【5】汝、トマトと和解せよ
聖騎士団一慎重な男オズワルド・グレゴリーは、屋台の前で葛藤していた。
貴重な休日、首都 にある実家に顔を出し、レイエル聖区の聖騎士団宿舎に戻る途中、小腹が空いたので、屋台で軽く何かを食べようと思ったのだ。
目に留まったのは、首都 では珍しい潰し焼きのパンの屋台。一つ挑戦してみるかと思ったものの、メニューにある店長オススメが「トマト+オリーブ+チーズ」だったのだ。
誰よりも慎重なオズワルドは、この手の店で選ぶ時、「店長オススメ」「店員一推し」とメニューにある物を選ぶ。それが最も合理的かつ確実で慎重な選択肢だからだ。
だが、よりにもよって店長のオススメはトマト。オズワルドはトマトが苦手だというのに。
……否、潰し焼きのパンと言えば、トマトは最もメジャーな具材だ。お薦めに高確率で含まれていることを想定していなかったオズワルドのミスである。
(くっ……何が正解だ。俺は慎重な男オズワルド・グレゴリー。屋台のメニューとて、妥協せず確かな正解を見極めるっ!)
「このメニューの端から端までください」
(加熱したトマトは味わいが違うという。ここは挑戦すべきか……だが、トマトは……やつはどれだけ慎重に食べても、突然ブチュッと跳ねて服を汚すのだ)
「オズさん、どうぞ」
(おのれ、トマト。ランドルフ団長がおられる食事会で俺の服を汚した恨みは一生忘れんぞ……!)
「潰し焼きのパンは熱々が美味しいですよ、オズさん」
ここで流石のオズワルドも我に返った。
熱々の潰し焼きのパンを幸せそうに頬張っているのは、茶髪に垂れ目の青年──アレン・ローレンスである。
アレンはのほほんと緩く笑いながら、手にした潰し焼きのパンの一つをオズワルドに差し出した。
「どうぞ。加熱したトマトも、なかなかいけますよ。俺の奢りです」
「……後輩に奢られる気はない」
「まぁまぁまぁ」
アレンは既に潰し焼きのパンを三つ平らげていた。もはや、食べるのではなく飲んでいるのではあるまいか、と疑いたくなる速さである。
店の前で揉めても店主の迷惑になる。オズワルドはそれ以上の文句を飲み込み、受け取った潰し焼きのパンを慎重に齧った。
「こういうのは、ガブッといった方が美味しいですよ」
「具が飛び出してきたらどうするんだ」
バクバクと大口で食べるアレンに反論し、オズワルドはチビチビと潰し焼きのパンを食べる。なるほど加熱したことでトマト特有の青臭さが払拭され、甘味が増している気がする。
「このお店、カグーおじさんのお店って言うんですけど、実は俺の故郷にも同名の店があるんですよ」
「同じ会社か?」
「店長が兄弟らしいです。店長が双子だとか、三つ子だとか……噂じゃ四つ子、五つ子説もあり、いつか大陸中のカグーおじさんの店を制覇するのが俺の夢です」
どこまで本気か分からないことを言いながら、アレンが更に二つ潰し焼きのパンを平らげる。
その時、近くの屋台で何やら怒鳴り声がした。蛮族は出ていけとか、すかした首都 かぶれとかなんとか。
目を向けると、中年の男二人が掴み合っている。片方はいかにも中央部 風、もう片方は褐色の肌の南方風だ。どちらが先に因縁をつけたか分からないが、掴み合っている二人が、近くの屋台や人にぶつかり、迷惑なのは一目瞭然である。
「これを持っていろ」
オズワルドは食べかけの潰し焼きのパンをアレンに押し付け、仲裁に入ろうとした──が、潰し焼きのパンを差し出した先にアレンがいない。
キョロキョロと辺りを見回したオズワルドはギョッとした。アレンが、遠巻きにしている人々の隙間を縫うように動き、中年二人に近づいていたのだ。しかも両手に潰し焼きのパンを握り、口にも食べかけの潰し焼きのパンを咥えたままで。
アレンは驚くほど自然な足取りで男達に近づき、中央部 風の男の膝裏を蹴った。実際は、蹴ったというより、靴の爪先で軽く押しただけなのだろう。それだけのことで、男はバランスを崩し、相手の男を巻き添えにして倒れ込む。
アレンはムグムグと口を動かし、咥えていた潰し焼きのパンを飲み込んで言った。
