【18】汝、騎士たれ
テオはぼうっとした表情のまま、黒い騎士剣を振るっている。
カルラは、その光景を地べたに這いつくばりながら見上げ、久しぶりに焦燥という感情を思い出していた。
今のテオの状態は、おそらく呪装顕現を酷使したが故の精神汚染だ。幻覚を見たり、理性が吹き飛んだり、躁鬱が激しくなったり。
今のテオは、自分が何者かを忘れているのだろう。それでも剣を握っているから、攻撃を受けているから、反射的に戦っているのだ。
(本当は、わたしが盾にならなくちゃいけなかったのに)
カルラは不死の呪い持ちだ。骨を粉々にされても、全身を貫かれても死なない。だから自分が盾になって、テオの道を切り拓かないといけなかったのだ。
だが、敵は飛行能力持ちのカルラを警戒し、真っ先に動きを封じた。そうなると飛び攻撃のないカルラは何もできない。
何か手はないか、と焦ったカルラは気がついた。
右手と両足は黒い球体に殆ど埋もれているが、左手は手首から先だけなら動かせる。先ほど、テオが分身体を斬ってくれたおかげだ。
(それなら……)
テオが今、我を失っていて良かった。今からすることを止められずに済む。
カルラは自身の左手に意識を集中した。呪装顕現の大鎌は離れた位置に作り出すことはできないが、カルラの体に近い場所なら、任意の場所に作り出せる。今は左手の中に、なるべく刃に近いところを握るように。
カルラはうつ伏せのまま、ギリギリまで上体を逸らして首を持ち上げた。そうして大鎌の刃を喉に触れるギリギリの位置に顕現。
持ち上げた首を落とし、左手の柄を力一杯引く。
ザクリ。
少女の首が地に落ちる。その拍子に仮面が外れ、噴き出す鮮血が幼い顔と白髪を汚した。
やがて、地面を転がる少女の首から、スルスルと血管が伸び、骨とそれを覆う肉、皮膚が再生されていく。言うなれば、首から体が生えている状態だ。
カルラの不死の力には、いくつか法則がある。
①頭部が大きく損傷した場合、そこから優先的に修復する。
②頭部とそれ以外の部位に分かれた時、体をくっつけるか、新しく生やすかを任意で選択できる。
③②で「新しく生やす」を選択した場合、基本的に頭部がある方から新しい体が生える。
だからカルラは自身の頭部を切り離し、そこから新しく体を生やすことを選択したのだ。呪魔の拘束から逃れる、そのためだけに。
肉の薄い少女の白い裸体、その背中の呪印から羽が伸びる。
呪魔がこちらに気づいたが、もう遅い。カルラは一気に距離を詰め、大鎌でカエルの巨体を切り裂いた。
刃を返し、もう一閃。大猪ほどある巨体の、三分の一程度は肉が削げた筈だ。
呪魔を殺す目安は、体積の半分以下。あと一息──というところで、背後から衝撃がきた。
分身体が全て、呪魔本体の元に戻っているのだ。おそらくは生命維持のため──削られた分の肉体を補充するために。
全身からキノコが生えた異形のカエル。その体がボコボコと膨れ上がり、キノコも増える。あのキノコが分身体になるのだろう。
呪魔が分身体を取り込むまでの数秒。その間にカルラが選んだ行動は、地を蹴り羽を広げて、テオのもとに飛ぶこと。
分身体の攻撃が止んでもなお、テオは呪装顕現を解除せずにいた。
正気を失った翠眼は、ぼぅっと宙を見ている。薄く開いた唇が虚ろに問う。
「ぼくは、なんだ?」
カルラはテオの前に降り立つと、再生したばかりの指でテオの頬に触れた。
こっちを見て、と指先に願いをのせる。テオの頭が少し動いて、カルラを見上げる。
カルラは口を開く。零れ落ちた声は、驚くぐらい震えていた。
「『助けて、騎士様』」
心が擦り切れるほど長い生の中で、忘れたくないとずっと握りしめていた思い出がある。
思い出に揺蕩うカルラの、大事な大事な宝物。ドキドキしながらページを捲った。何度も心揺さぶられた。優しい騎士の物語。
「『──汝、騎士たれ』」
願うように、その言葉を口にする。
翠眼が輝きを取り戻した。
* * *
何もかもが曖昧でボンヤリしていて、ただ暗いことだけは分かる。そんな世界で、テオは一人立ち尽くしていた。
分からない、思い出せない、自分は何だ? 何のためにここにいる?
