【12】テオクッション(鍛えているので意外と硬い)
教皇と灰色騎士の面会が終わった後、エルバートは灰色騎士の二人に、「聖女様達と話があるんだ。少し待っていてほしい」と告げ、二人を廊下に待たせて扉を閉めた。
重い扉、重厚な鍵。
この部屋は特別製だ。音漏れがしにくくなっているし、鍵も複製が難しく、総長と団長クラスしか使用できない。
扉が閉まると、教皇オーガストはため息混じりの重い声を発した。
「〈忘却〉と〈支配〉、非常に危険な力です。他者に干渉できる歩く呪いが二人も、灰色騎士団に身を置いているなんて……」
「その程度のことで動じるものではありませんよ、オーガスト」
ピシャリと叱咤したのは聖女グレイス。
先ほどまでの、孫に向けるような優しげな声とは一転、鋭く厳しい声だった。
「〈忘却の海〉の力が弱っているのは事実ですが、あの少年二人はその代用足り得ないでしょう」
近づく者を惑わす〈忘却の海〉は、呪魔という侵略者から国を守っている。
だが、その力は年々弱くなり、上陸する呪魔が増えつつある──その事実を知っているのは、国や教皇庁の一握りの人間だけだ。
ここにいる三人は、その事実を知る側であり、故に対策となり得る手段を探していた。
ヒューゴの〈支配〉も、テオの〈忘却〉も、強力な力ではあるが、〈忘却の海〉の代わりにするには弱い。
「エルバート、あの二人は燃え滓邸に返しておあげなさい。ただし……」
聖女グレイスはベールを捲ると、翠眼をギラリと輝かせて言い放つ。
「アンディ坊やが〈支配〉と〈忘却〉を悪用するようなら取り上げろ。あれは、坊やの玩具にして良い力ではない」
聖女グレイスの言う「アンディ坊や」が意味するものを、教皇とエルバートは正しく理解している。
──アンドリュー三世、この国の現国王である。
国王を坊や呼ばわりする聖女グレイスには、教皇と英雄にすら物言わせぬ凄みがあった。
国王アンドリュー三世は歩く呪いの力を研究している。呪魔に対する戦力強化のため、というのが建前だが、実態は違う。
国王アンドリュー三世は私欲のために、歩く呪いの力を欲しているのだ。最近は灰色騎士のガートルードという人物を抱き込み、何やら胡散臭い研究をしているらしい。
歩く呪いの研究が、呪魔対策の一助になるのも、また事実。なので、教皇庁は多少のお目溢しをしていたが、一線を越えたら……。
(この方は、国王陛下が相手でも、断罪の剣を振り下ろされるのか)
エルバート・ランドルフは胸の内で呟き、聖女グレイスを見る。
エルバートは知っているのだ。聖女グレイスが、王族に特別な思い入れがあることを。
それでも、国王アンドリュー三世が道を踏み外したら、リチャード王太子がその矛先を教皇庁に向けたら、聖女グレイスは悲しみながら、断罪の剣を振り下ろすのだろう。
それはエルバートの望むところではないのだ。
エルバートは最上位の敬意をもって、聖女グレイスに訊ねた。
「〈忘却〉の灰色騎士テオは、貴女方が探し求めていた方と関係があるのではないかと、私は考えます」
聖女グレイスの細い眉がピクリと動いた。
この話題は、軽々しく口に出して良いものではない。それを承知で口を挟んだのか、と聖女グレイスの冷ややかな目が問うている。
聖女グレイスが怒りを表明するより早く、教皇が口を挟んだ。
「確かに我々は、〈忘却の海〉を維持する者を探し続けてきた。だが、それは決して呪魔によってもたらされた呪いではないはずだ」
「聖下の仰る通りです。ただ、どうか一つ進言をお許しください」
教皇が困ったように聖女グレイスを見る。
聖女グレイスはエルバートをジロリと睨み、首肯した。
「許可しましょう。くだらぬ冗談なら磔にしますよ」
「テオを見つけた時、貴女と似ていると感じました」
「磔にして差し上げましょう、殉教なさい」
「貴女がそれを望むなら」
「…………」
曇りない目のエルバートに、聖女グレイスが口を閉ざす。ついでにベールを下ろして顔も閉ざされてしまった。
テオと聖女グレイスは似ている。それはエルバートだからこそ感じたことだ。
聖女グレイス達が探している、かつて失われた存在。
それと類似の能力を持ち、かつ、聖女グレイスの面影のある少年テオ。
何かがある、とエルバートは確信している。
いよいよ口を閉ざしてしまった聖女グレイスと、困り顔のエルバート。そんな二人に、教皇がため息混じりに言った。
「今は、あの忘却の灰色騎士の成長を見守りましょう。もし、その力が今より強くなるのなら……それこそ、〈忘却の海〉の再現が可能になるのなら、その時はなんとしても、こちらに引き抜かなくてはならない」
無論、その時は国王やリチャード王太子の猛反発は必至。
いずれにせよ、テオの存在は特大の火種になる。予感ではない。確信だ。
