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『地味だと追放された元プロ、限界突破の産廃ジョブで全ロール最強へ』  作者: 料理長


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泥濘に咲く白銀



完全没入型VRMMO『エターナル・ホライゾン・オンライン(EHO)』において、レイドボスの体力バーが残り「1%(ドット)」になったという事実は、決して「勝利の確定」を意味しない。


ルナの放った絶技によって魔力放出の出口コアを破壊され、体内で広域殲滅魔法の大暴発を引き起こした『瘴澱の魔蛇』。

漆黒の甲殻は内側から吹き飛び、青黒い体液と腐肉が闘技場に撒き散らされる。自爆にも等しい甚大なフィードバックダメージにより、その絶望的な長さを誇っていたHPバーは確かに限界の底まで削り取られていた。


残り1%。

割合にすればごく僅かだが、数千万人のプレイヤーが挑むことを前提に設計されたハイエンドボスの基礎体力は、文字通り桁違いである。残り1%であっても、その実数値は数万にも及び、満身創痍のプレイヤー数人分の最大HPを軽く凌駕している。

さらに恐ろしいのは、この世界には「瀕死になったからといって都合よく攻撃力が跳ね上がる」ような、安っぽいゲーム的ギミック(エンレイジ)は設定されていないという事実だ。魔蛇のステータスは、先ほどから何一つ変わっていない。

ただ、身の丈二十メートルを超える規格外の質量を持った巨大生物が、死の苦痛に身悶えし、狂乱のままに暴れ回る。その純粋な物理的破壊力と予測不能な運動エネルギーこそが、どんな魔法よりも恐ろしい「本物の脅威」として二人に牙を剥いていた。


『…………ギ、ル…………』


泥濘に沈む魔蛇の残された右の瞳が、血走ったような禍々しい光を放ち、ルナの白銀の姿を真っ直ぐに捉えた。

それはシステムによってプログラムされたヘイト(敵視)のロジックすらも完全に逸脱した、純粋で、濃密な『殺意』。


「……っ、まだ、倒れ、ないなんて……」


ルナは再び片手直剣を構えようと、泥濘を踏みしめた。

だが、その瞬間。彼女の視界が、ぐらりと大きく傾いた。限界だった。システムのアシストに一切頼らず、現実世界で培った「生物学的な反射神経」のみで極限のフレーム回避を連続してきた代償が、彼女自身の現実の神経を焼き切りかけていたのだ。


『シャァァァァァァァァァッ!!』


ルナの崩壊を好機と見た魔蛇が、残された巨体をバネのように縮め、一気に跳躍した。

ひび割れた巨大な顎が、動けないルナを丸呑みにせんと迫り来る。


「ルナッ!!」


後方でその光景を見たアイズドが、喉が裂けるほどの絶叫を上げた。

彼は即座に泥濘を蹴り、ルナを庇うために【古代変形機装】のコマンドを叩き込もうとする。タンククラスである《要塞大盾》を展開し、さらに自身へ回復とバフを掛けるため、三十種の上級クラスの独立したクールダウンタイマーを並列処理で呼び起こそうとした。


だが、その時だった。

――ガァァァァァァンッ!!


アイズドの脳髄を、直接巨大な鐘で殴りつけられたような、暴力的な衝撃と激痛が貫いた。


「が、ぁぁぁぁぁぁッ!?」


アイズドの口から、大量の血のテクスチャが吐き出される。

視界を覆っていた三十のクラスアイコンと無数のシステムメッセージが、一斉に真っ赤な『Error』の文字へと反転し、砂嵐ノイズのように激しく乱れ始めた。


『警告:搭乗者の情報処理限界を超過』

『警告:大脳皮質への過剰なフィードバックを検知。神経保護のため、システムの強制遮断を推奨します』


並列思考の過負荷オーバーロード

武器の形態を変形させることで全ロールの特性を瞬時に切り替えられる【古代変形機装】は、本来、人間の情報処理能力では操作不可能とされた「究極の産廃ジョブ」である。

アイズドの常軌を逸した集中力と軍師としての計算能力をもってしても、この過酷な死闘の中で何十回、何百回とフレーム単位の変形を繰り返し、極限のマルチタスクを回し続けてきた代償は、確実に彼の脳を限界まで追い詰めていたのだ。


(今、このタイミングで……限界が来やがった……!)