「どっちもお酒臭いなぁ。信念のない酔っ払いの喧嘩なら、よそでどうぞ。信念のある決闘ならば、そこの聖騎士様が立ち会ってくださいますよ」
そういってアレンがオズワルドを見る。
今日のオズワルドは休暇中で私服なのだが、それでも鍛えた体躯で一般人ではないと分かるのだろう。
酔っ払いの男二人が、舌打ちをして、そそくさと逃げ出す。
人混みを抜けて戻ってきた時、アレンは手ぶらだった。両手に持っていた潰し焼きのパンをいつ平らげたのやら。
もの言いたげなオズワルドに、アレンはけろりとした態度で言う。
「この辺りの屋台が潰れたら、テオが潰し焼きのパンを食べに来られなくなってしまいますから……あ、そうだ、オズさん。今度任務でテオに会ったら、ここにカグーおじさんの店があるって教えてあげてください」
「自分で言え。どうせすぐ会う」
アレンが何かを察した様子で、オズワルドの隣に立つ。オズワルドは潰し焼きのパンをきちんと食べ終えてから、小声で言った。
「第一、第三、第五騎士団の選抜部隊が、西の最果て の戦線に赴くことになった。お前にも、ランドルフ団長の従騎士として同行してもらう」
「……そこにテオが?」
「おそらく高確率で指名されるだろう。テオはまだ西の最果て の戦線を経験していないからな」
潮の流れの影響か、特に夏になると大陸西の海を越えて侵略してくる呪魔が増える傾向にある。そこで、五月の内から西の最果て に滞在する聖騎士を増員するのだ。当然に、灰色騎士も多数同行する。
オズワルドが聞いている話では、現在四名の灰色騎士が西の最果て に滞在している。
一方、燃え滓邸で待機中の灰色騎士が、団長を除き六名。となると、次の遠征で三、四人は選出されるだろう。
おそらくテオは、それを拒まないだろう、とオズワルドは確信していた。
そのことにアレンが腐ったりしないか、オズワルドは密かに懸念していたのだが、どうやら杞憂だったらしい。
アレンは静かに笑っている。
「聖騎士団に入団した甲斐がありました」
アレンの強さは身をもって知っている。ただ、アレンの才能は対人戦闘でこそ発揮されるものだ。未知の存在である呪魔を相手にするのなら、経験は自分の方が上。
慎重であれ。先輩としてそう諭すのだとオズワルドは決めていた。
「西の最果て 遠征の手引書を用意している。熟読し、出発前に持ち物のチェックリストの照合を忘れるな」
「あぁ、あの『□にチェックを入れよう!』ってやつ……そこだけ、手引書の温度感おかしくないですか?」
「持ち物の確認は重要だ。あと、今回は第三騎士団のキースも参加すると聞いている。くだらん喧嘩はするなよ」
「それ、向こうに言ってやってくださいよ……事あるごとに突っかかってきて……」
「お前の方が年上だろうが。大人になれ」
はーい、とアレンが気のない返事を返す。
さて、先輩としての説教も終わったし、潰し焼きのパンも食べ終えた。加熱したトマトはまぁまぁ食べられると分かったのが、今日一番の収穫だ。
あとは、寄り道をせずアレンを引きずって宿舎に帰るとしよう。
オズワルドが歩き出そうとしたその時、人混みを抜けて駆け寄ってくる若い娘の姿があった。淡い金髪が美しい華奢な娘だ。
「オズワルド様……!」
オズワルドは驚きのあまり口を半開きにした。どうして彼女がこんなところにいるのだ。しかもたった一人で!
「エマ様、何故ここに……しかも、供の者もつけずに」
「ごめんなさい……ご挨拶に伺ったのですが、丁度オズワルド様がレイエル聖区に戻られたと聞いて、居ても立っても居られず……」
娘はハァハァと苦しげに息を切らしていた。彼女はあまり体が強くないのだ。喘息の発作が出てはいけない、とオズワルドは狼狽える。
アレンが、オズワルドとエマを交互に見て訊ねた。
「オズさん、お知り合いですか?」
アレンに紹介するのは気が進まないが、わざわざ隠すようなことでもない。
オズワルドはゴホンと咳払いをし、硬い顔で言った。
「……俺の婚約者のエマ・ランドルフ様。ランドルフ団長の妹君だ」




