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忘却のカースナイト  作者: 依空 まつり
四章 暗躍の夜
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【14】ありがとう、騎士様


 アドコック研究所から逃げ出した呪魔(テルメア)を討伐した翌日、テオは医務室のベッドで意識を取り戻した。

 窓から差し込む日はだいぶ明るいから、昼近いのだろう。

 普段は寝起きの良いテオだが、今はまだ頭がぼぅっとしていて、眠気が残っていた。昨日は呪装顕現を使っている時間が長かったからだ。

 呪装顕現は顕現する武具を取捨選択したり、休み休み使うことで、だいぶ持続時間が伸びたが、呪魔(テルメア)相手に忘却の力を使うと、疲労が大きくなるらしい。

 昨晩、テオは呪魔(テルメア)相手に〈指定忘却〉を使った。カルラの肉体情報を読み取ろうとした呪魔(テルメア)から、カルラの記憶を奪ったのだ。自分にそんなことができるという事実に、今更ながら驚いた。


(それってつまり、呪魔(テルメア)が読み取った生物の情報を、忘れさせることができる、ってことだよな……)


 自分が何者かを忘れさせる〈忘我〉、特定の記憶を奪う〈指定忘却〉、どちらも強力な力だ。

 ただし、呪魔(テルメア)相手だと消耗が激しいし、使っている間は大きな隙ができるので、多用できるものではないだろう……と、そこまで考えて気づく。


(昨日の呪魔(テルメア)って、カルラの体なんだよな……〈指定忘却〉を使ったことで、カルラに影響が出たりはしてないか?)


 あれは、不老不死のカルラが切り捨てた肉体だ。カルラ本人と繋がりはない……と思いたいが、そもそもカルラの不老不死の仕組みが分からない以上断言はできない。

 昨日の呪魔(テルメア)に〈指定忘却〉を使ったことで、カルラがカルラ自身のことを忘れてしまったら? テオのことを忘れてしまったら?

