級の魔術師や、神話の住人たち。そういう連中だけが、この名を恐れながら知っている。


 セレンは、声を落とした。


「我らは、その名を呼ばぬ。名は、影を招く。幼子には存在すら教えぬ。守り手ですら、深き封の意味をすべては知らぬ」


 イリスが静かに膝をついた。


 彼女ですら、全部を知らされているわけではないのかもしれない。


「セレン」


 俺は言った。


「それは、七つの……」


 言いかけた瞬間、根の間の灯が揺れた。


 白狐が鋭く鳴く。


 セレンの視線が俺を止めた。


「その言葉は、軽く口にしてはならぬ」


 静かな声だった。


 だが、背筋が冷えた。


 俺は言葉を飲み込む。


「分かった」


「汝が知る名は、外界の断片にすぎぬ。だが、名は名だ。呼べば、遠き影が耳を澄ます」


 ルナは緊張した顔で黙っていた。


 今のやり取りで、彼女にも分かったはずだ。


 これは通常のクエスト説明ではない。


 NPCが「次のボスはこちらです」と親切に案内してくれているのではない。


 世界の側が、触れてはいけないものの輪郭を、ほんの少しだけ見せている。


 セレンは続けた。


「汝らが見た魔蛇は、その封じられたものから漏れた淀みの末端だ。本体ではない。影ですらない。吐息の端、爪の下に溜まる黒き粉。それでも、根脈は飲まれかけた」


「つまり、本体は比較にならない」


「比べることすら、愚かだ」


 セレンは水盤へ手を置いた。


 白狐の羅針盤の針が、深部を指したまま震えている。


「いずれ、汝らはこの根の底を見ることになるかもしれぬ。だが、今ではない。今の汝らが近づけば、淀みに触れる前に影に呑まれる」


 そこで、俺とルナの視界に新しいログが走った。


 《特殊クエストが提示されました》


 《世界樹深層に眠る竜の淀み》


 《受注条件:Lv90以上》


 《前提条件:上限解放済み》


 《推奨人数:六名以上》


 《フェネキア族の信任を得た者のみ閲覧可能》


 俺は表示を見た。


 もう一度見た。


 三度見た。


 表示は変わらなかった。


「……待て」


 自然に声が漏れた。


 ルナが横から覗き込む。


「すごく難しそうです」


「難しそう、で済ませる条件じゃない」


「レベル九十以上……」


「今の一般上限は八十だ。つまり、普通にやっても届かない。上限解放が前提。しかも推奨六名以上。受付が山頂どころか、空の上にある」


 セレンは静かに言った。


「だから、今ではない」


「それを今見せるあたり、この世界は本当に性格が悪い」


「道は遠いほど、歩く意味がある」


「格好いいことを言えば理不尽が薄まると思うな」


 ルナが少しだけ笑った。


 笑えるなら、まだ大丈夫だ。


 だが、俺の視界に残るクエスト表示は笑えない。


 レベル九十。


 上限解放済み。


 推奨六名以上。


 俺たちは、まだその入口にすら立てない。


 だが、遠い目的地は見えた。


 しかも、フェネキアの地下深く、世界樹の根の底。さっきまで俺たちが守った流れの、もっと先にあるものだ。


 これは、逃げようがない。


 いつか戻ってくることになる。


 白狐の羅針盤が完成したのは、そのためでもあるのだろう。


ーーーーーー


 その直後、ログがさらに続いた。


 《特殊クエスト達成》


 《忘却されし根脈の淀みを沈めました》


 《白狐の羅針盤生成条件を満たしました》


 《世界樹の根脈が一部回復しました》


 《封印領域に関わる情報が一部開示されます》


 《初回達成報酬が付与されます》


 《大量の経験値を獲得しました》


 大量。


 その単語を見た瞬間、嫌な予感がした。


 次の瞬間、視界が光で埋まった。


 レベルアップ通知が、連続で流れる。


 流れる。


 流れ続ける。


 止まらない。


 《アイズドのレベルが上昇しました》


 《Lv12 → Lv13》


 《Lv13 → Lv14》


 《Lv14 → Lv15》


 途中から読むのをやめた。


 ログが多すぎる。


 脳が通知に殴られている。


 最終表示だけが、ようやく目に入った。


 《アイズド:Lv47》


 横で、ルナも呆然としている。


 彼女の前にもログが浮かんでいた。


 《ルナ:Lv48》


「……は?」


 俺は、自分でも間抜けな声を出した。


 ルナが瞬きをする。


「いっぱい上がりました」


「いっぱい、で済ませる上がり方じゃない。これは階段じゃなくて射出だ」


「射出」


「初心者区域から中級帯へ、経験値ロケットで打ち上げられた気分だ」


 身体が、少し遅れて変化に追いついてきた。


 軽い。


 いや、軽すぎる。


 腕を少し動かすだけで、今までより反応が早い。足に力を入れれば、床を蹴る感覚が鋭い。視界も広い。体感の処理速度が上がっている。


 だが、気持ち悪い。


 自分の身体ではない、というほどではない。けれど、昨日までの靴で急に坂道を駆け下りているような、微妙なズレがある。レベルが上がるというのは、単に強くなることではない。操作する身体の前提が変わるということだ。


