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忘却のカースナイト  作者: 依空 まつり
四章 暗躍の夜
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【16】兄弟だから

 テオが司令室に入室した時、JJは執務机に手をついて腰を伸ばしていた。どうやら腰を伸ばすストレッチをしていたらしい。


「あ〜、ゴメンネこんな格好で。真面目に背中伸ばしてると、色々凝っちゃってさ……年取ると、良い姿勢でいるだけで疲れるの何でだろうね」


「筋肉量の低下が原因だと思います。軽いトレーニングを検討されてはいかがでしょうか」


「あ、はい、スミマセン……」


 真面目にアドバイスをしたら、何故か謝られてしまった。

 JJは「どっこいしょ」と呟きながら着席し、紙袋の奥の目をテオに向ける。


「えーと、何か報告? 怪我のこと?」


「はい。ガートルード先生に、明日からは訓練に参加して良いとの許可をいただきました。それと……これは、報告とは関係ないのですが……」


「うん?」


「先ほどいらしていたのは、中央(エリントン) 軍の人ですか?」


 年嵩の男が三人。教皇庁関係者には見えなかった。

 そもそも教皇庁側の人間が直接燃え滓邸(シンダー・ハウス)に来ることは、まずないのだ。歩く呪い(マッドウォーカー)の住処に足を踏み入れるのは汚れるとの考えがあるらしい。故に、呪魔(テルメア)討伐任務も中央(エリントン) 軍経由である。


「そだよ。さっき来てたのは……中央(エリントン) 軍司令部とアドコック研究所の、なんか偉い人と、そこそこ偉い人と、ぼちぼち偉い人」


 なんか偉い人と、そこそこ偉い人と、ぼちぼち偉い人。

 序列が気になるところであるが、その疑問は横に置き、テオは訊ねた。


「リチャード王太子殿下は、間違いなく偉い人、ですよね」


「そだねー、さっき来た人達より偉いよね。中央(エリントン) 軍の実権握ってるわけだし」


「それならば何故、リチャード王太子殿下の前では寛いでいたんですか?」


 ガサッと大きな音がした。動揺に揺れた頭が、紙袋を擦ったのだろう。


「……寛いでた?」


「あの時の団長は、背中の丸まった座り方で……あと、話し方も少し砕けてました。僕も、兄がいるから分かります」


 テオはいつも騎士らしく、礼儀正しくあることを心がけているが、アレンの前では態度が砕ける。

 そういう兄弟特有の気安さを、リチャードとJJの間に感じたのだ。


「リチャード王太子殿下はお兄さんなんですよね? …………ジェームズ殿下」


 JJは紙袋を被った頭を片手で押さえた。皺の寄った紙袋の奥から「あちゃー……」という情けない声が聞こえる。


「……あのやりとりだけで、見抜いちゃったの?」


「いえ、他にも理由は幾つか……ティンバーガム小宮殿で呪魔(テルメア)に襲われたジェームズ殿下は、家具でバリケードを作って立て篭もっていました」


 あのバリケードは内側から作られた物だった。つまり、室内にいた人間が積み上げた物だ。


「あの時、ジェームズ殿下のそばにいた使用人はご高齢の方が二人。重いテーブルや椅子を積み上げるのは難しいのでは、と感じました。おそらくあのバリケードを作ったのは、ジェームズ殿下本人です。でも、病気で長年ふせっているジェームズ殿下にそんなことできるのかなって、ちょっと気になってたんです」


 ジェームズ王子が病で倒れたのは、およそ九年前。それだけの時間、病で寝込んでいたにしては、ティンバーガム小宮殿で見かけた王子は健康そうだった。

 更に言うなら、あの王子は三十代で中肉中背の男だった。年齢も体格も、JJとそんなに離れていない。


「あの代役の方は、リチャード王太子殿下が用意されたのではありませんか?」


「そこまで分かっちゃうかー……」


 JJは立ち上がり、柱のそばに設置した呼び鈴を鳴らす。あれは厨房に通じている呼び鈴だ。

 JJはベルを置き、しょんぼりと背中を丸めた。哀愁漂う、くたびれた中年の背中だ。


「昔、身内の集まりしてる時、呪魔(テルメア)に襲撃されちゃってねー」


 身内の集まり──つまりは、王族の集いではないか。

 九年前とはいえ、王族の集いが呪魔(テルメア)に襲撃されたともなれば人々の記憶に残りそうな大事件だ。だが、テオはそんな事件を知らない──おそらく、事件そのものを隠蔽したのだろう。


呪魔(テルメア)尾刺棘(ブラッド・テール)が狙ってたのは、リチャード兄上だったのよね」


「では、団長は王太子殿下を庇って……」


「あ、違う違う。そのタイミングで俺、クシャミしちゃったのよ。ヘーックショーイ! って。それで前傾姿勢になった結果、兄上の前に出ちゃってぇ……」


 感動的な兄弟愛の物語は、ヘーックショーイ! の一言で吹き飛び、消滅した。


「でもまぁ、兄上の盾になったのは事実だし? 兄上がもう、めーちゃくちゃ気にしちゃってぇ……俺が処刑されなくて良いように、灰色騎士団の団長にして、色々便宜を取り計らってくれたのよ」


