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危険運転の末路  作者: リンダ


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梨花の通報

第十一章 スマホの動画と、震える指


その通報は、交番の電話を鳴らした。

声の主は、若い女の子だった。言葉が速い。けれど、息が少し上ずっている。


「……あの、危ない車がいて……駅前の道で……」


受話器の向こうで、警察官が落ち着いた声で促す。

「ゆっくりで大丈夫ですよ。場所と、どう危なかったか教えてください」


通報したのは、秋山梨花あきやま りか

駅を利用して通学する女子高生だ。

朝は自転車で駅へ向かい、列車で隣の市の高校へ通う。町では珍しくない生活。だからこそ、駅前の道の危険さも、誰より知っていた。


「駅の前の狭い道です。通学路の……あそこ、歩道もちゃんとしてないのに、軽自動車がすごいスピードで……」


梨花は、通話をしながらスマホの画面を見た。

録画した動画が再生待ちのまま止まっている。

手が、まだ微かに震えていた。


その朝、梨花はいつも通り自転車を漕いで駅へ向かっていた。

冬の終わりかけの朝で、空気が冷たい。息が白い。

駅前に近づくにつれ、同じ制服の子や、部活バッグを背負った男子、スーツ姿の社会人が増えてくる。


いつも通りの朝。

そう思っていた。


――後ろから、異様な音がした。


エンジン音というより、空気を引き裂くような“速度の音”。

軽自動車なのに、やけに高い回転音。

そして、すぐ後ろに迫る気配。


梨花は反射的に左へ寄ろうとした。

でも寄れない。

電柱がある。路側帯が細い。前には歩いている人がいる。


「え……」


その瞬間、軽自動車が、ほとんど減速せずに横を抜けていった。

距離が近すぎた。

ハンドルに当たった風圧で自転車がふらつき、梨花は思わずブレーキを握り込んだ。


タイヤがきゅっと鳴く。

足が地面につく。

胸が、ドクンと鳴る。


軽自動車はそのまま駅前の狭い道を猛スピードで走り抜け、さらに前の車に詰め寄っていく。

パッシングが一瞬、光った。


梨花は呆然と立ち尽くしていた。

息が白いのに、背中だけ汗をかいたみたいに冷たかった。


(……今の、当たってたら)


頭の中に、遅れて映像が流れ込む。

自分の肩。自転車のハンドル。車体の角。

一瞬でも接触していたら、転んで、道路に倒れて、後続車に轢かれていたかもしれない。


(運が悪かったら、私……死んでたかも)


その考えが、急に現実味を帯びて、喉が詰まった。

怖い、という感情が遅れて膨らみ、足が震えそうになる。


でも――梨花は、ただ怯えるだけで終わりたくなかった。


「……撮らなきゃ」


スマホを取り出し、動画撮影を開始する。

手は震えていたけれど、画面の中には、駅前の道を消える軽自動車の後ろ姿が映った。

ナンバーが一瞬だけ読める角度がある。

車体の色も、型もわかる。


さらに少し進んだところで、梨花は遠目にその軽自動車がまた無理に車間を詰め、対向車線へ鼻先を出すのを見た。

あの動きは、ただ急いでいる人の運転ではない。

相手を押しのけようとしている。

怖がらせること自体が目的みたいに見える。


(おかしい……常軌を逸してる)