 ルナも、自分の手を開いたり閉じたりしていた。


「なんか、身体が先に行きそうです」


「だろうな。お前はただでさえ感覚で動く。レベル補正で身体能力が跳ねた分、制御を間違えると自分の速さに振り回される」


「強くなったのに、練習が増えました」


「ゲームとはそういうものだ。報酬の顔をした宿題だ」


「褒めてくれてるのか、嫌がらせなのか分かりません」


「両方だ」


 ルナは少し笑い、それからクエスト表示をもう一度見た。


「でも、レベル四十八になっても、九十には遠いですね」


「ああ」


「半分くらいです」


「ルナ。世の中には、半分で褒められるものと、半分では入口にすら立てないものがある。これは後者だ」


「でも、半分まで来ました」


「前向きすぎる」


「アイズドは後ろ向きすぎます」


「これは現実的と言う」


「じゃあ、現実的に、まずは九十を目指すんですね」


 簡単に言う。


 本当に、簡単に言う。


 だが、その簡単さに救われることがある。


 俺は小さく息を吐いた。


「そうだな。まずはレベル九十。上限解放。装備更新。熟練度上げ。ついでに、俺の機装の守護系統と、お前の白銀制御もまともにする」


「やること多いですね」


「多い。しかも今、世界に目をつけられた」


「世界に?」


 その問いに答える前に、さらにログが流れた。


 今度は、俺たちだけではない。


 全ワールドへ向けた、黄金色の通知。


 《ワールドアナウンス》


 《忘却されし根脈にて、淀みの魔蛇が沈降しました》


 《名もなき二名の開拓者により、閉ざされし根の道が再び脈動を開始します》


 《全ワールド共通メインストーリー》


 《七つの楔と世界樹の封が進行しました》


 《進行度:1%》


 根の間が、静まり返った。


 俺は表示を見つめた。


 名前は出ていない。


 アイズドとも、ルナとも出ていない。


 場所も、フェネキアとは明記されていない。


 だが。


「匿名の意味を理解しているか、この世界は」


「名前、出てませんよ?」


「二名という情報だけで十分すぎる。攻略勢と情報屋と配信者は、砂糖に群がる蟻より嗅覚がいい」


「蟻なんですか」


「もっと厄介な蟻だ。巣ごと来る」


 最悪だ。


 せっかく静かに遊ぶために情報を隠していたのに、世界が黄金の号砲を鳴らしてしまった。匿名とはいえ、二人組。忘却されし根脈。淀みの魔蛇。世界樹の封。これだけ材料があれば、どこかの誰かが必ず嗅ぎつける。


 しかも、俺たちはまだレベル四十台後半。


 強くなった。


 だが、最前線から見ればまだ中途半端。


 注目を集めるには十分で、追い払うには足りない。


 最悪の温度帯だ。


ーーーーーー


 同じ頃、外界は騒がしくなっていた。


 始まりの街エリュシオンの広場では、電光掲示の相場表示が一瞬止まり、黄金色のワールドアナウンスが空中に浮かんだ。配信者たちは一斉に顔を上げ、視聴者コメントが爆発する。


