【6】テオからの信頼爆上がりの男
「……俺の婚約者のエマ・ランドルフ様。ランドルフ団長の妹君だ」
アレンの垂れ目が驚きに丸くなる。だが、エマの容姿を見てすぐに納得したらしい。
穏やかな夜に浮かぶ月のような淡い金髪と神秘的な紫の目は、兄のエルバートによく似ている。
ただ、三つの加護と強靭な肉体を持つ兄と違い、エマは華奢で、触れただけで折れてしまいそうな花の儚さがあった。その儚さが、皮肉にもより一層彼女を美しく見せている。
アレンが五チラ(いやらしい目で五回チラ見)をしたらゲンコツをくれてやるところだが、アレンは珍しく眉間に皺を寄せ、何か考え込むような顔をしていた。
一体何を考えているのかと思いきや……。
「オズさんが、ランドルフ団長の未来の義弟だったなんて……」
アレンは拳を握り、ジトリとオズワルドを睨む。
「テオからの信頼が、更に爆上がりじゃないですか。オズさんずるい……」
「何の話だ」
「オズさんは信頼されてるって話です」
なにやら理不尽なことをぼやきつつ、アレンはエマに向き直ると姿勢を正した。
元修道女である母親の教育の賜物か、アレンはその気になれば、きちんと礼儀正しく振る舞える青年である。
「初めまして、ランドルフ団長の従騎士アレン・ローレンスです。グレゴリー隊長にはいつもお世話になっています」
「まぁ、お兄様の従騎士の方でしたか。ご丁寧にありがとうございます。エマ・ランドルフと申します」
エマはコホコホと咳き込みながら、礼をする。やはり、今日も具合が良くないのだ。この辺りは空気が綺麗とは言い難いし、早めに家に帰すべきだろう。
だが、オズワルドが帰宅を促そうとすると、エマがオズワルドの服の裾をそっと掴んだ。
「オズワルド様は、親しい方にはオズさんと呼ばれているのですね」
「いや親しくはないが」
これは舐められているのである。被害妄想ではない。オズワルドは、アレンがまだ九つかそこらだった頃から舐められ続けている。
ところが、それを親しいと誤解したエマは、何かを期待するようにオズワルドを見上げた。
「わ、わたくしも……」
オズワルドの服を引く華奢な指に力が籠る。
「オズ様とお呼びしても……よろしいでしょうか?」
オズワルドは困惑し、視線を彷徨わせる。彷徨わせた視線の先では、アレンがニヤニヤ笑いを堪えていた。やはり舐められている。
「……構いません」
オズワルドがボソリと返すと、エマの顔が喜びに綻んだ。
オズワルドがエマにしてやれることは少ない。レイエル聖区に勤めている者の家族なら、比較的容易にレイエル聖区に出入りできるのだが、婚約者だとそうはいかないからだ。会えるのは、オズワルドの休暇中でエマの体調が良い時に限られる。
だから、名前の呼び方を変えたぐらいで喜んでもらえるのなら、オズワルドは幾らでも好きに呼ばれて構わなかった。
エマは口元に両手を当てて、「ふふ、オズ様、オズ様……」と繰り返している。その喜び方は少女めいていて、とても愛らしかった。
ただ、呟きの合間に咳が聞こえる。これ以上、無理をさせるべきではないだろう。
「エマ様、お付きの者は我が家に?」
「えぇ」
「では、送りましょう」
今から一度家に戻るとなると、外出申請の時間を過ぎてしまう可能性が高い。
だが、オズワルドにエマをこの場に置いていくという選択肢はなかった。
「すまんが、ランドルフ団長に戻りが遅れると伝えてくれ」
声をかけると、アレンはいかにも善良な青年という顔で言った。
「オズさんは、具合の悪い人を見つけて家まで送ってあげたんですよね? それは聖騎士による救命活動にあたるので、戻りが遅くなってもお咎めはないはずです」
「だが……」
「今度、ご飯奢ってください。それじゃ、ごゆっくりー」
アレンはヒラヒラと手を振って、その場を立ち去る。
そういえば、アレンに潰し焼きのパンの代金を払い忘れていた、とオズワルドは思い出す。
その内、何か奢り返さねばとは思うが、アレンの胃袋を考えると高くつきそうだ。
オズワルド達と別れたアレンは、レイエル聖区を目指して歩きながら、エマ・ランドルフのことを思い出す。
アレンは人間の観察が得意だ。動きや重心を見ればどこを庇っているか分かるし、声や呼吸音でなんとなく体調が分かる。
おそらく、胸が痛かったのだろう。それでも、表情に出さないで微笑んでいた。
呼吸も酷いものだった。気管支も肺も相当悪いのだ。それなのに、オズワルドの前で聞き苦しい声にならないよう必死だった。
(……多分もう長くない)
そういうことに誰よりも早く気づいてしまうのだから、つくづく嫌なものだ。才能なんて。
