【2】シャルルとロゼ
ロゼが六歳の時、両親はバケモノになった。
赤黒いブヨブヨしたバケモノに、腹を刺されたのだ。二人ともあっという間に全身が赤黒く染まって、同じブヨブヨした塊になった。そうして、ロゼの母親だったブヨブヨがロゼの腹を刺したのだ。
最初に現れたブヨブヨは村人達に殺されたけど、両親だったブヨブヨはどこかに逃げていなくなった。
残されたロゼは、バケモノにならずに済んだけど、腹に赤黒い痣ができた。
周りの大人達が言うには、痣持ちはバケモノの同類らしい。いずれこの娘もバケモノになるから殺してしまえと誰かが言った。
恐ろしくなって逃げだしたロゼの腕を大人が掴む。それを振り払ったら、大人が悲鳴をあげた。ロゼが振り払った大人の腕は、変な方に曲がっていた。
バケモノめ、バケモノめ、と大人達が遠巻きにロゼを見る。自分の体の変化に震えながら、ロゼはひたすら走って逃げた。
信じられないぐらい速く走れる。足場の悪い岩場もピョンピョンと軽く飛び越えられる。試しに大きな岩を掴んでみたら、軽々と持ち上げられてしまった。
大人達の言う通りだ。自分はバケモノになったのだ。
「お父さぁん……お母さぁん…………う、うぅ……わぁぁぁぁぁ!!」
ロゼは恐ろしくなって、泣きながら人のいない場所を探して逃げ回った。
それからロゼは随分と長いこと、故郷から離れた森で暮らした。
ロゼの体は恐ろしく頑丈で、怪我も病気もしないし、野生動物に襲われても返り討ちにできる。最初は木の実を摘んで食べていたが、すぐに足りなくなって、野生動物を縊り殺し、見様見真似で捌いて食べた。
時々人恋しくなると、街に出て物乞いをすることもあったが、最近はそれもしていない。
何故なら、ロゼの髪がピンクがかった色に変色してしまったからだ。痣持ちになって年数が経つと、そういうことがあるらしい。なんにせよ面倒な話だ。これでは人前に出たら、バケモノだとすぐにバレてしまう。
そんなある日、ロゼは森の中に見慣れぬ人間を見つけた。黒髪の青年だ。年齢は十五歳のロゼより少し上ぐらいだろうか。
この辺りには、犯罪者崩れの人間が逃げ込んでくることがある。そういった人間をわざわざ相手にするつもりはないが、若い娘だからと襲いかかってくるようなら、返り討ちにすると決めていた。そうして衣類と金目の物を奪うのだ。
さて、こいつはどうだろう、とロゼは木の上から青年を品定めした。
年齢は十代後半ぐらいか。優しげで品のある顔立ちをしている。体格は普通。筋肉質ではないが、貧弱というほどでもない。健康そうだ。
身につけているのは、質素で動きやすそうな服。短く切った黒髪は、しっかり固めているわけではないが、きちんと櫛を入れているように見える。
(なんか……育ちが良さそうだな)
自分とは真逆の人間だ、と思った。
そんな人間がどうして、こんな森にいるのだろう。
ロゼが木の上からジッと見ていると、青年が振り返り、木を見上げた。
目が、合う。
「……えっ」
声を漏らしたのは青年の方だった。彼は驚いたように目を丸くして、ロゼを見上げている。
「女の子……? 驚いた。てっきり、この辺りを縄張りにしている熊かと」
青年の言葉にロゼは困惑した。
熊は童話などでよく出てくる動物だ。有名なものだと『狐と林檎』という童話で、林檎を独り占めした狐を熊がペロリと食べてしまう。
ただ、ロゼは実物の熊を見たことがない。熊はほぼ絶滅寸前だと聞く。
「……なんで、熊?」
「熊は絶滅寸前だけど、中央東地方の森には、まだ生き残りがいるらしい。それで、その調査をしていたんだ。他にも、この森の動物の生態を知りたくてね」
「…………」
「女の子相手に『熊かと思った』は失礼だったな。大変失礼しました、レディ」
