【6】優しい童話
ガートルード、ベリルと別れた後、テオはレニーをポケットに押し込み、娯楽室に向かった。
娯楽室の本棚には、歴代の灰色騎士達が持ち込んだ本が雑多に詰め込まれている。そこに、ガートルードから貰った冊子を置いておこうと思ったのだ。
『呪魔の生態 〜教えて、呪魔博士!〜』は作者に思うところはあるが、内容は非常に充実している。灰色騎士団内で共有した方が良い情報ばかりだ。
娯楽室のテーブルの前では、白髪赤目の少女──カルラがちょこんと椅子に座って、ノートを広げていた。
最近のカルラは燃え滓邸内では仮面をつけていない。あどけなさの残る白い顔は、真剣に紙面を追いかけていた。
いつもは、ぼんやりとした表情で思い出に揺蕩っているので、少し珍しい。
「カルラ」
テオが声をかけると、カルラがパッと顔を上げた。
ボサボサの白髪がふわっと広がって、元の位置に収まる。驚きに丸くなった赤い目が、テオを見ていた。
「すまない、勉強の邪魔をしてしまったかな?」
「勉強じゃない……思い出の、見直し……」
そう呟いて、カルラは隣の椅子をズリズリと引っ張る。
自分の真横に椅子を並べたカルラは、ジィッとテオを見上げた。これは、隣に座って良いのだろうか。
テオは「失礼します」と小声で断り、カルラの隣に座る。
腕や肩が触れる距離に少し緊張した。その緊張を誤魔化すように、テオは机のノートを見る。
古びたノートには、色褪せたインクの文字が連なっていた。もう随分と昔に書かれたものだ。
(そうか、カルラは不老不死の呪いだから……)
カルラは自分の年齢を覚えていないらしいが、おそらくきっと、この燃え滓邸の誰よりも長く生きている。
このノートも、相当昔に書かれた物なのだろう。
カルラは広げたままのノートを、テオに見えやすいように動かした。
『ある日、お腹を減らしたズル賢い狐は、前方に林檎の木を見つけました。どっしりと太く立派な木には、ツヤツヤとした真っ赤な林檎が、いくつもぶら下がっています』
辿々しい文字は、カルラが書いたものだろうか。その内容に、テオは見覚えがあった。
「これって……童話の『狐と林檎』?」
「そう」
それは古い童話の一つだ。
ズル賢い狐は、小さなウサギ達を騙して林檎を独占し、更にはウサギ達も食べてしまう。そうしてお腹いっぱいになって身動きが取れなくなった狐を、熊がペロリと食べてしまう……というものだ。
ところが、ノートに書かれている物語は途中から話が変わってくる。
『ズル賢い狐は、小さなウサギ達のことが可哀想になって、林檎を分けてあげました。すると、そこに熊がやってきたので、狐は熊にも林檎を分けてあげます。狐とウサギと熊は、仲良く林檎を食べました』
テオは、古びたノートのページをそっと捲る。捲る。
どれも有名な童話ばかりだ。ただ、内容が微妙に違う。
狼に食われる間抜けな羊飼いは、優しい隣人達に助けられ、柵を作って生き延び、
妹に意地悪をするはずだった姉は、妹が可愛くなって、お気に入りのリボンを贈り、
怖い王様は心を入れ替えて、民に優しくなり、
悲劇のお姫様には優しい奇跡が起こって、最後は幸せになる。
これは悲しい結末にならないように、少しずつ手を加えた優しい物語だ。
「昔は、呪魔と戦う時以外は、暗い部屋に閉じ込められていて……そこで、一冊の本と出会ったの……その本が、この物語を教えてくれた」
以前カルラは、とある本を探していると言っていた。
もう一度巡り会えたら、他に何もいらない。そのためだけに生きてる──と。
きっと、その本のことを言っているのだ。
「その物語に触れている時だけは、心がふわふわして……それがわたしにとっての、幸せな時間、だったの」