* * *
聖女の妹セシリー・ウォルフォードは、粛々とした態度で聖騎士団の本部を歩く。
セシリーは首都 の高級住宅街にある実家と、レイエル聖区内の聖騎士団本部を往復する生活をしている。
実家に戻った時は、聖女である姉シェリルと、聖騎士見習いの弟キースのことを両親に報告し、そしてレイエル聖区に赴いたら、〈創造〉の聖女シェリルの世話係として仕事をする。
そんな往復の合間に歌姫リリーとして活動していることは、周りの人間には秘密だ。
今日はリリーに会って、新曲の打ち合わせをしてきたところだった。気分が弾んでいると、ついつい鼻歌を歌いたくなるが、聖女の付き人としてグッと堪える。
聖騎士団本部にある聖女のための一室に入ると、〈創造〉の聖女シェリルが椅子にもたれてぼぅっとしていた。
聖女の務めである、〈創造〉の奇跡による聖剣作りをしていたのだろう。高位の加護を持つ姉が〈創造〉の加護で生み出す剣は、どんな赫鋼の剣よりも呪魔に効くのだ。こうして作られた剣は、飛行船や蒸気機関車に詰め込まれて、西の最果て で戦う聖騎士達のもとに送られる。
呪魔の侵略が激化する夏に備えて、聖女達もそれぞれ手を尽くしている。
ならば、そんな聖女を労うことが、付き人である自分の役目だ。
「クッキーを焼いてきたわ」
姉の前にクッキーの小袋を置くと、聖女シェリルは椅子にもたれていた背を起こし、子どもみたいにはしゃいだ声をあげた。
「まぁ、わたくしのだぁいすきなレモンピールのクッキー! ……でも、ちょっと少なくないかしら?」
「付き人として、お仕えする聖女様の体型維持に尽力しようと思って」
「酷いわ酷いわ〜、確かに最近ちょっと太ったかも? とは思っていたけれどぉ〜」
「自分で気づいた時には大抵手遅れなのよ」
実際のところ、姉が太る時は大抵胸に肉がつくのだ。細身のセシリーとしては、羨ましい限りである。
さて、クッキーに合う紅茶でも用意しようか、と思ったところで、聖女シェリルがポツリと言う。
「キースが西の最果て に行くことになったわ」
姉妹にとって可愛い弟であるキースはまだ聖騎士見習いなのだが、祝福二つの実力が認められ、西の最果て の戦線に送られることになった。
キースの所属はパーシバル・バーンズ団長率いる第三騎士団。西の最果て の常連だから、いずれこんな日が来るだろうとは分かっていた。
「だからね、お祈りをして、聖剣をいっぱい作るわ。わたくしには、それしかできないから。セシリーは、クッキーとケーキとローストビーフとパイと、他にも色々いっぱい、あの子に作ってあげて」
聖女シェリルは聖剣を作ることができる数少ない存在だが、彼女に言わせてみれば、クッキーやケーキを上手に作れることの方がずっと素敵なのだという。
だから、セシリーは姉と弟のために、せっせと菓子や料理を作るのだ。
日持ちする菓子を作ってあげよう。着替えも多めに縫ってやらなくては。
弟のためにできることを考えていたら、セシリーはだんだんと不安になってきた。戦闘面における不安ではない。対人面の不安だ。
キースは黙っていれば姉のシェリルに似た美少年である。だが、その二つ名は聖騎士団の暴走機関車。一度頭に血が上ったら、壁に衝突するまで止まらない。
「大丈夫かしら……あの子、レイエル聖区の外に出たこと、あまりないし……灰色騎士の人達と上手くやれたら良いのだけど」
「あら、まぁ、まぁ、まぁ……」
セシリーの呟きに、聖女シェリルは意味深に笑う。
セシリーは切れ長の目をジロリと姉に向けた。
「なによ、姉様」
「うふふふふ。わたくし、人を見る目がないから、こういう時はセシリーの目を信じることにしているの」
どういう意味かと視線で問うセシリーに、聖女シェリルは柔らかく微笑んだ。
「きっと、灰色騎士は……信用して良いのね」
「姉様の胸を見て鼻の下を伸ばしてた男よ。信用しなくて良いと思う」
聖女シェリルは「まぁ」と相槌を打ち、それから悪戯っぽく問う。
「じゃあ、テオ様は?」
「………………覚えてない」
呟き、拳を握る。
悪漢から助けてもらったことも、自分が歌姫リリーだとバレたことも覚えているのに、テオのことが曖昧にしか思い出せない。
金髪、三つ編み、背は少し低かった──それなのに、全体の印象がボヤけているのだ。名前だって咄嗟に出てこない。ヒューゴのニヤケ面ならすぐに思い浮かぶのに!
「……覚えて、ないのよ」
呟く声に、悔しさが滲んだ。
自分の意思を、気持ちを、記憶を、他者に捻じ曲げられることに対する悔しさだ。




