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失業した軍師、産廃ジョブで世界の余白を攻略する 〜古代変形機装は、使い手の頭がおかしいほど強くなる〜  作者: 三元豚


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白銀一閃


 根脈浅層へ戻る道は、さっきよりも静かだった。


 それは、良い兆候ではない。


 最初に入った時は、白砂の流れる音があった。都市の下を巡る細い血流のような、さらさらとした響き。だが今は、その音が少し遠い。通路そのものが息を潜め、奥にいる何かに耳を澄ませているようだった。


 俺は左腕の《古代変形機装》を確認する。


《古代変形機装》

《盾形態:使用可能》

《射出形態:使用可能》

《刃形態:使用可能》

《拘束形態:使用可能》

《簡易端末形態:使用可能》

《護域展開:再現可能》

《注意:守護対象の連続再定義により負荷が残っています》

《淀み接触履歴:軽微》


 盾形態、射出形態、刃形態。


 使用可能。


 護域も使える。


 ただし、前回と同じ置き方は魔蛇に見られている。ログにもはっきり出ていた。


《注意:同一護域展開パターンは学習されています》


 親切な警告である。


 言われなくても分かっている。だが、言われると腹が立つ。分かっているのに通知してくる上司みたいなものだ。たぶん悪気はない。悪気がない分、さらに腹が立つ。


 隣では、ルナが剣を握っていた。


 表情は硬い。


 けれど、足取りは乱れていない。


 訓練環で何度も繰り返した「見せる回避」を、頭の中でなぞっているのだろう。視線は敵のいない前方だけではなく、床の白砂、壁の根、白狐の尾、後方の通路へ順に動いている。


 いい傾向だ。


 少なくとも、目の前の敵だけを見て突っ込む段階は越えた。


 めでたい。


 ただし、相手は人の視線と回避を見てくる黒い蛇なので、成長確認の教材としてはだいぶ悪質である。


「出口は?」


 俺が聞くと、ルナは即答した。


「後ろの一本通路。偽の分岐が出た場所を越えて、第一流路。その先が沈殿槽です」


「よし」


「今日は間違えません」


「その台詞がフラグにならないことを祈る」


「祈らないで信じてください」


「努力する」


「それ、信じてないやつです」


 軽口は返ってくる。


 なら、まだ大丈夫だ。


 怖さは消えていない。むしろ、消えない方がいい。怖さを失えば、淀みの声に足を取られる。必要なのは、怖さを抱えたまま動くことだ。


 イリスは最後尾で、浄砂袋と白澄砂の容器を確認していた。


 白澄砂。


 通常の浄砂よりも澄んだ、白金色に近い粒。


 根の間で半日かけて調えた、今回の本命だ。


 ただし、一投分しかない。


 核へ届けば、大きく削れる。


 外せば次はない。


 実に分かりやすい条件だ。分かりやすい条件は、だいたい胃に悪い。


 白狐は先頭を歩いている。


 ただし、尾の光は抑えていた。昨日までのように白い光で道を照らすのではなく、床の白砂に尾先を近づけ、流れが生きている場所だけを短く示す。魔蛇に光を覚えられている以上、白狐自身も見せる情報を絞っているのだろう。


 聖獣が情報管理を始めた。


 このゲーム、いよいよ教育に悪い。


「第二流路まで、あと少しだ」


 イリスが言った。


「淀みの気配は?」


「濃い。先ほどより広がっている。だが、まだ浅層内だ」


 俺の視界にもログが浮かぶ。


《特殊クエスト:淀みの魔蛇を祓え》

《現在地:根脈浅層・第一流路》

《淀み反応:中》

《追跡性:高》

《流路侵食率:29%》

《目的:第二流路の淀み核へ白澄砂を届かせる》

《注意:淀みの声に応答してはいけません》


「二九%。増えてるな」


「三割を越えると、第三流路へ滲む可能性がある」


 イリスの声は硬い。


「なら、ここで削るしかない」


 俺は足を止めた。


 目の前には、前回流路偽装が起きた場所がある。三つに見えた道は消え、今は一本の通路だけが奥へ続いている。だが、その奥の空気が黒い。青白い根の光が、通路の先で鈍く濁っている。