見下ろした右手には赤黒い剣。自分が剣? 何故?
(僕は、剣なんて握れるはずが……)
「『助けて、騎士様』」
少女の声が、古い記憶を呼び起こす。
──彼は騎士ではありませんでした。それでも少女を助けたくて、剣を握ったのです。風に雲が流れ、隠れていた月が少年の道を照らしました。風に揺れる森、馬の嘶き、少女との出会い。その時、少年の物語は始まったのです。
それは、いつ読んだ物語だったか。
(そうだ……僕はこれを読んだから、騎士になりたかったんだ)
ローレンス家に拾われて、そのまま炭鉱街ウォルグで鉱夫になっても良かった。テオは物覚えが早かったし、読み書きも計算もできたから、他の仕事を選ぶ道だってあったはずだ。
それでもテオは騎士に憧れ続けた。騎士という生き方に焦がれた。
多分それは、この物語の影響だ。だからこそ、その言葉がテオの在り方を示すのだ。
少女の声が祈るように告げる。
「『──汝、騎士たれ』」
僕は騎士だ。君の騎士だ。きっと助けてみせるよ。
たとえ、皆から忘れられてしまっても。
* * *
ボンヤリとしていた世界が輪郭を取り戻した。
辺りは真っ暗で、ランタンの頼りない光がテオの周囲を照らしている……ので、目の前にいる少女の裸体もくっきり見えた。
「わぁ──────っ!?」
白髪に赤眼、一糸纏わぬ裸体の少女カルラがテオの頬にペトリと指先で触れる。
呪装顕現は解けていて、手の中の剣も盾も消えていた。無理に呪装顕現を維持したせいだろう、全身が汗でぐっしょり濡れ、心臓の辺りがズキズキと痛むけれど、今はそれどころじゃない。
「良かった、元に戻っ……」
「良くない良くない良くない、服っ! 服──!」
テオは咄嗟に自分の上着を脱いで、カルラに着せる。テオの人生における最速の脱衣だった。
テオの方が体が大きいけれど、それでもテオの上着はカルラの体を完全には隠してくれない。上着の裾から見える白い足が大変に目の毒だ。
テオはカルラから目を逸らし──逸らした先で少女の首無し死体を見つけ、腰を抜かしかけた。
「わあああああ!? あ、あぁ、あ、あれっ、体……っ、まさか、カルラの……っ」
「大丈夫」
カルラは静かな声で、だが力強く一言。
「死なないから」
そうか、なら大丈夫だな! ……と言えるだけの豪胆さを、テオは持ち合わせていない。
テオはすぐに理解してしまった。カルラの呪いは「不老不死」。おそらくその不死性を利用して、カルラは窮地を脱したのだ……首から下を犠牲にして。カルラの白い頬や髪に付着した血痕が、その生々しさを物語っている。
その時、ズルズルと物音がした。呪魔だ。大カエルの呪魔は、全身にキノコをイボのように貼りつけていた。
カルラが手の中に大鎌、背中に羽を顕現した。
「そこそこ切った……あと一息」
どうやらテオが我を忘れている間に、カルラが呪魔本体の体を削ってくれたらしい。地面には、硬化した呪魔の残骸が落ちている。
(そうか、だから呪魔は分身体を戻して、体積を確保したんだ)
テオは己の胸に手を当てた。全力疾走を終えた後のようにバクバクとうるさいが、刺すような痛みはおさまっている。
不思議だ。既に限界を超えた使用をしたばかりなのに。
「呪装顕現……あと少しだけ、できそうなんだ」
「それは、テオの体に呪いが馴染んだ証拠」
あまり褒められたやり方ではないが、呪装顕現を限界まで使うと限界が伸びる。ベリルが言っていた通りだ。
