【4】忘却の理由
「おや、君は誰だろう」
結論から言うと、ガートルードはテオのことを忘れたし、テオの心はあまり痛まなかった。
あまりに突き抜けたガートルードの変人っぷりが、忘れられたことに対するショックを上回ったからである。
テオのことを忘れてしまったガートルードに、ベリルが託された紙を、「ほい」と渡す。
ガートルードはそこに書かれた文字に一通り目を通すと、紙面から顔を上げてテオを見た。
「やぁ、テオ君。初めましてではないけれど、初めまして。早速、君の能力の検証結果をまとめよう」
「あの、ガートルード先生は僕のこと……忘れたんですよね?」
ガートルードが、あまりにもスムーズに話を進めるものだから、テオは困惑した。
こういう時は、「どういうことなんだ」と説明を求めるものではないだろうか。
だが、ガートルードは初めて会った時と同じ薄笑いを浮かべたままだ。寧ろ、どこか楽しげですらある。
「あぁ、君のことはなに一つ思い出せないが、この紙に君とのやりとりが記録されている。それが私の筆跡ともなれば、疑うべくもない」
そう言って、ガートルードは手元の紙の束をヒラヒラと揺らして見せた。これを短時間で読み、即座に状況を理解したらしい。正直、頭の回転が速すぎて怖い。
そこにベリルが、ふと思い出したように訊ねた。
「そういやガートルード先生さぁ、記憶を失くす前に、テオのことはアーチボルド管理官から聞いてた、って言ってたけど、それは覚えてる?」
「……記憶にないねぇ。いや、アーチボルド管理官に会って会話をしたことは覚えているが、テオ君に関するやりとりだけ曖昧だ。なるほど、間接的に知った記憶まで、しっかり失われるわけか」
ガートルードは目を閉じると、自身の頭に指を添える。
白く細い指が、頭をモミモミと捏ねた。
「記憶が霞がかっている部分と、明確に消えている部分の両方を感じる……テオ君の存在そのものを明確に記憶から消した上で、間接的にテオ君を知った時のやりとりは曖昧にぼかすのかな。おそらく時間の経過とともに、この曖昧な部分も忘れていってしまうのだろうねぇ」
テオは少し感心してしまった。
忘却について、ここまで具体的に表現してくれる人がいるとは思わなかったのだ。
忘却能力の検証をするということは、相手に忘れられてしまうこと。信頼を重ねた相手であるほど、それは難しくなる。
そういう信頼を築く前に、実利優先の検証をしてくれるというのは、非常にありがたい話である。
そう、とてもありがたいのだが……。
「記憶とは、何かに紐づけることで覚えやすくなる。例えば、『テオ君はいつもパンを食べている』『パンを見ると、テオ君を思い出す』という具合にだ。君の忘却能力は、そういう結びつきをもちょん切ってしまうのか、まだまだ検証の余地はありそうだねぇ、ふふふふふ……頭の中をいじられるなんて、なかなかできない経験だ。これは困った、少し癖になりそうだねぇ」
テオは顔いっぱいに悲壮感を漂わせ、ベリルに囁く。
「ベリルさん、僕……ちゃんとガートルード先生に感謝したいんです……感謝したいのに……」
「うん、これは感謝する前に引いちゃうよなー……気にするな、少年。大体みんなそうなる」
「うぅ、ガートルード先生、ごめんなさい……感謝してるのは本当なんです」
ベリルにポンポンと肩を叩かれながら謝るテオに、ガートルードはニタリと笑みを深くした。
「うふふ、なぁに、もとより感謝されるためにやっていないから、気にしていないさ。さて、ここで現状分かっていることをまとめてみよう。灰色騎士団内でも共有した方が良いからねぇ」
ガートルードはテオの三種の忘却能力を、それぞれ一般人、歩く呪い、呪魔にかけた場合の結果をまとめて、紙に書き込んだ。
* * *
【対象:一般人】
〈常時忘却〉→有効。テオの認識が困難になったり、すぐに忘れたりする。(但し、毎日会っていると多少は認識可能)
〈忘我〉→有効(およそ十秒)。 テオのことを忘れる可能性大。
〈指定忘却〉「今朝の朝食」→有効。「今朝の朝食」を忘れる。テオのことも忘れる。
【対象:歩く呪い(ガートルード)】
〈常時忘却〉→無効。
〈忘我〉→有効(およそ十秒)。 テオのことは忘れない。
〈指定忘却〉①「今朝の朝食」→有効。「今朝の朝食」を忘れる。テオのことは忘れない。
〈指定忘却〉②「テオ」→有効。テオのことを忘れる。
【対象:呪魔】
〈常時忘却〉→不明。ただし、テオに攻撃を仕掛けてくるので、認識はできている様子。
〈忘我〉→有効(およそ十秒)。
〈指定忘却〉→不明。
* * *
「なぁなぁ、ガートルード先生。歩く呪いと加護持ちは同じ結果と思って良いかな?」
ベリルの言葉に、ガートルードはすぐには首肯しなかった。返す言葉は慎重だ。
「そこは(仮)にしておくぐらいで良いだろうねぇ。他にも、テオ君とどれぐらい親しいか、どれだけテオ君のことを知っているかで、忘却する記憶の量が変動するだろう? テオ君の能力はまだまだ未知数。ここに書いてあることは、あくまで目安ぐらいに思っておきたまえ」