 魔蛇は待っている。


 こちらを覚えたうえで。


「確認する」


 俺は短く言った。


「作戦は三段階。まず、俺が前回と同じように流路を守る。魔蛇に『また同じ手で来た』と思わせる」


「はい」


「ルナは、前回と同じ回避の初動を見せる。魔蛇がその先を潰しにきたら、訓練通りに外せ。黒糸が出たら、白銀の光をまとわせた剣先で進路をずらす。斬り込むな。逸らすだけだ」


「分かりました」


「イリスは一投目の浄砂を見せる。分かりやすく、止めやすい線でいい。魔蛇が反応したら、白澄砂を本命の流れに乗せる」


「承知した」


「白狐は、必要な瞬間だけ流れを示してくれ。光りすぎるな」


 白狐が尾を一度振った。


 不満はありそうだが、今回は素直だった。


「あと、声が聞こえても返すな。影が出ても追うな。本物か迷ったら、白狐を見る。俺の声でも、変だと思ったら疑え」


 ルナが少しだけ息を吸った。


「はい」


 イリスも頷く。


「守り手として心得た」


 俺は左腕の機装を起動する。


 黒銀の金属が展開し、盾形態が組み上がった。


《古代変形機装:盾形態》

《黒鉄外装:展開》

《簡易護域:使用可能》

《注意:淀みを吸収する機能はありません》


「何度も言うな」


 俺は小さく呟いた。


 黒鉄は淀みを飲み込まない。


 拒絶する神秘の盾でもない。


 ただ、形を変え、判定を置き、角度をずらし、護域を張る。


 それ以上でも、それ以下でもない。


 だからこそ、使い方を間違えれば普通に負ける。


「行くぞ」


 俺たちは第二流路へ踏み込んだ。


ーーーーーー


 淀みの魔蛇は、前回よりも大きくなっていた。


 第二流路の奥で、黒い身体が通路の壁と床に絡みついている。蛇と言っても、明確な頭や目があるわけではない。流れる黒砂と液体が混ざり、時折、盾の輪郭や剣の線、人の腕のようなものを浮かべながら、長い身体をくねらせている。


 中央には黒い核があった。


 卵にも心臓にも見える、濁った結晶。


 そこから魔蛇の身体が生え、白砂の流れを吸い上げている。核の表面には、前回の浄砂で焼けた白い傷が残っていた。


 効いてはいる。


 だが、浅い。


 視界にログが走る。


《淀みの魔蛇:警戒状態》

《淀み核:浅層形成中》

《流路侵食率:29%》

《精神干渉:微弱》

《追跡性:高》


 精神干渉、微弱。


 もう来ている。


 俺は呼吸を整え、床の白砂だけを見る。黒い核を見すぎるな。声を聞いても返すな。影を追うな。分かっている。分かってはいるが、こういう注意はだいたい破らせるために存在している。


 だから、最初から破られる前提で対策を組む。


「第一段階」


 俺は盾を床に突き立てた。


 守護対象を根系流路に定義する。


 前回と同じ。


 魔蛇に見せるための、分かりやすい初動。


《守護対象を確認中》

《根系流路:仮守護対象》

《盾形態:護域展開》


 半透明の鱗状防壁が、白砂の細い流れに沿って薄く広がる。


 魔蛇が即座に反応した。


 黒い身体から数本の糸が伸びる。


 正面ではない。


 左右の壁を伝い、護域の外側を迂回する線。前回、俺が護域を広げすぎた場所を狙っている。


 学習している。


 よし。


 学習しているなら、読める。


「ルナ」


「はい!」


 ルナが前へ出る。


 彼女は魔蛇の黒糸に対して、いつもの回避の初動を見せた。左へ沈む。前回、魔蛇に読まれた動きだ。黒糸がその先へ伸びる。ルナの逃げる場所を先に塞ぎにくる。


 そこで、ルナの足が止まった。


 止まったように見えた。


 実際には、重心を一瞬だけ中央へ戻している。左へ行くと見せ、左へは行かない。右へ大きく逃げるのでもない。黒糸が伸び切る一拍前、彼女はその場で膝を抜き、黒糸の下をくぐるように半歩だけ前へ入った。