いつも通り剣と盾を出そうとして、テオは考えを改める。
(今の状況で、必要なのは……)
分身体の回収を終えた呪魔は、舌なめずりをするかのように尾刺棘を揺らめかせている。
テオは自分に必要な物を考え、カルラに言った。
「カルラ、僕があいつの動きを止める。飛んでくる分身体には気をつけてくれ」
「分かった」
「『呪装顕現──汝、騎士たれ』」
己の在り方を言葉にし、顕現したのは剣とブーツのみ。
テオは駆け出し、力強く地面を蹴って飛び上がった。このブーツを顕現している時、テオは地上から建物の二階ぐらいの高さまで跳躍できるのだ。今は限界まで高く、高く、呪魔の真上を目指して跳ぶ。
普段、あまりこういう動きをしないのは、テオに飛び道具がないからだ。テオの武器は剣なので、結局のところ敵に近づかないと攻撃できない。
(だから、こうする)
思い描くのは憧れの英雄。高位聖騎士エルバート・ランドルフ。
ウォルグに現れた巨大呪魔を貫いた白い輝き、空から降り注いだ光の剣。
テオはまだ、自分から離れた位置に顕現ができない。だから、こうして真上に跳んだのだ。
「やぁぁぁぁぁ!」
己の手の中に、大剣を作るイメージ。
テオの胸の呪印からドロリと溢れた呪いが剣に絡みつき、質量を増して大剣となる。丸太ほどもあるそれを、テオは上空から呪魔に叩きつける。
(顕現した武器を飛ばすのは難しいけど……落とすだけなら、できる!)
テオの握る大剣が、カエルに似た呪魔の巨体を真っ直ぐに貫き、地面に縫いつけた。テオの足下でカエルの体がブルブル震え、全身に生えたキノコが一斉に飛び出す。
呪魔は体を貫かれても致命傷にはならない。故に身動きがとれなくなった呪魔は、分身体を飛ばして攻撃をしかけたのだ。
放たれた分身体の数はおよそ百。その殆どが、カルラを狙った。
空中にいるテオが大剣で呪魔の動きを止めて、その隙に素早いカルラが攻撃──という連携を呪魔も察したのだろう。
カルラはその飛行能力で、分身体の攻撃をかわしつつ、呪魔から離れるように飛ぶ。
(今だっ!)
テオは片手で大剣の柄をしっかりと掴んだまま、カエルに似た呪魔の頭部に手をかざす。
「『忘却よ、在れ』」
〈忘我〉の呪いは、自分が何者かを忘れる呪い。つまりは、先ほどテオが陥った症状と同じだ。
自分が何者か分からない、何をしようとしたかも分からない。「ここはどこだ、わたしは誰だ」とただ呆然と立ち尽くす、そんな状態。
その忘却の力が作用したのは、三秒足らずの短い時間だ。
だが、今は三秒もあれば充分。
呪魔の動きが止まった。宙に浮いた分身体もボトボトと地に落ちる。
「『騎士の剣は、決して曇らず!』」
新たに顕現した騎士剣を、テオは力一杯振り下ろした。
赫鋼の剣に勝るとも劣らない切れ味で、呪いの黒剣は呪魔の体を切り裂く。
返す刃で横に一閃。地面に崩れ落ちた呪魔の体が、硬化を始める。やはりそうだ。
分身体が戻る前なら、減らす体積も少なくて済むのだ。
「……勝っ、た」
テオは呪装顕現を解除し、呪魔の残骸の中でへたり込む。
なんとなく見上げた空には、丸い月が浮いていた。それを黒い影が遮る。カルラが黒い羽を広げて飛んできたのだ。
大きく広がる黒い羽のシルエットが美しい。白い髪は月明かりを受けて輝き、テオが貸した上着の裾が風に揺れて捲れ、華奢な脚が……。
「その格好で飛ぶのは良くないっ!!」
カルラの名誉のために、テオは素早く下を向いた。




