【17】忘我
傀儡を操る呪魔が見つからない。
テオ達が焦りだしたその時、傀儡が動き出した。一瞬、ヒューゴの支配が終わったのかと焦ったが、よく見ると違う。
傀儡達は明らかに今までとは違う動きで、村の集会所目がけて走っているのだ。これが呪魔の仕業なら、最初から傀儡を走らせていたはず。
(ヒューゴか!)
テオ達の前方にある森で、ガサガサと草木が揺れる音がした。
傀儡達が森から離れて一斉に村の集会所に集う、その動きに焦った呪魔が接近してきたのだ。
テオは腰に吊るしていたランタンを置き、己の胸に手を当てた。
「『呪装顕現──汝、騎士たれ』」
黒い剣、盾、マント、ブーツ。テオがそれを顕現するのと、森から呪魔が姿を見せるのはほぼ同時だった。
ランタンの灯りに照らされるその姿は、カエルに似ている。大猪ほどもある巨体のカエルだ。その丸い目は赤く、全身にはポコポコと何かが生えているように見える。
(……あれは、キノコ?)
呪魔はその体に取り込んだものを再現するという。ただ、何を取り込むか、どう再現するかは個体によって異なる。この呪魔の場合、それがカエルとキノコだったのだろう。動物、鳥、魚等の生き物は聞いたことがあるが、キノコを再現する呪魔は珍しい。
(尾刺棘は、どこだ……)
呪魔と戦う時、最も警戒すべきは尾刺棘だ。尾のない生き物の姿になっても、呪魔は必ずどこかに、呪いを注ぐための尾刺棘を隠している。
慎重に観察していると、突然視界から呪魔が消えた──違う。呪魔が飛び上がったのだ。
カルラが大鎌を構えて叫ぶ。
「テオ、上!」
あんな巨体に押し潰されたら、ひとたまりもない。
テオとカルラはそれぞれ左右に展開し、呪魔を切りつけた。
小型獣ぐらいの大きさなら、数回切れば殺せるが、この大きさだとひたすら端から削っていくしかない。
テオはまず、カエルの後ろ足を一本削いだ。カルラはカエルの頭頂部を削る。
カエルは大きく口を開け、長い舌を伸ばした。その先端が鋭く尖っている。あれが尾刺棘か。
尾刺棘が細く長く伸びて、テオを狙った。テオはすかさず左手の盾でそれをいなす。そのまま尾刺棘の切断を狙ったが、それより早くカエルの巨体が飛び上がった。
ズン、と地面を揺らしてカエルが着地する。図体は大きいのに、動きが素早い。
(……それでも、いける。ちゃんと僕達の攻撃は通用してる)
ヒューゴの歌が傀儡を食い止めていられるのは、残り数分。テオとカルラが二人がかりで攻撃に集中すれば、時間内に削りきれるはずだ──そう思った瞬間、横っ面を何かに殴られ、テオは吹っ飛んだ。
「ごふっ!?」
地面を転がりながら、テオは辺りを見回す。
(なんだ今の攻撃、何かが横から飛んできて……)
その時、くぐもった悲鳴が聞こえた。カルラの悲鳴だ。咄嗟に目を向けたテオはギョッとした。カルラの体は闇に埋もれている──違う、あれは黒く丸い何かが、幾つもひっついて、カルラの体を押さえ込んでいるのだ。
最初は、新手の呪魔かと思った。だが、テオはすぐ自分の思い違いに気づく。
(そうか、今の攻撃は……)
テオは己の背後──村の集会所の方角に目を向ける。
だいぶ距離があるが、それでも、傀儡達が皆地面に倒れているのが見えた。
* * *
一番最初に異変に気づいたのは、屋根の上のヒューゴだった。
今までは、ヒューゴの歌と呪魔の分身体が、傀儡となった人間の支配権を奪い合っている状況だった。
それが突然、呪魔側の支配が途切れたのだ。
最初は、テオ達が呪魔本体を倒したのかと思った。だが嫌な違和感がある。
(んんん? なんだなんだぁ?)
ヒューゴは歌うのを止め、目を凝らした。
ヒューゴから見て正面に麦畑があり、その奥の森の近くにテオとカルラがいる。そこで黒い何かが蠢いていた。
同時に気づく。傀儡達から黒い何かが飛び出し、テオ達のいる方角に向かっている。暗くて視界不明瞭なので気づくのが遅れた。
(あれは……背中に張りついてた分身体か!)
