【12】少女の腕
「い、く、ぞ…………がおー!」
ベリルの両手の爪が、再生した呪魔の触手を切り裂いた。切断には至らない浅い攻撃だ。それでも、高速再生に匹敵する速度でベリルは攻撃を続ける。
一撃の威力はテオと同程度だが、手数が圧倒的に多いのだ。ベリルの鉤爪が呪魔の体を削っていく。地に落ちた呪魔の体が硬化して、バラバラと地面に散らばった。
怯んだ呪魔が少し下がった。ベリルはそんな呪魔の胴体を蹴り、クルリと一回転して着地する。
テオは、ベリルが壊したバリケードの向こう側を見た。家具が散乱したティーサロンの、バルコニーへと続く窓が開いている。ベリルはそこから入ってきたのだ。
窓の外には、羽を広げたカルラの姿が見えた。カルラはその手にジェームズ王子をぶら下げて、ゆっくりと下降している。
カルラと一瞬、目が合う。こっちは任せて、と言われた気がした。
(ジェームズ殿下の保護は完了した。あとは、呪魔を倒すだけだ)
敵の尾刺棘は三本。一本一本が意思のある蛇のような素早い動きで、かつ伸縮自在。
同時に相手をするのは困難だが、ベリルはしなやかな猫のように飛び回り、逆に呪魔を翻弄している。
一撃が重いロゼ、バランスの取れた技巧派のハルクとは、また違う戦闘スタイルだ。
(そうか、呪装顕現中は普通に走るより、跳ぶ方が速いから……壁や天井を足場にしても良いんだ)
無論、空中にいる間は無防備になるし、踏ん張りがきかなくなるから、状況によりけりだが、小柄で身軽なテオには向いている戦い方だ。
「テオ坊、援護するぞ」
「はい!」
素早いベリルが敵を惹きつけている隙に、ハルクとテオは呪魔に斬りかかった。
先の失敗を踏まえて、一撃で真っ二つという大振りな攻撃は避ける。真っ二つにする前に呪魔が再生し、武器が呪魔の体に埋もれてしまうからだ。だから、端から少しずつ削り落としていく。
常に呪魔の尾刺棘に警戒しつつ、仲間の動きを見て連携、必要に応じてカバーに入る──とても頭を使う戦闘だ。だが、一人ではないということが心強かった。なにより、ちゃんと自分が役に立てているということが嬉しい。
(あと、一息だ……!)
これまでの攻撃で、呪魔の体は少しずつだが削れていた。今では、胴体が一回りほど小さくなっている。
呪魔は体積が半分以下になると死ぬので、このまま削り続ければ倒すことができるだろう。
気をつけるべきは、再生力の高い三本の尾刺棘だ。テオが尾刺棘を注視していると、三本の触手がスルリ、スルリと本体に戻っていった。
何か、新しい攻撃を仕掛ける気か。それとも守りを固める気か……と身構えるテオ達の前で、呪魔の体がタプンと大きく揺れた。その表面がボコボコと膨れ上がり、二本の突起が現れる。
(尾刺棘? ……違う、あれは…………)
赤黒い二本の突起は、先端が五つに枝分かれしている。
──それは、華奢な少女の腕だった。
テオの全身から血の気が引く。だって、テオはその手を知っているのだ。
(カルラの、腕だ……!)
呪魔は動物を取り込み、その姿を真似るが、人間だけは取り込めない。だから、個体を増やすための苗床として呪いを植えつける。
呪魔博士のガートルード曰く「人にはなれない可哀想な生き物」それが呪魔だ。
……そんな呪魔の常識を覆す光景が、目の前にある。
ハルクが顔を強張らせて、呻いた。
「おいおい、マジか……」
「流石のおねーさんも、これはちょっと笑えないなぁ」
いつも朗らかなベリルですら笑みを引っ込め、嫌悪感を露わにしている。
呪魔が人の形を取る、というのはそれほどありえなくて、悍ましいことなのだ。
本来、人の形だけは真似できない呪魔が、人の腕を再現できたのは、苗床にしたのがカルラの体だったからだろう。これは、そういうイレギュラーな悪夢だ。
テオは嫌悪感と同時に、強烈な怒りを覚えた。茹った頭から湯気が出そうだ。それぐらい腹立たしい。
(この研究をした奴は……カルラのことを、なんだと思ってるんだ!)
