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忘却のカースナイト  作者: 依空 まつり
五章 西の最果て
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【1】姉だなんて認めない


「……テオさんの〈指定忘却〉で、ロゼさんから、僕の兄シャルルの記憶を消してほしいんです」


 そう言って、ノアは唇を引き結び俯いた。テオの反応を見たくないと言わんばかりの態度には、後ろめたさが透けて見える。

 天気の良い春の日の昼下がり、テオ達のいる厨房には夕食の仕込み用の食材や鍋が並んでいる。中には下拵え途中らしき野菜が、ザルの上に残っていた。きっと、ノアはここで夕食の仕込みをしている最中だったのだ。それを中断してテオをこの厨房に連れ込んだ。いつも真面目でしっかり者のノアが。


「ノア君、それは、どうして……」


「ロゼさんが戦うところ、もう見ましたよね?」


「……あぁ」


 その怪力で戦斧を振るい、けたたましく笑いながら暴れるロゼの姿は、そうそう忘れられるものではない。

 正気を失くして淀んだ目は、その場にいない誰かを見ていた。


『だって、頭がブッ壊れてないと……シャルルの声が、聞こえない……』


 歩く呪い(マッドウォーカー)の力を振るうことで生じる精神汚染。その幻覚で、亡き恋人の幻覚を見るためだけに、ロゼは率先して戦場に飛び込み、そしてボロボロになってしまったという。


「僕の兄シャルルは灰色騎士で……二年前、死にました。呪いが進行して……呪魔(テルメア)化したんです」


 テオはかける言葉を失った。歩く呪い(マッドウォーカー)は呪いの進行が奇跡的に止まった存在だ。だが、その奇跡がいつまで続くかは分からない。進行が再開して呪印が全身に広がったら、そのまま呪魔(テルメア)化してしまう。

 頭では理解したつもりだったが、現実として突きつけられると足が竦む。


「ロゼさんは、死んだ兄の幻覚を見るためだけに暴走してる。このままだと良くないのは、分かるでしょう?」


「それは、そうかもだけど……」


「だから、兄のことを忘れさせてほしいんです」


 ノアの声は切実で、彼なりの必死さを感じた。

 テオだって、ロゼの今の状況が良いとは思わない。だが、仲間に〈指定忘却〉を使うことには抵抗がある。

 大事な人を強制的に忘れさせることは、思い出の略奪だ。


「ノア君。僕は忘れられることの辛さを知っている。だから……無闇にこの力を使いたくない」


 どうか考え直してはくれまいか、と祈りを込めてノアを見る。

 ノアは眉間と唇の下に皺を寄せ、込み上げてくる激情を抑えるような険しい顔をしていた。


「兄はもう死んだんです。死者は忘れられることを悲しんだりしません」


「ノア君は、悲しくないのか!? お兄さんのこと、忘れられてしまうんだぞ!」


「それで、ロゼさんが死んだら元も子もないじゃないですか。生きている人間のことを優先するのは当然でしょう?」


 ノアの言うことは、いかにも正論のように聞こえる。ただ、彼が焦っているように感じるのは気のせいだろうか?