ガートルード曰く、本来こういったことは、大量のサンプルを用意するべきらしい。
だが、大量の歩く呪いや加護持ちを用意するのは難しいし、何より、検証に参加した人間がテオのことを忘れてしまう。
だから、これはあくまで一例を取り上げただけの目安だ、とガートルードは念を押した。
「重要なのは、我々歩く呪いに対しても、〈忘我〉や〈指定忘却〉は有効であること。そして、これらの余波でテオ君を忘れることはないが……最初から忘却対象をテオ君とするなら、忘却は成立するということだ」
呪魔に遭遇した一般人の少女から、恐怖の記憶だけを奪った時、少女は恐怖の記憶だけでなく、テオのことも忘れてしまった。
歩く呪いであるガートルードの場合、特定の記憶を消されても、テオのことを忘れたりはしなかったが、「テオを忘れろ」という指定忘却によってテオを忘れてしまった。
この違いは重要だ。
「テオ君、君は初めて呪装顕現をした時、暮らしていた町の住人達に忘れられてしまったそうだね?」
「……はい」
母のオリビア、友達だと思っていた少年少女、同じ炭鉱で働いた鉱夫達、皆テオのことを忘れてしまった。覚えていたのはアレンだけだ。
「呪装顕現に初めて成功した時は、大抵半暴走状態になる。君の〈常時忘却〉が一時的に暴走したことで、その忘却の度合いは強化され、効果範囲も街一つ分に及んでしまったのだろう」
心当たりはある。初めての呪装顕現は、自分の中に溜め込んだ力が一気に噴き出したような感覚があったのだ。
二回目以降は、ある程度出力を調整しているので、忘却の範囲を最小限にできている。
……言い換えれば、力を暴走させることで、テオは忘却の効果範囲を広げることができてしまうのだ。
想像するだけで、テオの足が竦む。
世界中から忘れられて一人ぼっちになること。それがテオは何より恐ろしい。
「君の能力は相当に強力だぞ。気をつけて使いたまえ」
「……はい、肝に銘じます」
どんなに強力でも、これはテオを孤独にする力だ。
軽率に使って良い力ではない。それを肝に命じるテオの前で、ガートルードが頬に手を当てて微笑んだ。
「でも、呪魔に使う分には構わないからねぇ。今度、君が呪魔相手に忘却を使うところをじっくり見せておくれよ、うふふふふ……ふふ、じっくり見てあげるからねぇ……」
片眼鏡の黒いレンズの奥で、目が爛々と輝いた気がした。怖い。
途方に暮れるテオの肩を、ベリルがポンと叩く。
「強く生きろ、少年」
灰色騎士としてやっていくには、身体だけでなく心の強さもいるらしい。
具体的には、言動が不気味なお姉さん相手に、心が折れないだけの強さが。
「さてさて、能力に関する話が済んだところで、ちょっと身体検査をさせてもらおうか。呪印を見せてくれるかね」
「は、はい……」
テオがシャツの胸元をはだけると、ガートルードは左目につけた片眼鏡のパーツに触れた。カシャンと音がして、透明なレンズに切り替わる。
レンズの向こう側にある彼女の左目は、呪印で白目が真っ黒になっていた。
そういえば、常に紙袋を被っている灰色騎士団団長のJJも、目の周辺が呪印になっている。
「団長は呪いが見える能力だと聞きました。ガートルード先生の能力も、同じようなものですか?」
「そうだねぇ……似ているけれど、少し違う。団長は広範囲を知覚するタイプでねぇ。対して私は、広範囲の知覚はできないが、目の前にある呪いをじっっっくりと見るのが得意なんだ」
JJは特殊なチョーカーに自身の力の一部を付与することで、その居場所を常に知覚できる能力がある。ガートルードの目は、それと比べてかなり限定的らしい。
レンズの奥の左目が赤黒く輝く。
歩く呪いは自身の呪いの力を扱う時、目が赤く底光りするが、ガートルードの場合、眼球も白目も真っ黒なので、殊更赤い輝きが際立って見えた。
「心臓に呪印か。これはさぞ痛かっただろうねぇ、ブスリといった痕だ……ブスリ、ブスリ……」
呪魔の尾刺棘に胸を貫かれた時のことを思い出し、テオは「うっ」と胸を抑える。
見かねたベリルが口を挟んだ。
「私が初めて会った時、テオには呪印がなかった。でも、その時点でテオの〈常時忘却〉は発動していたみたいなんだけどさ、どういうケースが考えられるかな?」
「ほぅ? なら、この呪印はいつ?」
ガートルードが興味深そうにテオの胸の呪印を見る。
テオは少し視線を落として答えた。
「先月、ウォルグに現れた呪魔に尾刺棘で胸を貫かれた時です。ベリルさんが仰るには、元々は心臓に呪印があって、それが表層化したんじゃないか、と」
ガートルードは眉根を寄せて、ふぅむと唸った。
何やら納得できないことがあるらしい。
「君は、いつから人に忘れられるようになったんだい?」
「五年前、今の家族に拾われた頃からです。僕、それ以前の記憶がなくて……」
トスッ、とガートルードの指がテオの額を突く。
片眼鏡の奥で、彼女の左目が赤く発光した。
「それは、君が自分自身に忘却をかけた、という可能性はないかね?」