 魔蛇の先読みが空振る。


 ルナの剣先に、薄い白銀の光が走った。彼女は黒糸を斬り払わず、刃の腹をそっと添えるように進路へ差し込む。白銀の薄光が黒糸に触れ、じゅっと音を立てた。糸は焼け切る前に軌道を変え、俺が用意した護域の端へ流れる。


 護域が黒糸を弾いた。


《白銀出力:26%》

《断続展開》

《黒糸の進路補正:成功》

《護域接触:成功》

《補助系統評価:上昇》


「いい!」


 俺は短く言う。


 ルナは深追いしない。すぐに下がり、足元の白砂を見る。


「出口、後ろ一本。右壁沿いの流れがまだ生きてます!」


「そのまま維持」


 魔蛇が身をよじった。


 黒い身体の表面に、ルナの動きに似た線が走る。だが、さっきの動きは前回と違う。魔蛇は一拍遅れた。完全には読めていない。


 そこへ、イリスが一投目の浄砂を放つ。


 わざと高い。


 わざと見やすい。


 白い粒が弧を描き、核へ向かう。


 魔蛇は即座に反応した。黒い壁が持ち上がり、浄砂の軌道を塞ぐ。予想通り。白い粒は核へ届く前に黒壁へ呑まれ、じゅうと音を立てて消えた。


《浄砂:囮投擲》

《淀みの魔蛇:防御反応》

《核前方に黒壁を形成》


 囮は成功。


 だが、魔蛇もそれだけでは終わらない。


 黒壁の内側から、人型の影が三つ剥がれ落ちた。


 一体は剣士。


 ルナの足運びを真似た影。


 一体は盾持ち。


 俺の護域を真似た影。


 そして、もう一体は小柄な支援役に似た影。


 胸の奥が、わずかに軋んだ。


 来たな。


 俺は視線を床へ落とす。


 見るな。


 追うな。


 影は本物ではない。


 支援役に似た影は、こちらへ手を伸ばした。


 ――まだ、見ていてくれますか。


 声がした。


 前回よりも、少しだけ本物に近い。


 音の高さではない。言い方でもない。もっと嫌なところだ。助けを求めながら、同時に自分で立とうとしているような、その揺れ。


 淀みは前回の俺の反応から、少し修正してきている。


 学習速度が早すぎる。


 だが、返さない。


 今、俺が守るのは過去ではない。


 流路。


 白澄砂の線。


 ルナ。


 白狐。


 この場にあるものだ。


「アイズド!」


 ルナの声。


 彼女は影を見ていない。


 俺を見ている。


 いや、俺が一瞬止まりかけたことを見ていた。


「問題ない」


 俺は答えた。


「本物じゃない」


「はい!」


 ルナはそれ以上聞かない。


 剣士影が彼女へ迫る。ルナは正面から受けず、白銀の薄光を宿した剣先を影の膝の外側へ滑り込ませた。斬るのではなく、関節の動線を逸らす。影の足が空を踏み、突進の線がずれる。そのまま彼女は一歩下がり、槍のない空間へ身体を抜く。


 いい。


 斬るより速い。


 倒すより、役割を奪う動きだ。


 俺は射出形態へ変形した。


《古代変形機装:射出形態》

《変形硬直:発生》


 盾持ちの影が、その瞬間を狙って前に出る。黒い盾を構え、こちらの射線を塞ぐ。前回の俺の盾を真似ているくせに、守る対象は核だ。守る形を、淀みが自分のために使っている。


 気持ち悪い。


 だが、読めている。


《射出形態:使用可能》

《短杭射出:準備完了》


 俺は盾持ちの影を撃たない。


 足元の白砂を撃つ。


 弾丸が床を抉り、白砂が横へ跳ねる。盾影の足元が一瞬だけ白く光り、影の輪郭が薄れる。


《射出形態:短杭射出》

《対象:白砂流路》

《流路衝撃:発生》

《盾模倣体の姿勢崩れ:成功》


「今だ、イリス」


 イリスが動いた。


 だが、白澄砂はまだ投げない。


 二投目に見せかけた通常の浄砂。これも囮だ。


 魔蛇は反応した。黒壁の一部を割き、イリスの手元へ黒糸を伸ばす。投げる前に潰す気だ。予想より一手早い。


「ルナ、手元!」


 ルナが反応する。


 彼女はイリスの前へ直接入らない。そこへ行けば黒糸の本命に絡め取られる。代わりに、イリスの手元へ向かう黒糸の途中、床から少し浮いた位置へ剣を差し込んだ。白銀の光を帯びた刃が黒糸に触れ、糸の軌道が下へ落ちる。