 恐ろしい想像にテオは飛び起き……赤い目と、目が合った。

 テオが寝ていたベッドの横に、椅子を置いてちょこんと座っているのはカルラだ。白髪を二つ結びにしていて、仮面はつけていない。


「おはよう、テオ」


 当たり前の挨拶の言葉に、テオは心底ホッとした。

 それでもこびりつく不安を払拭したくて、テオは上半身を起こした姿勢のまま、カルラに訊ねる。


「おはよう、カルラ……僕のこと、覚えてる?」


「覚えてる」


「カルラのことは?」


「……? わたしは、わたし。昨日のわたしの、続きのわたし」


 どうやら忘れていないらしい。テオは深々と息を吐く。同時に腹がキュルリと鳴いた。そういえば、昨日は夕食を食べる暇がなかったのだ。

 テオが腹を押さえていると、カルラが立ち上がった。


「食べる物、持ってくるから、待ってて」


「食堂に行くよ。歩けないほどでは……」


「待ってて」


 念を押されて、テオは大人しく引き下がった。両足の怪我には包帯が巻かれている。膝から下に幾つか裂傷ができているのだ。

 歩く呪い(マッドウォーカー)は常人より回復が早いらしいが、医者に見せる前に動き回るのは確かに良くないだろう。

 カルラが離席すると、ベッドの下から白い毛玉が飛び上がり、ベッドによじ登ってきた。レニーだ。

 昨日は裏路地を駆け回ったせいで、すっかり汚れていたレニーだが、風呂に入れてもらったのか、今は真っ白でフワフワの毛並みを取り戻している。


「おはよう、レニー」


「めう」


「昨日は無茶してごめん。もう大丈夫だよ」


「めあー」


 もう無茶するなよ、と言われた気がした。

 そこにカルラが盆を持って戻ってくる。パンのミルク粥だ。まだ湯気が立っていて熱そうなので、冷めるのを待ちながら、テオはカルラを見る。

 食事の前にしておきたい話があるのだ。


「カルラ、アドコック研究所のことだけど……」


 今回の騒動の元凶。カルラが切り捨てた肉体に呪いを植え付けるという、悍ましい研究をしていた組織に、テオは腹を立てていた。

 怖い顔をするテオに、カルラが淡々と言う。


「あの呪魔(テルメア)が、わたしの体を模していたことなら、ベリルとハルクから聞いた」


 必要な情報共有だ。だから、ベリルとハルクは、カルラに話したのだろう。

 それは分かっているが、それでもカルラに悍ましい事実を知られてしまったことが悔しい。


「僕は、君の体を実験に使うことが……許せない」


 だったらどうすれば良いか、具体的な考えがあるわけではない。

 ただ、カルラが望まぬ形で体を提供しているのなら、対処を考えるべきだ。

 そう思い、気持ちを打ち明けたテオを、カルラは口を半開きにして見ていた。最近気づいたのだが、カルラは言葉を選ぶ時、口を半開きにして固まる。

 やがて、半開きの口からポソポソと声が聞こえた。


「わたし、以前、任務中に足を切り落としたことがあって……」


 想像するだけで痛い。辛い。

 顔をしかめるテオに、カルラは言う。


「その辺に捨てておいたら怒られた」


「…………」


「持って帰って、ちゃんと(、、、、)ゴミ箱に捨てたら、もっと怒られた」


 それはそうだろう。

 ゴミ箱に捨てられていた少女の足──発見した者には、トラウマである。


「だから、研究所が回収してくれると、処分の仕方を考えなくて良いから、便利」


「べ、便利………………便利かなぁ……?」


「それに、わたしの体を調べたら、呪魔(テルメア)化の進行を止める薬が作れるかもしれない」


 カルラの言葉にハッとする。

 テオは感情のままに、悍ましい研究だと吐き捨てたが、その研究が誰かを救う薬を作るかもしれないのだ。

 まして、呪魔(テルメア)化の進行を止める薬ともなると、灰色騎士達にとって他人事ではない。

 研究に対する生理的嫌悪感と、自分の考えの浅はかさに対する悔しさ、それでもやっぱりカルラをいたましく思う気持ち──と、複数の感情が頭をグルグル巡る。

 テオが頭を抱えて唸っていると、カルラがベッドに身を乗り出した。


「わたしは、わたしの体がどう使われても構わないけど……」


 二つ結びにした白髪がサラリと流れて、テオの腕に触れる。


「テオが、わたしのために何かしてくれたことは、分かる。それが、嬉しかったから……」


 テオを映す赤い目が細められ、長いまつ毛が目元に陰を落とす。

 小さな唇が僅かに持ち上がり、あどけない笑みを形作る。


「ありがとう、騎士様」




 ──少女は花が綻ぶように微笑み、言いました。


『ありがとう、騎士様』


 少女のその言葉と笑顔だけで、少年は全てが報われたような気持ちでした。

 まるで、心の花畑に春の風が吹いて、小さな花達が揺れたかのよう。

 どんなに体がクタクタでも、どんなに心がボロボロでも、何度だって立ち上がれる。少年は、そう思ったのです。




「どう、いたしまして」


 血が全身に巡ってポカポカと温かい。ついでに顔が熱い。きっとミルク粥の湯気にあてられたせいだ、とテオは匙を取る。

 ミルク粥はすっかり冷めていて、それでもちゃんと美味しかった。


 * * *


 パクパクとミルク粥を食べるテオを見て、カルラは思う。


実験に使うこと(こんなこと)は、全然マシなの。だって、痛くも苦しくもない)


 もっと痛くて苦しいことを、カルラは沢山知っている。

 心が擦り切れるには充分なほど長い時間、そういう扱いを受けてきた。

 それをテオに言うつもりはない。だって、優しい彼はきっと自分のことのように悲しむから。


『……君に、何もしてあげられなくて、ごめん』


 古い記憶の中、優しい声が悲しそうに言う。


(何もしてあげられない、なんて違う。あなたはいっぱいくれたの。優しい言葉を、温かい物語を……だから、わたしは生きていける)


 無意識に握った拳に力が籠る。

 脳裏をよぎる、忌々しい金の髪。白い羽。


(……今度こそ、奪わせない。絶対に)


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