およそ一五〇人の背中に張りついていた黒い球体──呪魔の分身体。それが一斉に人間の背中を離れ、呪魔本体の方に向かっているのだ。
この状況で、ヒューゴにできることはない──否、一つだけある。
ヒューゴは息を吸い込む。喉を痛めるからこういう叫び方はしたくないが、今は非常事態だ。
「分身体だ! 分身体が本体に戻ったぞ!」
* * *
ヒューゴの叫びを聞いたオズワルド・グレゴリーは、状況を理解し、ほぞを噛んだ。
彼と部下のマシューの前には、不定形の呪魔が一体。不定形のそれはタプン、タプンと揺れている。
最初は当たりを引いたかと思ったが、違う。
幾つもの黒い球体が、集会所の方から麦畑を横断して、森の方に飛翔している。あれはテオとカルラが向かった方角だ。つまりそちらに、分身体の本体、傀儡を操っている呪魔がいるのだろう。
(あれだけの数の分身体を集めたら、相応の質量になるはずだ……あの二人には荷が重い)
とは言え、目の前の呪魔を放置もできない。
オズワルドは剣を抜く。馬を置いてきて正解だった。回り込むために村人から借りたが、既に日は落ち、視界が悪い。騎馬戦に適した局面ではないのだ。
「マシュー、こいつを片付けて、灰色騎士のフォローに行くぞ」
「……少し時間がかかるやもしれません」
「なに?」
マシューが剣を握るのとは反対の手で、森の方を指差す。微かに草木が揺れる音がした。どうやら、まだ森の中に呪魔が潜んでいるらしい。
「何体だ」
「森に小さいのが二……いえ、三ですね」
耳の良いマシューが言うのなら間違いないだろう。
オズワルドは込み上げてくる激情を、静かに押し殺した。
呪魔が増えている──即ち、隣村の人間が呪魔化したのだろう。目の前で揺れている不定形の呪魔も、少し前までは人間だったのだ。
不定形ということは、他の生物を取り込んではいない──呪魔化して、然程時間は経っていないのだ。
(俺達の到着が、もう少し早ければ……助けられたかもしれん)
目の前にいるのは恐ろしい化け物であり、同時にかつて人であったものだ。目の前の質量は、呪われた人間の質量だ。その事実を心に刻み、聖騎士は剣を抜く。
これ以上の犠牲を出さないために。
* * *
前後左右そして上下、あらゆる方向から黒い球体──呪魔の分身体が飛来し、テオの全身を滅多うちにする。
その数は凡そ二〇。残る球体は地に倒れるカルラに伸し掛かり、その行動を抑え込んでいた。カルラは飛行能力があるから、逃げられたら面倒だと判断したのだろう。大正解だ。
球体の攻撃の最中に、大きなカエルの姿をした呪魔が長い舌を鞭のようにしならせ、テオを狙う。あの舌は尾刺棘だ。先端には針があり、刺さったら呪いを注ぎ込まれてしまう。
テオは呪いの進行が奇跡的に止まった歩く呪いだが、それでも追加で呪いを流し込まれれば、呪魔化することは充分にありえるのだ。
(まずい。防御に手一杯で、攻撃に回れない)
現状のテオに取れる手は、分身体の体当たりをくらうことは覚悟の上で、呪魔本体に突っ込むこと。
だが、分身体の体当たりが予想以上に重いのだ。大人の本気の拳か、それ以上の勢いがある。小柄なテオは一撃喰らうだけで、体勢が崩れてしまい、呪魔本体に辿り着けない。
「がっ……うぐぅ……」
盾で身を守り、剣で切りつけるが、縦横無尽の攻撃は盾で覆われていない手足を容赦なく襲う。痛い。骨が折れそうだ。
痛むのは全身だけじゃない。次第に心臓が鈍く痛みだした。テオが呪装顕現を維持できる時間はおよそ一五分──それを過ぎたのだ。
(まだ、解除しちゃ駄目だ。盾を失ったら、いよいよ身を守る手段がなくなる……)
以前、ベリルが言っていた。無理に呪装顕現を使うと、精神汚染が起こったり、呪魔化が進行したりすることがある。だから、少しでも異変を感じたら、使用をやめるように、と。
(それでも、まだ駄目だ……カルラだけでも逃さないとっ)
テオは分身体に滅多打ちにされながら地面を転がり、カルラに近づく。そして、彼女の体にのしかかる分身体を斬りつけた。
だが分身体を切り離すより早く、横から飛来した分身体がテオの腕を打つ。剣を持つ腕が、ダラリと垂れ下がった。
「テオ……っ」
カルラが何か叫んでいるが、聞こえない。
耳の奥でゴゥゴゥと血が流れる音、心臓がバクバクと鼓動する音、それがやけにうるさく聞こえる。
目の前が霞む、駄目だ、意識を保て、呪装を解くな──自分にそう言い聞かせている内に、段々と頭が重くなってくる。
(……あ、れ?)
ふと、思った。
(僕は、なんで剣を握っているんだ?)
目の前で、白い髪の女の子がもがいている。黒い塊に埋もれながら、それでも細い手足を動かして、なんとか抜け出そうとしている。
(この子は誰だろう?)
彼は呆然と己の手の中にある剣を見下ろした。
黒い剣。それを握る少年の手。
「……あれ? ぼくって、なんだ?」
呆けた顔で呟いて、少年はただ身体が覚えている通りに剣を振るった。