 落ちた黒糸を、俺の護域が弾く。


 イリスはその隙に通常の浄砂を投げた。


 魔蛇はそれを黒壁で防ぐ。


 三度目。


 魔蛇は、浄砂の軌道に反応している。


 なら、本命はもう少し低く、白砂の流れに混ぜる。


「白狐」


 俺が呼ぶと、白狐が尾をわずかに光らせた。


 ほんの一瞬だけ。


 右壁沿いの細い流れが、白く浮かぶ。


 魔蛇が反応する。白狐の光へ黒糸が伸びる。


 だが、それも見せ餌だ。


 白狐はすぐに光を消し、尾を引く。黒糸は空を掴む。そこへルナが剣先を差し込み、黒糸の行き先を護域の端へずらす。護域が弾き、黒糸は焼けて消えた。


 流れが開く。


 今だ。


「本命」


 イリスが白澄砂の容器を開いた。


 金色を帯びた白い粒が、彼女の指先から低く放たれる。投げるというより、流れへ置く動き。白澄砂は床の白砂に乗り、光の粒となって核へ向かった。


 魔蛇が気づく。


 黒い身体が一斉に縮む。


 核の前へ壁を作る。


 遅い。


 俺は護域の対象を切り替えた。


 流路ではなく、白澄砂の線。


 守る範囲を細く、薄く、ただ一点へ伸ばす。


《守護対象を再定義》

《対象:白澄砂の流路線》

《護域展開:線状》

《警告:不安定な守護対象です》

《警告:過負荷率上昇》


 左腕が軋む。


 細すぎる護域は安定しない。だが、数秒でいい。


 白澄砂の進路を、半透明の鱗が覆う。魔蛇の黒壁がそれを押し潰そうとする。護域が軋む。視界に過負荷の警告が走る。


 ルナが前へ出た。


 黒壁の端から、彼女の回避先を潰す黒糸が飛ぶ。さっき見せた初動を、魔蛇がまた先読みした。今度はルナも読み返していた。彼女は左へ沈む初動を見せたまま、膝を落とし、剣を下からすくうように振る。白銀の薄光をまとった刃が、黒糸の根元に触れた。斬り裂くのではなく、根元の線を横へ押し流す。