エルバートは、亡き戦友ダンカンが育てた子を政治闘争に巻き込みたくはない。
(それに、何より……)
純粋な憧れの眼差しを向けてくる、あの少年を思い出す。
皆に忘れられてしまう呪いを抱えて、それでも人の記憶に残ろうとひたむきに努力する、あの少年に報われてほしい。
いつかエルバートの従騎士になりたい、というあの少年の願いを叶えてやりたい。
(……テオの期待を、裏切りたくはないが)
全ては天使様の御心のままに。
高位聖騎士の称号を得た時、そう誓った。それこそが、エルバート・ランドルフの行動原理なのだ。
* * *
廊下でエルバートを待つテオは、ヒューゴに小声で話しかけた。
「エルバート様、何の話をしてるのかな」
「きっと、俺達の寸評会だろ。まぁ、俺は見込みアリかもしれねーけど、お前は駄目だな。チビだから」
「僕はこれから伸びるんだ。エルバート様ならきっと、伸び代のある若者だって言ってくれる……はず!」
テオは確かに同年代の少年に比べたら小柄だが、これから伸びるのだ。英雄ランドルフや兄貴分のアレンのようにすくすくと。
意気込むテオに、ヒューゴは身を屈め、小声で言う。
「真面目な話、俺らの能力ってさ、一般人相手に使ったら悪さし放題なわけだろ」
「……うん」
人の記憶に残りづらく、また任意の記憶を失わせることができる、テオの〈忘却〉。
歌を聴いた人間を操ることができる、ヒューゴの〈支配〉。
〈忘却〉は一度に大勢にはかけられないし、〈支配〉は歌っている間のみ、という制限こそあるが、使い方次第ではいくらでも悪用できる。
「だから、悪さすんなよーって釘刺したかったんじゃねぇの? 教皇聖下と聖女様に言われたら、まぁ普通は萎縮するし」
なるほどあり得る話だ。
ヒューゴも真面目に考えているんだな、とテオが感心したその時、何かが転がる音が聞こえた。チャリンと硬質な金属が床にぶつかる音──ティースプーンだ。
ティースプーンが落ちてる床のすぐそばには階段。そして、「キャッ」という小さな悲鳴。
嫌な予感を覚えたテオは、スプーンが落ちているあたりに走った。
それとほぼ同時に階段から人が落ちてくる。ティーセットのトレイを手にした女だ。
テオは咄嗟に女の落下位置に移動し、両手を伸ばして受け止めた。ズシリ、と両腕に負荷がかかり、小柄なテオは尻餅をつく。
少し遅れて、カップの中身の紅茶がテオの頭にかかった。ただ、女にはかかっていない。そのことにホッとしつつ、テオは自分の上に乗っかっている女に声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「は、はい……」
真っ青な顔をしているのは、フワフワとした黒髪の女だった。年齢は十代後半ぐらいだろうか。清楚で可愛らしい雰囲気があり、丈の長いローブを着ている。
そのローブの意匠に見覚えがあった。よく似た服装の人物と、ついさっき会ったばかりなのだ。
テオがまじまじと女性を見上げていると、ヒューゴが駆け寄ってきた。
ヒューゴはいつもより心なしキリリとした顔で、テオを無視して女に声をかける。
「お姉さん、大丈夫ですか。怪我はありませんか」
か弱い女性を心配するのは結構だが、ヒューゴの目は明らかに、女の豊かな胸をチラチラ見ていた。
(それよりもローブを見ろ、ヒューゴ。この人、多分……!)
女はもたれていた体を起こすと、紅茶の雫を滴らせているテオを見て、顔色を変える。
「大変! 紅茶が……早く冷やさないと! こっち、こっちに来てください」
「いえ、僕は大丈夫で……」
「駄目です。火傷をしていたら、大変!」
女はテオの手を引いて階段を上ると、声を上げた。
「セシリー! セシリー!」
女の呼びかけに答えるように、近くの部屋の扉が開いた。
姿を見せたのは、紅茶をこぼした女より少し若い黒髪の少女で、高位聖職者の付き人が着るような、清楚なローブを身につけている。彼女がセシリーらしい。
セシリーは自分を呼んだ女を見て、ギョッとしたような顔をした。
「シェリル姉様、何してるの!? お茶出しなら私がするって言ったのに!」
「ごめんなさい、セシリー。教皇聖下とグレイス様がお会いになると聞いて、どんな方なのか見てみたくて〜……それでね、こちらの方がわたくしを庇って紅茶を被ってしまって……」
フワフワした黒髪のおっとりした女性がシェリル、その妹らしき少女がセシリー。
二人とは初対面だが、さすがのテオもシェリルの名前は知っていた。
「あの、すみません。シェリルさんって、えぇと……もしかして……」
しどろもどろなテオに、シェリルは姿勢を正して自己紹介をする。
「わたくし、〈創造〉の聖女シェリルと申します。この度は危ないところを助けていただき、ありがとうございました〜」




