膠着する包囲網と、軍師の次なる一手
巨大な世界樹の根が天井を覆い、淡いエメラルドグリーンの光が降り注ぐ『空を抱く地下都市』。
フェネキア族が数千年もの間、外界から秘匿し続けてきた絶対安全圏の一室で、俺は空中に展開したシステムウィンドウを忌々しげに睨みつけていた。
『極光の氷原に集結したクラン連合、依然として包囲網を維持!』
『匿名の開拓者の特定作業進行中! 懸賞金はリアルマネーで百万を突破!』
『周辺エリアの不審なプレイヤーは片っ端からPKして情報を吐かせろ!』
EHOの公式フォーラムと外部の匿名掲示板は、相変わらず俺たち『謎の四人組』の話題で持ちきりだった。
底辺配信者の動画に映り込んでしまった数秒間の映像。たったそれだけの情報から、特定班と呼ばれるハイエナどもは、俺たちの足跡を徹底的に洗い出し、外のフィールドにアリの這い出る隙もないほどの警戒網を敷いていた。
「……クソが。外の連中、完全に血走ってやがる」
俺は舌打ちをし、ブラウザのウィンドウを乱暴に閉じた。
現状、外のフィールドを普通に歩くことすら不可能に近い。少しでも人目に付けば、一瞬で座標を特定され、情報を強奪しようとする企業勢やPKプレイヤーの群れが雪崩れ込んでくるだろう。
「アイズドさん……やっぱり、外の様子はひどいですか?」
俺の隣で、ルナが不安そうにサファイアブルーの瞳を揺らしていた。
彼女も俺と同じく、せっかくレベルキャップを突破して『レベル81』になったというのに、どこにも狩りに行けない現状に焦りを感じているようだった。
「ああ。企業勢も廃人どもも、上限解放の利権に目が眩んで完全に理性を失ってる。変装して外に出ようが、少しでも怪しければ問答無用でPKされるリスクがある。今のままじゃ、レベリングのために外のフィールドへ出ることすら命がけだ」
俺は大きく息を吐き出し、ルナの腕の中に抱かれている小動物――夢魔のマーリンをジロリと睨みつけた。
「だいたいな、お前らが無茶をしたせいだぞ。ハイエナどもが押し寄せてきているのに、ルナとマーリンの毛玉が『ここまで来たんだから!』って無理して廃観測所の祭壇にアイテムをはめ込んじまったからな。あのまま一旦引いてりゃ、俺たちがあの遺跡の奥で上限解放したなんて確証は誰にも掴めなかったのに……ワールドアナウンスまで鳴らして、完全に裏目に出ちまった」
俺が愚痴をこぼすと、ルナは「うっ」と気まずそうに言葉を詰まらせ、マーリンはそっぽを向いて短い前足で耳を掻いている。
「ご、ごめんなさい、アイズドさん。せっかく揃った神話の鍵を、早く使ってみたくて……つい」
『軍師君も早くレベル上限解放したそうな顔してたけどねぇ。それに済んだことをいつまでもネチネチ言うのは、男らしくないよ?』
「やかましい、このポンコツ毛玉! 誰のせいでこんな八方塞がりになってると思ってんだ!」
俺たちの当面の目標は明確だ。
レベル90まで到達し、族長セレンから受注可能になるレベル90制限のクエスト――地下深くに封印されているという『深淵の魔物』のもとへ向かうこと。そしていずれは、キャメロット跡地を焦土に変えているあの『憤怒の竜』を討ち倒すことだ。
だが、そのためには何としても、莫大な経験値を稼ぐための「安全なレベリング環境」が必要不可欠だった。
俺が頭を抱えていると。
「おい、アイズド。いつまでこんな地下に引きこもっているつもりだ?」
部屋の扉が開き、不満げな声を上げながら真紅の甲冑を纏ったモードレッドが入ってきた。その後ろには、漆黒の巨漢ガウェインが腕を組んで続いている。
「あのような烏合の衆、我らが正面から蹴散らしてやればいいだろう。レベル上限を解放したことの力試しに、ちょうど良い相手ではないか」
「うむ。モードレッドの言う通りだ」
ガウェインが大剣の柄をポンポンと叩きながら、深く頷いた。
「数が多いとはいえ、所詮は狂王アーサーの足元にも及ばぬ雑兵ども。私が前に出て盾となり、モードレッドが薙ぎ払えば、ものの数分で全員の首を物理的に撥ね飛ばしてやれる」
「…………」
俺は、あまりにも堂々とした彼らの発言に、数秒間ポカンと口を開けてしまった。
以前にも同じようなことを言ったような気がするが、こいつらはもう忘れてしまっているらしい。
さすが脳筋ズ。
もういっそのことこいつらを地上で暴れさせたほうがいいんじゃないかと思ってしまう。
俺は溜息を吐きながらバカ二人を見つめる。
「ああ…お前らみたいに俺も脳筋だったら、こんなに悩むことはねえよ」
「ん?誉め言葉か?」
「ああ、そうそう、誉め言葉だよ」
こいつら皮肉も通じないのか?
