いざレベル上限解放へ。
仮想世界の空には、人工的な星屑が冷たい光を放ちながら降り注いでいた。
かつてアーサー王が俺たちを陽動するために利用した、北の果ての古代遺跡『星幽の廃観測所』。
本来であれば、神話の探索に挑む者しか寄り付かない高難易度エリアである。しかし現在、その入り口付近は異様な熱気と殺気に包まれていた。
「……またハイエナどもの群れか。あいつらが巡回ルートを外れるまで、あと何分待つ必要があるな」
岩陰に身を潜め、俺は小さく、しかし明確な苛立ちを含んだ舌打ちを漏らした。
俺の視線の先には、血眼になって周囲を索敵する数十人のプレイヤーの姿があった。彼らの頭上には有名企業勢のギルドマークが輝いている。
世界中の連中が『匿名の開拓者』をいち早く発見し、上限解放の情報を強奪しようと躍起になっているのだ。
俺たちは現在、正体を隠すために『変装』を行っていた。
俺は見た目変更課金装備の上に安物のくすんだマントを羽織り、ルナも美しい魔法剣士の装束を隠すために野暮ったい灰色のポンチョを着込んでいる。ルナの特徴的なプラチナブロンドの髪も、一時的な染色薬で地味な茶色に染められていた。
プロの軍師としての俺の精神構造は、常に『最短経路』と『最高効率』を志向する。
数分、いや数秒の待機時間すらも、俺にとってはリソースの浪費であり、戦術的タイムラインの遅延という容認しがたいストレスだった。
そんな俺の焦燥を、ルナの腕の中に抱かれている小動物――モフモフの魔術師マーリンが見逃すはずもなかった。
マーリンは短い前足を器用に組み、悪戯っぽい笑みを浮かべて囁いた。
『相変わらず、君は生き急ぐねぇ。あの程度の有象無象のプレイヤーたち、数分もすれば索敵範囲を広げて勝手にいなくなるというのに。……それとも、早く新しい世界を見たくて、子供のように待ちきれないのかい?』
「別にそういうわけじゃねえよ。ただ、リスク管理とタイムパフォーマンスの最適化を計算しているだけだ。というか急かしたのはお前とルナだろうが」
いや別に、俺も早く上限解放してぇ〜とかそんな安っぽい動機ではない。
ルナが早く上限解放したいです。と言ってワガママを見せてきたからそれを口実に俺もレベル解放するかあとか、ルナが言ったなら仕方ねえなとかそんなものでは決してない。
いやまじで。
『ふふっ、本当に素直じゃないね。でも、その「ハイエナどもが立ち去るのすら我慢できない」って顔、僕は嫌いじゃないよ。……さあ、二人とも。そろそろ時間だ。あの子たちの視線が反対の尾根に向いたよ』
マーリンの言葉に、俺は思考を切り替えた。
隣ではルナが静かに頷き、いつでも剣を抜けるように柄に手を添えている。
「行くぞ。ここからは『背伸びをして狩りに来た、ただのレベリングパーティ』だ」
俺たちは隠密状態を解除し、あえて足音を立てながら廃観測所の入り口へと歩みを進めた。
数人のハイエナが俺たちを視界に収めたが、安物の装備に身を包んだ二人組を見ると「なんだ、ただの雑魚パーティか」とすぐに興味を失い、視線を外した。
「……よし、突破だ」
俺たちは誰にも怪しまれることなく、廃観測所の内部へと潜入を果たした。
廃観測所の内部は、かつての高度な星間技術が朽ち果て、苔とガラクタが入り混じった退廃的な空間だった。
崩れ落ちたドーム状の天井からは、仮想世界の星屑が物理的な光の粒子となって深部まで降り注いでいる。
「見た目通りのレベリングを装いながら、最短ルートで最深部へ向かう。戦闘は回避しないが、秒殺も避ける。いいな、ルナ」
「はいっ、アイズドさん!」
通路の奥から、遺跡の防衛機構である古代の自律兵器や星幽の魔獣たちが襲いかかってくる。
ここで、俺の隠しジョブ【古代変形機装】の特異性が試される。本来であれば、三十のクラス特性を高速で回転させ、圧倒的な手数を叩き出すことで敵を瞬殺することが可能だ。
しかし、今の俺たちは『他者の目を欺くための中堅パーティ』を演じなければならない。
俺は意図的に使用する特性を《重装騎士》に絞り込み、あえてダメージを受けながらヘイトを維持するという不器用な戦い方を展開した。
傍目から見れば、強敵相手にギリギリの攻防を繰り広げているように見えるだろう。しかしその実態は、敵の攻撃モーションのフレーム数、さらには外部から観測された場合の『自然な苦戦の演出』に至るまで、俺の脳内で完全に計算し尽くされた作業であった。
『右の通路から増援が来るよ。アイズド、あえて一発被弾してから下がりなさい。ルナちゃんはそのまま攻撃を継続して、ヘイトを少し分散させて』
「了解した。……まったく、手を抜く方が神経を使うぜ」
『ふふっ、贅沢な悩みだね』
マーリンの的確なナビゲートを受けながら、俺たちは一切の無駄がない、しかし外見上は泥臭い戦闘を継続し、驚異的なペースで階層を下っていく。
そしてついに、偽装を完璧に維持したまま、俺たちは星幽の廃観測所の最深部――巨大な『星の天球儀』が鎮座する儀式の間へと到達したのだった。
最深部の重厚な扉が閉ざされると、外の気配は完全に遮断された。