 黒糸が、白澄砂の線から逸れる。


 その一瞬、護域の負荷が軽くなった。


 白澄砂が核へ届く。


 黒い核の表面に、金白の粒が触れた。


 音はなかった。


 ただ、光が走った。


 核の内側から白い亀裂が広がり、黒い結晶が大きく震える。魔蛇の身体が通路全体で暴れた。根の壁が鳴り、床の白砂が逆巻く。


《白澄砂による核干渉を確認》

《淀み核:大幅損傷》

《流路侵食率:29% → 16%》

《淀みの魔蛇:形態不安定化》


 一気に削れた。


 成功だ。


 だが、成功した瞬間が一番危ない。


 魔蛇は、核を守るために形を変えた。


ーーーーーー


 黒い蛇の身体が、ほどけた。


 ばらばらになった黒砂が通路いっぱいに広がり、その一部が上へ、壁へ、床へと走る。蛇の形を捨て、流路そのものへ染み込もうとしている。


「蛇をやめたぞ」


 俺は盾形態へ戻しながら言った。


 イリスの表情が変わる。


「核を削られた魔蛇が、根脈へ散るつもりだ。ここで広がられると第三流路へ届く」


「止める」


 言葉は簡単だ。


 だが、黒砂は多い。


 護域を広げれば過負荷。


 広げなければ漏れる。


 白狐の光を使えば焼けるかもしれないが、魔蛇に道として覚えられる危険がある。


 ルナの剣で全ては捌けない。


 守る順番を決めろ。


 全部は無理だ。


 なら、第三流路へ繋がる線を止める。


「ルナ、右奥の流れだけを見る。第三流路へ向かう黒砂を逸らせ」


「はい!」


「イリス、残りの浄砂を第三流路側へ。核はもういい。広がる方を止める」


「承知!」


「白狐、光は一瞬だけだ。第三流路の入口を示せ」


 白狐が鋭く鳴いた。


 尾の先が、一瞬だけ白く光る。通路奥、右上の根の隙間。そこに細い流れがある。黒砂がそこへ向かっていた。


 俺は護域をその入口へ張る。


 対象は流路の境界。


 範囲は狭く。


 ただ、ここだけを止める。


《守護対象を再定義》

《対象:第三流路入口》

《護域展開:局所》

《警告:黒砂流入圧が上昇しています》


 黒砂が護域へぶつかる。


 重い。


 蛇の形だった時より、圧が分散していて掴みにくい。水を盾で防いでいるような感覚だ。いや、墨汁か。しかも過去の声つきの墨汁。最低である。


 その黒い流れの中から、声がした。


 ――怖いの?


 今度は、俺の声ではない。


 ルナが反応した。


 彼女の足が一瞬だけ止まる。


 やはり、来たか。


 黒砂の中に、道場の板張りに似た影が浮かんだ。古びた床。木剣のような影。俺はルナの現実を詳しく知らない。だが、彼女の反応だけで分かる。あれは彼女の脆いところに触れている。


 影の中から、誰かの声がした。


 ――また逃げるのか。


 ルナの顔から血の気が引いた。


 白狐が鳴く。


 ルナは白狐を見る。


 戻った。


 まだ大丈夫だ。


「ルナ、本物じゃない」


 俺は言った。


 ただし、それ以上は言わない。


 助けすぎるな。


 彼女自身が戻る必要がある。


 ルナは唇を噛んだ。


 黒砂が彼女の足元へ伸びる。魔蛇は、彼女が止まった瞬間を狙っている。前回と同じだ。脆いところを見せ、足を止めさせ、その隙に流路へ入り込む。


 ルナは一歩、前に出た。


 逃げたのではない。


 影へ向かったのでもない。


 黒砂の流れと、第三流路の入口の間へ入った。


 白銀の光が、剣の根元から薄く走る。彼女は大きく振らなかった。剣先を低く差し込み、黒砂の先端を横へ払う。刃に宿った白銀の薄光が淀みの表面を焼き、黒砂の流れをほんの少しだけ逸らした。