「でも、アイズドさん。私たち、これからどうしますか?」
ルナが歩み寄ってきて、真っ直ぐに俺を見つめた。
「私たちが目標に届くためには、絶対にレベル90まで上げなきゃいけないんですよね。それなのに、外に出ることもできないなんて……」
「ああ。企業勢や廃人どもが血眼になって俺たちを探してる以上、普通にレベリングすることすら不可能だ。……だが、一生ここに引きこもるつもりもねぇ」
俺は腕を組み、不敵な笑みを浮かべた。
「俺たちが安全にレベル90まで駆け上がるための、『最高の狩り場』を確保する。そして、外の連中の目をこのフェネキアの里から完全に逸らす方法が、一つだけある」
「えっ……本当ですか?」
「強力な『後ろ盾』を用意するんだよ」
俺の脳内に、プロゲーマーとしての冷徹な戦術回路が、一つの『悪魔的なカード』を弾き出した。
俺たちの正体を知らず、しかし俺という軍師の価値を誰よりも理解し、莫大な権力と情報操作能力を持つ組織。
「ルナ。モードレッド。ガウェイン」
俺は三人の顔を順番に見渡し、静かに告げた。
「俺はこれから、少しだけこの里を離れる」
「えっ!? アイズドさん、一人で外に出るんですか!?」
ルナが驚いて声を上げる。
「なら、私もお供しよう! お前一人では危険だ!」
モードレッドが前に出ようとするが、俺はスッと右手を突き出して制止した。
「悪いが、お前らは全員お留守番だ」
「「「…………は?」」」
モードレッドの笑顔が、ピシリと固まった。
「なんでだ!? 変装すればバレまい!」
「前にも言っただろ。お前らのその異常なステータスと威圧感、服を変えたくらいで隠しきれるもんじゃねぇ。ボロを出せば一発で身バレするからな。大人しく地下都市で、アグラヴェインの事務仕事でも手伝ってろ」
ピシャリと突き放されたモードレッドとガウェインは、あからさまに肩を落とした。
「アイズドさん……私、一緒に行きます。アイズドさんの背中を護るって、約束しましたから……!」
ルナが悲痛な声で訴え、一歩前に出る。
その真っ直ぐな瞳に見つめられ、俺の胸の奥がチクッと痛む。だが、彼女をこれ以上、利権と欲望にまみれたプレイヤー同士の泥仕合に巻き込むわけにはいかなかった。
「お前は、純粋なアタッカーだ。俺がこれからやりに行くのは……裏社会の泥水を啜るような、盤面の外の『交渉』だ。お前の綺麗な剣を、そんな汚い盤面に立たせるわけにはいかねぇんだよ」
俺は、ルナの頭にポンと手を置き、少しだけ乱暴にワシワシと撫でた。
「……信じて待ってろ。必ず、俺たちのための『最高の舞台』を用意して帰ってくるからよ」
俺の手の温もりに、ルナは小さく震え、やがてギリッと唇を噛み締めて、深く頷いた。
「……はいっ。アイズドさんの軍師としての計算、信じます。……絶対に、怪我しないで帰ってきてくださいね」
「ああ、約束する」
ルナと騎士たちに見送られながら、俺はシステムメニューから『外見変更』の項目を操作した。
モルガンの遺した漆黒のアモルファス・アーマーを外し、代わりに安物のくすんだフード付きの外套を深く被る。背中にはサビだらけの鉄の盾。初期装備の布の服すら見えないよう、徹底的に地味な、どこにでもいるモブプレイヤーの姿へと偽装を完了させる。
俺が目指すのは、南の巨大都市。
かつて白騎士団と幾度となく覇権を争い、この世界で最も俺のことを警戒し、そして高く評価していた連中が拠点を構える場所。旧友とも呼べるトップ軍師がいるギルドだ。