 どこのクエストだ。


 名もなき二名って誰だ。


 根脈って新エリアか。


 世界樹関連か。


 メインストーリー進行度一%って何だ。


 情報売買掲示には、通知から数十秒で新しい板が立った。


 《忘却されし根脈》情報求む。


 《淀みの魔蛇》初回発見者、二名組か。


 《七つの楔》関連ワード考察。


 値段がつく。


 まだ誰も何も知らない情報に、値札だけが先に貼られていく。


 白騎士団の作戦室では、ミレイが通知を見上げていた。


 レオンが眉をひそめる。


「何だこれ。誰かがメインストーリー進めたのか?」


 神崎マネージャーは即座に情報端末を操作している。


「匿名二名。場所不明。新規ワード多数。配信勢が一斉に拾っています」


 ミレイは、通知の文面をじっと見ていた。


 名もなき二名の開拓者。


 根脈。


 淀みの魔蛇。


 理由はない。


 証拠もない。


 けれど、胸の奥に小さな引っかかりが生まれた。


 ジンなら、こういう誰も知らない場所を見つけてもおかしくない。


 だが、彼はもう戻らないと言った。


 そして、彼がいま何という名で、どこを歩いているのかを、ミレイは知らない。


 彼女は通知を見つめたまま、小さく息を吐いた。


「また、世界が動いたんですね」


 その声は、誰にも届かなかった。


 一方、南の覇者《八咫烏》でも、同じ通知が表示されていた。


 軍師クロウは、黄金色の文字列を見て、薄く笑った。


「匿名二名、か」


 隣にいた高坂マネージャーが問う。


「心当たりが?」


「心当たりと言うほどじゃない。ただ、こういう歪な初回フラグを踏む人間は、だいたい効率の外を歩いている」


「効率の外?」


「ああ」


 クロウは通知の最後を指でなぞる。


 進行度、一%。


「そして、効率の外を楽しめる狂人は、そう多くない」


ーーーーーー


 根の間では、白狐の羅針盤が静かに光っていた。


 外界の騒ぎは、ここには届かない。


 いや、届いていないように見えるだけだ。世界が動いた以上、いずれその波はここにも来る。


 セレンは羅針盤を両手で持ち上げ、俺の前へ差し出した。


「受け取るがよい。白狐の羅針盤だ」


 俺は慎重にそれを受け取った。


 手のひらに乗る円盤。


 中央の白い針は、普段は静かに眠っている。外周の紋様は金色に淡く光り、時折、白狐の尾のような線が浮かんでは消える。


 視界に説明文が出た。


 《白狐の羅針盤》


 《フェネキアの根の道を示す特殊道具》


 《初回起動:フェネキアから外界への片道転移が可能》


 《以後、条件を満たした地点でのみフェネキアへの帰還路を探知》


 《淀み濃度が高い場合、針が乱れる》


 《白尾の許可なき使用不可》


「つまり、帰れるけど、好きな時に帰れるわけじゃない。便利アイテムに見せかけた不便アイテムだな」


「白尾さまの道を、便利不便で測るな」


 イリスが言う。


「いや、便利不便は大事だ。命に関わる」


 白狐が、俺の足元で尾を振った。


 不満そうだ。


 だが、羅針盤の針は一瞬だけ俺の方を向き、すぐにまた下を指した。


 世界樹の深層。


 封じられた災いの一角。


 その名を口にすることすら恐ろしいもの。


 そこへ至るには、まだ遠い。


 レベルも、装備も、技術も、仲間も足りない。


 何もかも足りない。


 だが、目的地は見えた。


「セレン」


 俺は羅針盤をしまいながら言った。


「この次のクエスト、今は無理だ」


「知っている」


「なら、なぜ見せた」


「道は、見えねば歩けぬ」


 セレンは静かに答えた。


「今すぐ届かぬ道でも、知ることで歩き方は変わる。汝らは外界へ戻る。強くなり、知り、仲間を得るだろう。その時、羅針盤は再び針を震わせる」


「ずいぶん長い宿題だな」


「世界樹の宿題は、短くない」


「提出期限は?」


「封が保つ限り」


「一番嫌な期限だ」


 ルナが羅針盤を見つめていた。


「でも、行くんですよね」


「いずれな」


「じゃあ、まずはそこまで行けるようになるところからですね」


「簡単に言うな」


「でも、そうですよね?」


 その通りだ。


 遠い。


 無茶だ。


 今ではない。


 だからこそ、やることが見える。


 レベルを上げる。


 上限解放の手段を探す。


 装備を整える。


 ルナの白銀を正式な職へ近づける。


 俺の機装の守護系統を完成させる。


 そして、世界中がざわつく中で、できるだけ正体を隠す。


 最後が一番無理かもしれない。


「アイズドさん?」


「今、かなり面倒な未来を想像した」


「楽しそうです」


「気のせいだ」


「たぶん違います」


「たぶんを使うな。俺の逃げ道が減る」


 ルナは笑った。


 その笑い声が、根の間の静けさに小さく響いた。


 セレンは、そんな俺たちを見て、ほんの少しだけ目を細めた。


「名もなき開拓者よ」


 彼女は言った。


「世界は、汝らをまだ知らぬ。だが、道は汝らを覚えた。白尾は汝らを見ている。根は汝らの足跡を忘れぬ」


「重いな」


「道標とは、そういうものだ」


 白狐が鳴いた。


 黄金の針が、もう一度震える。


 外界への片道起動。


 世界樹深層への遠い針。


 そして、全ワールドへ鳴り響いた黄金の号砲。


 俺たちはようやく、世界の入口に立ったらしい。


 なお、次の入口に立つ条件はレベル九十。


 こちらは四十七。


 上がったはずなのに、まだ半分。


 本当に、最高のクソゲーである。

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