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忘却のカースナイト  作者: 依空 まつり
五章 西の最果て
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【6】テオからの信頼爆上がりの男


「……俺の婚約者のエマ・ランドルフ様。ランドルフ団長の妹君だ」


 アレンの垂れ目が驚きに丸くなる。だが、エマの容姿を見てすぐに納得したらしい。

 穏やかな夜に浮かぶ月のような淡い金髪と神秘的な紫の目は、兄のエルバートによく似ている。

 ただ、三つの加護と強靭な肉体を持つ兄と違い、エマは華奢で、触れただけで折れてしまいそうな花の儚さがあった。その儚さが、皮肉にもより一層彼女を美しく見せている。

 アレンが五チラ(いやらしい目で五回チラ見)をしたらゲンコツをくれてやるところだが、アレンは珍しく眉間に皺を寄せ、何か考え込むような顔をしていた。

 一体何を考えているのかと思いきや……。


「オズさんが、ランドルフ団長の未来の義弟だったなんて……」


 アレンは拳を握り、ジトリとオズワルドを睨む。


「テオからの信頼が、更に爆上がりじゃないですか。オズさんずるい……」


「何の話だ」


「オズさんは信頼されてるって話です」


 なにやら理不尽なことをぼやきつつ、アレンはエマに向き直ると姿勢を正した。

 元修道女である母親の教育の賜物か、アレンはその気になれば、きちんと礼儀正しく振る舞える青年である。


「初めまして、ランドルフ団長の従騎士アレン・ローレンスです。グレゴリー隊長にはいつもお世話になっています」


「まぁ、お兄様の従騎士の方でしたか。ご丁寧にありがとうございます。エマ・ランドルフと申します」


 エマはコホコホと咳き込みながら、礼をする。やはり、今日も具合が良くないのだ。この辺りは空気が綺麗とは言い難いし、早めに家に帰すべきだろう。

 だが、オズワルドが帰宅を促そうとすると、エマがオズワルドの服の裾をそっと掴んだ。


「オズワルド様は、親しい方にはオズさんと呼ばれているのですね」


「いや親しくはないが」


 これは舐められているのである。被害妄想ではない。オズワルドは、アレンがまだ九つかそこらだった頃から舐められ続けている。

 ところが、それを親しいと誤解したエマは、何かを期待するようにオズワルドを見上げた。


「わ、わたくしも……」


 オズワルドの服を引く華奢な指に力が籠る。


「オズ様とお呼びしても……よろしいでしょうか?」


 オズワルドは困惑し、視線を彷徨わせる。彷徨わせた視線の先では、アレンがニヤニヤ笑いを堪えていた。やはり舐められている。


「……構いません」


 オズワルドがボソリと返すと、エマの顔が喜びに綻んだ。

 オズワルドがエマにしてやれることは少ない。レイエル聖区に勤めている者の家族なら、比較的容易にレイエル聖区に出入りできるのだが、婚約者だとそうはいかないからだ。会えるのは、オズワルドの休暇中でエマの体調が良い時に限られる。

 だから、名前の呼び方を変えたぐらいで喜んでもらえるのなら、オズワルドは幾らでも好きに呼ばれて構わなかった。

 エマは口元に両手を当てて、「ふふ、オズ様、オズ様……」と繰り返している。その喜び方は少女めいていて、とても愛らしかった。

 ただ、呟きの合間に咳が聞こえる。これ以上、無理をさせるべきではないだろう。


「エマ様、お付きの者は我が家に?」


「えぇ」


「では、送りましょう」


 今から一度家に戻るとなると、外出申請の時間を過ぎてしまう可能性が高い。

 だが、オズワルドにエマをこの場に置いていくという選択肢はなかった。


「すまんが、ランドルフ団長に戻りが遅れると伝えてくれ」


 声をかけると、アレンはいかにも善良な青年という顔で言った。


「オズさんは、具合の悪い人を見つけて家まで送ってあげたんですよね? それは聖騎士による救命活動にあたるので、戻りが遅くなってもお咎めはないはずです」


「だが……」


「今度、ご飯奢ってください。それじゃ、ごゆっくりー」


 アレンはヒラヒラと手を振って、その場を立ち去る。

 そういえば、アレンに潰し焼きのパン(プレスブレッド)の代金を払い忘れていた、とオズワルドは思い出す。

 その内、何か奢り返さねばとは思うが、アレンの胃袋を考えると高くつきそうだ。




 オズワルド達と別れたアレンは、レイエル聖区を目指して歩きながら、エマ・ランドルフのことを思い出す。

 アレンは人間の観察が得意だ。動きや重心を見ればどこを庇っているか分かるし、声や呼吸音でなんとなく体調が分かる。

 おそらく、胸が痛かったのだろう。それでも、表情に出さないで微笑んでいた。

 呼吸も酷いものだった。気管支も肺も相当悪いのだ。それなのに、オズワルドの前で聞き苦しい声にならないよう必死だった。


(……多分もう長くない)