ノートに記された物語に、テオは誰かの祈りを感じた。
この物語を読んだ子どもが悲しくないように、という優しい祈りだ。
願わくば、その祈りがカルラのためのものであって欲しい。
「あの本がなくなった時、とても悲しかった。忘れたくなかった。だから……紙に書いたの。わたしが、少しでも忘れないように」
カルラはインクの文字を指でなぞる。
いつもぼんやりしている横顔が、今はどこか悲しげだ。
「でも、紙やペンを使えるようになるまで、とても時間がかかって……きっと、忘れてしまった物語がたくさんある。それが、とても悲しい」
「じゃあ、一緒に探そう」
その言葉は、自然と出てきた。
白髪が揺れて、赤い目がテオを見る。
「ここに書いてある物語はどれも、古い童話をベースにしたものだ。だから、童話集を読んだら、思い出すかもしれない」
娯楽室の本棚に、童話集はない。
だから、次に外出する機会があったら、書店に行って童話集を探すのだ。
或いは、準職員であるノアとモラン夫人に頼んで、図書館で借りてきてもらうのも手だ。
「童話集を読んで、思い出したら、この新しいページに書いて……あれ?」
ノートの記述は、残り数ページぐらいのところで止まっている。
そして、その最後のページに一枚のメモ用紙が挟まっているのだ。
メモにはただ一言「テオ」と書いてある。
なんでこんな物が挟まっているのだろう? テオが視線で訊ねると、カルラは淡々と答えた。
「忘れたくないから、書いたの」
テオの胸が強く鼓動した。
だって、このノートはカルラにとって忘れたくない大事な思い出を書き残した物で──そこに、テオの名前も挟まれていたのだ。
忘れたくない、の一言だけで、テオは嬉しくて嬉しくて仕方がない。
にやけた顔をカルラに見られないよう俯いていたら、ポケットからレニーが顔を覗かせた。
「めふぅ」
「ごめん、レニー、今ちょっと顔を上げられないんだ」
緩んだ顔にギュッと力を込めて引き締める。騎士は簡単にニヤついてはいけないのだ。
引き締めた顔を持ち上げ、カルラを見る。血の気の薄い白い肌。いつもぼんやりしている赤い目が、今は微睡むのをやめてテオをジッと見ている。
サラサラした白髪が窓から差し込む日の光を透かして、キラキラと光って見えた。
不思議と胸がキュッとなる。その感傷を胸に、テオは言った。
「僕を覚えようとしてくれて、ありがとう」
カルラは、何故お礼を言われているのか分かっていない顔をしている。それでも構わない。
ウォルグで暮らしていた頃は、必死で声を張り上げて、主張をして、仕事をして、顔と名前を覚えてもらおうと必死だった。
人一倍頑張って、ようやく「金髪三つ編みのチビ」とぼんやり認識してもらえる程度だったのだ。
当たり前のように、組織の一員として扱われているだけで、テオは泣きそうなほど嬉しい。
「テオ」
カルラが手を伸ばす。白い指先が、テオの小さな三つ編みに触れる。
「わたしは、覚えてる」
少女の唇がそう告げた瞬間、部屋の扉が勢いよく開いた。駆け込んできたのは、オレンジ色の髪にそばかす顔の少年ヒューゴだ。
「おい、テオ! やべぇぞ、やべぇ! オレ達、呼び出されたんだよ!」
カルラが伸ばした手を下ろす。
テオはドキドキうるさい心臓を宥めて、ヒューゴを見た。
「呼び出されたって……任務?」
呼び出されたとなれば、それぐらいしか思いつかない。
だが、ヒューゴが口にしたのは意外な人物だった。
「そうじゃねぇよ。プリンス・オブ・ルケイオン──リチャード王太子殿下が来てるんだ! オレ達に用事があるって! オレ達、王子様に呼び出されたんだよ!」