 その時、テオは気づいてしまった。

 ノアの亡き兄シャルルとロゼは恋人同士だったということは、つまり……。


「そうか、ノア君。君は……」


 テオの呟きに、ノアが頬を引きつらせる。

 やはりか、とテオは全てを悟った顔で言った。


「シャルルさんの弟として、義理の姉になるはずだったロゼさんを気遣って……」


「……は?」


「君がお姉さん思いの弟なのは分かったよ。でも、まずはロゼさんが、お兄さんの死と向き合わないといけないと思うんだ」


 シャルルとロゼが結婚したら、ノアにとってロゼは義理の姉だ。ノアは義弟として、ロゼの身を案じているのだろう。テオも弟だから、気持ちは分かる。

 それでもやはり、一方的に記憶を消すことには反対だ。ロゼが幻覚に逃げているなら、目を覚まさせないといけない。

 それができるのはきっと、弟であるノアだけなのだ。


「だから、弟の君がロゼさんを励まして……」


「僕は、あの人が姉だなんて認めない!」


 テオの言葉を遮るように、ノアが叫ぶ。

 その時、外に繋がる勝手口の方で微かに音がした。少しだけ開いた扉の隙間からは、ピンクがかった髪がのぞいている。


「ロゼさん……」


 テオが呟くのと、ノアが廊下の方に飛び出すのはほぼ同時だった。

 ノアのバタバタという足音が厨房から遠ざかっていく。

 テオは遠慮がちに扉を開けて、ロゼに訊ねた。


「……どこまで聞こえてました?」


「姉だなんて認めない、って……ノアが叫んでたとこ」


 つまり最後の部分だけだ。ロゼの記憶を云々のあたりは聞かれていないらしい。それを良しとするか否か、テオは悩んだ。

 義弟が兄のことを忘れさせようと画策していたと知ったら、ロゼとノアの仲がますます拗れる気がする。

 ロゼは力無くフラフラと歩いて、厨房にある丸椅子にペタンと座った。

 呪魔(テルメア)相手に戦っている時は猛獣じみてすらいたのに、今は萎れた植物みたいだ。

 ピンクがかった綺麗な色なのに、艶がなくパサパサした髪。痩せた体。枯れかけのピンクの花を思わせる。


「ノアは、アタシみたいのが姉なんて、嫌だよな……そうだよな」


 テオはかける言葉に悩んだ。そんなことないですよ、と言うには、ノアの叫びがあまりに悲痛だったからだ。

 姉だなんて認めない、と叫ぶノアの顔を思い出し、テオは黙り込む。

 ロゼはボサボサの髪の隙間からテオを見て、ポツリ、ポツリと呟いた。


アタシら(、、、、)は、元々中央東地方(ケリング)の田舎で暮らしてたんだ」


「アタシら、というと……ロゼさんと、シャルルさんと、ノア君ですか?」


「……それと、ゴミクソも」


 個性的な名前の人だなぁ、と思いながらテオは「はぁ」と相槌を打つ。


「シャルルはみんなから慕われてた。ノアもあいつも、みんなシャルルが大好きだった……アタシも」


 酒焼けした声だけど、最後の呟きには少女めいた甘やかさがあった。きっとこれが、恋をしている人の声なのだ。


中央東地方(ケリング)じゃ、歩く呪い(マッドウォーカー)のことは痣持ちって呼ぶんだ。痣持ちはいずれバケモノになるって、気味悪がられてて……アタシは、ガキの頃から痣持ちで……みんなから嫌われてた」


 歩く呪い(マッドウォーカー)は己の中にある呪いを力に変える。その一環が呪装顕現による武具の顕現だ。

 だが、ロゼとハルクは身体能力の強化に全てが割り振られているらしい。特にロゼの力は強力で、甲殻持ちの呪魔(テルメア)を両断することができる。

 ただ強力すぎる分、ロゼはその力を上手く制御できていないようだった。制御が完璧なハルクと違って、ロゼは普段から物をよく壊す。


「アタシ、バカだから字も読めないし、すぐ物を壊すし……でも、シャルルだけは……こんなアタシに優しくしてくれたんだ」


 呟く声に涙が滲む。

 テオは嗚咽が落ち着くのを待って、静かに訊ねた。


「シャルルさんって、どんな人だったんですか?」


 テオの言葉に、ロゼは少しぼぅっとした目をする。どうやら記憶を反芻しているらしい。


「優しくて……頭が良くて……うん、やっぱり、優しかった」


 呟く声は幼い子どもみたいで、だけどその人が大好きなのだという気持ちが伝わってくる。


「シャルルは領主の息子で、それなのに、ちっとも偉ぶらなくて、いつもみんなのことを考えてくれて……痣持ちのアタシ達に居場所を作ってくれたんだ」


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