 そういうことに誰よりも早く気づいてしまうのだから、つくづく嫌なものだ。才能なんて。



       * * *



 聖女の妹セシリー・ウォルフォードは、粛々とした態度で聖騎士団の本部を歩く。

 セシリーは首都(グランリウム) の高級住宅街にある実家と、レイエル聖区内の聖騎士団本部を往復する生活をしている。

 実家に戻った時は、聖女である姉シェリルと、聖騎士見習いの弟キースのことを両親に報告し、そしてレイエル聖区に赴いたら、〈創造〉の聖女シェリルの世話係として仕事をする。

 そんな往復の合間に歌姫リリーとして活動していることは、周りの人間には秘密だ。

 今日はリリーに会って、新曲の打ち合わせをしてきたところだった。気分が弾んでいると、ついつい鼻歌を歌いたくなるが、聖女の付き人としてグッと堪える。

 聖騎士団本部にある聖女のための一室に入ると、〈創造〉の聖女シェリルが椅子にもたれてぼぅっとしていた。

 聖女の務めである、〈創造〉の奇跡による聖剣作りをしていたのだろう。高位の加護を持つ姉が〈創造〉の加護で生み出す剣は、どんな赫鋼(かくこう)の剣よりも呪魔(テルメア)に効くのだ。こうして作られた剣は、飛行船や蒸気機関車に詰め込まれて、西の最果て(ウェスト・エンド) で戦う聖騎士達のもとに送られる。

 呪魔(テルメア)の侵略が激化する夏に備えて、聖女達もそれぞれ手を尽くしている。

 ならば、そんな聖女を労うことが、付き人である自分の役目だ。


「クッキーを焼いてきたわ」


 姉の前にクッキーの小袋を置くと、聖女シェリルは椅子にもたれていた背を起こし、子どもみたいにはしゃいだ声をあげた。


「まぁ、わたくしのだぁいすきなレモンピールのクッキー! ……でも、ちょっと少なくないかしら?」


「付き人として、お仕えする聖女様の体型維持に尽力しようと思って」


「酷いわ酷いわ〜、確かに最近ちょっと太ったかも? とは思っていたけれどぉ〜」


「自分で気づいた時には大抵手遅れなのよ」


 実際のところ、姉が太る時は大抵胸に肉がつくのだ。細身のセシリーとしては、羨ましい限りである。

 さて、クッキーに合う紅茶でも用意しようか、と思ったところで、聖女シェリルがポツリと言う。


「キースが西の最果て(ウェスト・エンド) に行くことになったわ」


 姉妹にとって可愛い弟であるキースはまだ聖騎士見習いなのだが、祝福二つ(ダブル)の実力が認められ、西の最果て(ウェスト・エンド) の戦線に送られることになった。

 キースの所属はパーシバル・バーンズ団長率いる第三騎士団。西の最果て(ウェスト・エンド) の常連だから、いずれこんな日が来るだろうとは分かっていた。


「だからね、お祈りをして、聖剣をいっぱい作るわ。わたくしには、それしかできないから。セシリーは、クッキーとケーキとローストビーフとパイと、他にも色々いっぱい、あの子に作ってあげて」


 聖女シェリルは聖剣を作ることができる数少ない存在だが、彼女に言わせてみれば、クッキーやケーキを上手に作れることの方がずっと素敵なのだという。

 だから、セシリーは姉と弟のために、せっせと菓子や料理を作るのだ。

 日持ちする菓子を作ってあげよう。着替えも多めに縫ってやらなくては。

 弟のためにできることを考えていたら、セシリーはだんだんと不安になってきた。戦闘面における不安ではない。対人面の不安だ。

 キースは黙っていれば姉のシェリルに似た美少年である。だが、その二つ名は聖騎士団の暴走機関車。一度頭に血が上ったら、壁に衝突するまで止まらない。


「大丈夫かしら……あの子、レイエル聖区の外に出たこと、あまりないし……灰色騎士の人達と上手くやれたら良いのだけど」


「あら、まぁ、まぁ、まぁ……」


 セシリーの呟きに、聖女シェリルは意味深に笑う。

 セシリーは切れ長の目をジロリと姉に向けた。


「なによ、姉様」


「うふふふふ。わたくし、人を見る目がないから、こういう時はセシリーの目を信じることにしているの」


 どういう意味かと視線で問うセシリーに、聖女シェリルは柔らかく微笑んだ。


「きっと、灰色騎士は……信用して良いのね」


「姉様の胸を見て鼻の下を伸ばしてた男よ。信用しなくて良いと思う」


 聖女シェリルは「まぁ」と相槌を打ち、それから悪戯っぽく問う。


「じゃあ、テオ様は?」


「………………覚えてない」


 呟き、拳を握る。

 悪漢から助けてもらったことも、自分が歌姫リリーだとバレたことも覚えているのに、テオのことが曖昧にしか思い出せない。

 金髪、三つ編み、背は少し低かった──それなのに、全体の印象がボヤけているのだ。名前だって咄嗟に出てこない。ヒューゴのニヤケ面ならすぐに思い浮かぶのに!


「……覚えて、ないのよ」


 呟く声に、悔しさが滲んだ。

 自分の意思を、気持ちを、記憶を、他者に捻じ曲げられることに対する悔しさだ。


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