アイズドの視界が急速に狭まり、暗転していく。思考が泥沼に沈んだように遅くなり、周囲の音が水中にいるかのようにくぐもって聞こえる。

数フレーム先はおろか、現在いまの状況すら正常に認識できない。VRMMOにおいて、この『意識の混濁』は絶対的な死を意味していた。


魔蛇の巨大な顎が、ルナの頭上にまで迫っている。

アイズドの足は泥に絡め取られ、機装の変形コマンドはエラーを吐き出してフリーズしている。軍師としての緻密な計算も、未来を予測するタイムライン構築も、もはや一切機能しない。


(思考を、捨てろ)


混濁する意識の底で、アイズドは己の生存本能に噛み付いた。

最適化の計算式を、自らすべて「破棄」する。防御のタイミングも、回復も、バフも、敵の軌道予測も、あらゆるマルチタスクの思考を強制終了させ、たった一つの単純な行動シングルタスクに脳の全リソースを叩き込んだ。


「――変形機構、強制固定ロックッ!!」


アイズドはフリーズしかけていた右腕の機装を、ただの巨大な『大盾』の形に固定した。そして、タンククラスの最上位ヘイトスキルである《重装騎士の絶対挑発》にのみ、すべての魔力を注ぎ込む。


「テメェの相手は俺だろうが、クソ爬虫類ッ!! こっちを見ろォッ!!」


アイズドの喉から絞り出された怒号と、ヘイトを強制的に固定するスキルの強烈な赤い光が、魔蛇の視線をルナから無理やり引き剥がした。

魔蛇の巨体と巨大な顎が、ルナではなく、泥を蹴ってその眼前に立ち塞がったアイズドの城壁の如き大盾へと激突する。


ドゴォォォォォォォォォンッ!!


「あ、がっ……!?」


アイズドの口から、再びおびただしい量の血が吐き出された。

華麗なパリィも、ダメージを無効化する防御スキルも展開できていない。ただただ、二十メートルの巨体が放つ圧倒的な運動エネルギーを、生身の仮想肉体と盾だけで正面から受け止めたのだ。

要塞大盾の表面に無数の亀裂が走り、次の瞬間、凄まじい衝撃とともにアイズドの身体は泥濘の奥深くへと弾き飛ばされ、地面を何度もバウンドしながら石壁に激突した。


「アイズドさんッ!?」


ルナの悲痛な叫びが闘技場に響く。

アイズドのHPバーは一瞬にしてレッドゾーンを振り切り、ミリの領域――残り「1」というギリギリの数値で辛うじて踏みとどまっていた。全身にノイズのようなエフェクトが走り、起き上がることすらできない。