 その「ほんの少し」が、十分だった。


 黒砂は第三流路の入口ではなく、俺の護域へ流れ込む。


 護域が受ける。


 重い。


 左腕が軋む。


《護域過負荷》

《形態維持限界:接近》


 分かっている。


「イリス!」


 浄砂が飛ぶ。


 残り少ない白い粒が、護域に押し止められた黒砂へ降りかかる。黒砂が泡のように弾けた。第三流路へ向かう流れが薄くなる。


 だが、魔蛇はまだ終わらない。


 削られた核から、最後の大きな黒い塊が剥がれた。


 その塊が、今度は明確な形を取る。


 ルナに似た影。


 白銀の髪を黒く濡らしたような、顔のない少女の影。


 それが、ルナと同じ構えを取った。


「私……」


 ルナが呟く。


 影の剣が、白銀ではなく黒い光を帯びる。


 白銀の模倣。


 いや、違う。


 白銀の形をした淀み。


 ルナの脆いところに、ルナ自身の影を被せてきた。


《淀みの模倣体:白銀模倣》

《参照対象:ルナ》

《模倣精度:中》

《注意:接触時、認識干渉が発生する可能性があります》


 黒いルナが踏み込む。


 速い。


 だが、本人ほど自然ではない。白銀の光を真似た黒い刃は、淀みの糸をまとっている。あれに触れれば、今度こそ深く入られる。


「受けるな、避けろ!」


 俺が叫ぶ。


 ルナは動かない。


 一瞬、恐怖で止まったのかと思った。


 違った。


 彼女は黒い自分の初動を見ていた。


 相手は、彼女の回避を真似た影だ。


 なら、攻撃にも彼女の癖が混じる。


 どこへ届こうとしているか。


 どこが本物の線ではなく、淀みが作った見せかけなのか。


 ルナは半歩、左へ動く初動を見せた。


 黒いルナが、その先へ刃を置く。


 読まれている。


 いや、読ませた。


 ルナはその場で身体を沈め、剣を上からではなく下から滑らせた。白銀の光を帯びた剣先が、黒い刃の腹に触れる。力で打ち合わず、軌道だけを外へずらす。


 黒い刃が空を切る。


 ルナの剣は、そのまま影の中心へは行かない。


 中心を斬れば、深く触れる。


 だから彼女は、影の足元へ剣先を落とした。黒い自分と流路を繋ぐ、細い淀みの線。そこへ白銀の光をまとった刃を差し込み、横へ払った。


 線が焼ける。


 黒いルナの影が崩れた。


「……本物じゃない」


 ルナが小さく言った。


 声は震えていた。


 だが、返事ではない。


 確認だ。


「私は、そっちじゃない」


 影は黒砂となって散った。


 魔蛇の核が、また大きく震える。


《模倣体の維持に失敗》

《淀み核:不安定化》

《流路侵食率:16% → 14%》


 下がった。


 だが、まだ核はある。


 そして、白澄砂はもうない。


 浄砂もほとんどない。


 魔蛇は弱っているが、消えてはいない。


 核の黒い亀裂の奥で、何かがうねった。


 さっきまでの蛇ではない。


 もっと小さく、もっと濃いもの。


 魔蛇が最後に残した、本当の芯。


 イリスが息を呑む。


「核の内側に、淀みの芯がある」


「外殻だけ削ったか」


「だが、かなり弱っている。今なら封じられる」


「どうやって」


 イリスは言い淀んだ。


 その沈黙だけで、嫌な予感がした。


 白狐が一歩前へ出る。


 尾が白く光る。


「白尾さまの光で芯を焼く気だ」


 イリスが言った。


「だが、それをやれば、魔蛇は白尾さまの光をさらに深く覚える」


 白狐は振り返らなかった。


 自分がやるしかないと思っているのだろう。


 頑固な狐だ。


「待て」


 俺は言った。


 白狐の尾が止まる。


「まだ手はある」


「白澄砂はもうない」


 イリスが言う。


「浄砂も残りわずかだ」


「ああ。だから、焼くんじゃなくて、流す」


 俺は核の位置を見る。


 白澄砂で外殻を割った。


 ルナが模倣体との線を断った。


 侵食率は一四%まで落ちている。


 淀みの芯は、まだ流路にしがみついているが、魔蛇としての形は崩れた。


 なら、ここで消し切るのではなく、根の本流から切り離す。


 流れを戻せば、芯は沈む。


 セレンが言っていた。淀みは本来、沈むものだ。根の底に澱み、浄砂と白尾の光で少しずつ薄める。


 なら、今やるべきは完全消滅ではなく、魔蛇化の解除。


「第三流路を守る。第二流路の本流を戻す。芯を根の底へ沈める」


「できるのか」


「やる」


 言ってから、少し笑いそうになった。


 根拠は薄い。


 だが、盤面は見えた。


 次の一手で決める。


「ルナ、最後にもう一度、黒い線を逸らせるか」


 ルナは息を整え、頷いた。


「できます」


「イリス、残りの浄砂を芯の後ろへ。押し込むんじゃない。逃げ道を塞ぐ」


「承知」


「白狐、お前は光るな。尾で本流だけ示せ」


 白狐が不満げに鳴く。


「頼む。今は焼くより、流す」


 しばらくの沈黙。


 白狐は、渋々尾を下げた。


 分かってくれたらしい。


