上限解放の取引
「……はぁっ、はぁっ。相変わらず、理不尽なまでの先読みだ」
クロウが額の汗を拭いながら、黒いマスク越しに深く息を吐き出した。
だが、その瞳は、心底嬉しそうに、少年のようにキラキラと輝いていた。
「最高だぜ、ジン……いや、アイズド。お前、白騎士団を辞めた後も、まだEHOを続けていたんだな」
「当たり前だ。あんな三流どもにクビにされたくらいで、この世界を遊ぶのをやめるわけがねぇだろうが」
俺が機装のロックを解除して布の服に戻ると、クロウも短剣をインベントリにしまい、俺の元へと歩み寄ってきた。
「それで? 世界中のプレイヤーが血眼になって探している『一番の賞金首』が、わざわざ変装までして、ライバルだった俺のところに何の用だ?」
クロウが腕を組み、軍師としての鋭い視線を向けてくる。
「単刀直入に言う。……取引だ、クロウ」
俺は真っ直ぐにクロウの目を見据え、俺の持つ最強のカードを切った。
「俺が持っている『最大4人までレベル90の上限解放を行える方法』。そして、あの極光の氷原にある『秘密のダンジョンのギミック情報』。そして上限解放の場所……そのすべてを、八咫烏(お前ら)に教える」
「……なっ!?」
クロウの冷静な仮面が、完全に崩れ落ちた。
彼にとって、いや、世界中のすべてのプレイヤーにとって、それは数億円の価値にも等しい、喉から手が出るほど欲しい絶対的な情報だ。
「それを……タダで渡すとは言わないだろうな」
クロウの声が、わずかに震えている。
「当然だ。俺が要求する対価は一つ」
俺は不敵に口角を吊り上げ、言葉を紡いだ。
「お前らの持つ絶対的な権力と情報操作能力を使って、俺と俺の相棒をハイエナどもから完全に保護しろ。……そして、俺たちがレベル90に到達するまで、誰にも邪魔されない『最高効率の安全な狩場』を提供しろ」
南の丘を吹き抜ける風の中、八咫烏のトップ軍師であるクロウは、息を呑んでその言葉を反芻した。
黒いマスク越しでも分かるほど、彼の表情は驚愕に染まっている。無理もない。世界中のプレイヤーが血眼になって探し求め、企業勢が何億という金を積んででも欲しがる『次世代の覇権』そのものを、俺は今、彼の手のひらの上に提示したのだ。
「その対価として、俺たちをハイエナから保護し、安全な狩場を提供しろ……か」
クロウは腕を組み、鋭い視線で俺を見据えた。
「ずいぶんと吹っかけたな、アイズド。うちのギルドの全力を挙げて、世界中のプレイヤーのヘイトを肩代わりしろと言っているのと同じだぞ」
「お前ら『八咫烏』の組織力と情報統制力なら造作もないことだろ? それに、これはお前たちにとっても最高に美味い話のはずだぜ」
俺は肩をすくめ、不敵に笑い返した。
「白騎士団が崩壊の危機に瀕している今、ここでレベル90の部隊を最速で完成させれば、八咫烏はこのEHOにおいて完全に一強の覇権ギルドになる。……違うか?」
クロウは数秒間沈黙し、やがて、肩を揺らして低く笑い始めた。
「ハッ……ハハハッ! 違いない。お前の言う通りだ」
クロウは黒いローブを翻し、俺に向かって右手を差し出した。
「乗ろう、その悪魔の取引に。お前が提示した情報の価値は、我々が負うリスクを遥かに上回っている。……それに、俺も『レベル80』には飽きてたんだ」
パァンッ、と。
俺たちは互いの手を力強く握り合わせ、ギブアンドテイクの契約を交わした。
かつて盤面の裏側で血みどろの相場操作や情報戦を繰り広げた最大のライバルが、今、最強の『後ろ盾』として俺のカードに加わった瞬間だった。
「交渉成立だな。それじゃあ、さっそく上限解放に必要なアイテムの情報を渡す」
俺は虚空を弾き、システムメニューから一枚のホログラムウィンドウを展開してクロウの前に提示した。
・『星天の脈石』
・『深淵を覗く者の涙』
・『忘却された世界樹の琥珀』
リストを見たクロウは、目元を険しく細めた。
「……なんだこれは。聞いたこともないアイテムばかりだぞ」
「一つずつ説明する。まず『深淵を覗く者の涙』。これは、お前らも目をつけているだろう『極光の氷原』の最深部、即死結界の奥にいるボスからのドロップ品だ」
「なるほど。あのバグエリアと呼ばれていた遺跡の奥か。あれは俺たちも疑っていた」
クロウは納得したように頷いた。
「次に『星天の脈石』だ。……クロウ、お前のその優秀なデータベースで検索してみろ。どこでドロップするか、一発で分かるはずだぜ」
俺がニヤリと笑うと、クロウは怪訝そうな顔をしながら自身のシステムウィンドウを操作した。
数秒後。検索結果を見た彼の動きが、ピタリと固まった。
「……は? 取引価格1ゴルド? グレイム領の東採掘場周辺で採れる……ただの、無価値なゴミ素材、だと?」
「ご名答だ」
「バカな……! レベル上限解放のアイテムが、生産職の初心者すら集めないゴミ素材だと言うのか!?」