青年は申し訳なさそうに頭をかき、かぶっていた帽子を胸に当てて、ペコリと頭を下げる。
「僕はシャルル。もし良かったら、名前を教えてもらえませんか?」
「……話しかけて良いのか。アタシは痣持ちだぞ」
「あぁ、やっぱり。その髪色、もしかしたらそうなんじゃないかと思ったんだ」
警戒心を露わにするロゼとは対照的に、シャルルは朗らかに笑いかける。
嫌味のない、穏やかな笑顔だった。
「僕は人間を痣持ちにする生物……呪魔について調べているんだ」
「てる、めあ?」
「中央部 の方では、そう呼ぶらしい。中央東地方ではあまり見かけないけどね。なんでも西の海の向こう側からやってくる侵略者なんだとか」
ロゼは木の枝からスルリと降りた。シャルルの話に興味を惹かれたのだ。
なにより、一目で痣持ちと分かるロゼを見て、怖がらない人間は初めてだった。会話すら、もう随分と久しぶりな気がする。
シャルルは目の前に降りてきたロゼを見て、「身体能力が高いんだね」と素直な褒め言葉を口にした。
「君は過去に呪魔に襲われたんだろう? その時の傷が原因で痣ができた」
「そう……お母さんが、バケモノ……呪魔に、なって……」
ロゼはボロボロの服の胸元をギュッと握りしめた。布は強く握っても砕けないから好きだ。
そんなロゼの手を、シャルルの手が覆う。
「中央東地方は、呪魔対策が充分に行き届いていない。対呪魔の戦力も、レイエル聖区が実質独占していると言って良い」
レイエル聖区、それは昔父が話していた。教皇が住まう土地ではないか。
どうして、教皇は対呪魔の戦力を独占するのだろう。王様は何をしているのだろう。
ろくに学のない田舎娘の頭では、何も分からない。ただ、シャルルは沢山のことを知っているんだと思った。
そんな人が、熱意のこもった目でロゼを見ている。
「僕の自警団に来てほしい。君の力が必要なんだ」
その言葉に、ロゼの胸は随分久しぶりにドキドキした。だって、痣持ちになってからのロゼはどこに行ってもバケモノ扱い。
人間扱いされたことも、誰かに必要とされたことも初めてだったのだ。
何か言い返さなくてはと思った。なのに、緊張しすぎて上手く言葉が出てこない。ロゼが真っ赤になって口をパクパクさせていると、木々をかき分けて細身の少年が駆け寄ってきた。ロゼと同じか少し年下ぐらいの少年だ。険のある顔立ちで、右目の下に泣きぼくろがある。
「シャルル! お前、ふざけんなよ、マジで。一人で先に行くんじゃねぇよ、おぼっちゃまのくせに……あ?」
喚き散らしていた少年は、シャルルのそばにいるロゼに気づくと、不躾な目でジロジロとロゼを見た。
「お前、痣持ちか?」
ロゼは気がついた。この少年、よく見ると黒髪が微かに紺色がかっている。それに、首には切れ目のような赤黒い筋──あれは、バケモノにつけられた痣ではないか。
自分と同じ痣持ちを見るのは初めてだ。ただ、親近感は湧かなかった。少年が剣呑な目でロゼを見ているからだ。
難しいことを考えるのが苦手なロゼは、敵意には敵意、悪意には悪意を返すことにしている。
ロゼが睨み返すと、シャルルがニコニコしながら少年に言った。
「彼女はロゼ。自警団に勧誘しようと思ってるんだ。手伝ってくれないかな、クロード」
「やなこった。自分でやれ」
「分かった。じゃあ、自分でやる。ロゼ、どうか僕の話を聞いてほしい。まずは、中央東地方における呪魔の出没箇所と、自警団の必要性について……」
こうして始まったシャルルの話は長い上に、頭の悪いロゼにはまぁまぁ難しかったが、話を聞き終えたロゼはシャルルと共に行くことを承諾した。
本当は、「君の力が必要なんだ」と言われた時点で行くと決めていたのだけれど。