 処刑、の一言にテオの背筋が冷える。

 JJは何も悪くない。ただクシャミをして、偶然歩く呪い(マッドウォーカー)になってしまっただけの被害者だ。

 呪いが止まったのなら、殺さなくても良いではないか、と思う。だが、王族ともなると、そう簡単な話ではないのだ。

 教皇庁の中には、「歩く呪い(マッドウォーカー)は神の教えに背く者」「悪魔憑き」などと言い、歩く呪い(マッドウォーカー)を忌み嫌う者もいるという。


「陛下としては、呪われた王子なんて病死ってことにして、こっそり殺しちゃった方が都合が良いんだわ。民に知られたら王家の威光に傷がつくし、教皇庁につけこまれるし」


 JJはいつもの惚けた口調だが、父が子を殺すという事実にテオは言葉を失った。

 国王と教皇が対立関係にあることは知っている。だが、その政治的駆け引きの陰湿さを、初めて痛感した気分だ。


「俺がこの燃え滓邸(シンダー・ハウス)から出られないのは、それも理由。燃え滓邸(シンダー・ハウス)を出たら、多分だけど陛下の部下に殺されちゃうから……コワイネー」


 JJはリチャード王太子のことを「兄上」と呼ぶが、国王アンドリュー三世のことは「父上」ではなく「陛下」と呼ぶ。そこに、JJが置かれた境遇の複雑さを感じた。

 JJが団長になってから、灰色騎士団の待遇が良くなったのも、リチャード王太子が何かと便宜を図ってくれるのも、そういった理由があるからなのだ。

 その時、ドアがノックされた。室内に入って来たのは、灰色騎士団準職員のコンスタンス・モラン夫人だ。


「ごめんね、コンスタンス。俺の正体、テオにバレちゃった」


「あら、左様でございますか」


 モラン夫人の声音は、「コーヒー溢しちゃった」と言われた時と変わらない。

 テオは恐る恐る訊ねた。


「モラン夫人は……団長の正体をご存知だったんですか?」


「えぇ、わたくし、ジェームズ殿下の乳母でしたの。殿下が呪魔(テルメア)に襲われた現場にもおりまして……」


 つまりモラン夫人は、それなりに高い地位の人間に仕える側の人間だったというわけだ。普段の上品な振る舞いも納得である。


「俺が灰色騎士団の団長になるって決まった時にね、俺の世話係にって立候補してくれたの。もう、ほんと、頭上がらないわー……」


「まぁ、殿下ってば」


 穏やかに笑いながらJJを見る、モラン夫人の目は優しい。

 ふと思い出した。モラン夫人が灰色騎士達の好物を記した、通称「好物ノート」には、JJの好物が特に多く記載されているのだ。

 高齢のモラン夫人は自分がいなくなった時のことも想定して、JJの好物を記録しているのではないだろうか……そんな気がした。


「なんか……僕……」


 思わず呟くテオを、JJが「うん?」と優しく促す。

 テオは服の胸元をギュッと握りしめて笑った。


「モラン夫人がいてくれて良かった、って思いました」


「でしょー? うちの自慢の乳母なの」


 モラン夫人が「まぁ」と恥ずかしそうに笑う。素敵な人だな、と思った。

 JJが置かれた環境は過酷だ。王族でありながら歩く呪い(マッドウォーカー)となり、父に死を望まれ、それでも燃え滓邸(シンダー・ハウス)で灰色騎士団を率いることで、首の皮一枚のところで生かされている。

 そんな生活が、かれこれ九年ほど続いて、それでも心が腐らずにいられるのは、モラン夫人がいてくれたからだろう。

 JJはテオに向き直ると、紙袋に手をかけた。

 紙袋の下の素顔は、顔の印象よりも顔の上半分を黒く染める呪印の印象が強く残る。顎にはまばらに髭が生え、短い茶髪はまだらに赤く染まっていた。

 黒く染まった目元、濃い赤が混じる髪、なるほどこれは目立つだろう。


「JJって名前は、母方のジュード姓を借りてね、ジェームズ・ジュードでJJって名乗ってる」


 白目まで黒く染まった目が、テオを見る。その異形を不気味だとは思わなかった。この人は九年間、この呪いと戦い続けてきたのだ。

 JJはゴソゴソと紙袋を被り直しながら言う。


「このことを知っているのは、ごく一部の人間だけ……王族と、当時現場にいた使用人。燃え滓邸(シンダー・ハウス)の人間だと、コンスタンスとアーチボルド管理官だけなんだ」


 アーチボルド管理官が! とテオは驚いたが、同時に納得もした。

 おそらくアーチボルドは、JJの護衛でもあるのだ。だから、極力JJのそばに控えているのだろう。

 JJは紙袋のズレを直すと、口元に人差し指を当てるジェスチャーをした。


「……そういうわけだから、他の皆には黙っていてくれる?」


「はい、決して口外せぬと誓います」


 人差し指と中指を揃え、宙に横線を描く。短剣に見立てたそれを握り、己の胸に当てる。真実の誓いだ。

 JJが感心したように言った。


「『真実の誓い』……古い作法なのに、よく知ってるねー。まぁ、そういうわけで、この件を知ってるのは燃え滓邸(シンダー・ハウス)内では俺と、コンスタンス、アーチボルド、テオの四人だけってことで……」


「めふん」


 テオのポケットから白い毛玉が頭をのぞかせる。

 JJは気の抜けた声で笑った。


「それと、フワフワちゃんの四人と一匹の秘密ってことで、ヨロシクー」


「めう」


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