静寂に包まれた儀式の間の中央には、星の軌道を模した巨大な天球儀が、静かに、そして神秘的な輝きを放ちながら回転している。
『さて、ここからが本番さ。偽装はもう解いて構わないよ』
マーリンが言うと、ルナがポンチョを脱ぎ捨て、俺もマントを外した。
俺は深く息を吐き出し、インベントリを展開した。
これまでの過酷な探索と激戦の末に手に入れた、三つの神話の鍵。
グレイム領で拾い集めた『星天の脈石』。
フェネキア族とドワーフの合同クラフトで創り出した『忘却された世界樹の琥珀』。
極光の氷原のボスを討伐して得た『深淵を覗く者の涙』。
それらのアイテムを具現化して俺はふと、考えうる最悪のシナリオが頭をよぎった。
「…ここまで来ておいて、あれなんだがやっぱり今度にしねえか?なんか嫌な予感がするんだよ」
「えーでも、ここまで来たらもうやっときましょうよ。今のうちにやっておけばあとが楽ですよ」
『そうそう。早めに上限解放してレベル上げをした方がいいね』
「お前は黙ってろマーリン」
幾度となくこういう大事な世界の分岐点では、ワールドアナウンスが流れる。
レベルの上限解放なんて発売されて1年半もたっても見つからなかった要素だ。そう考えたって不思議じゃない。
しかし渋る俺を、ルナは早くはめましょうとグイグイと背中を押す。
俺はるなの珍しく強気な姿勢に終始押されながら、三つのアイテムを、天球儀の台座に設けられた窪みへとゆっくりとはめ込んだ。
カチリ、という静かな音が鳴る。
その瞬間、マーリンが古代の呪文を紡ぎ始めた。彼女の魔力に呼応するように、天球儀が激しく回転し、空間全体が震動する。
そして、視界を完全に覆い尽くすほどの眩い黄金の光の奔流が放たれた。
『条件が完全に満たされました。マスターシステムにアクセスします。……承認完了』
『これより、レベルキャップ上限解放のプロセスを実行します』
『現在の蓄積経験値が清算されます――』
無機質でありながら、どこか荘厳さを帯びたシステム音声が鳴り響いた。
次の瞬間、俺とルナの視界の端にあるステータスウィンドウに、劇的な変化が訪れた。
これまで「レベル80」でカンストし、システム内部にストックとして蓄積され続けていた莫大な経験値(EXP)が、堰を切ったように俺たちのアバターへと流れ込み始めたのだ。
ピロロロロロンッ!!
俺のレベル表記が、スロットマシンのように高速で回転し、跳ね上がっていく。
『Player [Ised] Level UP!』
『Player [Luna] Level UP!』
レベル80……81……そして。
「レベル82か……!」
俺はステータス画面に輝く数字を見て、思わず息を呑んだ。
ルナのレベルも同様に凄まじい勢いで上昇し、『81』でストップした。ステータスの各数値が爆発的に向上し、全身に満ち溢れるような力が漲ってくる。
俺が一人で過酷なボスや無茶なレベリングを行ってきた莫大な経験値が、ここで一気に反映されたのだ。
「やりましたね、アイズドさん! 見事、世界初の限界突破です!」
ルナが歓喜の声を上げる。
だが、その静寂と達成感を打ち破るように。
この時間帯にログインしている全サーバー、全プレイヤーの脳内に、大音量のワールドアナウンスが強制的に響き渡った。
『ワールドアナウンス:【匿名の開拓者】とそのパーティーが、世界で初めて【レベル上限解放】の試練を突破しました!』
『世界全体のレベルキャップが解放されます。すべてのプレイヤーに新たなる進化の道が示されました』
「……だよな。クソアルファ」
俺は思わず天を仰いだ。
上限解放の通知が流れることは予想していたが、まさか達成の瞬間にこれほど大々的に全サーバーへ通知されるオマケ付きとはな。
「アイズドさん! 外からすごい足音が……!」
ルナが弾かれたように扉の方を振り返る。
外にいる企業勢やハイエナたちが、このアナウンスを聞いてどう動くかは火を見るより明らかだった。発信源がこの廃観測所の最深部であると特定され、包囲網が敷かれるのも時間の問題だ。
「おい! 今のアナウンス、震源地はこの廃観測所の奥だ!」
「間違いない、ここに『匿名の開拓者』がいるぞ!!」
「急げ! 扉を破壊しろ! 絶対に逃がすな、取り囲め!!」
重厚な石の扉の向こう側から、数百人のプレイヤーたちの怒号と魔法の詠唱音が聞こえ始めた。
『おやおや、これじゃあお忍びのレベリングパーティどころの騒ぎじゃないねぇ』
マーリンが心底楽しそうに笑い声を上げる。
「笑い事じゃない! 全員、即座に離脱するぞ!」
俺は素早くインベントリから『白狐の羅針盤』を取り出し、足元に魔法陣を展開した。
ドゴォォォォンッ!!
轟音とともに扉が破壊され、企業勢やハイエナたちが雪崩れ込んくる。
だが、彼らが最深部で目にしたのは、レベル上限解放の余韻で美しく光を放つ天球儀と、誰もいなくなった静寂の空間だけであった。
俺たちは間一髪のところで空間転移を果たし、追跡者の手が一切及ばないフェネキア族の里へと、無事に逃げ延びたのである。
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