【11】教皇と聖女
無言になってしまったステラの先導で辿り着いたのは、聖騎士団本部の奥にある一室だった。
ステラがノックをすると、扉が内側から開く。
姿を現したのは予想外の人物だった。
「やぁ、ようこそ」
そう言って上品に微笑んだのは、月のように淡い金髪に神秘的な紫の目の美丈夫。
第一騎士団長エルバート・ランドルフである。
憧れの英雄の登場に、テオの頭はもうすっかり茹ってしまった。隣ではヒューゴも目を大きく見開き、興奮した様子で「すっげ……」と呟いている。
(わかる、わかるよ、ヒューゴ。すごいんだ、エルバート様は!)
もちろん、ここでピョンピョン飛び跳ねてはしゃぐのは騎士じゃない。
テオは自分にできる一番キリリとした顔で、挨拶をした。
「お久しぶりです、エルバート様」
そう口にして一瞬不安になるのは、過去に「久しぶりです」と言った相手に怪訝そうな顔をされたことが何度もあるからだ。忘却の呪い持ちの悲しい宿命である。
だが、エルバートは怪訝な顔なんてしなかった。
「テオ、久しぶりだ」
自然とテオの口角が上がった。
エルバートはテオの忘却のことを知っているから、あえて名前を呼んでくれたのだ。その優しさが嬉しい。
「レジルナでは私の部下が世話になったね。グレゴリー隊長から、君達の活躍は聞いているよ」
慎重な男オズワルド・グレゴリーは、テオとヒューゴの奮闘を、エルバートに伝えてくれていたらしい。
ありがとうグレゴリー隊長。なんて良い人なんだ、グレゴリー隊長──と、テオの中でオズワルド・グレゴリーの評価は右肩上がりである。
「ステラ、案内をありがとう」
エルバートがステラに礼を言うと、ステラはプイとそっぽを向いた。
「私は、次の仕事があるので失礼する」
素っ気ない口調で言った後、ステラはテオとヒューゴをチラッと見て、バツが悪そうな顔をする。
だが結局何も言わず、早足で歩き出した。
エルバートが眉尻を下げて、テオに小声で言う。
「もしかして、ステラと何かあったかな? ……彼女は、子どもに嫌われると酷く落ち込むんだ」
テオはパッと振り返った。ステラの後ろ姿は既に小さくなっている。
テオはその後ろ姿に向かって声を張り上げた。
「ステラさん! 案内ありがとうございました!」
一瞬ステラの動きが止まり、次の瞬間にはサッサカと早足になる。
エルバートがクスクスと笑い、「ありがとう、テオ」と礼を言った。
「さぁ、中に入ってくれ。教皇聖下は君達の活躍を労いたいらしい」
立派な扉の奥、応接室らしいその部屋には、二人の人物が椅子に腰掛けていた。
緑のローブを着た六十歳ほどの男と、青いローブを身につけ、顔をベールで覆った老女──男の方が教皇オーガストだろう。老女はよく分からない。
「教皇聖下、〈再生〉の聖女グレイス様、灰色騎士二名をお連れしました」
〈再生〉の聖女グレイス。それは、羽十字教における三聖女の一人だ。
羽十字教では、天使の加護を最も強く受けた女性を聖女とし、奉仕活動にあたっている。
〈再生〉の聖女グレイスは、高位の〈再生〉の加護を持ち、その力で他者を癒すことができる数少ない存在だ。
〈再生〉の加護持ちは、テオの育ての母オリビアと兄アレンがそうだが、下位の加護だと傷の治りが少し早い程度。他者の傷を癒すことができるのは、高位の加護を持つ者だけだ。
テオが知る限り、他者を癒せる〈再生〉の高位の加護持ちは、聖女グレイスと高位聖騎士エルバートぐらいである。
「まぁ、こんな小さな子達が、レジルナの救世主だなんて」
聖女グレイスが皺だらけの手を合わせて言った。ベールに覆れて表情は分からないが、その声は可愛い孫をもてなすかのように朗らかだ。
「あの村には、わたくしも支援に行ったことがありますよ。麦畑の甘い麦の香りを、風が穂を揺らす音を、今でも覚えています」
聖女グレイスの言葉に教皇が一つ頷き、声を発した。
「〈忘却〉の灰色騎士と、〈支配〉の灰色騎士よ」
穏やかで力強い声だ。讃美歌を歌う時のヒューゴの声に、纏う空気が似ている。
そのヒューゴはというと、ガチガチに固まっていた。これだけ近い距離で教皇や聖女に会うのは流石に初めてだったらしい。
(……これが羽十字教の最高位聖職者、教皇オーガスト)
威圧的ではないが厳かで、自然とこちらの背筋が伸びる人だ。
この人は羽十字教の教えを体現するべく在るのだと感じた。
「貴方達の働きで、多くの人が救われた。あの土地を、そしてそこに暮らす人々を守ってくれてありがとう」
教皇が深みのある声で礼を言い、聖女グレイスが朗らかに訊ねる。
「レジルナでは、〈支配〉と〈忘却〉の力を使って、果敢に戦ったと聞きましたよ。どのように立ち回られたのかしら?」
こういう時は、自分が話して良いものだろうか?