クロウの驚愕っぷりを見て、俺は内心で(よし、俺と同じ反応しやがった!)とガッツポーズを決めつつ、表面上は『すべてお見通しだったプロの軍師』の涼しい顔を完璧に保ち続けた。
「クソAI『アルファ』の仕掛けた、巧妙な認識の罠さ。ステータスに影響しないアイテムを自動廃棄するよう設定している俺たちトップ層は、絶対にこのアイテムの存在に気づかない」
「……やられた。完全に盲点だった。まさか、そんな足元に正解が転がっていたとはな……」
クロウは悔しそうに顔をしかめた後、感心したようにため息をついた。俺は自分が先日、グレイム領でどれだけ顔から火が出る思いをしたかは絶対に墓場まで持っていくと固く誓った。
「で、最後の問題がこれだ」
クロウがリストの三つ目を指差す。
「『忘却された世界樹の琥珀』。……これに関しては、俺のデータベースにも一切引っかからない。ドロップ情報も、市場の取引履歴も完全にゼロだ。どこにある?」
「どこにもないさ」
俺はインベントリを開き、実体化させた『それ』を空中に放り投げた。
淡いエメラルドグリーンと黄金が入り混じった、神秘的な輝きを放つ結晶体。
クロウが目を見開き、息を呑む。
「これは、クラフトで作る『加工品』だ」
俺は結晶体をキャッチし、クロウに向かって真っ直ぐに突きつけた。
「ある特殊な環境と、失われた古代の知識。そして極限の鍛冶技術がなければ精製できない。今のEHOでこれを創り出せるのは、世界で俺たちだけだ」
「加工品……! だから、データベースに存在しなかったのか……」
クロウの喉がゴクリと鳴るのが分かった。
「このアイテムに関しては、最初に言った4人分、つまり四つ用意してやる」
俺はインベントリからさらに三つの琥珀を取り出し、計四つの『忘却された世界樹の琥珀』をクロウの前に提示した。
「これを渡す。俺の提示したダンジョンのギミック情報と合わせれば、お前たちはノーリスクで確実に上限解放の扉に到達できるはずだ」
だが、と。
俺は差し出した琥珀を手の中に握り込み、冷徹な声で一つの『絶対条件』を付け加えた。
「これを渡す代わりに、俺からの追加条件だ。……このアイテムの出所や、製法について、一切の『詮索』を禁止する」
「……詮索の禁止?」
「そうだ。このアイテムを誰が作ったのか。どこで手に入れたのか。鑑定スキルで履歴を追うことも、製作者を探ることも絶対に許さない」
俺は三白眼を鋭く光らせ、クロウを睨み据えた。
「俺の背後には、護るべき連中がいる。もしお前らがこのアイテムの出所を探り、俺の『聖域』を脅かすような真似をすれば……その時は、この取引は白紙だ。俺が持てるすべての力を使って、八咫烏を完膚なきまでに叩き潰す」
俺の放った殺気と本気の宣告に、丘の上の空気がピンと張り詰めた。
クロウはしばらくの間、俺の瞳の奥にある覚悟をじっと見定めていた。
やがて、彼はフッと肩の力を抜き、両手を上げて降参のポーズをとった。
「……分かった。約束しよう。あの人の心もなかったお前がそういうぐらいだ。八咫烏は、そのアイテムの出所に一切干渉しない。我々に必要なのは『結果』だけだ。それがどこから来たものかなど、詮索する義理はないからな」
「交渉成立だな」
俺は四つの『忘却された世界樹の琥珀』をクロウへと投げ渡し、彼はそれをローブの奥へと慎重に収納した。
これで、俺の役割は終わった。
「さて、情報と鍵は渡したぞ。……次はお前らの番だ。俺とルナが安全にレベルを上げるための環境、どう用意してくれる?」
俺が問うと、クロウは軍師としての悪辣な、だが最高に頼もしい笑みを浮かべた。
「任せておけ。一時間後、八咫烏の公式SNSで『我がギルドが極光の氷原にて、上限解放の鍵を独占した』というフェイクニュースを大々的に流す。これで世界中のハイエナどものヘイトと視線は、すべて我々に向く」
クロウはシステムウィンドウを操作し、俺のマップにある座標データを転送してきた。
「そして、お前たちには我がギルドが管理する、一般プレイヤー立ち入り禁止の『プライベート狩場』を使わせる。湧き効率は最高、外からの干渉は一切遮断された完全なVIPルームだ」
「完璧だな。さすがは八咫烏のトップアナリストだ」
「お互い様だろう。……お前が抜けた白騎士団の連中がこのニュースを見たら、どんな顔をするか見ものだな」
俺とクロウは、悪党のように口角を吊り上げ、ニヤリと笑い合った。
世界中のプレイヤーを巻き込んだ、二人の軍師による盤面の外側での大掛かりな情報戦。
追われる身であった「匿名の開拓者」は、この瞬間、最強の隠れ蓑と最高の環境を手に入れたのだ。
「じゃあな、クロウ。また会おうぜ」
「ああ。また後でな」
俺は外套のフードを深く被り直し、背を向けて歩き出した。
ルナや騎士たちが待つフェネキアの里へ戻り、いよいよ本格的なレベリングを開始する時だ。
世界を揺るがす神話の竜を屠るため、俺たちは絶対的な安全圏(VIPルーム)で、誰にも邪魔されることなく限界の先へと駆け上がっていく。