 俺は盾形態を構え、護域を展開する。


 守る対象は第三流路ではない。


 第二流路の本流。


 流れそのもの。


 白砂が進むべき道。


《守護対象を再定義》

《対象:第二流路本流》

《護域展開:線状》

《守護系統評価:上昇中》


 そこへ護域を細く沿わせる。黒い芯が嫌がるように震えた。ルナが横へ入る。白銀の薄光を帯びた剣先を、黒い芯から伸びる最後の糸へ差し込む。


 斬らない。


 力で押さない。


 ただ、進路を変える。


 黒い糸が、本流から外れる。


 イリスの浄砂が後ろへ落ち、芯の逃げ道を塞ぐ。


 白狐の尾が、光らずに本流の向きを示す。


 俺は護域を一気に絞った。


 白砂の流れが戻る。


 淀みの芯が、本流から剥がれた。


 黒い塊は一瞬だけ宙に浮き、何かを言おうとした。


 声にはならなかった。


 次の瞬間、根脈の底へ沈むように、黒い芯は白砂の下へ落ちていった。


《淀みの魔蛇:形状崩壊》

《流路侵食率:14% → 6%》

《根系流量:回復中》

《淀み核:沈降》

《特殊クエスト更新:淀みの魔蛇を祓え》

《目的達成:魔蛇化を解除しました》

《注意:淀みそのものは完全消滅していません》


 完全討伐ではない。


 だが、魔蛇化は解いた。


 第二流路に、白砂の音が戻り始めた。


ーーーーーー


 誰もすぐには動かなかった。


 通路に、さらさらと白砂の流れる音が戻っていく。


 さっきまで黒い蛇が絡みついていた壁にも、青白い根の光がゆっくりと走り始めた。まだ完全ではない。ところどころ黒い染みは残っている。だが、都市の血流は止まっていない。


 ルナがその場に座り込んだ。


 俺は一瞬慌てたが、彼女は手を上げる。


「大丈夫です。ちょっと、力が抜けただけです」


「黒い影に触られたか」


「触られてはないです。たぶん。でも、声は聞こえました」


「返したか」


「返してないです」


「ならいい」


 そう言ってから、俺は少しだけ迷った。


「何を言われた」


 ルナは膝の上で手を握った。


「また逃げるのか、って」


「そうか」


「意味は、分かります。でも、今は言えません」


「言わなくていい」


 俺がそう答えると、ルナは少しだけ安心したように息を吐いた。


「でも、いつか対策します」


「そうしろ」


「はい」


 イリスが流路の状態を確認する。


「魔蛇化は解けた。芯は根の底へ沈んだ。だが、淀み自体は残る。長の浄化が必要だ」


「当面は?」


「第三流路への侵食は止まった。外縁訓練環への滲みも収まるだろう」


「なら、成功でいいか」


「成功だ」


 イリスは短く言った。


 フェネキア族の評価としては、最大級の褒め言葉かもしれない。


 白狐が近づいてきた。


 尾先で俺の左腕を軽く叩く。


「何だ」


 白狐はふいと顔を逸らした。


 たぶん、礼ではない。


 礼っぽい何かを、礼とは認めたくない顔だ。


「お前も頑固だな」


 尾で叩かれた。


 物理的に。


 意外と痛い。


 ルナが少し笑った。


 笑えるなら、大丈夫だ。


 俺は左腕の機装を見る。


 ログがまだ残っている。


《守護対象:根系流路》

《護域展開:線状》

《守護系統適合率:大幅上昇》

《補助系統評価:上昇》

《正式形態解放条件は未達成》


「また未達成か」


 思わず呟く。


 ルナが覗き込む。


「でも、大幅上昇って出てますよ」


「出てるな」


「なら、前進です」


「前向きだな」


「アイズドが言ったんですよ。足りないものが見えてるだけましだって」


「言ったか」


「言いました」


 自分の言葉は、たまに返ってくる。


 厄介だが、悪くない。


 第二流路の奥で、黒い染みがゆっくり薄れていく。


 淀みは完全には消えない。


 脆いところも、消えない。


 ただ、流れから切り離し、沈めることはできる。


 たぶん、人の中の過去も似たようなものなのだろう。


 消えない。


 なかったことにはならない。


 だが、今の流れを飲ませないようにすることはできる。


 白砂の音を聞きながら、俺はそんなことを思った。


 そして、少しだけ笑った。


「アイズド」


 ルナが言う。


「今度は、楽しそうです」


「気のせいだ」


「でも、ちょっと分かります」


「何が」


「倒したんじゃなくて、流したんですよね。だから、なんか……勝ったというより、戻した感じがします」


「そうだな」


 戻した。


 その表現は、悪くない。


 俺たちは魔蛇を倒し切ったわけではない。


 だが、根脈の流れを戻した。


 白狐が先へ歩き出す。


 帰る合図だ。


 俺たちは第二流路を後にした。


 背後には、まだ薄い黒が残っている。


 けれど、その下で白砂は確かに流れていた。


 今は、それで十分だった。


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