テオがちらっとエルバートを見ると、エルバートが小さく頷いて、テオ達の代わりに説明をしてくれた。
「レジルナに現れた呪魔は傀儡を百以上操る個体でした。操られた人々を、灰色騎士ヒューゴが〈支配〉の歌で足止め。そして、灰色騎士テオは〈忘却〉の力で呪魔の動きを止めて、見事討ち取りました」
エルバートの説明を聞く聖女グレイスはベールで顔を隠しているが、それでもニコニコ微笑んでいるような空気を感じた。
「お二人は、灰色騎士になって日が浅いと聞きました。それなのに、これだけ力を使いこなしているなんて、素晴らしいことです」
最高位聖職者に手放しに褒められ、テオとヒューゴはひたすら照れた。
灰色騎士はいつ呪魔化してもおかしくない存在。故に、危険視され忌み嫌われることも多い。
だが、教皇も聖女グレイスも、そんな態度はおくびにも出さないのだ。
聖女グレイスが皺だらけの手で、テオとヒューゴを手招きした。
「二人とも、顔を近くで見せてくださる?」
二人が聖女グレイスに近づくと、彼女は顔を覆うベールを外した。
ヒューゴがギョッとした顔をする。テオは詳しくないが、聖女グレイスがベールを外すと言うのは、きっとそうあることではないのだろう。
ベールの下の素顔は、ほっそりとした顔に凛とした目の老女だった。老いて垂れた皮膚が彼女を幾らか柔和に見せていたが、それでもなお若かりし日の鋭い美しさが伺える。
聖女グレイスと言えば、呪魔との戦いで疲弊した聖騎士達の傷を癒しただけでなく、貧困している子ども達を支援する活動を続け、幾つもの修道院を創立した人物だ。
聖女就任の式典での『この国の子どもは、皆私の子も同然です』から始まるスピーチは、とても有名である。
聖女グレイスの翠眼がヒューゴを見た。
「貴方の歌声、覚えていますよ。メルクリフ大聖堂聖歌隊に所属していたのでしょう?」
「はい」
応じるヒューゴの横顔は、聖歌を歌う時のように真剣だった。
ヒューゴはいつもすぐに怠けるお調子者だが、聖歌のこととなるととても真摯なのだ。
「とても素晴らしい歌声でした。また、貴方が聖歌隊の一員として壇上に上る日を楽しみにしています」
「光栄です、マザー・グレイス」
ヒューゴの表情は、教師に褒められた時のように誇らしげで、母に褒められた時のように幸福そうだった。
だからこそ彼女を慕う人間は皆、親しみと愛情を込めてマザー・グレイスと呼ぶのだ。
聖女グレイスは目尻の皺を深くして微笑み、今度はテオを見た。
「賢そうな顔ね。何より、意志の強い目をしている。ご両親は?」
「いません。捨て子だったところを、聖騎士ダンカン・ローレンスの家に拾われました」
「……そう。不躾なことを聞いてごめんなさいね」
そう言って、聖女グレイスはベールを下ろす。それでも黒いベール越しに視線を感じた。
その視線に、優しさだけではない何かを感じるのは気のせいだろうか?
テオの顔が覚えにくくて凝視しているのかとも思ったが、この人は最高位の〈再生〉の加護を持っているのだ。テオの忘却は効かない筈である。
僕の顔に何かついてますか? とテオが訊ねるより早く、聖女グレイスは言った。
「どうか、その力を平和の貢献に役立ててください。そしていつか、すべての呪魔を討った時、貴方方が呪いから解放されることを祈っています」