その時、窓の方で物音がした。一般人を逃し終えたカルラが戻ってきたのだ。
カルラは丁度バルコニーに降り立ったところだった。白い髪が夜風に揺れて、仮面に覆われた顔を隠す。
刹那、テオの思考は信じられないほど早く回転した。
あの呪魔が、このタイミングで人の腕を再現したのは何故だ? ……カルラを見たからではないか?
少し前、カルラがジェームズ王子を救出した時、この呪魔はカルラの姿を──苗床にした肉体の形を認識している。
この呪魔はカルラ本体を見て、それを再現しようとしているのではないか?
だったら、呪魔にカルラの姿を見せない方が良い。
なによりもテオは、カルラの姿を真似る呪魔を、カルラに見せたくない。
……とここまでを一秒足らずで考え、そしてテオは動いた。
「『騎士のマントは、惨劇を隠すために』ッ!」
呪装顕現の剣と盾を解除し、作り出すのは騎士のマント。それを大きく広げて、呪魔に被せる。
──酷いもの、恐ろしいもの、世界の醜さを、君に見せたくないんだ。
赤黒いマントの下で呪魔が蠢いている。マント越しに見える少女の手のシルエットが腹立たしい。
テオはマントの上から呪魔を抱きしめた。マントの下からはみ出した尾刺棘がテオの足をザクリと刺し、呪いを流し込む。
負けるものかと腕に力を込め、テオは告げた。
「『忘却よ、在れ』!」
マントを握るテオの手から、白い霧が溢れ出す。
(……忘れろ、忘れろ、忘れてしまえ。お前はカルラじゃないだろう!)
マントの下で呪魔の体がビクビクと痙攣する。少女の腕のシルエットが崩れて、不定形の塊に戻っていく。
カルラの呪装顕現を模した羽と、尾刺棘の鎌も同様に。
それは、テオが初めて呪魔に向けた〈指定忘却〉だった。
(全て忘れてしまえ、カルラの形も──不老不死の再生能力も!)
一際霧が濃くなり、呪魔の動きが止まる。
「『呪装顕現──汝、騎士たれ』」
テオは右手の中に騎士剣を生み出し、それでマントごと呪魔を真っ二つに切り裂く。
カルラの再生能力がある内は、高速再生する肉体が剣の勢いを削いでいた。だが、この呪魔はもうカルラの能力を忘れているから、高速再生はできない。
マントの残骸の下で、半分以下の体積になった呪魔が硬化し、ゴトリと硬い音を立てて床を転がった。
テオは剣とマントを消して、呪魔の残骸を見下ろす。そこに、少女の腕はない。意味のない形の、赤黒い残骸だ。
(……良かっ、た)
「──テオっ!」
テオがよろめいたその時、強い風が吹いた。カルラが飛行能力でバルコニーからテオのところまで、真っ直ぐに飛んできたのだ。
カルラの小さな体が、テオを正面から抱きとめる。
テオは朦朧としながら、己を支えるカルラの腕を見た。灰色騎士団の制服を着た華奢な腕、白く細い指──呪魔とは違う、暖かな体温。
(少しは、騎士らしくあれたかなぁ)
* * *
燭台の火を落とした薄暗い部屋の中、椅子に座っていた一人の人物が立ち上がり、窓辺に近づく。
その人物はカーテンを捲ると、ティンバーガム小宮殿のある方角に目を向けた。
「やっと人の形を覚えたと思ったのに……忘れちゃった」
感情の薄い声は闇の中、染み込むような密やかさで囁く。
「ボクの邪魔をするのは誰だろう?」