駅に着いても、梨花の心臓は落ち着かなかった。

改札を通る足がふわふわして、階段の段差がやけに高く感じた。


列車に乗り込んだあとも、窓に映る自分の顔が青白い。

友達に「どうしたの?」と聞かれても、うまく答えられなかった。


そして放課後、帰宅してからも、朝の恐怖は消えなかった。

動画を見返すたびに、軽自動車の速度が“異常”だとわかる。

駅前の狭い道で、あんな走り方をしていい理由はどこにもない。


梨花は、机の上にスマホを置き、深呼吸をした。


「……言わなきゃ」


交番に電話をかける。

指先が冷たい。

でも、声は絞り出せた。


「私、今朝……駅前で、危ない軽自動車にぶつけられそうになりました。動画もあります。……運が悪かったら、死んでたと思います」


電話口の警察官が、声のトーンを少しだけ強めた。


「動画があるんですね。ありがとうございます。安全な場所で撮影しましたか?」


「はい……駅に着いてから、少し離れて撮りました」


「わかりました。こちらで内容を確認したいので、提出は可能ですか?」


梨花は、短く頷いた。

電話越しに頷いても意味はないのに、それでも頷いた。


「……できます」


その瞬間、梨花の胸の奥に、ほんの少しだけ温かいものが灯った。

怖かった。

でも、自分の怖さが、誰かの命を守る側に回るかもしれない。


駅前の狭い道を、猛スピードで走り抜けていく軽自動車。

その“朝の異常”は、もう“誰にも言われていない噂”ではなくなった。


一つの動画が、ただの不満を――記録に変えてしまったのだ。





第十二章 車内上映会、そして「現実は映画じゃない」


昼休みの駐車場は、仕事の匂いが少し薄まる時間だった。

工場の裏手、事務所の窓から死角になるあたりに車が並び、缶コーヒーの甘い匂いと、タバコの煙が風に散る。


恭一は、自分の車の運転席に座ったまま、ドラレコの再生画面を開いた。

助手席には吉岡、後部座席には同じ部署の若手が二人。

総務の秋山も「確認だけ」と言って、ドアを開けたまま外から覗き込んでいる。


「……これ、朝のやつ。駅の手前から」


恭一が再生ボタンを押すと、車内にスピーカーの乾いた音が流れた。

軽いロードノイズ。ウィンカーのカチカチ。

そして――背後から迫る、あの軽自動車。


画面の中で、後続車が異常な距離まで詰めてくる。

パッシングが跳ねる。

蛇行して、わざと視界に入ってくる。


「うわ……」


吉岡が思わず声を漏らした。

後部座席の若手が前のめりになる。


「これ、マジっすか?」


恭一は「うん」と短く返すしかなかった。

自分の声が妙に落ち着いて聞こえるのが怖い。

慣れたくないのに、慣れかけている。


映像の中で、軽自動車は一瞬だけ対向車線へ鼻先を出す。

駅前の狭い道。

人影。自転車。

それでも速度が落ちない。


「……映画のカーアクションみたいじゃん」


若手が半笑いで言って、すぐ表情を引っ込めた。

笑えるわけがないと気づいたからだ。


秋山が低い声で言った。


「これ、通学路ですよね。……この速度は、ありえない」


恭一は頷き、映像を少し進めた。

自動車専用道路へ入ってからの場面。

片側一車線で、無理な追い越しを仕掛けて、割り込む。


後部座席のもう一人が息を呑む。


「え、そこで出るの? 対向来てるのに……」


「来てた。ギリギリで戻った」


恭一は淡々と言ったが、指先は冷えていた。

自分が体験した“怖さ”が、映像という形で他人の目に映ることで、別の重さを持ち始めている。


吉岡が顔をしかめた。


「これさ……俺らの誰か、いつか巻き込まれるぞ」


その言葉が、車内を一瞬で静かにした。

全員が同じ想像をしたのだ。

“いつか”が、誰かの今日になる。


恭一は再生を止めた。


「だから共有したかった。朝の通勤、気をつけてほしい。特に駅前。無理に避けたり、急ブレーキしたりしたら逆に危ない」


秋山が言う。


「警察にも提出、ですよね」


「うん。通報記録も残ってる。これも保全してる」


若手がためらいがちに言った。


「……ていうか、これ、世間に出した方がよくないっすか? みんな注意できるし」


恭一は、その言葉に一瞬だけ揺れた。

たしかに、注意喚起になり得る。

でも同時に、軽い気持ちで拡散していいものでもない。


“正義”と“危うさ”が、同じ場所に並んでいる。


その夜、恭一は家に帰っても、映像のことが頭から離れなかった。

駅前での危険運転。

そして――女子高生の秋山梨花の通報。スマホ動画。


点が増えている。

それでも、まだ日々は続く。


恭一は、自分の動画配信チャンネルの管理画面を開いた。

普段は車の整備やドライブ記録、地元の道紹介を淡々と上げている程度の、小さなチャンネルだ。

だが、だからこそ見ている人は“地元の人”が多い。


(注意喚起としてなら……意味はある)


ただし、やり方を間違えたら、ただの晒しになる。

恭一はそこで、ひとつ“線”を引いた。

•ナンバーは隠す

•顔が映る可能性がある部分もぼかす

•位置情報は特定されすぎないように表現を抑える

•「私刑」や「犯人探し」を煽らない

•そして、警察へ提出するデータは別に確保しておく


“止めるため”に出す。

“叩くため”に出さない。


編集は短く、説明は長くなった。

恭一はテロップにこう入れた。


『通学時間帯/駅前付近での危険運転 ※ナンバー等は伏せています』

『同様の被害がある場合は、危険を避けた上で記録と通報を』


投稿ボタンの手前で、指が止まる。


(これで、何かが変わるのか)


確信はない。

でも、何もしなければ、もっと確実に“変わらない”。


恭一は静かに投稿を押した。


画面に「公開されました」の文字が出る。

その瞬間、妙に部屋が静かに感じた。


翌朝――

コメントは少しずつ増えていく。


「同じ車見ました」

「うちの子も怖がってた」

「駅前、朝練の時間ヤバいんよ」

そして、ひとつだけ短いコメント。


「これ、あいつやろ」


恭一は背中が冷たくなるのを感じた。

“あいつ”という言葉が、町の空気を別の方向へ動かしかねない。


恭一はすぐに固定コメントを入れた。


『個人特定や攻撃目的の書き込みは控えてください。目的は注意喚起と安全確保です。』


たった一つの動画が、

守りたいものを守る方向にも、壊す方向にも動く――

恭一はそれを痛いほど理解しながら、画面を見つめ続けた。

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