「ル、ナ……っ!」


口から絶え間なく血を流し、泥に塗れながらも、アイズドは霞む三白眼でルナを見据えた。

その目は、死の淵にあってもなお、決して折れることのない軍師としての鋭い光を放っていた。


「俺の処理能力は……ここまでだ。だが、奴の姿勢は……崩した」


アイズドが身を呈して激突したことで、魔蛇は大きくバランスを崩し、その巨体を泥濘に横たわらせていた。


「華麗な剣技なんて……要らねぇ。泥を啜ってでも……あいつの胸の、抉れた傷口に……剣を、突き立てろ……っ!! 頼んだぜ……俺の、最強のアタッカー……!」


その言葉を最後に、アイズドは泥の中に力なく突っ伏した。


「――――ッ!!」


ルナの心の中で、限界を迎えていた疲労も、得体の知れない異形に対する恐怖も、すべてが真っ白な『炎』となって燃え上がった。


スマートな立ち回りなど、もうどうでもよかった。

ゲームのシステムや、最適化された戦術なんて関係ない。

ただ、自分を信じ、命を懸けて守ってくれたこの不器用な男の想いに応えるためだけに、彼女は動かない身体を無理やり引きずり起こした。


「あ、あああ……あああああああああああッ!!」


ルナの口から、悲鳴とも怒号ともつかない、感情を完全に剥き出しにした絶叫が迸った。

彼女は泥濘の中から片手直剣を引き抜くと、一切の防御も回避も捨て去り、魔蛇の正面へと向かって泥を這うようにして駆け出した。

もはや、そこに現実世界で培った洗練された武術の足運びはない。何度も足を取られて転び、顔中を泥だらけにしながら、這いつくばってでも前へ進む。


『ギ、シャァァァァァァァッ!』


態勢を立て直した魔蛇が、残された触角を鞭のように振り下ろす。


「邪魔ァッ!!」


ルナはそれを躱そうともせず、片手直剣を力任せに振り抜いて触角を弾き飛ばした。

手が痺れ、反動で肩の骨が軋む。弾ききれなかった衝撃が彼女の身体を打ち据え、頬から、腕から鮮血のエフェクトが飛び散る。だが、彼女は決して止まらない。


泥に塗れ、傷だらけになりながら、ルナは魔蛇の懐へと強引に飛び込んだ。

彼女の視界に、先ほどの魔法の暴発によって焼け焦げ、脆い内部の肉が露出している『胸元の傷跡』がはっきりと映し出される。


魔蛇が巨大な顎を開き、ルナを押し潰そうと落下してくる。

ルナは上を見上げることすらしなかった。

重心を泥の奥深くへと沈め、両手で片手直剣の柄を握りしめる。

アイズドから与えられたステータスバフの効果は、とうの昔に切れている。残されたのは、彼女自身の魂の底から湧き上がる執念のみ。


「セェェェェェェェェイッ!!」


悲痛な叫びとともに、ルナは全身のバネを解放し、ひらりとその身をよじり、渾身の力を込めて片手直剣を突き出した。

狙い違わず、その切っ先は魔蛇の胸元――ひび割れ、脆くなっていた内部の肉へと深々と突き刺さる。


ガガガガガガァァァァンッ!!


「まだ……まだぁぁぁぁぁぁっ!!」


一撃では足りない。ルナは剣の柄に全体重を乗せ、泥にまみれた足で何度も何度も地面を蹴りながら、刃をさらに奥へと押し込んでいく。

脆くなっていた肉と骨がルナの剣圧に耐えきれず、メキメキと嫌な音を立てて崩壊していく。そして、刃はついに装甲を完全に突破し、その奥にある魔蛇の心臓部(延髄)を物理的に断ち切った。


ドスゥゥゥゥゥンッ!!!!


鈍く、そして決定的な破壊音が闘技場の底に響き渡った。

片手直剣の刃が、魔蛇の命脈を完全に削り切ったのだ。


ピタリ、と。

ルナの頭上に迫っていた魔蛇の巨大な顎が、彼女の数十センチ手前で完全に停止した。

赤熱する溶岩のように輝いていた右の瞳から、スゥッと光が失われ、ただの黒いガラス玉のように濁っていく。


『……………………』


音のない断末魔。

ルナが剣から手を離すと同時に、魔蛇の山のような巨体が、足元から徐々に青白い光の粒子へと還元され始めた。

数千年にわたり地下都市を脅かし続けた『瘴澱の魔蛇』は、今度こそ完全にその存在をシステムから消去され、地下都市の澄み切った大気の中へと溶けて消えていった。


直後、空間を満たしていた息詰まるような空気が一掃され、澄み切った勝利のファンファーレが、世界を祝福するように高く鳴り響く。


空中に、黄金色に輝くシステムメッセージがデカデカと表示された。


『World First Clear!! —— 瘴澱の魔蛇 討伐完了』

『偉大なる開拓者に、星々の祝福があらんことを』


「……っ、あ……」


魔蛇が完全に消滅したのを見届けたルナは、そのまま泥濘の上にバタリと仰向けに倒れ込んだ。

全身の傷がズキズキと痛み、HPバーは残り僅か数パーセントの瀕死状態。泥と血に塗れた顔を夜空に向けたまま、彼女は荒い息を何度も繰り返した。


華々しい逆転劇ではない。

完璧な計算も、洗練された剣技も、最後にはすべて剥がれ落ちた。

残されたのは、互いを信じて泥水の中を這いずり回った、極限の死闘の痕跡だけ。


「……おい、ルナ。生きてるか……?」


少し離れた場所から、かすれた低い声が響いた。

ルナが首だけを動かしてそちらを見ると、アイズドが泥に塗れたまま、大の字になって夜空を見上げていた。彼のHPもまた「1」のままであり、死に戻りすれすれの状態で辛うじて生き延びていたのだ。


「アイズド、さん……。倒しましたよ……私、やりましたよ……」


ポツリとこぼしたルナの瞳から、安堵の涙が溢れ落ち、泥だらけの頬を伝って落ちていく。


「ああ……見てたぜ。まったく、お前は本当に……泥臭くて、最高のアタッカーだ」


アイズドは力なく笑いながら、己の右腕を覆っていた機装を解除した。


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